(3) 訳文
木星の住民について
519., 木星の住民について、どんな人間が他の地球(惑星)の中で生きているか知りたい欲望から、私に知ることもまた許された。なぜなら、もし、地球(惑星)が〔存在する〕なら、理性的な者と知的な者もまた〔存在する〕からである。
(1) その者は、(そこに)見るすべてのものを、創造主〔の〕栄光に関係させる――それ自体が神の栄光に最終的に関係しないものは何も全世界の中に存在することはできない――このように天界的なものと神的なものを知覚することができる者にとって手段となっている。
彼らの霊たちに三つの種類がある――最も低い者は、すなわち、理性的な者は☆、黒い、すなわち、不明瞭な者であり、そして彼らを求めている、その者たちにより唯一の主へ導かれ、他の者に、すなわち、天界の者なるように。
(2) この種類の霊たちのほかに、他の者もまたいる、その者は顔がろうそくからの光のように輝いている、また、彼らは偶像のように座り、そして自分自身をしもべたちにより崇拝されることを許している、そのしもべをいのちが身体の中にあったときに持ち、彼らのために自分自身を天界の中の唯一の主への調停者であることを言っている彼らが間接的に(=自分を通さないで)でないならそこへやって来るように欲してもいない。
(3) そのように顔が火である者は、聖徒と呼ばれる、いのちが身体の中にあったとき神聖な生活を送ったことを確信しているからである。ここから、顔で輝き、他の者から区別されている。
彼らの最良の者は彼らの天使たちであり、その者〔の衣服は〕は白色でなく、織り込まれた金のきらめきとともに、最も美しい空色である。(4) これらの者は彼らの天使たちであり、彼らの天使の天界を構成している。そして彼らについて、全世界の唯一の主のための媒介であることが言われている。
☆ A. W. アクトンは、これは naturalis(自然的な者)の書き損じであろう、としています。
520. 最も低い種類からの彼らの霊たちのひとりが私へやって来た、ここから私が、彼がどんなものであるか知るためにである。彼の状態に関して、不明瞭な、鈍いものであった、また〔これらの者は〕自分自身が、腕を伸ばして水中を泳いでいる者のように、天(空)の中を飛んでいるように見られる。そのことはここからである、いのちが身体の中にあったとき、まっ直ぐに立って歩かず、しかし、這った、それでも顔は下方でなく、前方を眺めたからである、下方を眺めることは彼らに醜いもの、また最も卑しい種類のものである。下方を眺める者を断罪された者と呼び、食物を自分自身で他のところで求めるようにと追放される。さらに、私たちの地球の人間のように席の上に座り、その時、〔背を〕まっ直ぐに立てている、ここから聖徒と呼ばれる、顔であたかも火のようである他の種類の者は、そのように天(空)の中を泳がないで、座ってい