原典講読『啓示された黙示録』 第18章(各節の内容)(訳文)

(3) 訳文

 1. 「これらの後、私は持た」は、ローマカトリックの宗教的信念についての続きを意味する(753番)。

 「私は〔もうひとりの〕天使が、大きな権限を持って、天から降ってくるのを見た。地は彼の栄光から照らされた」は、神的真理による天界からの主の強い流入を意味する、その流入からその方の教会は天界的な光の中にあった(754番)。

 2. 「また、強い大きな声で叫んで、言った。倒れた、倒れた、大バビロンが」は、彼が、主の神的力によってその宗教的信念の中に、また同時に、それからの支配している愛の中にいたすべての者が、霊界の中で滅ぼされ、また多くの地獄の中に投げ込まれたことをよく知られるものにしたことを意味する(755番)。

 「また悪鬼(ダイモーン)の住まいとなった」は、彼らの地獄が自己愛の興奮から支配している欲望であり、またその愛のにせの熱意から天界の真理を冒涜している欲望であることを意味する(756番)。

 「またすべての不潔な霊の牢獄に、また不潔なまた憎まれる鳥の牢獄に」は、悪魔のようであるそれらの地獄にいて、主から背を向け、自分自身そのものへ〔向けて〕いる者の意志とここから行為の悪を、また思考とここから意図の虚偽を意味する(757番)。

 3. 「すべての国民がその淫行の怒りのぶどう酒から飲み、地の王たちは彼女と淫行したからである」は、みことばの善と真理の不純化と冒涜である邪悪な教義を産んだこと、その支配権の下の王国の中で生まれ、育てられたすべての者に、教え込んだことを意味する(758番)。

「また、地の商人たちは、その豪奢な財産から富んだ」は、その位階制の中の高位のまた低い階級の者を意味する、その者は聖なるものの上の支配(権)によって神的威厳と王にまさる栄光を得、修道院とそれらの下の財産の増加によって、また宝物によって、それらを目的なしに世から集め、積み上げ、それらを確実にすることをまた絶えず追い求める、またこのように、自分自身に帰せられた天的なまた霊的なものの支配(権)から、肉体的なまた自然的な快さを得ている(759番)。

 4. 「また、私は天からもう一つの声を聞いた、〔それは〕言っている、「わたしの民よ、彼女から出よ、あなたがたがその罪のあずかる者にならないように、またその災害を受けないように」は、その宗教的信念の中にいる者も、その中にいない者も、霊魂に関してその忌まわしいものに結合されない、また滅びないように、認知と情愛によってそれとの結合から自分自身に用心するように、主からのすべての者への警告を意味する(760番)。

 5. 「その罪が天にまでも達し、神はその不正を憶えられたからである」は、その悪と虚偽が天界を攻撃したこと、またこれらの者を主がここからの暴力から守るであるであろうことを意味する(761番)。

 6. 「(あなたがたは)彼女があなたがたに戻したように、二倍にし、彼女に、その働きにしたがって、二倍のものを戻せ。その杯の中に混ぜたもの、それに二倍のものを混ぜよ」は、正しい報いと死後の罰を意味する、その時、悪と虚偽は、それらで他の者を惑わし、滅ぼしたが、彼らの上に、その量と質にしたがって返ってくる(762番)。

 7. 「自分自身を賛美し、楽しんだ、それほどの苦痛と嘆きを、彼女に与えよ」は、支配(権)からの心の高まりにしたがった、また富からのアニムス(心)と身体の歓喜にしたがった段階の中で、死後、投げ落とされることとあざけりから、また貧困と悲惨からm彼らに内なる苦痛(悲しみ)があることが意味される(763番)。

. 「彼女は自分の心の中で言ったからである、『私は女王の座に座り、やもめではない、嘆きを見ない』」は、支配(権)の上の(のために)心の高まりから、また富の上の(のために) アニムス(心)の歓喜、信頼と信任の中にいるからであり、永続的に支配することになること、また自分自身が守られること、また常に彼らに奪われることができないこと、これらが彼らにあることを意味する(764番)。

 8. 「このことのために、一日で、その災害が、死と嘆きと飢えがやって来る」は、このために、最後の審判の時、行なった悪の罰が、彼らの上に戻されることを意味する、それは死であり、それは地獄の生活そして内部の苦痛(悲しみ)、支配(権)から投げ落とされることから、嘆きであり、それは内なる苦痛(悲しみ)であり、富裕に代わって貧困と悲惨からの、また飢えであり、それはすべての真理の理解の剥奪である(765番)。

