(1) 原文
Quod infantes cum ludunt cum objectis, putent ea vivere
2844. Ostensum mihi est ad vivum quales sunt infantum cogitationes, cum ludunt cum suismet objectis, lapillis, vasis, (dockor{a}){1}, nam infantes tunc me ducebant; cum (de swåte kerlen{b}) optarem{2} ea, tunc quasi putabam quod viderent, quod viverent, et sic cum apponerem ea, quod nihil aliter sibi proponant {3}, nam non reflectunt in id quod inanimata sunt. 1748, 17 Aug.
@1 ms. vasis |:dockor:|
@2 J.F.I. Tafel aptarem
@3 in ms. proponunt in proponant emendatum esse videtur
@a = pupis (vox suecica) 人形(複数奪格)(スウェーデン語)
@b = illis suavibus homunculis (voces suecicae, in casu dativo intelligendae) 彼らに心地よい(好ましい)こびと(小柄な人)で(スウェーデン語、奪格で理解されて)
(2) 直訳
Quod infantes cum ludunt cum objectis, putent ea vivere 幼児たちは〔自分の〕対象〔物〕と遊ぶとき、それらが生きていることを思っていること
2844. Ostensum mihi est ad vivum quales sunt infantum cogitationes, 私に生き生きと示された、幼児たちの思考がどのようなものであるか
cum ludunt cum suismet objectis, lapillis, vasis, (dockor{a}){1}, 、自分の対象と遊ぶ時、石ころ、器、人形(dockor)と、
nam infantes tunc me ducebant; なぜなら、幼児たちは、その時、私を導いたからである。☆
☆「私を導いた」の意味がこのままではわかりません(その後の記述参照)。
cum (de swåte kerlen{b}) optarem{2} ea, 彼らに(幼児たち)心地よい(好ましい)こびと(小柄な人)☆1で(de swåte kerlen)私がそれらを期待した(=取り上げた☆2)とき、
☆1もちろんこの「こびと」は「人形」のことです。
☆2このopto(望む)をターフェルはapto(適合させる)としています、注参照。
tunc quasi putabam quod viderent, quod viverent, その時、いわば私は思った、それらが見ていること、生きていること☆
☆「私を導いた」のとは、おそらく「それらが見ている、それらが生きている」と私が思うようになったことをでしょう。
et sic cum apponerem ea, quod nihil aliter sibi proponant {3}, またこのように私がそれらをそばに置いたとき、彼ら(幼児たち)は何も異なって自分自身に示さなかった、
nam non reflectunt in id quod inanimata sunt. なぜなら、彼ら(幼児たち)はそのことについて考慮しないからである、生命のないものであること。
1748, 17 Aug. 1748年8月17日。
(3) 訳文
幼児たちは自分の対象物と遊ぶとき、それらが生きていると思っていること
2844. 幼児たちが自分の対象物である石ころ・器・人形(dockor)と遊ぶ時、その思考がどのようなものであるか私に生き生きと示された。なぜなら、幼児たちは、その時、私を導いたからである。私が幼児たちに好ましい〔人形の〕こびと(de swåte kerlen)を取り上げた時、いわば私は、それらが見ている、生きていると思った☆。またこのように私がそれらをそばに置いたとき、幼児たちはこれと異なって何も示さなかった(=それとまったく同じであった)。なぜなら、幼児たちは生命のないものであるとは〔何も〕考慮しないからである。1748年8月17日。
☆「私を導いた」とは「それらが見ている、生きている」と私が思うようになったことでしょう。なおこの2844番は私にとって非常に興味深いです。