(1) 原文
Quomodo ideae spurcae puniant eos qui tales habent
3606. Ideae spurcae repraesentatae a spiritibus, quae repraesentative apparebant, quia non ex studio ab iis, ut spurcae essent, non de iis nunc agitur, sed erant alii obscoeni spiritus{1}, qui sic inhaerebant iisdem, ex causa ut imprimerent ideam spurci; [2] tunc mihi apparebat, quod idea ista quia esset eorum phantasia spurca ab iis tametsi elongata, usque quia ab iis, erat in iis, sic sequendo usque ad eos et ad eorum ideam spurcam, sic ii sibi visi quod tales, nam idea est imago ejus, qui producit; ita visi sibi quales essent, et eo modo puniti a semet, quia tales, quare idea spurca ex phantasia secum habet poenam repraesentationis qualis ei qui producit. 1748, 18 Oct.
@1 sic J.F.I. Tafel; ms. spiritibus
(2) 直訳
Quomodo ideae spurcae puniant eos qui tales habent どのように汚れた観念は彼らを罰するか、その者はこのようなものを持っている
3606. Ideae spurcae repraesentatae a spiritibus, quae repraesentative apparebant, 霊たちにより表象された汚れた観念が、それらが表象的に(表象して)見られた、
quia non ex studio ab iis, ut spurcae essent, non de iis nunc agitur, 彼らによる熱意(心の傾注)からではないからである、汚れたものであったような、それらについて、今、扱っていない、
sed erant alii obscoeni spiritus{1}, qui sic inhaerebant iisdem, ex causa ut imprimerent ideam spurci; しかし、他のわいせつな霊たちがいた、その者はこのように同じものに固執(執着)した、汚れた観念を刻みつけるための理由から、
[2] tunc mihi apparebat, その時、私に見られた、
quod idea ista quia esset eorum phantasia spurca ab iis tametsi elongata, その観念は、彼らの汚れた幻想であったので、彼らからたとえ遠く離れていても、
usque quia ab iis, erat in iis, sic sequendo usque ad eos et ad eorum ideam spurcam, 彼らから〔であった〕ので、彼らの中にあった、このように続いて〔いる〕、彼らへ、また彼らの汚れた観念へまでも、
sic ii sibi visi quod tales, そのように、彼らは自分自身に見られる、このようなもの〔である〕こと、
nam idea est imago ejus, qui producit; なぜなら、観念は彼の映像(心象)であるからである、その者が生み出す。
ita visi sibi quales essent, et eo modo puniti a semet, quia tales, そのように自分自身に見られる、どのようなものであったか、またそれほどにだけ自分自身により罰せられる、このようなもの〔である〕からである、
quare idea spurca ex phantasia secum habet poenam repraesentationis qualis ei qui producit. それゆえ、幻想からの汚れた観念はそれ自体に彼に〔ある〕ような表象の罰を持っている、その者が生み出す。
1748, 18 Oct. 1748年10月18日。
(3) 訳文
汚れた観念は、このようなものを持っている者をどのように罰するか
3606. 霊たちにより表象された汚れた観念が、表象して見られた――汚れたものであったような彼らによる熱意からものはないからである、今、それらについては扱っていない、しかし、他のわいせつな霊たちがいて、汚れた観念を刻みつけるために、その理由から〔表象して見られた〕、その者はこのように同じものに執着した。
[2] その時、その観念は、彼らの汚れた幻想であったので、彼らからたとえ遠く離れていても、彼らから、彼らの中にあった〔観念〕からであり、このように、彼らへ、彼らの汚れた観念へまでも続いており、そのように、彼らは自分自身に見られ、このようなものであることが私に見られた。なぜなら、観念はその者が生み出すその心象であるからである。どのようなものであったか、そのように自分自身に見られ、それだけ自分自身によって罰せられる、このような者であるからである。それゆえ、幻想からの汚れた観念は、それ自体に彼にあるような表象の罰を持っている。〔すなわち、その罰を〕その者が生み出している。1748年10月18日。
◎ 新年おめでとうございます。今年もこの「鈍行列車の旅」をよろしくお願いいたします。日頃、このようなペースで翻訳しています。鈍行でしょう。いつ終点まで着くかわかりません。でも各駅に泊まりながらゆっくり景色を眺める楽しみ(?)は大きいし、これに代わるものはないでしょう(じれたいかもしれません、こんなものか、とそんな気でいてください)。
ここで「運・鈍・根」に思い当たりました。何事をするにも、この三つが必要とのことです。私事ながら、私にこの三つが備わっているようです。①まず「運」、これをいろいろな機会で感じています。おみくじでいえば「小吉・末吉」でしょうか。②次に「鈍」まさにこの「鈍行」ともいえる原典購読。私自身、鈍感なところが多々あります。③最後に「根」、やはりこの原典購読の「根気強さ」、飽きずに続いている(私の人間性出ている?)。何事も続けるが最重要かも知れない。