原典講読『啓示された黙示録』 875(訳文[4]~[8] まで) 

 [4] そのふたりの天使たちが私の視野から外れた後、私は右側にある庭園を見た、そこに対応する位置にしたがって順序正しく、オリーブの木、イチジクの木、月桂樹、シュロの木があった。

私はその場所を眺めた、木々の間に、歩いているまた会話している天使と霊たちを見た。その時、ひとりの天使的な霊が私を眺めた。

霊たちの世界の中で天界へと準備され、 その後、天使になる者は天使的な霊と呼ばれる。

 その霊はその庭園から私にやって来て、言った、「あなたは、私と私たちの楽園に入ることを欲しています、あなたは驚くべきものを聞き、見るでしょう」。

 また、彼とともに行った、その時、私に言った、「あなたが見るこれらの者は(というのは、多くの者がいたから)、すべての者は真理への情愛の中に、またここから知恵の光の中にいます。ここにも宮殿があり、それは「知恵の神殿」と呼ばれます。しかし、それを、自分自身を大いに賢明であることを信じている者は、まして自分自身を十分に賢明であることを信じている者は、さらにまして、自分自身を自分自身から賢明であることを信じている者は、それを見ることができません。その理由は、彼らが本物の知恵に属す情愛からの天界の光を受け入れる〔状態の〕中にいないからです。

本物の知恵は、人間が天界の光から見ることであり、〔人間が〕知り、理解し、味わうものは、知らないし、理解しない、味わわないもと比べれば、大洋の一滴のようにもわずかであり、したがって、ほとんど何ものでもありません。

この楽園(の庭園)の中にいるすべての者は、このように比較的にわずかにしか味わわないことを知覚そして視覚から本質的に認めており、その者はその「知恵の神殿」を見ます。なぜなら、内的な光はそれを見ることを与えます、けれども、その内的な光のない外的な光は与えないからです。

 [5] また、私は、人間がこのようにわずかに賢明であることを考え、知識から、その後、知覚から、また最後に内的な光からしばしば認めたので、見よ、私にその神殿を見ることが与えられた。

 形に関して驚くべきものであった。

 地面の上に上げられており、四角であり、壁は水晶から、優雅で丸天井造りの屋根は透明な碧玉から、土台はいろいろな宝石からできていた。

磨かれた縞大理石からできている階段があった、それを通ってその中に上る。

 階段の脇に、ライオン〔の像〕が子とともに見られた。

 その時、私は、入ることが許されるかどうか質問し、許される、と言われた。

 それゆえ、私は上った。私が入ったとき、屋根の下を飛んでいるケルビムを見た、しかし、間もなく見えなくなった。その上を歩く、床(ゆか)は、杉からできていた。神殿全体は屋根と壁のと透明性から光の形へと建てられていた。

 [6] 私と天使的な霊は入った、私はその者に、私がふたりの天使たちから、愛と知恵について、そのようにまた仁愛と信仰について聞いた、と話した。

 またその時、言った、「第三のものについてもまた話されませんでしたか?」

「第三のものとは何ですか」と私は言った。

 彼は答えた、「役立ちです。役立ちのない愛と知恵は何ものでもありません。単なる観念的な存在物であり、役立ちの中で存在する前に、実在するものともなりません。というのは、愛、知恵、役立ちである三つのものは、分離されることができないからです。もし、分離されるなら、どちも何らかのものではありません。

 知恵のない愛は何らかのものではありません、しかし、知恵の中で〔直訳でこの in を見損じました〕何らかのものへと形作られます。それへ向けて役立ちが形作られるこの何らかのものは、それゆえ、愛が知恵によって役立ちの中にあるとき、その時、何らかのものであり、それどころか、初めて存在するようになるからです。

 完全に、目的、原因、結果のようです。目的は、原因によって結果の中にないなら、何らかのものではありません。もしそれらの三つから、あるものがバラバラにされるなら、すべてのものがバラバラにされ、無のようになります。

 [7] 仁愛、信仰、働きもまた同様です。信仰のない仁愛は何らかのものではありません、仁愛のない信仰も〔何らかのものでは〕なく、そして働きのない仁愛と信仰も〔何らかのものでは〕ありません。しかし、働きの中で何らかのものであり、また働きの役立ちような、そのような何らかのもの〔です〕。

 情愛、思考、働きも同様です。また、意志、理解力、行動も同様です。

 そのようであることは、この神殿の中ではっきりと見られることができます、私たちがその中にいる光は、心の内的なものを照らす光であるからです。

三重の実在がないなら完成と完全が存在しないことは、さらにまた幾何学が教えています。というのは、直線は、広さ(面積)にならないなら、広さ(面積)も、物体(体積)にならないなら、何らかのものではないから。それゆえ、あるものはもう一つのものの中に、存在するようになるようにと導かれ、また第三のものの中で同時に存在します。

 このように、創造されたすべてと個々のものの中でもまた、それら第三のものの中で限定されています。

 さて、みことばの中で霊的に理解された「三つのもの」が完成と完全を意味するのはここからです。

 そのようであるので、私は、ある者が信仰だけを、ある者は仁愛だけを、ある者は働きだけを公言することに決して驚きません、そのときそれでも、もう一つのものがないあるものは、そして、第三のものがないあるものと同時にもう一つのものは、何らかのものではありません」。

