(3) 訳文
天界の天使の話し方について
1470. 天界の天使の話し方は霊的な天使の話し方と異なっている、天的な者は何らかの霊的なものが入ることををほとんど許さない。なぜなら、それは直ちに固いものまたは物質的なものとして現われるからである。
表象によって行なわれるとき、例えば、人間の心が、その二つの部分が、すなわち、理解力と意志が表象されるとき、理解力なおまた意志が表象される時、彼らに固いものが現われ、入れることが許されない、その観念を持たないからである。しかし、情愛が〔表象される〕時、その時、直ちに、すべての固いものと物質的なものが失われ、入れることが許される。
そしてこのように、情愛が理解力の中に内在し、そのように何も知的なものが見られず、このように知的なものが情愛の形〔になり〕、またこのようにここから意志を生じるように表象されるとき、このように霊的なすなわち知的な意志の観念が失われる。彼らにより、何が意志かそのように理解されている――
同様に、理解力の中に、またこのように意志の中に、ここから活動の中にある情愛がこのようなものであり、活動がこのように表象される時、情愛でないものは何もない――これらがその最内部を、またこのように最初のものと続くものを構成さえすれば――その時、初めて彼らにより理解される。
1471., 何が信仰の実か、このように〔理解される〕。すなわち、情愛または愛がいのち(生活)であり、このように知的な信仰の中にあるその観念が、そしてそのように意志の中で、このようにその観念が、また最後に信仰の実である活動の中で――このように活動の観念が失われる――〔情愛は〕すべてのものの複合体である、しかし、情愛だけがこのように自分の形の中にある、またはむしろ情愛だけがある。形をまたは形の言葉も入ることを許さない――理解力、意志、行動が、ひとえに情愛であり、このことを理解し、そしてもしそのように表象されるかぎり、理解力このように意志またこのよう活動の観念は失われる。
1472. このことは理解すること、また表現することが困難である。しかしそれでも、天的な者の話し方は、最も穏やかな観念に似たものから成り立ち、他のものをさらに固いものと呼んで、それらを許容しないようなものである。それどころか、〔それを表現する〕言葉は容易に見つけられない。
1473. 天的な者と、今日、観念によってそのように話した。その者もまた居合わせ、彼らの深遠な思考がどんなものか、ある観念または例の中でのように、ここから明らかになることができるようにこれらへ導いた、それらをいのち(生活)から、またこのように派生物を通して、自分の概念を得る。私はそれらを把握することができない、彼らは霊的なものが入ることを許さないからである。