原典講読『啓示された黙示録』 962(訳文)

(3) 訳文

962.第二のメモラビリア――

 

主により命令から、私に天界の中と天界の下にある驚くべきことを見ることが与えられたので、私は見られたものを記録すること義務がある。

荘厳な宮殿が、またその最内部に神殿が見られた。その真ん中に金でできた机があり、その上に、みことばがあった、それにふたりの天使がそばに立った。

その前に三列の椅子があった。第一列の椅子は純粋な絹でつくられた紫色の掛け布で、第二列の椅子は青い色の純粋な絹でつくられた掛け布で、また第三列の椅子は白い掛け布で覆われていた。

机の上の高い屋根の下に宝石から輝く広大な広がりの天蓋(てんがい)が見られ、それらの輝きから、雨の後、天がしずまったときの虹のようなものが輝き出た。

突然に、その時、すべてのものは祭司の職能の衣服を着て、椅子の上に座っている聖職者からの多くの者が見られた。

一つの側に宝庫があり、そこに守護の天使が立っていた。また内部に美しい順序でみごとな衣服が置かれていた。

[2] 主により招集された会議であった。また、私は、「熟考せよ」と言っている天界からの声を聞いた。

しかし、彼らは言った、「何について?」

「主について、また聖霊について」と言われた。

しかし、〔彼らが〕それらについて考えたとき、照らしの中にいなかった。それゆえ、懇願した。その時、光が天界から降り、それが最初に彼らの後頭部を照らし、またその後、こめかみを、また最後に、彼らの顔を照らした。また、その時、始まった。そして命令されたように、最初に、「主」について〔であった〕。

また、最初の命題と討議は、「だれが処女マリアの中で人間性を取ったか?」であった。

また、その上にみことばがあった机〔の脇〕に立っている天使が、彼らの前で「ルカ福音書」のこれらを読んだ――

 

天使はマリヤに言った、「見よ、あなたは胎の中にみごもっている、また子を産む。またその名前をイエスと呼べ――この者は偉大な者になる、またいと高き方の子を呼ばれる。また、マリヤは天使に言った、私は男を知らないのに、どのようにこのことが起こるのか? また、天使は答えて、言った、聖霊があなたの上にやって来る、またいと高き方の力があなたをおおう。それゆえ、あなたから聖なる者が生まれ、神の子と呼ばれる」(1:31, 32, 34, 35)。

 

さらにまた「マタイ福音書」第1章20-25節のそれら、またそこに25節を、声高に読んだ。

ほかにも、福音書からの多くのものを読んだ、そこにその方はご自分の人間性からエホバを自分の父と呼んでいる。そのようにまた、エホバご自身が世の中にやって来ることが預言書に予言されており、 それらの間に、「イザヤ書」のこれら二つもまた〔ある〕。

 

「その日に言われる。見よ、この方は私たちの神、その方を私たちは、私たちを救うようにと待ち望んだ。この方はエホバ、その方を私たちは待ち望んだ。私たちは小躍りして喜び、その方の救いの中で喜ぶ」(25:9)。

「荒野の中で叫ぶ声、エホバの道を備えよ、荒れ地で私たちの神の大路を地ならしせよ。というのは、エホバの栄光が現わされ、すべての肉が一緒に見るから。見よ、神エホバが力の中にやって来られる。ご自分の群れを飼う羊飼いのように」(イザヤ40:3, 5, 10, 11)。

 

[3] また天使は言った、「エホバご自身が世にやって来て、人間性を取り、またそのことによって人間を救い、あがなったので、それゆえ、その方は預言書のもとに、「救い主」と「あがない主」と呼ばれている」。

また、その時、彼らの前で続くこれらのものを読んだ――

 

