原典講読『啓示された黙示録』 716(直訳[3],[4]と訳文)

[3] Ulterius loquens cum Rege detexit Hierarchiam, quam plures ex illis continuo affectant et quoque exercent; [3] さらに(進んで)王と話して、聖職者による支配(位階制)を明かした(現わした)、それを彼らからの多くの者が絶えず働きかけ、実行もまたしている。

quam constabiliunt per conjunctionem et colligationem, quae fit per emissarios, internuntios, epistolas et loquelas, ecclesiastica et simul politica auctoritate suffultas, cum omnibus sui Ordinis; それを結合と連合によって確立している、それは使者、仲介者、手紙や会話によって、教会組織のまた同時に政治上の権威で支持された、自分の教団のすべての者と。

ex quo cohaerent paene omnes sicut unus fascis; そこから彼らはほとんどすべての者が一つの束のように密着(団結)している。

et quod per illam Hierarchium etiam effectum sit, quod supra nominata Opera pro Nova Hierosolyma, tametsi Londini edita, et ad illos dono missa, tam foede rejecta sint ut ne quidem digna habita sint inter Libros recensionis nominari. またそれらの聖職者による支配(位階制)によってさらにまた引き起こされた(~なった)こと、上に名前を上げらた新しいエルサレムのための著作が、たとえロンドンで出版された、また彼らに贈り物として贈られた、〔こうし〕ても、これほどに醜く退けられた、決して価値あるものが住まないように、本の蔵書目録に名前を挙げられるものの間に。

His auditis Rex obstupuit, imprimis quod ita cogitaverint de Domino, Qui tamen est Deus Caeli et Terrae; これらで聞いて、王は唖然とした、特に、そのように主について考えたことに、その方は、それでも天地の神である。

ac de Charitate, quae tamen est ipsa Religio. そして、仁愛について、それはそれでも宗教そのものである。

Et tunc per lucem e Caelo immissam aperta sunt interiora mentis et fidei illorum; またその時、天界から送られた光によって、彼らの心のまた信仰の内的なものが開かれた(あばかれた)。

et Rex vidit, et tunc dixit, “Abite; また、王は見た、またその時、言った、「(あなたがたは)立ち去れ。

heu quis potest in tantum occalescere ad audiendum aliquid de Caelo, et de Vita aeterna.” ああ〔嘆き・狼狽・落胆を現わす〕だれがそれほどまでに鈍感になる(堅くなる)ことができるのか、天界について、また永遠のいのちについて何らかのものを聞くことに」。

[4] Deinde a Rege inquisitum est, unde illis tam universalis obedientia a Clero; [4] その後(続いて)、王により質問された、どこからか、彼らにこれほどに普遍的な(万人共通の・広く行なわれる)聖職者からの服従は。

et dictum est, quod sit a concessa cuivis Episcopo in sua dioecesi potestate nominandi coram Rege modo unum ad Ecclesias, et non sicut in aliis Regnis, tres, etiam vocatos; また言われた、それぞれの司教(主教)に与えられている(認められている)ことからであること、自分の(司教)教区の中で、教会に向けて王の前にただひとり〔の牧師〕の名前を挙げる権限が、また他の王国の中のようにでなく、三人、さらにまた呼んだ者を。

et quod ex ea potestate illis sit auctoritas promovendi Clientes ad honores eminentiores et ad reditus largiores, quemlibet secundum obedientiam quam praestitit. またその権限から彼らに権威があること、隷属者(被保護者)をさらに卓越した名誉(称賛される地位や階級)へ、またさらに豊富な収入へ進める、だれでも、服従にしたがって、それを行なう(する)。

Detectum etiam est quousque Hierarchia illa progredi possit, et quod progrediatur eousque ut Dominium sit essentiale, et Religio formale. さらにまた明かされた(現われた)、どこまでそれらの聖職者による支配(位階制)が進むことができるか、また~ほどにまで☆、支配が本質的なものである、また宗教が形式的なもの。

☆ eousque ut で「~ほどにまで」の意味です、直訳は、「それだけ~のように」。

Apertus etiam est horum ardor dominandi, et spectatus ab angelis; これらの者の支配しようとする情熱(熱望)もまた開かれた(あばかれた)、また、天使により見られた。

et visum quod excedat ardorem dominandi illorum qui in saeculari potestate sunt. また、〔それが〕彼らの支配しようとする情熱(熱望)にまさることが見られた、その者は世俗の権限の中にいる。

@1 qui pro “quae” 注1 「quae」の代わりに qui

 