 [8] しかし、その時、私は質問した、「人間は仁愛と信仰を持つことが、またそれでも働きがないことができるのではありませんか? 人間は何らかの事柄について情愛と思考の中にいること、またそれでもその働き(活動)の中にないがことができませんか?」。

 天使は私に答えた、「観念的にだけなら、できます、しかし、実際にはできません。

 それでも、働くことへ向けて、コナトゥス(努力)または意志の中にあります。そして、意志またはコナトゥス(努力)は、行なうことへの絶え間のない努力(活動)であるので、本質的に行動(活動)です、それは確定に近づくとき外的な行動となります。それゆえ、コナトゥス(努力)と意志は、内的な行動(活動)のように、神により〔なされたものとして〕受け入れられるので、機会が与えられる時を欠いていないかぎり、完全に外的な行動(活動)のように、すべての賢明な者により受け入れられます。

原典講読『啓示された黙示録』 875(訳文[9]~[17] )

[9] この後、私は階段を通って知恵の神殿を降りた、庭園の中を歩き、月桂樹の下に座って、イチジクの実を食べている者を見た。彼らへと私は去った〔近づいた〕、からイチジクの実を求め、彼らは与えた。
 見よ、私の手の中のイチジクの実はブドウの実になった。

そのことを私が驚いたとき、依然として私とともにいた天使的な霊が私に言った、「あなたの手の中のイチジクの実はブドウの実になったのは、イチジク(の実)は対応から仁愛の善を、またここから自然的なものの中の信仰を、すなわち、外なる人〔の中の〕、そしてブドウ(の実)は、対応から、仁愛の善を、またここから霊的なものの中の信仰を、すなわち、内なる人〔の中の信仰を〕意味するからです。また、あなたが霊的なものを愛するので、それゆえ、そのようにあなたに生じました。というのは、私たちの世界の中で、すべてのものは対応にしたがって生じ、存在するようになり、そしてまた、変化するからです」。
また、その時、私に、どのように人間は神により善を行なうことができるのか、またそれでも自分自身からのように行なうことができるのか知ろうとする願望が出てきた。それゆえ、私はイチジクの実を食べている者に、そのことを彼らがどのように把握しているか質問した。彼らは、そのことを、神がそれを人間の中で内的に、そして人間によって、彼がそのことを知らない時に働くこと以外に異なって把握することができないことを言った。もし、人間がそのことを気づいている、またこのように自分自身からのように行なうなら、単に現われるものでないなら善を行なわないからであり、それは内的に悪である。「というのは、人間から発出するすべてのものは、彼自身からのように、彼のプロプリウムから発出し、またこれは出生から悪であるからである。

どのようにその時、神からの善が、また人間からの悪が結合されること、またこのように結合したものが行動の中に発出することができるのか?

また、救いの事柄の中で人間のプロプリウムは絶えず功績を吹き込んでいる。またどれだけこのことを行なうか〔によって〕それだけ主ご自身の功績を取り去り、それは最大の不正と不敬である。

一言でいえば、もし、神が聖霊を通して人間の中で働き、人間の中で欲することまたここから行なう善が流入するなら、その善はすべての点で不潔にされ、そしてまた冒涜され、そのことをそれでも神は決して許さない。

確かに、人間は、自分自身を通して、そして自分自身からのように行ない、考えることができる善を神からであること、またそれを神の善と呼ぶことができる。しかしそれでも、そのこと〔がそのよう〕である〔ことを〕、私たちは把握しない」。
 [10] しかし、その時、私は心を開き、言った、「あなたがたは、あ外観から考えているので把握していない、外観から確信した思考は欺きである。

あなたがたは、人間が意志し、考え、またここから行ない、話すすべてのものが人間の中にあること、またしたがって自分自身から〔のものであると〕信じているので、外観とここからの欺きがあなたがたにある。そのときそれでも、流入するものを受け入れる状態以外に、それらの中に人間のものは何もない。

人間は自分自身の中にいのちがない、しかし、いのちの受け入れる器官である。
 「ヨハネ福音書」にもまた言われるように、主おひとりが本質的にいのちである―― 

 

 「父がご自分自身の中にいのちを持つように、そのように子もまたご自分自身の中にいのちを持つことを与えた」(5:26、ほかに他の箇所に、例えばヨハネ11:25,14:6, 19)。

 
 [11] いのちをつくる二つのもの、愛と知恵がある。または、愛の善と知恵の真理と同じものである。

これらは神から流入し、また人間により、人間の中に、その中にあるかのように受け入れられる。また彼から、彼の中にかのように感じられるので、人間から発出するものも、彼の〔ものであるか〕のように〔感じられる〕。

人間に流入し、働きかけ、このように受け入られ、そしてとどまるそのように、人間により感じられることは、主により与えられている。

しかし、すべての悪もまた、神からでなく、しかし、地獄から流入し、これは快さとともに受け入れられる、人間はこのような器官に生まれているからであり、それゆえ、悔い改めによって、また一緒に、主への信仰によって生じ、人間から遠ざけられた悪がどれだけか〔によって〕、それ以上に〔は〕、神から善の多くのものを受け入れない。