「神はただあなたの間にだけ〔おられ〕、他に神はいない。あなたは深く隠された神、イスラエルの神、救い主」(イザヤ545:14, 15)。

「わたしはエホバでないか、わたしのほかにもはや神はいない。わたしのほかに正義の神、救い主はいない」(イザヤ55:21, 22)。

「わたしはエホバ、わたしのほかに救い主はいない」(イザヤ43:11)。

「わたしは、あなたの神、エホバ、あなたはわたしのほかに神を認めない、わたしのほかに救い主はいない」(ホセア13:4)。

「わたしがエホバ、あなたの救い主、またあなたがあがない主〔である〕ことを、すべての肉が知るように」(イザヤ49:26、60:16)。

「私たちのあがない主に関して、その方の名前は万軍の主」(イザヤ47:4)。

「彼らの贖い主は、強い、その方の名前は万軍の主」(エレミヤ50:34)。

「エホバは私の岩、私の贖い主」(詩篇19:14)。

「あなたのあがない主エホバ、イスラエルの聖なる者は、このように言われた。わたしはエホバ、あなたの神〔である〕」(イザヤ48:17、42:14、49:7、56:8)。

「あなたは、私たちの父、エホバ、あなたの名前は永久から私たちの贖い主」(イザヤ63:16)。

「あなたのあがない主エホバはこのように言われた、わたしはすべてのものを造った、わたし自身からひとりで」(イザヤ44:24)。

「イスラエルの王エホバ、またそのあがない主、万軍のエホバがこのように言われた、わたしは初めと終わり〔である〕、わたしのほかに神はいない」(イザヤ44:6)。

「その方の名前は万軍のエホバ、あなたのあがない主はイスラエルの聖なる者、全地の神と呼ばれる」(イザヤ54:5)。

「見よ〔その〕日が来る、その時、わたしはダビデに正しい若枝を起こす、またその方の名前は、エホバ、私たちの正義」(エレミヤ23:5, 6、33:15, 16)。

「その日に、エホバは全地の上に王となる。その日に、エホバはひとり、またその方の名前は一つとなる」(ザカリヤ14:9)。

 

[4] これらやそれらから、椅子の上に座っている者は確信して、エホバご自身が、人間をあがない、救うために人間性を取ったことを一致して言った。

しかし、その時、神殿の隅に隠れていたローマカトリック教徒から声が聞こえた、「どのように神エホバは人間になることができるのか。全世界の創造者ではないのか?」

また、第二列の椅子の上に座っている者からある者が振り向き、言った、「そのとき、だれが?」

また、彼は隅から答えた、「永遠からの子〔である〕」。

しかし、答えを受けた、「永遠からの子は、あなたがたの告白にしたがって、全世界の創造者でもまたないのか? また、永遠から生まれた子、または神とは何か? また、一つまた分割できないものである神的な本質が、分離されること、そしてその何らかのものが降りてくること、また人間性をまとうこと、また同時に全体〔であること〕がどのようにして、同じもののもとでできるのか?」

[5] 霊魂と身体が一つであるように、このように父とその方は一つであるかどうか、主についてもう一つの討議があった。

彼らは言った、このことは、霊魂は父からであるので、結果である。

その時、第三列の椅子の上に座った者からのひとりが、『アタナシウス信条』と呼ばれる『信条』から、これらを読んだ――

 

「わたしたちの主、イエス・キリスト、神の子は、神と人間であるけれども、それでも二つではない、しかし一つのキリスト、それどころか、完全に一つ、一つのペルソナ(位格)である。霊魂と身体が一つの人間をつくるように、そのように神と人間は一つのキリストであるからである」。

 

読んでいる者は、「この信仰は、全キリスト教世界の中で、さらにまたローマカトリック教徒から受け入れられている」と言った。

また、彼らは言った、「何が、多くの者に必要とされるのか? 霊魂と身体が一つであるように、父なる神とその方は一つである」。

また、彼らは、「そのようであるので、私たちは、主の人間性は、エホバの人間性であるので、神性である、なおまた、主は、神的人間性に関して近づくべきであること、またこのようにまた父と異なって呼ばれる神性に近づくことができない」と言った。

[6] このそれらの結論を天使は、みことばからの多くのものによって補強した、それらの間に、これらがあった。「イザヤ書」に――

 

