87 三つの天界がいっしょに「最大の人」を構成し、また前に言われたように、彼にすべての四肢、内臓と器官がそれらの機能と役立ちにしたがって対応しているので、彼に外なるものであり、また視覚に現われるものがだけでなく、内なるものであり、また視覚に現われないもまた、それゆえ人間の外なるものに属するものと内なるものに属するものが対応する。人間の外なるものに対応する霊と天使たちの社会は、多くの部分に関してこの地球からである。けれども、人間の内なるものに対応する社会は、多くの部分に関して他のところからである。それらの社会は天界の中で、再生した人間のもとで外なる人と内なる人のように一つのものとして活動する。しかしそれでも、今日、外なる人が内なる人と一つのものとして活動する〔ような〕この地球から来世にやって来る者はわずかなである、というのは、大部分の者は感覚的であるから。人間の外なるものが人間のすべてのものであると信じ、また人間が死ぬときに生じるように、それ〔人間の外なるもの〕去るとき、生きているものがほとんど何も残らない、まして外なるものの中で生きる内なるものがあること、また外なるものが去るとき、それが特に生きることを信じないほどにもわずかである。
[2] どのようにこれらの者が内なる人に対立しているか、生き生きとした経験から示された。この地球から非常に多くの霊がいた、その者は世の中で生きたとき、このような者であった。彼らの視野の中に、人間の内なる感覚的なものに関係する霊がやって来た時、直ちに彼らはこの者たちを攻撃し始める。そのことはほとんど、理性のない者が、絶えず感覚の欺きから、またそこからの幻覚から、また単なる仮説から、話してまた推論して、外なる感覚によって確信されることができるもの以外に何も信じないで、そして加えて、内なる人に侮辱を感じさせて、理性のある者を攻撃するようなものである。
[3] しかし、人間の内なる感覚に関係した者は、彼らの狂気だけでなく、愚かさに驚きながらも、このようなものを何も気にかけなかった。また、驚くべきこと〔に〕、外なる感覚的な者が内なる感覚的な者に近づくとき、またほとんど彼らの思考のスフェアの中にやって来るとき、外なる感覚的な者は呼吸が苦しくなり始め(というのは、霊と天使たちは人間と同じく呼吸するから、しかし、彼らの呼吸は相対的に内なるものである、3884, 3885 続き, 3893番)、そのように、ほとんど息を止められ、このために彼らは去った。そして、内なる感覚から遠く立ち去れば立ち去るほどますます、容易に呼吸できるので、彼らの内に静穏さと休息が生じ、また再び、さらに近くに近づけば近づくほどますます安らぎが欠如し、不安となった。
[4] その理由は、外なる感覚的な者は自分の欺き、幻覚また仮説の中に、またここから虚偽の中にいるとき、自分たちに静穏さがあり、しかし逆に、このようなものが彼に取り去られるとき、そのことは内なる人が真理の光とともに流入するとき生じるが、その時、彼らに安らぎの欠如があるからである。というのは、思考と情愛のスフェアが来世の中に存在し