(1) 原文
5400. Postea ejecti sunt omnes illi, qui prorsus nihil curarunt vera Ecclesiae, quae ne quidem scire sategerunt, ac renuerunt scire sicut remotiora ab illis, et interiores veritates sicut inimicas, quorum ingens numerus fuit, omnes enim illi nihil de religione cogitarunt, sed modo de cultu externo ex habitu ab infantia, et propter famam ne impii dicerentur: qui enim vera Ecclesiae [non]{1} curat, nec potest a Domino duci ad coelum, nam per illa ducitur, imbuitur enim fide et amore eorum, et sic ducitur ad cogitandum ea et ad faciendum ea. Illi omnes etiam tales erant, ut imperare vellent, ac alios ducere, ita non duci, quod etiam compertum est per id, quod ubicunque viderent aliquem extra suum tractum, statim infestarent eum, subjugando eum, ducendo eum sicut suum servum, ne quidem patiendo ut cogitet ex se, sic obsidere volebant alios: omnes qui exosi sunt vera fidei, tales sunt. Gentiles vero curant religiosa sua, et amant scire interiora, et vivere secundum illa: at inter Christianos perpauci, nisi solum sacerdotes et presbyteri, quorum multi et quoque plurima pars discit illa propter eruditionis famam, ut evehantur ad honores, et aestimentur, et propter praedicationes, ita propter se, sed non propter vivere secundum illa{2}, ita ad emendandam vitam suam.
@1 sic J.F.I. Tafel
@2 sic J.F.I. Tafel; ms. illam
(2) 直訳
5400. Postea ejecti sunt omnes illi, qui prorsus nihil curarunt vera Ecclesiae, その後、すべての者が、彼らが追い出された、その者たちは教会の真理をまったく何も気にしなかった、
quae ne quidem scire sategerunt, ac renuerunt scire sicut remotiora ab illis, それらを決して知ることを奮闘しなかった(懸命に努めなかった)、そして知ることを拒絶した、それらから遠く離れたもののように、
et interiores veritates sicut inimicas, また内的な‶真理〟を敵のように、
quorum ingens numerus fuit, omnes enim illi nihil de religione cogitarunt, それらの莫大な数があった、というのは、すべての者は、彼らは宗教について何も考えないからである、
sed modo de cultu externo ex habitu ab infantia, et propter famam ne impii dicerentur: しかし、単に外なる礼拝について、幼児期からの習慣から〔考えている〕、また名声のために、不信心な者たちと言われないように――
qui enim vera Ecclesiae [non]{1} curat, nec potest a Domino duci ad coelum, というのは、教会の真理を気にし〔ない〕者は、主により天界へ導かれることもできないからである、
nam per illa ducitur, imbuitur enim fide et amore eorum, なぜなら、それら〔真理〕によって導かれるからである、というのはそれらの信仰と愛で教えられるからである、
et sic ducitur ad cogitandum ea et ad faciendum ea. またこのようにそれらを考えることまたそれらを行なうことへ導かれる。
Illi omnes etiam tales erant, ut imperare vellent, ac alios ducere, ita non duci, 彼らは、すべての者もまたこのような者たちであった、支配すること、そして他の者たちを導くことを欲するような、そのように導かれないこと、
quod etiam compertum est per id, そのこともまたそのことによって得られた(習得された)、
quod ubicunque viderent aliquem extra suum tractum, どこでも、彼らが他の者を自分の地域の外に見ること、
statim infestarent eum, subjugando eum, ducendo eum sicut suum servum, 直ちに彼を攻撃する(悩ませる)、彼を服従させて、彼を導いて、自分の奴隷(召使い)のように、
ne quidem patiendo ut cogitet ex se, 決して許さないように、自分自身から考えることを、
sic obsidere volebant alios: そのように他の者たちにとりつく(攻撃する)ことを欲した――
omnes qui exosi sunt vera fidei, tales sunt. すべての者は、その者たちは信仰の真理を憎んだ、このような者たちである。
Gentiles vero curant religiosa sua, et amant scire interiora, et vivere secundum illa: けれども、異邦人(=異教徒)たちは自分の宗教的信念を気にする(思いやる)、また〔その〕内的なものを知ることを愛する、またそれらにしたがって生きることを――
at inter Christianos perpauci, nisi solum sacerdotes et presbyteri, しかし、キリスト教徒たちの間で非常に数少ない〔その者は宗教的信念について気にする〕、聖職者や長老たちだけでないなら(=以外に)、
quorum multi et quoque plurima pars discit illa propter eruditionis famam, それらの多くの者たちは、そしてまた非常に多くの部分はそれらを博学の名声のために学んでいる、
ut evehantur ad honores, et aestimentur, et propter praedicationes, 名誉へ上げられる、また尊重されるように、また説教のために、
ita propter se, sed non propter vivere secundum illa{2}, ita ad emendandam vitam suam. そのように自分自身のために、しかし、それらにしたがって生きることのためでなく、そのように自分の生活を矯正(改善)することへ向けて。
(3) 訳文
5400. その後、教会の真理をまったく何も気にしなかったすべての者たちが追い出された。その者たちは、それらを知ることに決して努めなかった、そして、知ることをそれらから遠く離れたもののように、また内的な‶真理〟を敵のように拒絶した。それらは膨大な数であった、というのは、彼らのすべての者は宗教について何も考えない、しかし、単に外なる礼拝について、幼児期からの習慣から、また名声のために、不信心な者と言われないように〔考えている〕からである――というのは、教会の真理を思いやらない者は、主により天界へ導かれることもできないから、なぜなら、それら〔真理〕によって導かれ、それらへの信仰と愛で教えられ、このようにそれらを考えること、またそれらを行なうことへ導かれるからである。
彼らのすべての者は他の者たちを支配し、そして導くことを欲し、そのように導かれないこと欲するような者たちでもあった。そのこともまた、このことによって得られた――彼らがどこでも自分の地域の外に他の者を見るとき、直ちに彼を服従させ、自分自身から考えることを決して許さないように、彼を自分の奴隷のように導いて、悩ませ、そのように他の者たちにとりつくことを欲した――そのすべての者は、信仰の真理を憎んだような者たちである。
けれども、異教徒たちは自分の宗教的信念を思いやり、〔その〕内的なものを知ることを、またそれらにしたがって生きることを愛する――しかし、キリスト教徒たちの間に〔宗教的信念について思いやる者は〕聖職者や長老たち以外に、非常に数少ない。それら〔聖職者や長老たち〕の多くの者たちは、そしてまた非常に多くの部分は、それらを博学の名声のために、名誉へ上げられ、尊重されるように、また説教のために、そのように自分自身のために学んでいる。しかし、それらにしたがって生き、そのように自分の生活を改善するためにでなく〔学んでいる〕。