原典講読『神の摂理』 251( [4]~おわり)

 

(2) 直訳


[4.] Similia repraesentantur per bella hodie, ubicunque sunt; [4.] 同様のものが今日の戦争によって表象される、どこに存在しても。


omnia enim quae in mundo naturali fiunt, correspondent spiritualibus in mundo spirituali, et omnia spiritualia concernunt ecclesiam. というのは、すべてのものは、それらは自然界に生ずる、霊界の中の霊的なものに対応するから、またすべての霊的なものは教会に関係する。


Non scitur in hoc mundo, quaenam regna in orbe Christiano referunt Moabitas et Ammonitas, quaenam Syros et Philistaeos, et quaenam Chaldaeos et Assyrios, et reliquos cum quibus filii Israelis bella gesserunt; この世の中で知られない、キリスト教世界の中のどの国がモアブ人たちとアモン人たちに関わりがあるか、どの〔国が〕シリア人たちとペリシテ人たちに、またどの〔国が〕カルデア人たちとアッシリア人たちに、またその他に、それらとイスラエルの子たちの戦争が行なわれた。


at usque sunt qui illos referunt. しかしそれでも、それらに関わりのある者たちがいる。


Sed qualis ecclesia est in terris, et quaenam mala sunt iii quae labitur, et propter quae per bella punitur, prorsus non videri potest in mundo naturali, quoniam in hoc mundo solum externa patent, quae non faciunt ecclesiam; しかし、教会がどんなものであるか、地の中で、どの悪がそれらにあるか、それは陥る、またそのために戦争によって罰せられる、まったく自然界の中で見られることができない、この世の中では外なるものだけが明らかであるので、それらは教会をつくらない。


sed videtur in mundo spirituali, ubi interna, in quibus ipsa ecclesia est, apparent; しかし、霊界の中で見られる、そこに内なるもの、それらの中に教会そのものがある、見られる。


ac ibi omnes secundum varios suos status conjunguntur. そして、そこにいろいろなそれらの状態にしたがって結合されている。


Conflictus horum in mundo spirituali correspondent bellis, quae utrimque a Domino secundum Divinam Ipsius Providentiam correspondenter reguntur. 霊界の中のこれらの衝突が戦争に対応する、それらは両方とも主によりその方の神的な摂理にしたがって対応して支配される。


[5.] Quod bella in mundo per Divinam Domini Providentiam regantur, spiritualis homo agnoscit, at non naturalis homo, solum cum indicitur festum propter victoriam, quod tunc possit super genubus Deo gratias agere quod victoriam dederit, et quoque paucis vocibus antequam proelium init; [5.] 世の中の戦争が主の神的な摂理によって支配されていることを、霊的な人間は認める、しかし、自然的な人間は〔認め〕ない、単に勝利のための祝祭が告げ知らされるとき、その時、神にひざの上で(=ひざまずいて)感謝を行なう(する)こと、勝利を与えらたこと、そしてまた少ない言葉で戦いの始まる前に。


at cum redit in se, tunc victoriam vel adscribit ducis prudentiae, vel alicui consilio aut rei in medio proelio, de quo nihil cogitaverant, ex quo tamen victoria. しかし、自分自身の中に戻るとき、勝利をあるいは司令官(将軍)思慮に帰する、あるいは戦いの真ん中で何らかの計画(意図)または物事に、それについては決して考えなかった、それらからそれでも勝利〔した〕。


[6.] Quod Divina Providentia, quae vocatur Fortuna, sit in singularissimis rerum etiam levium, videatur supra (n. 212); [6.] 神的な摂理が、それは「運」と呼ばれる、物事のさらにまた軽微なものの最も個々のものの中にあることは、上に見られる(212)


si in illis agnoscis Divinam Providentiam, omnino in rebus belli agnosces illam. もしそれらの中にあなたが神的な摂理を認めるなら、戦争の物事の中のすべてのものにあなたはそれ〔摂理〕を認める(未来)