 [12] 愛と知恵は、仁愛と信仰は、または一般的な言い方で、愛と仁愛の善は、そして知恵と信仰の真理は、流入し、また流入するものは、人間の中で彼の〔もの〕のように、またここから彼からの〔もの〕のように見えることが、聴覚で、嗅覚で、味覚で、また触覚で明らかに見られることができる。それらの感覚器官の中に感じられるすべてのものは、外から流入し、それらの中に、同様に、内部の感覚の器官の中で、単なる相違とともに感じられる、後者は見えないものの中に流入する、けれども前者は見えるものの中に流入する。

 一言でいえば、人間は神からのいのちの受け入れる器官である。したがって、悪から離れるかぎり善の流入する器官である。

 悪から離れることができることは、主がそれぞれの人間に与えている、自分自身からのように意志することと理解することを与えているからである。またそれぞれの人間は意志から理解力(知性)にしたがうかのように、自分のものかのように、すなわち、同じこと〔であるが〕、何でも意志の自由から、理解力の理性にしたがって行なう、これが残る。

 そのことによって、主は人間に自分自身との結合の状態を引き起こし、またこのことの中で彼を改心させ、再生させ、また救う。

 [13] 流入するいのちは、主から発出するいのちであり、そのいのちは神の霊、みことばの中で聖霊とも呼ばれ、それについてもまた、照らす、また生かす、それどころか、人間の中で働くと言われる。しかし、このいのちは人間の愛と見ること(視覚)によって人間に引き起こされた組織にしたがって多様にされ、変えられる。

さらにまたあなたがたは知ることができる、愛と仁愛のすべての善は、また知恵と信仰のすべての真理は流入すること、そのことから、考える者は、このようなものが人間に創造から内在することを、異なって考えることができない、神がご自分を人間に注いだこと以外に、またこのように人間は部分に関して神になったこと。またそれでも、このことを信念から考える者は、悪魔になり、また死体のように悪臭を放つ。

 [14] 加えて、心が行なうのでなければ人間の行動は何か? というのは、心が欲し、考えるものを、これをその身体の器官によって行なうから。それゆえ、心が主により導かれる時、行動もまた導かれる。そして主が信じられるとき、心またここから行動はその方により導かれる。

 そのようでないなら、あなたがたは、もしできるなら、なぜ主はご自分のみことばの中で千また千の箇所の中で、命令したか言え、人間は隣人を愛すべきであること、仁愛の善を働くべきである、そして木のように実を(生み出すべきである)、そして戒めを行なうべきである、またこれやそれを、救われるために。なおまた、人間は自分の行為または働きにしたがって善を行なう者は天界といのちへ、また悪を〔行なう〕ものは地獄と死へと裁かれると、なぜ言われたのか? 

人間から発出するものが功績を求めるものとここから悪であったなら、どのようにして主はこのようなことを話すことができたのか? 。

 それで、あなたがたは、もし心が仁愛であるなら、行動もまた仁愛であることを知らなければならない。けれども、もし心が信仰のみであるなら、それは霊的な仁愛から分離した信仰でもある、行動もまたその信仰である」。またこの信仰が功績を求めるものである、彼の仁愛が自然的なもので霊的なものでないからである。仁愛の信仰は異なる、仁愛は功績を欲しなない、また彼の信仰も〔欲し〕ないからである。

 [15] これらを聞いて、月桂樹の下に座っている者たちが言った、「私たちは、正しく、あなたが話したことを把握する、しかし、それでも、私たちは把握しない」。

 彼らに私は答えた、「あなたがたは、正しく、私が話したことを、全般的な知覚から把握している、その知覚は何らかの真理を聞くとき天界からの光の流入から人間にある。しかし、あなたがたはプロプリウムの知覚から把握しない、それは人間に世からの光の流入からある。

それらの二つ、すなわち、内なるものと外なるもの、または、霊的なものと自然的なものの知覚は、賢明な者のもとで一つとなっている。あなたがたもまた、それらを一つにすることができる、もしあなたがたが主へ目を向け、また悪を遠ざけるなら。

 これらもまた彼らは把握したので、私は、その下に私たちが座っていた月桂樹から小枝を選び出し、差し出し、言った、「あなたがたは、このことが私から、あるいは主からであることを信じているのか?」

 また、彼らは言った、私を通して私からのように〔である〕と信じること。すると見よ、その小枝は彼らの手の中で花が咲いた。

しかし、私が去ったとき、私は幹のブドウの木が巻きついていた緑のオリーブの木の下に、杉の机を、その上に本があるのを見た。

 私は見つめた、見よ、私によって書かれた『神の愛と知恵』と『神の摂理』★と呼ばれる本があった。また、私は、その本の中に、人間はいのちの受け入れる器官であり、いのちでないことが十分に示されていることを言った。

