(1) 原文
De sphaera inter opposita
468. Ex multiplici experientia edoctus sum, quod animae et spiritus, dum semel persuadentur de veritate, plerumque, et fere semper, in contraria ferantur, et sic in dubitationes de veritatibus, experientia tam multiplex in coelo de iis mihi facta est, ut prolixum foret enarrare; causa est, quia non a persuasionibus visualibus, sicut non a miraculis persuaderi de veritate debeat homo, tum quod sphaera major comparanda sit, inde flexibilis redditur homo, praeter plura, quae mihi nunc non dantur. 1748, die 12 Jan.
(2) 直訳
De sphaera inter opposite 対立しているものの間のスフェアについて
468. Ex multiplici experientia edoctus sum, quod animae et spiritus, dum semel persuadentur de veritate, 私は種々の経験から教えられた、霊魂と霊が、一度でも(いったん)〝真理〟☆について説きつけられた(確信させられた)時、
☆〝真理〟について後述。
plerumque, et fere semper, in contraria ferantur, et sic in dubitationes de veritatibus, 大部分の者は、またほとんど常に、対立したもの(反対の性質のもの)の中に運ばれる(導かれる)こと、またこのように〝真理〟について疑いの中に、
experientia tam multiplex in coelo de iis mihi facta est, ut prolixum foret enarrare; 経験はこれほどに種々〔であった〕天界の中でそれらについて私に行なわれた、物語ることが長たらしい(退屈)になるような。
causa est, quia non a persuasionibus visualibus, sicut non a miraculis persuaderi de veritate debeat homo, 理由がある、視覚による(見える)確信(信念)によりでなく、このように奇跡によりでなく、人間は〝真理〟について説きつけられ(確信させられ)なければならないからである、
tum quod sphaera major comparanda sit, inde flexibilis redditur homo, なおまた、大きなスフェアが作り上げられなけばならないこと、ここから、人間が柔軟なものにされる、
praeter plura, quae mihi nunc non dantur. ほかに多くのもの、それらは私に、今、与えられていない。
1748, die 12 Jan. 1748年1月12日に。
(3) 訳文
対立しているものの間のスフェアについて
468. 私は多種多様な経験から、霊魂と霊が、一度でも〝真理〟について説きつけられた時、大部分の者は、ほとんど常に、対立したものの中に、このように〝真理〟について疑いの中に導かれることを教えられた。天界の中で私に行なわれた経験については、物語ることが退屈ほどに多種多様であった。その理由は、見える確信によって、このように奇跡によって、人間は〝真理〟について確信させられてはならない、なおまた、大きなスフェアが作り上げられ、ここから、人間が柔軟なものにされなけばならないからである。ほかに多くのもの、それらは私に、今、与えられていない。1748年1月12日。
◎二つの「真理」 veritas と verus について
スヴェーデンボリの著作の中で「真理」と訳されている言葉の原語は二つあります、veritas と verus です。原語が異なるように、スヴェーデンボリは(明確に)使い分けています。
その違いを知るのも原文から学ぶことの意義の一つでしょう。ここはご自分なりにその違いを把握していださい(できればその「訳語」も作れればなおよい)。
英訳書も、どちらも truth としか訳していないので、私も(薄学なので)「真理」としか訳せません、でも、原語が異なるのでの、その違いを verus を真理、veritas を〝真理〟と表記しています。
その具体的な使い分けについては(勉強中であり、簡単に言えば)、神からの絶対的な真理が veritas であり、真実であると認めるような(なので、これは虚偽化されることができます)一般的な真理が verus です。
別の言い方をすれは「本当の真理」(本来、真理に、本当も嘘もありません、矛盾です)が〝真理〟であり、真理と思えるようなものが真理といえるでしょう。
私見を述べました、ご勉強ください(ある方にこのことを話したことがありますが、その方は相当にスヴェーデンボリを学んでいましたが、通じませんでした)。