「少年が私たちに生まれた、子が私たちに与えられる、その名前は、不思議な者、助言者、神、英雄、永遠の地知、平和の君」(〔イザヤ〕イザヤ9:6)。

 

同書に、

 

「あなたは私たちの父。アブラハムは私たちを知らない、イスラエルは私たちを認めない。

あなた、エホバは、私たちの父。あなたの名前は永遠からの私たちの贖い主〔である〕」(63:16)。

 

また「ヨハネ福音書」に――

 

「イエスは言われた。わたしを信じる者は、わたしを遣わした方を信じます。また、わたしを見る者は、わたしを遣わした方を見ます」(ヨハネ12:44, 45)。

「ピリポは言った」イエスに「私たちに父を示せ」。イエスは彼に言われた、わたしを見た者は、父を見たのです。それゆえに、どのように、私たちに父を示せと、あなたは言うのですか?

あなたは信じないのですか? わたしが父の中に、また父がわたしの中に〔いる〕ことを。わたしに信じなさい、わたしが父の中に、また父がわたしの中に〔いる〕ことを」(14:8-11)。

 

また、最後に、このこと――

 

「イエスは言われた。わたしは、道、真理、またいのちです。わたしを通してでないなら、だれも父へやって来ません」(14:6)。

 

これらを聞いて、すべての者は一つの口と心で言った、主の人間性は神的なものであること、またこれは父が近づかれるように近づくべきであること。永遠からの主である神エホバは、ご自分を世に送ったそのことによってので、ご自分を人間の目に見ることができるものに、またこのように近づくことができるものにした。同じく、ご自分を目に見えるものにした、またこのように古代人の前に人間の形の中で近づくことができるものにした、しかし、その時、天使を通して〔であった〕。

[7] この後、聖霊についての考慮が続けられた。

また、最初に、父なる神、子、また聖霊について多くの考えが示された。それらは、父なる神が高いところに、子はその方の右に座り、それら自体から、人間を照らし、教えるために聖霊を送ることである。

しかし、その時、天界から声が聞かれた、言って、「私たちはその思考の観念を支えない。だれが、神エホバは遍在されることを知らないか? このことを知り、認める者は、さらにまた、その方は照らし、教えること、またその方から区別され、媒介として働く神ではなく、まして位格から位格のように区別される二つのものでないことを認める。それゆえ、前のむなしい観念は取り除かれ、また正しいこれが受け入れられ、あなたがたはこれをはっきりと見る」。

[8] しかし、その時、神殿の隅に隠れていたローマカトリック教徒からの声が聞こえ、言った、「そのとき、聖霊とは何か? それはみことばの中に、福音書のもとに、またパウロ〔の手紙〕のもとに名前を挙げられていおり、そこから聖職者からの学識ある者全部は、特に私たちからの者は、自分自身が導かれる、と言っている。今日のキリスト教世界の中で、聖霊を、またその働きを、だれが否定するのか?」

これに第二列の椅子の上に座っていた彼らからのある者が向きを変え、また、言った、「聖霊は、エホバ主から発出する神性である。あなたがたは、聖霊はそれ自体によって、また神はそれ自体によって位格である、と言う。しかし、出て発出する働きでないなら、位格から出て発出する位格は何か? 一つの位格は他の位格から出て発出することができない、しかし、働きはできる。または、出て発出する神性でないなら、神から出て発出する神とは何か? 一つの神は他の神から、他の神によって出て発出することができない、しかし、神性は一つの神からできる。神的本質は一つまた分けられないものではないのか? また、神的本質、すなわち、神的エッセ(存在)は神であるので、神は一つまた分けられないものではないのか?」。

[9] これらを聞いて、椅子の上に座っている者は、一致して結論に達した。聖霊はそれ自体によって位格でなく、それ自体によって神でなく、しかし、遍在する唯一の神から出て発出する聖なる神性、それは主であることである。