 
 [16] これらの後、喜んで、私は家へ立ち去った。また私ともに天使的な霊はその道中で、「あなたは、信仰と仁愛が何か、そのように、仁愛から分離した信仰が何か、また仁愛と結合した信仰が何か、はっきりと見ることを欲しています。私は目に示しましょう」と言った。
 私は応えた、「示してください」。
 また彼は言った、「信仰と仁愛の代わりに光と熱を考えなさい、するとはっきりとあなたは見まし。信仰はその本質では知恵のものである真理であり、仁愛はその本質では愛のものである情愛です。そして知恵の〝真理〟は天界の中で光であり、愛の情愛は天界の中で熱です。天使たちがその中にいる光と熱は他のものではありません。
 ここから、仁愛から分離した信仰が何か、また仁愛と結合した信仰が何か、あなたははっきりと見ることができます。
 仁愛から分離した信仰は服の光のようであり、そして仁愛と結合した信仰は春の光のようです。
 冬の光は熱から分離した光であり、それは冷たさと結合しているので、木をさらにまた葉からまったく裸にし、草を絶滅させ、地を固くし、そしてまた水を氷結させます。けれども、春の光は熱と結合しているので、木を、最初に葉の中に、なおまた花の中に、また最後に実の中に生長させ、地を開き、やわらかくし、草を、草本を、花と実を生みだすように、そしてまた氷を解き、水が泉から流れるようにします。
 [17] 信仰と仁愛もまったく同様です。仁愛から分離した信仰はすべてのものを死なし、仁愛と結合した信仰はすべてのものを生かします。
 この生き生きとさせることとその死をもたらすことは、私たちの霊界の中で生き生きと見られることができます、ここでは信仰は光、仁愛は熱であるから。というのは、仁愛と結合している信仰があるところに、そこに結合にしたがって楽園のようなその愛らしさの中の花壇と芝地の庭園があるからです。しかし、仁愛と分離している信仰があるところに、そこに決して草はありません。またそこの緑は、茂みとイバラとイラクサからです。太陽としての主から発出している熱と光が、これを天使と霊たちの中に、またここから彼らの外にひき起こしています」。
 その時、私たちから遠くないところに聖職者からのある者がいた、その者を天使的な霊は、信仰のみによって人間の義認と聖化を認める者、そしてまた秘義の専門家と呼んだ。
 これらと同じことを私たちは彼らに言った、また私たちは、そのようであることを見るようにまでも示した。また、私たちが、そのようでないのか、と質問したとき、自分自身を背け、また言った、「私たちは聞かなかった」。
 しかし、私たちは彼らに「聞け、そこで、なおさらに」と言って、叫んだ。しかし、その時、両方の手で耳をふさいで、「私たちは聞きたくない」と叫んだ。
 

★このメモラビリアは『真のキリスト教』461番に再録されており、そこでは「私によって書かれた本」は『天界の秘義』となっています。

原典講読『啓示された黙示録』 第21章(本文)

CAPUT XXI.

第21章

 

(1) 原文

ET vidi Caelum novum et Terram novam, quia prius Caelum et prior Terra transiit; et Mare non erat amplius.

2. Et ego Johannes vidi urbem sanctam Hierosolymam Novam, descendentem a Deo e Caelo, paratam sicut Sponsam ornatam Marito Suo.

3. Et audivi vocem magnam e Caelo dicentem, Ecce Tabernaculum Dei cum hominibus, et habitabit cum illis, et illi populi Ipsius erunt, et Ipse erit cum illis Deus illorum.

4. Et absterget Deus omnem lachrymam ex oculis eorum, et mors non erit amplius, neque luctus, neque clamor, neque labor (aerumna), non erit amplius; quia priora transiverunt.

5. Et dixit Sedens super Throno, Ecce nova omnia facio: et dixit mihi, Scribe, quia haec Verba vera et fida sunt.

6. Et dixit mihi, Factum est; Ego sum Alpha et Omega, Principium et Finis; Ego sitienti dabo ex fonte aquae vitae gratis.

7. Vincens haereditario possidebit omnia; et ero illi Deus, et ille erit Mihi filius.

8. Timidis autem, et infidis, et abominabilibus, et homicidis, et scortatoribus, et incantatoribus, et idololatris, et omnibus mendacibus, pars illorum in stagno ardente igne et sulphure; quae est altera mors.

9. Et venit ad me unus septem Angelorum habentium septem phialas plenas Septem plagis ultimis, et locutus est mecum, dicens, Veni, ostendam tibi Sponsam Agni Uxorem.

10. Et abstulit me in spiritu super montem magnum et altum, et ostendit mihi urbem magnam sanctam Hierosolymam, descendentem e Caelo a Deo:

11. Habentem gloriam Dei; et lumen ejus simile lapidi pretiosissimo, tanquam lapidi jaspidi instar crystalli splendenti:

12. Habentem murum magnum et altum, habentem portas duodecim, et super portis angelos duodecim, et nomina superscripta, quae sunt duodecim tribuum filiorum Israelis:

13. Ab oriente portae tres, a septentrione portae tres, a meridie portae tres, ab occasibus portae tres.

14. Et murus urbis habens fundamenta duodecim, et in illis nomina duodecim apostolorum Agni.

15. Et loquens cum me habebat calamum aureum, ut metiretur urbem et portas ejus et murum ejus.

16. Et urbs quadrangularis sita est, et longitudo ejus tanta est quanta et latitudo: et mensus est urbem calamo ad stadia duodecies mille; longitudo et latitudo et altitudo ejus aequalia erant.

17. Et mensus est murum ejus, centum quadraginta quatuor cubitorum, mensura hominis quae est Angeli.

18. Et erit structura muri ejus jaspis, et{1} urbs aurum purum simile vitro puro.

@1 et pro “at”

19. Et fundamenta muri urbis omni lapide pretioso exornata: fundamentum primum jaspis, secundum sapphirus, tertium chalcedonius, quartum smaragdus,

20. Quintum sardonyx, sextum sardius, septimum chrysolithus, octavum beryllus, nonum topazius, decimum chrysoprasus, undecimum hyacinthus, duodecimum amethystus.

