『霊界体験記』柳瀬芳意と私

 本講「霊界体験記」に関し、私見を述べておくのも、この際、何かの参考となるであろう。

 

スヴェーデンボリに関わる膨大な訳書を出版された柳瀬に(呼び捨ての言い方をするのは、故人であるし、ある意味、尊敬のしるしである)に私が初めて会ったのは年号も変わった平成元年(1989年)正月であった。

柳瀬(明治41年10月15日生まれ)はその時、80歳、私(昭和21年12月15日生まれ)は42歳、48歳年長である。それから翌年の5月まで同氏の翻訳書などの校正の手伝いをしながらご一緒いただけたことは私の幸せであった(5月で去ったのは、翻訳ではその莫大な量に驚嘆しながらも、同時に「日本新エルサレム教会」を牧会していた牧師柳瀬に幻滅したからであった。私は既成教会に通っていたことがあり、その牧師を見てきた、それからすれば、あまりにも手抜き、もっと言えば、信徒のことを思っていないからであった、悪口になってすまない、説教での「柳瀬節」には味があった)。

 

 彼は当時、『天界の秘義』を終え、その最後の頃『霊界日記』も終え、『黙示録講解』(この時私は校正の手伝いもした)に取り組んでいた(その後は『神学』に関する小編を終え、翻訳業を終え、その後、病床に伏した)。

 ここで『霊界日記』の翻訳ペースを確認してみた。

 第1巻(1~692)を昭和55年(1980年)4月20日に出版。柳瀬71歳。

 以下ほぼ8カ月に一巻のペースで第9巻(5660~6110)を昭和60年(1985年)2月20日に出版して完了。6年間の訳業の内、前の方では『天界の秘義』の最後とダブっている。

 

 私が取り組んだのが昨年9月末からであり、現在、翻訳中、「ちょうど40年前に柳瀬が取り組んでいたであろ箇所」を私が訳していることになる(柳瀬は訳了してからほど2カ月弱で出版している)。年齢も2年異なるだけである(私は73歳)。

 奇しくも、同じような年齢で同じようなことをやっている、でも「内容は大いに異なる」。柳瀬は英訳書『霊界日記』(これはラテン原典の初版を1843-47年にロンドンで出版したターフェルがそのように名づけた、これを英訳したものである、スヴェーデンボリは一度も『日記』とは呼んでいない)から訳した。

 私はラテン原典第二版(オドナー、1983年)から訳している、しかも、このようにネット上で『原典講読』として、直訳まで示している(ここに40年間の時の流れ・変化を感じる)。希望として私も5年間ぐらいで訳し終えたい。

 

 さてついでに『霊界体験記』について、わずかに感想を述べておこう。この書を内容があまりに異常なので「まったくの作り話・精神状態が異常な時に書かれた」とすることへの反論である。

 (1) 20年間にわたる膨大な記録である。〔これだけ持続することはできない〕

 (2) 日付入りの記事である。〔いちいち日付を入れるであろうか〕

 (3) 『索引』をつくっている。〔索引をつくるなどありえない、私にとってこれが最大の理由〕

 以上の三つからして、この「体験談」が「でっちあげ・精神錯乱者の作品」などととうてい思えない。

なお『索引』について、『体験記』が4巻であるところ『索引』は2巻もの大著となっている、すなわち、単なる項目名の羅列ではなく、内容の詳細な要約となっている。体験を振り返って要約してみることなど、精神が異常だったなら決してできない(皆さまおわかりかと思う、改めて述べてみた)。

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