これらに、その上にみことばがあった金の机〔の脇〕に立っていた天使は言った、「よろしい! 旧い契約の中のどこにも、預言者たちが聖霊から話したことは読まれない、しかし、エホバ、主から〔話した〕。またそこに、聖霊が言われている新しい契約の中では、発出する神性が意味され、それは、照らし、教え、生かす、改心させる、また再生させる神性である」。

[10] この後、聖霊について別の討議が続いた。それは、「聖霊と呼ばれる神性はだれから発出するのか、父からなのか、あるいは主からなのか、父と呼ばれる神性からなのか、あるいは子と〔呼ばれる神的人間性からなのか」であった。

またこれを議論していたとき、天界から光が照らし、その光から彼らは、聖霊によって意味される聖なる神性は、父から主を通って発出するのではなく、人間のもとの活動が霊魂から身体を通って発出するように、比較によって、主の中の神性から栄化されたその方の人間性を通して発出することを見た。

このことを机〔の脇〕に立っている天使は、みことばからのこれらによって確信させた――

 

「父が遣わしたその方は、神のことばを話す。その方に量って霊を与えなかった。父は子を愛し、すべてのものをその方の手の中に与えた」(ヨハネ3:34, 35)。

「エッサイの幹から若枝が出た。その方の上にエホバの霊、知恵と知性の霊、思慮と力の霊が休息する」(イザヤ11:1, 2)。

エホバの霊がその方の上にあり、その方の中にあったこと(イザヤ42:1、59:19, 20、61:1、ルカ4:18)。

「わたしがあなたがたに父から遣わす聖霊がやって来る時」(ヨハネ15:26)。

「聖霊はわたしを栄化します、わたしのものから受けて、あなたがたに知らせるからです。父が持つどんなものでも、すべてのものは、わたしのものです。それゆえ、このことをわたしは言いました、わたしのものから受けて、あなたがたに知らせることです」(ヨハネ16:14, 15)。

「もし、わたしが去ったなら、わたしはパラクレートス(助け主)をあなたがたに遣わします」(ヨハネ16:7)。

パラクレートス(助け主)は聖霊である(ヨハネ14:26)。

「イエスはまだ栄化されていなかったので、聖霊はまだなかった」(ヨハネ7:39)。

栄化の後、イエスは弟子たちに息を吹き込んで、言った、「聖霊を受けよ」(ヨハネ20:22)。

 

[11] 主の神的な遍在からのその方の神的な働きが、聖霊によって意味されるので、それゆえ、聖霊について弟子たちに話されたとき、それを父なる神から送ることを、さらにまた言われた、

 

「わたしはあなたがた孤児を置き去りにしません。わたしは去り、また、あなたがたにやって来ます。……その日に、あなたがたは、わたしがわたしの父の中に、また、あなたがたがわたしの中に、また、わたしがあなたがたの中に〔いる〕こと知ります」(ヨハネ14:18, 20, 28)。

 

また、世から去る直前に、言った、

 

「見よ。わたしはあなたがたとすべての日々、世代の完了までもいる」(マタイ28:20)。

 

これらが彼らの前で読まれて、天使は言った、「みことばからのそれらと他の多くのものから明らかである、神性は、主の中の神性からその方の神的人間性を通して発出すること」。

これらに、椅子の上に座っている者たちは、言った、「これは神的な〝真理〟である」。

[12] 最後に、この決議がなされた――

「この会議の中の熟考から、私たちははっきりと見る、またここから聖なる真理として認める。私たちの主イエス・キリストの中に、神的な三一性があること、それは、父と呼ばれるその方からの神性、子である神的人間性、また、聖霊である発出する神性である――そのように教会の中にひとつの神がいる」。

[13] 壮大なその会議でこれらが結論された後、彼らは立ちあがった。また宝庫から守護の天使がやって来て、椅子の上に着席していたそれぞれの者に光り輝く衣服を携えてきた。その衣服はこことそこに金糸が編み込まれていた。また、言った、「婚礼の衣服を受け取れ」。

また栄光の中に、新しいキリスト教徒の天界の中に導かれた。それに新しいエルサレムである地上の主の教会は結合される。

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