21. Et duodecim portae duodecim margaritae; unaquaevis portarum erat ex una margarita; et platea urbis aurum purum tanquam vitrum pellucidum.

22. Et templum non vidi in ea, quia Dominus Deus Omnipotens Templum ejus est et Agnus.

23. Et urbs non opus habet sole, neque luna, ut luceant in ea; quia Gloria Dei illustravit eam, et Lucerna ejus Agnus.

24. Et gentes quae salvantur in luce ejus ambulabunt, et reges terrae afferent gloriam et honorem Suum in illam.

25. Et portae ejus non claudentur interdiu, nox enim non erit ibi; et afferent gloriam et honorem gentium in illam.

26. Et non intrabit in illam ullum immundum, et faciens abominationem et mendacium, nisi qui scripti in Libro vitae Agni.

 

(2) 直訳

ET vidi Caelum novum et Terram novam, quia prius Caelum et prior Terra transiit; 1. また、私は新しい天と新しい地を見た、前の天と前の地は過ぎ去ったからである。

et Mare non erat amplius. また、海はもはやなかった。

2. Et ego Johannes vidi urbem sanctam Hierosolymam Novam, descendentem a Deo e Caelo, paratam sicut Sponsam ornatam Marito Suo. 2. また、私、ヨハネは聖なる都、新しいエルサレムを見た、神から、天界から降った、花嫁のように飾られて準備された、その夫〔のため〕に。

3. Et audivi vocem magnam e Caelo dicentem, Ecce Tabernaculum Dei cum hominibus, et habitabit cum illis, et illi populi Ipsius erunt, et Ipse erit cum illis Deus illorum. 3. また、私は天から言っている、大きな声を聞いた、見よ、神の幕屋を、人間とともに、また〔神は〕彼らとともに、また彼らはその方の民になる、またその方は彼らとともに彼らの神になる。

4. Et absterget Deus omnem lachrymam ex oculis eorum, et mors non erit amplius, neque luctus, neque clamor, neque labor (aerumna), non erit amplius; 4. また神は彼らの目からすべての涙をぬぐい取るであろう、また死はもはやない、嘆きもない、叫びもない、労苦(苦悩)もない、もはやないであろう。

quia priora transiverunt. 前のものは過ぎ去ってしまったからである。

5. Et dixit Sedens super Throno, Ecce nova omnia facio: 5. また、王座の上に座っている方が言った、見よ、わたしは新しいものを、すべてのものを、つくる(する)。

et dixit mihi, Scribe, quia haec Verba vera et fida sunt. また、私に言った、書け、これらのことばは真実(真理)と信ずるにたるものであるからである。

6. Et dixit mihi, Factum est; 6. また、私に言った、行なわれた。

Ego sum Alpha et Omega, Principium et Finis; わたしはアルファとオメガである、始めと終わり。

Ego sitienti dabo ex fonte aquae vitae gratis. わたしは渇いている者にいのちの水の泉から与える、ただで。

7. Vincens haereditario possidebit omnia; 7. 勝つ者は、相続(と)してすべてのものを所有するであろう。

et ero illi Deus, et ille erit Mihi filius. また、わたしは彼に神となる、また、彼はわたしに息子となる。

8. Timidis autem, et infidis, et abominabilibus, et homicidis, et scortatoribus, et incantatoribus, et idololatris, et omnibus mendacibus, pars illorum in stagno ardente igne et sulphure; 8. けれども、臆病な者に、また不信仰な者に、また忌まわしい者に、また殺人者に、また淫行者に、また魔法使い(呪文を唱える者)に、また偶像崇拝者に、またうそをつくすべての者に、彼らの部分が火と硫黄の燃える池の中に〔ある〕。

quae est altera mors. それは第二の死である。

9. Et venit ad me unus septem Angelorum habentium septem phialas plenas Septem plagis ultimis, et locutus est mecum, dicens, Veni, ostendam tibi Sponsam Agni Uxorem. 9. また、私に七人の天使のひとりがやって来た、最後の七つの災害に満ちている七つの鉢を持っている、また、私に話した、言って。来い、私はあなたに花嫁を小羊の妻を見せる。

10. Et abstulit me in spiritu super montem magnum et altum, et ostendit mihi urbem magnam sanctam Hierosolymam, descendentem e Caelo a Deo: 10. また、私を連れ去った(aufer0)、霊の中で、大きなまた高い山の上へ、また、私に見せた、聖なる大きな都エルサレムを、神から、天から降っている。

11. Habentem gloriam Dei; 11. 神の栄光を持っている。

et lumen ejus simile lapidi pretiosissimo, tanquam lapidi jaspidi instar crystalli splendenti: またその光は最も価値のある石に似て〔いた〕、あたかも碧玉の石のような、光り輝く水晶に似た。  

12. Habentem murum magnum et altum, habentem portas duodecim, et super portis angelos duodecim, et nomina superscripta, quae sunt duodecim tribuum filiorum Israelis: 12. 大きな高い城壁を持っている、十二の門を持っている、また門の上に十二の天使、また名前が書かれていた、それらはイスラエル民族の十二の部族である。

13. Ab oriente portae tres, a septentrione portae tres, a meridie portae tres, ab occasibus portae tres. 13. 東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門。