 「また火の中で焼き尽くされる、彼女を裁く神、主は強いからである」は、主に対する、またその方の天界と教会に対する憎しみになるであろうことを意味する、その時、主おひとりが天界と地上のすべてのもののを統治し、支配すること、また決してある人間は、それ自身からでは〔そうで〕ないことを見るからである(766番)。

 9. 「また、彼女と淫行し、楽しんだ地の王たちは、その燃焼の煙を見る時、彼女のことで嘆き叫び、嘆き悲しむ」は、高い支配とその快さの中にいた者が、教会の聖なるものをつくったみことばの真理が虚偽化され、不純化され、汚されたものの中に変えられたそれらを見るときの、彼らの内的な苦痛(悲しみ)を意味する(767番)。

 10. 「その苦痛の恐れのために、遠方から立って、言った、『わざわいた、わざわいだ、その大きな都、その強い都、バビロンよ。一つの時間の中に、あなたの審判がやって来るからである』」は、罪のための彼らの恐れを、また、その宗教的信念がそのように急に、またすっかりひっくり変えさえることができ、彼らが滅ぼされることができる時の重苦しい悲嘆を意味する(769番)。

 11. 「また、地の商人たちは彼女ついて泣き、悲しむであろう、彼らの商品をもはやだれも買わない」は、階級(教団)の中で仕え、また聖なるものによってもうける低い者を、ここに、バビロンの破壊の後に、前のような利得が〔得られることが〕できない、それらによって行なうこと〔できない〕彼らの苦痛(悲しみ)を意味する(711番)。

 12. 「商品は、金と銀と宝石と真珠」は、これらがもはや彼らにないことを意味する、このようなものに対応する霊的な善と真理が彼らにないからである(772番)。

「また亜麻布と紫色と絹と緋色」は、これらがもはや彼らにないことを意味する、このようなものに対応する天的な善と真理が彼らにないからである(773番)。

 「またシトロン材の木とすべての象牙のすべての器」は、これらがもはや彼らにないことを意味する、このようなものに対応する(自然的な善と真理が彼らにないからである(774番)。

 「また貴重な木と青銅と鉄と大理石の器」は、これらがもはや彼らにないことを意味する、このようなものに対応する教会の事柄の中の記憶知の善と真理が彼らにないからである(775番)。

 13. 「また。シナモンと香と香料と乳香」は、彼らにもはや霊的な善と真理からの礼拝がないことを意味する、礼拝の中に前に名前を挙げられたものに対応するものを内面的に何らかのものを持っていないからである(777番)。

 「またぶどう酒とオリーブ油と小麦粉と小麦」は、彼らにもはや天的な善と真理からの礼拝がないことを意味する、礼拝の中に前に名前を挙げられたものに対応するものを内面的に持っていないからである(778番)。

 「また家畜と羊、」は、彼らにもはや教会の外なるまたは自然的な善と真理からの礼拝がないことを意味する、礼拝の中に前に名前を挙げられたものに対応するものを内面的に何らかのものを持っていないからである(780番)。

 「また馬と荷馬車と身体、また人間の霊魂」は、みことばの理解とまたここからの教えにしたがった、またその文字どおりの意味の善と真理にしたがったそれらすべてのものが、それらを虚偽化し、不純化したので、彼らにないことを意味する(781番)。

 14. 「また、あなたの霊魂の望む果実はあなたから去り、すべての肥えたものとみごとなものはあなたから去り、もはやそれらを見つけないであろう」は、彼らにより望まれるような、天界のすべての至福と幸福が、さらにまた外なるものが、まったく逃げ去るであろう、また、もはや見られないであろうことを意味する、彼らのもとに天的なまた霊的な善と真理の何らかの情愛がないからである(782番)。

 15. 「また、彼女によって富んだこれらの〔物の〕商人たちは、その苦痛の恐れのために、泣いてまた悲しんで、遠方から立った」は、天界の楽しさのいろいろな分配と約束によってもうけた者の、断罪前の、そしてその時の彼らの恐れと悲嘆の状態を意味する(783番)。

 16. 「また、言って、『わざわいだ、わざわいだ、亜麻布と紫糸と緋色を着た、また金、また宝石、また真珠を金メッキしたその大いなる都に』、一つの時間でそれほどの富が荒らされたからである」は、彼らの壮麗なものと利益が、このように急に、またまったく破壊されたことの重苦しい悲嘆を意味する(785番)。