Vocantur etiam successus et res belli feliciter gestae, communi voce fortuna belli, et haec est Divina Providentia, imprimis in consiliis et meditationibus ducis, tametsi ille tunc et postea suae prudentiae addicaret omnia ejus. さらにまた成功や戦争の事柄で幸運に運ぶ(=運ばれる)もの呼ばれる、通常の言葉で戦争の運と、またこれは神的な摂理である、特に、司令官(将軍)計画(意図)や熟考の中で、それでも、それはその時、またその後、彼のすべてものを自分の思慮に帰する。


Sed hoc aciat si velit, nam in plena libertate cogitandi est pro Divina Providentia et contra illam, immo pro Deo et contra Illum; しかし、このことを行なう(接続)、もし欲するなら、なぜなら、まったく自由に考える中にいるから、神的な摂理としてまたそれに反して、それどころか神のためにまたそれに反して。


at sciat quod ne hilum consilii et meditationis sit ab ipso; しかし、〔彼は〕知る(未来)、自分自身からの計画(意図)や熟考は何もないこと。


influit omne vel a caelo vel ab inferno, ab inferno ex permissione, a caelo ex Providentia. すべてのものはあるいは天界からあるいは地獄から流入する、地獄から許しから、天界から摂理から。


@1 99 pro “97” 注1 97」の代わりに99


 


(3) 訳文


251.  [4.] 今日の戦争によって〔それが〕どこに存在しても同様のものが表象される。というのは、自然界に生ずるすべてのものは、霊界の中の霊的なものに対応し、すべての霊的なものは教会に関係するから。この世では、イスラエル民族と戦争が行なわれたキリスト教世界の中のどの国がモアブ人とアモン人に、どの国がシリア人とペリシテ人に、またどの国がカルデア人とアッシリア人に、またその他に関わりがあるか、知られていない。しかしそれでも、それらに関わりのある者たちがいる。


 しかし、地上で、教会がどんなものであるか、その教会に、陥り、そのために戦争によって罰せられるどの悪があるかは、まったく自然界の中で見られることができない、この世の中では外なるものだけが明らかであり、それら〔外なるもの〕は教会をつくらないからである。しかし、霊界の中では、そこに内なるものがあり、それらの中に教会そのものがあって、そして、そこにいろいろなそれらの状態にしたがって結合されていて、見られる。霊界の中のこれらの衝突が戦争に対応し、それらは両方とも主によりその方の神的な摂理にしたがって対応して支配されている。


[5.] 世の中の戦争が主の神的な摂理によって支配されていることを、霊的な人間は認めるが、しかし、自然的な人間は認めない。単に勝利のための祝祭が告げ知らされる時、神にひざまずいて、勝利を与えらたことを感謝する、そしてまた戦いの始まる前には少ない言葉で〔武運を祈る〕。しかし、自分自身の中に戻るとき、勝利を司令官思慮、あるいは戦いの最中の何らかの計画または物事に帰する。それについては決して考えなかったし、それでもそれらから勝利〔したのであった〕。


[6.] 「運」と呼ばれる神的な摂理が、物事のさらにまた軽微なものの最も個々のものの中にあることは前に見られる(212)。もしあなたがそれらの中に神的な摂理を認めるなら、戦争の事柄の中のすべてのものにあなたはそれも摂理を認めるはずである。


 さらにまた成功や普通の言葉で武運と呼ばれる戦争の物事で恵まれた幸運もまた神的な摂理である。特に、司令官計画や熟考の中で〔浮かんだものである〕、それでも、それはその時、またその後、すべてものを自分の思慮に帰する。しかし、もし欲するなら、この〔自分の思慮に帰す〕ことを行なうであろう、なぜなら、神的な摂理としてまたそれに反して、それどころか神に〔感謝して〕またそれに反して、まったく自由に考える中にいるから。しかし、〔彼は〕自分自身からの計画や熟考は何もないこと、すべてのものは天界からあるいは地獄から、地獄からは許しから、天界からは摂理から流入することを知るべきである。

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