14. Et murus urbis habens fundamenta duodecim, et in illis nomina duodecim apostolorum Agni. 14. また都の城壁は十二の土台(基礎)を持っている、またそれらの中に小羊の使徒の十二の名前が〔書かれていた〕。

15. Et loquens cum me habebat calamum aureum, ut metiretur urbem et portas ejus et murum ejus. 15. また、私と話している者は金のアシを持っていた、都とその門とその城壁を測るために。

16. Et urbs quadrangularis sita est, et longitudo ejus tanta est quanta et latitudo: 16. また、都は四角の位置である、またその長さはそれだけである、どれだけ幅と。

et mensus est urbem calamo ad stadia duodecies mille; また都はアシで、十二千スタディオンに測られた。

longitudo et latitudo et altitudo ejus aequalia erant. その長さと幅と高さは等しかった。

17. Et mensus est murum ejus, centum quadraginta quatuor cubitorum, mensura hominis quae est Angeli. 17. また、その城壁が測られた、百四十四キュービット〔であった〕、人間の尺度で、それは天使の。

18. Et erit structura muri ejus jaspis, et{1} urbs aurum purum simile vitro puro. 18. またその城壁の構造は碧玉であった、また都は純粋なガラスに似た純金〔であった〕。

@1 et pro “at” 注1 「at」の代わりに et

19. Et fundamenta muri urbis omni lapide pretioso exornata: 19. また、都の城壁の土台(基礎)はすべての宝石で飾られ〔てい〕た。

fundamentum primum jaspis, secundum sapphirus, tertium chalcedonius, quartum smaragdus, 第一の土台は碧玉、第二はサファイア、第三は玉髄、第四は緑玉(エメラルド)。

20. Quintum sardonyx, sextum sardius, septimum chrysolithus, octavum beryllus, nonum topazius, decimum chrysoprasus, undecimum hyacinthus, duodecimum amethystus. 20. 第五は紅しまめのう、第六は紅玉髄、第七は貴かんらん石、第八は緑柱石、第九はトパーズ、第十は緑玉髄、第十一はヒヤシンス石、第十二は紫水晶。

21. Et duodecim portae duodecim margaritae; 21. 十二の門は十二の真珠〔であった〕。

unaquaevis portarum erat ex una margarita; それぞれの門は一つの真珠からであった。

et platea urbis aurum purum tanquam vitrum pellucidum. また都の街路は純金〔であった〕、透明なガラスのような。

22. Et templum non vidi in ea, quia Dominus Deus Omnipotens Templum ejus est et Agnus. 22. また、私は神殿をその中に見なかった、全能の神、主がその神殿であるからである、また小羊が。

23. Et urbs non opus habet sole, neque luna, ut luceant in ea; 23. また都は太陽を必要としない、月も〔必要とし〕ない、その中で輝くために。

quia Gloria Dei illustravit eam, et Lucerna ejus Agnus. 神の栄光がそれを照らす、またその〔油ランプの〕明かりが小羊〔である〕からである。

24. Et gentes quae salvantur in luce ejus ambulabunt, et reges terrae afferent gloriam et honorem Suum in illam. 24. また諸国民は、それらは救われた、その光の中を歩く、また地の王たちは自分の栄光と名誉をその中へ運ぶ(携える)。

25. Et portae ejus non claudentur interdiu, nox enim non erit ibi; 25. また、その門は日中は閉ざされない、というのは、そこに夜はないから。

et afferent gloriam et honorem gentium in illam. また彼らはその中へ栄光と名誉を運ぶ(携える)。

26. Et non intrabit in illam ullum immundum, et faciens abominationem et mendacium, nisi qui scripti in Libro vitae Agni. 26. また、その中にだれも入らないであろう、不潔なもの、忌み嫌われたものと偽りを行なう者は、小羊のいのちの書の中に書かれた者でないなら。

 

(3) 訳文

 1. また、私は新しい天と新しい地を見た、前の天と前の地は過ぎ去ったからである。海はもはやなかった。

 2. 私、ヨハネは、夫のために花嫁のように飾られて準備され、神から、天界を通って降った聖なる都、新しいエルサレムを見た。

 3. また、私は、天から言っている、大きな声を聞いた、「見よ、人間とともに神の幕屋を、〔神は〕彼らとともに、また彼らはその方の民になり、その方は彼らとともに彼らの神になる。

 4. 神は彼らの目からすべての涙をぬぐい取るであろう、死はもはやない、嘆きもない、叫びもない、労苦(苦悩)も、もはやないであろう。前のものは過ぎ去ってしまったからである」。

 5. また、王座の上に座っている方が言った、「見よ、わたしは、すべてのものを新しくする」。また、私に言った、「書け、これらのことばは真実であり、信ずるにたるものであるからである」。

 6. また、私に言った、「行なわれた。わたしはアルファとオメガ、始めと終わりである。わたしは、渇いている者に、いのちの水の泉から、ただで与える。

; 7. 勝つ者は、すべてのものを相続として所有するであろう。わたしは彼に神となり、彼はわたしに息子となる。

 8. けれども、臆病な者、不信仰な者、忌まわしい者、殺人者、淫行者、魔法使い、偶像崇拝者、またうそをつくすべての者に、彼らの部分が火と硫黄の燃える池の中に〔ある〕。

