原典講読『啓示された黙示録』 719

719. ” Dicens mihi, [Veni,] ostendam tibi judicium Meretricis magnae sedentis super aquis multis,” significat revelationem de illo Religioso quoad prophanationes ejus et adulterationes veritatum Verbi.- 719「私に言って、来い、私はあなたに多くの水の上に座っている大いなる淫婦の審判を示す」は、その宗教的信念の体系についての啓示を意味する、その冒涜に関して、またみことばの〝真理〟の不純化。

Per “dicere” et “ostendere” significatur revelatio; 「言うこと」と「示すこと」によって、啓示が意味される。

per “judicium” significatur status ejus in fine ejus; 「審判」によって、その終わりの中の状態が意味される。

per “Meretricem magnam” significatur prophanatio sanctorum Verbi et Ecclesiae, ac adulteratio boni et veri; 「大いなる淫婦」によって、みことばと教会の聖なるものの冒涜が意味される、そして善と真理の不純化。

per “aquas multas” significantur veritates Verbi adulteratae; 「多くの水」によって、不純化されたみことばの〝真理〟が意味される。

per “sedere super illis” significatur esse et vivere in illis: 「それらの上に座ること」によって、それらの中にいることと生きることが意味される。

quod per “moechari,” “scortari” et “adulterari” significetur falsificare et adulterare Verbum, videatur supra (n. 134, 620, 632); 「姦通すること」、「淫行すること」また「姦淫すること」によって、みことばを虚偽化することと不純化することが意味されることは、上に見られる(134, 620, 632番)。

et quod per “aquas” significentur vera ejus (n. 50, 563, 614, 685), hic illa adulterata et prophanata, quia dicitur “Meretrix” super illis; また、「水」によって、その真理が意味される(50, 563, 614, 685番)、ここに不純化されたまた冒涜されたそれらが、それらの上に〔座っている〕「淫婦」が言われているから。

ex his patet, quod per “dicens mihi, Ostendam tibi judicium Meretricis magnae sedentis super aquis multis” significetur revelatio de illo Religioso quoad prophanationes ejus et adulterationes veritatum Verbi. これらから明らかである、「私に言って、私はあなたに多くの水の上に座っている大いなる淫婦の審判を示す」によって、その宗教的信念の体系についての啓示が意味されること、その冒涜に関して、またみことばの〝真理〟の不純化。

[2] Simile dicitur de “Babele” apud Jeremiam: [2] 同様のものが「バベル」について、「エレミヤ書」のもとに言われている――

“Jehovah faciet id quod locutus est contra habitatores Babelis; 「エホバはそれを行なった、バベルの住民に対して話したこと。

quae habitas super aquis multis, magna thesauris, venit finis tuus, mensura lucri tui” (cap.{1} li. 12, 13). だれ(何)☆、多くの水の上に住んでいる、宝物の大いなる〔者よ〕、あなたの終わりがやって来る、あなたの利益の測量(測られたもの)」(第51章12, 13)。

☆ quis は「感嘆」を表わすことがあります。

Quod dicatur quod ab illis vera Verbi adulterata et prophanata sint, est quia applicuerunt vera Verbi ad obtinendum dominium super sancta Ecclesiae et super Caelum, et ad vindicandum sibi Divinam potestatem Domini; 彼らによりみことばの真理が不純化され、冒涜されたことが言われることは、みことばの真理を、支配を得るために、教会の聖なるものの上に、また天界の上に、また自分自身に主の神的力を要求するために、適用したからである。

et applicare vera Verbi ad obtinendum dominium super sancta Ecclesiae et Caeli, est adulterare illa; また、教会の聖なるものと天界の上に支配を得るために、みことばの真理を適用することは、それらを不純化することである。

et applicare illa ad vindicandum sibi Divinam potestatem Domini, est prophanare. また、自分自身に主の神的力を要求するために、それらを適用することは、冒涜することである。

Quod sua dogmata confirmaverint ex Verbo, notum est; みことばから彼らが自分の教義を確信した(強めた)ことは、よく知られている。

sed lege illa et attende, et videbis quod applicuerint omnia illa, quae ex Verbo desumpserunt, ad dominium super animas hominum, et ad acquirendum sibi potentiam, auctoritatem et majestatem Divinam. しかし、それら(教義)を読め、また留意せよ、すると、あなたは見るであろう、彼らがそれらすべてのものを適用したこと、それらはみことばから取った、支配のために、人間の霊魂の上に、また自分自身に神的な力を、権威を、また威厳を得るために。

Inde est quod Babylon dicatur “mater scortationum et abominationum terrae” (vers. 5). ここからである、バビロンが言われること、「淫行と地の忌まわしいものの母」(5節)。

@1 cap. proEsaj.”  注1「Esaj.」の代わりに cap.

 

(3) 訳文

 719「私に言って、『来い、私はあなたに多くの水の上に座っている大いなる淫婦の審判を示す』」は、その冒涜、またみことばの〝真理〟の不純化に関して、その宗教的信念についての啓示を意味する。

 「言うこと」と「示すこと」によって、啓示が意味される。「審判」によって、その終わりの中での状態が意味される。「大いなる淫婦」によって、みことばと教会の聖なるものの冒涜、そして善と真理の不純化が意味される。「多くの水」によって、不純化されたみことばの〝真理〟が意味される。「それらの上に座ること」によって、それらの中にいることと生きることが意味される。「姦通すること」、「淫行すること」、「姦淫すること」によって、みことばを虚偽化することと不純化することが意味されることが、前に見られる(134, 620, 632番)。また、「水」によって、その真理が意味され(50, 563, 614, 685番)、ここに不純化されたまた冒涜されたそれらが意味される、それらの上に〔座っている〕「淫婦」が言われているからである。これらから「私に言って、『私はあなたに多くの水の上に座っている大いなる淫婦の審判を示す』」によって、その宗教的信念の体系について、その冒涜に関して、またみことばの〝真理〟の不純化に関しての啓示が意味されることが明らかである。

 [2] 同様のものが「エレミヤ書」の「バベル」について言われている――

 

 「エホバはバベルの住民に対して話したことを行なった。ああ、多くの水の上に住み、宝物の大いなる者よ。あなたの終わりがやって来る、あなたの利益は測られた」(51:12, 13)。

 

 彼らにより、みことばの真理が不純化され、冒涜されたことが言われるのは、支配を得るために、教会の聖なるものに、また天界に、また自分自身に主の神的力を要求するために、みことばの真理を適用したからである。また、教会の聖なるものと天界に支配を得るために、みことばの真理を適用することは、それらを不純化することである。また、自分自身に主の神的力を要求するために、それらを適用することは、冒涜することである。

 彼らが、みことばから自分の教義を確信したことは、よく知られている。しかし、それら(教義)を読み、留意せよ、すると、あなたは見るであろう、彼らが、人間の霊魂を支配するために、また自分自身に神的な力、権威、威厳を得るために、みことばから取ったすべてのものを適用したことである。

バビロンが「淫行と地の忌まわしいものの母」(5節)と言われるのは、ここからである。