 17, 18. 「また、すべての舵手、船の上で向きを変えているすべての者、水夫、海で働く同数の者」は、その宗教的信念に捧げ、そしてそれを愛し、キスをし、心で認め、崇めた平信徒と呼ばれる高位の者も、低い位に定められている者も、庶民までも、を意味する(786番)。

 「また、遠方から立った、また、その燃焼の煙を見ている者は叫んだ、言った、『何がその大きな都に似ているか』」は、その宗教的信念の断罪のために、遠く離れた状態の中の彼らの嘆きを意味する(787番)。

 19. 「また、彼らは自分の頭の上にちりを送り、泣いてまた悲しんで叫んで、言った、『わざわいだ、わざわいだ、その大いなる都よ」は、このように卓越した宗教的信念が完全に破壊されたまた断罪されたことの彼らの内的なまた外的な苦痛(悲しみ)と嘆きを意味し、それは悲嘆である(788番)。

 「海の中で船を持っているすべての者はその貴重な物から富んだ〔のに〕、一つの時間で荒されたからである」は、そのすべての宗教的信念の聖なるものによって、彼らは同数のものを買うことを欲することのために、なだめられ、また世俗のまた一時の富のために天界のまた永遠の時を受けたことを意味する(789番)。

 20. 「小躍りして喜べ、彼女の上に、天よ、また聖なる使徒また預言者よ、神はあなたがたの審判を彼女について裁いたからである」」は、今や、みことばからの善と真理の中にいる天界の天使と教会の人間が、その宗教的信念の中の悪と虚偽の中にいる者が遠ざけられ、退けられたこと心からうれしがるために、を意味する(790番)。

 21. 「また、ひとりの強い天使が、大きなひき臼のような石を取り上げ、海の中へ投げ込んで、言った、『このような強打で、バビロンは投げ込まれ、もはや見つけられない」は、天界からの主の強い流入によって、その宗教的信念が、みことばのその不純化されたすべてのものとともに、真っ逆さまに地獄の中に投げ込まれたこと、またもはや決して使に見られらないであろうことを意味する(791番)。

22. 「また、立琴や音楽の、笛を吹く者やらっぱ吹きの声は、あなたの中でもはや聞かれない」は、彼らのもとに霊的な真理と善の何らかの情愛が、天的な善と真理の何らかの情愛も、なくなるであろうことを意味する(792番)。

 「またすべての技術のすべての職人は、もはやあなたの中で見つからない」は、教えからまたそれにしたがった生活からその宗教的信念の中にいる者に、自分自身から〔のものの中にいる〕かぎり、霊的な真理の何らかの理解が、またここから霊的な真理の何らかの思考がないことを意味する(793番)。

 「またひき臼の音は、もはやあなたの中で聞かれない」は、教えからまたそれにしたがった生活からその宗教的信念の中にいる者に、霊的な真理の何らかの調査、注意深い研究、確信がないことを意味する、受け入れたものや確信されたものまたこのように植え付けられたものを虚偽が妨げるからである(794番)。

 23. 「また、ランプの光は、もはやあなたの中で輝かない」は、教えからまたそれにしたがった生活からその宗教的信念の中にいる者に、主からの何らかの照らしが、またここから霊的な真理の受け入れがないことを意味する(796番)。

 「また花婿と花嫁の声はあなたの中でもはや聞かれない」は、教えからまたそれにしたがった生活からその宗教的信念の中にいる者に、教会をつくる善と真理の結合が何もないことを意味する(797番)。

 「あなたの商人たちは地の大いなるものであったからである」は、彼らの教会の位階制の中の高位の者が、いろいろな権利によって、さらにまた階級(教団)の地位の中で自由裁量のままに残され、商売し、利得をつくるような者であることを意味する(799番)。

 「すべての国民はあなたの魔術で惑わされたからである」は、彼らの邪悪な技巧と欺きを意味する、それらによってすべての者の心(アニムス)を、主の聖なる礼拝から、生きているまた死んだ人間の、そして偶像の、汚れた礼拝へ連れ去った(800番)。

 24. 「また、彼女の中に預言者と聖徒の血が、また、地上で殺されたすべての者の血が見つけられた」」は、「バビロンの都」によって意味される宗教的信念から、みことばのまたここから教会のすべての真理の不純化と冒涜があり、虚偽が全キリスト教世界の中に広がったことが意味される(801番)。