それは第二の死である。

 9. また、最後の七つの災害に満ちている七つの鉢を持っている七人の天使のひとりが私にやって来て、、私に、言って、話した。「来い、私はあなたに花嫁を小羊の妻を見せよう」。

 10. また、私を、霊の中で、大きなまた高い山の上へ連れ去り、私に、神から天を通って降っている聖なる大きな都エルサレムを見せた。

 11. 〔都は〕神の栄光を持っている。その光は最も価値のある石に似ており、あたかも光り輝く水晶に似た碧玉のようであった。  

 12. 大きな高い城壁を持ち、十二の門を持ち、門の上に十二の天使〔がいて〕、イスラエルの子らの十二の部族の名前が書かれていた。

 13. 東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門。

 14. また、都の城壁は十二の土台を持っており、それらの中に小羊の使徒の十二の名前が〔書かれていた〕。

 15. また、私と話している者は、都とその門とその城壁を測るために金のアシを持っていた。

 16. また、都は四角であり、その長さはそれだけの幅である。

また都はアシで、十二千スタディオンに測られた。その長さと幅と高さは等しかった。

 17. また、その城壁が測られ、人間の尺度で百四十四キュービット〔であった〕、それは天使の〔尺度でもある〕。

 18. その城壁の構造は碧玉であり、都は純粋なガラスに似た純金〔であった〕。

 19. 都の城壁の土台はすべての宝石で飾られていた。第一の土台は碧玉、第二はサファイア、第三は玉髄、第四は緑玉(エメラルド)。

 20. 第五は紅しまめのう、第六は紅玉髄、第七は貴かんらん石、第八は緑柱石、第九はトパーズ、第十は緑玉髄、第十一はヒヤシンス石、第十二は紫水晶。

 21. 十二の門は十二の真珠であり、それぞれの門は一つの真珠からであった。都の街路は透明なガラスのような純金〔であった〕、。

 22. また、私はその中に神殿を見なかった、全能の神、主が、また小羊がその神殿であるからである。

 23. 都は、その中で輝くために太陽を、月も必要としない。神の栄光がそれを照らす、小羊がその明かりがであるからである。

 24. 救われた諸国民は、その光の中を歩き、地の王たちはその中へ自分の栄光と名誉を携える。

 25. その門は、日中、閉ざされない、というのは、そこに夜はないから。彼らはその中へ栄光と名誉を携える。

 26. また、不潔なもの、忌み嫌われたものと偽りを行なう者は、その中にだれも入らないであろう、小羊のいのちの書の中に書かれた者でないなら。

原典講読『啓示された黙示録』 第19章(各節の内容)の直訳の続き

21. ” Et duodecim portae duodecim margaritae, et unaquaevis portarum erat ex una margarita,” significat quod agnitio et cognitio Domini omnes cognitiones veri et boni, quae ex Verbo sunt, conjungat in unum, et introducat in Ecclesiam [n. 916]; 21. 「十二の門は十二の真珠〔であった〕。それぞれの門は一つの真珠からであった」は、主の認知と知識が、真理と善のすべての認識(知識)を、それらはみことばからである、一つに結合する、また教会の中へ導き入れる(916番)。

” et platea urbis aurum purum tanquam vitrum pellucidum,” significat quod omne verum Ecclesiae illius et doctrinae ejus sit in forma bonum amoris influens una cum luce e Caelo a Domino (n. 917). 「また都の街路は純金〔であった〕、透明なガラスのような」は、その教会のすべての真理とその教えは、主からの天界の光と一緒に流入する愛の善の形の中にあることを意味する(917番)。

22. ” Et Templum non vidi in ea, quia Dominus Deus Omnipotens Templum ejus est et Agnus,” significat quod in hac Ecclesia non aliquod externum separatum ab interno erit, quia Ipse Dominus in Divino Humano Suo, a Quo est omne Ecclesiae, Solus aditur, colitur et adoratur[n. 918]. 22. 「また、私は神殿をその中に見なかった、全能の神、主がその神殿であるからである、また小羊が」は、この教会の中に内なるものから分離した何らかの外なるものはないであろうことを意味する、主ご自身が自分の神的人間性の中に〔いる〕からである、その方から教会のすべてのものが〔ある〕、おひとりが近づけられる、礼拝される、崇拝される(918番)。

23. ” Et urbs non opus habet sole et luna ut luceant in ea, quia Gloria Dei illustravit eam, et Lucerna ejus Agnus,” significat quod homines illius Ecclesiae non erunt in amore sui et in propria intelligentia, et inde in lumine solo naturali, sed ex Divino vero Verbi a Solo Domino in luce spirituali [n. 919]. 23. 「また都は太陽を必要としない、月も〔必要とし〕ない、その中で輝くために、神の栄光がそれを照らす、またその〔油ランプの〕明かりが小羊〔である〕からである」は、その教会の意味の人間は自己愛の中にまた自己知性の中にいないであろうことを意味する、またここから単に自然的な光の中に、しかし、主おひとりからのみことばの神的真理からの霊的な光の中に(919番)。

24. ” Et gentes quae salvantur in luce ejus ambulabunt,” significat quod omnes qui in bono vitae sunt et credunt in Dominum, ibi vivent secundum Divina vera, et videbunt illa intus in se, sicut oculus objecta [n. 920]; 24. 「また諸国民は、それらは救われた、その光の中を歩く」は、すべての者は、その者は生活の善の中にいる、また主を信じる、そこに神的真理にしたがって生きる、またそれらを内部に本質的に、目が対象を〔見る〕ように、見ることを意味する(920番)。

” et reges terrae afferent gloriam et honorem suum in illam,” significat quod omnes qui in veris sapientiae sunt ex bono spirituali, ibi confitebuntur Dominum, et Ipsi addicabunt omne verum et omne bonum, quae apud se sunt [n. 921]. 「また地の王たちは自分の栄光と名誉をその中へ運ぶ(携える)」は、すべての者は、その者は霊的な善からの知恵の真理の中にいる、そこに主を告白する、またその方にすべての真理とすべての善を帰することを意味する、それらは自分自身のもとにある(921番)。

25. ” Et portae ejus non claudentur interdiu, nox enim non erit ibi,”significat quod in Novam Hierosolymam jugiter recipiantur qui in veris ex bono amoris a Domino sunt, quia non ibi est aliquod falsum fidei [n. 922]; 25. 「また、その門は日中は閉ざされない、というのは、そこに夜はないから」は、新しいエルサレムの中に常に受け入れられることを意味する、その者は主からの愛の善からの真理の中にいる、そこにンらかの信仰の虚偽がないからである(922番)。

” et afferent gloriam et honorem gentium in illam,” significat quod qui intrant secum ferent confessionem, agnitionem et fidem, quod Dominus sit Deus Caeli et Terrae, et quod omne verum Ecclesiae et omne bonum Religionis sit ab Ipso [n. 923]. 「また彼らはその中へ栄光と名誉を運ぶ(携える)」は、入る者が自分自身に告白、認知と信仰をもたらすことを意味する、主が天地の神であること、また教会のすべての真理と宗教のすべての善がその方からであること(923番)。

26. ” Et non intrabit in illam ullum immundum, et faciens abominationem et mendacium,” significat quod nemo in Novam Domini Ecclesiam recipiatur, qui adulterat bona et falsificat vera Verbi, et qui facit mala ex confirmatione et sic quoque falsa [n. 924]; 26. 「また、その中にだれも入らないであろう、不潔なもの、忌み嫌われたものと偽りを行なう者は」は、だれも主の新しい教会の中に受け入れられないことを意味する、その者はみことばの善を不純化する、また真理を虚偽化する、またその者は確信から悪を行なう、またこのおうに虚偽もまた(924番)。

” nisi qui scripti in Libro vitae Agni,” significat quod non alii in Novam Ecclesiam, quae est Nova Hierosolyma, recipiantur, quam qui credunt in Dominum, et vivunt secundum praecepta Ipsius in Verbo [n. 925]. 「小羊のいのちの書の中に書かれた者でないなら」は、他の者が新しい教会の中に、それは新しいエルサレムである、池入れられないことを意味する、主を信じる、またみことばの中のその方の戒めにしたがって生きる者以外の(925番)。

原典講読『啓示された黙示録』 第21章(内容概略)

SENSUS SPIRITUALIS.

霊的な意味

 

CONTENTUM TOTIUS CAPITIS.

全章の内容

 

(1) 原文

AGITUR IN HOC CAPITE DE STATU CAELI ET ECCLESIAE POST ULTIMUM JUDICIUM:

QUOD POST HOC, PER NOVUM CAELUM NOVA ECCLESIA IN TERRIS, QUAE SOLUM DOMINUM COLET, EXSTITURA SIT (vers. 1-8);

CONJUNCTIO EJUS CUM DOMINO (Vers{1} 9, 10);

@1 Vers. pro “n.”

DESCRIPTIO EJUS QUOAD INTELLIGENTIAM EX VERBO (vers. 11);

QUOAD DOCTRINAM INDE (vers. 12-21):

ET QUOAD OMNE QUALE EJUS (vers. 22-26).

 

(2) 直訳

AGITUR IN HOC CAPITE DE STATU CAELI ET ECCLESIAE POST ULTIMUM JUDICIUM: この章の中に、最後の審判後の天界と教会の状態が扱われている――

QUOD POST HOC, PER NOVUM CAELUM NOVA ECCLESIA IN TERRIS, QUAE SOLUM DOMINUM COLET, EXSTITURA SIT (vers. 1-8); この後、新しい天界によって地の中の新しい教会が、それは主おひとりを礼拝する(未来)、存在することになること(1-8節)。

CONJUNCTIO EJUS CUM DOMINO (Vers{1} 9, 10); 主とのその結合(9, 10節)。

@1 Vers. pro “n.” 注1 「n.」の代わりに Vers.

DESCRIPTIO EJUS QUOAD INTELLIGENTIAM EX VERBO (vers. 11); みことばからの知性に関してその記述(11節)。

QUOAD DOCTRINAM INDE (vers. 12-21): ここからの教えに関して(12-21節)。

ET QUOAD OMNE QUALE EJUS (vers. 22-26). また、そのすべての性質に関して(22-26節)。

 

(3) 訳文

 本章の中に、最後の審判後の天界と教会の状態が扱われている――

 この後、新しい天界によって、主おひとりを礼拝する(地上の新しい教会が存在することになること(1-8節)。主とのその結合(9, 10節)。みことばからの知性に関してその記述(11節)。ここからの教えに関して(12-21節)。また、そのすべての性質に関して(22-26節)。