(3) 訳文

 716 これらに私はこのメモラビリアを付け加える――

 

 霊界の中で、私はイギリスのある主教と、そこのロンドンで1758年に出版された「小著」について話した、それらは『天界と地獄』、『新しいエルサレムとその天界の教え』、『最後の審判』、『白い馬』、『宇宙間の諸地球』であった。それらの「小著」は、すべての主教、多くの重要人物または貴族☆1へ、贈り物として贈られた。

 彼らは、「それらを受け取り、それらを見た。しかし、それらを、たとえ巧妙に書かれたもの〔であって〕も価値のあるものと見なさなかった――そしてまた、彼らができるだれにも、読まないように説きつけた」と言った。

 私は質問した、このことはなぜか、そのときそれでも、そこに天界と地獄についての、また死後のいのち(生活)についてのアルカナが、また最も価値のある多くのものあり、それらは、新しいエルサレムであるその方の新しい教会に属すことになる者のために主により啓示された。

 しかし、彼らは言った、「これらが私たちにとって何なのか」。またそれらに対する侮辱を、世の中で前に〔行なった〕ように、まき散らした。

 私は〔これらを〕聞いた。

 また彼らの前で、「黙示録」から、これらが読まれた――

 

「第六の天使が自分の鉢を大きな川ユーフラテスの上に注いだ。すると、その水は、太陽の上昇(出現)から王たちに道が用意されるために、干し上がった。また、私は、竜の口から、獣の口から、にせ預言者の口から〔出てくる〕、カエルに似た三つの不潔な霊を見た。というのは、彼らはしるしを行なう悪鬼(ダイモーン)の霊であり、彼らを全能の神のその大いなる日の戦いの中へ集めるために、地と全地球の王たちへ出かけるからである。また、彼らを、ヘブル語でハルマゲドンと呼ばれる場所に集めた」(黙示録16:12-16)。

 

 これらが彼らの前で説明され、またそれらによって意味される者が、また他の箇所に同様の者が意味されるものであったことが言われた。

 [2] 主教に言われたこれらを、今日、支配している王の祖父の王☆2が天界から聞いた。また、やや憤慨して言った、「これは何か」。

 また、その時、彼らと世の中で一つの者となっていなかった彼らからのある者が、自分自身を王へ向け、言った、「今、あなたがあなたの目で見ている者たちは、主の神的人間性について、普通の人間の人間性についてのように世の中で考え、またここから今でも考えている。また彼らは、救いとあがないを父なる神に帰し、そのための原因のようにでないなら主に帰さない。というのは、彼らは父なる神を信じ、また子を、たとえ、主から、「子を信じることが父のみこころであり、子を信じる者は永遠のいのちを持つこと、また子を信じない者はいのちを見ない」ことを知っていても、その方を信じていないからである。ほかに(加えて)、主により、人間を通して、彼によるかのように行なわれる仁愛を、救いのわずかなものから追い払っている」。

 [3] さらに王と話して、聖職者による支配(位階制)を明かした、それを彼らからの多くの者が絶えず働きかけ、実行もしている。それを自分の教団のすべての者との結合と連合によって確立している、それは使者、仲介者、手紙や会話によって、教会組織のまた同時に政治上の権威で支持されたものである。

そこから彼らはほとんどすべての者が一つの束のように団結している。またそれらの聖職者による支配(位階制)によって、前に名前を上げらた新しいエルサレムのための著作が、たとえロンドンで出版され、彼らに贈り物として贈られたても、本の蔵書目録に名前を挙げられるものの間に、決して価値あるものが住まないようにされ、これほどに醜く退けられたこと。

 これらを聞いて、特に、そのように主について考えたことに、王は唖然とした、その方は、それでも天地の神であり、そして、仁愛について、それはそれでも宗教そのものである。

 またその時、天界から送られた光によって、彼らの心のまた信仰の内的なものが開かれた。また、王は見た、その時、言った、「去れ。ああ、天界について、また永遠のいのちについて何らかのものを聞くことに、だれがそれほどまでに鈍感になることができるのか」。

 [4] その後、王により、「彼らにこれほどに普遍的な(広く行なわれる)聖職者からの服従がどこからか」と質問された。また言われた、「それぞれの主教に、自分の教区の中で、教会に向けて王の前にただひとり〔の牧師〕の名前を挙げる権限が、また他の王国の中のように、さらにまた呼んだ者三人でなく与えられていることからであること。またその権限から彼らに、だれでも、服従にしたがって、それを行なう隷属者(被保護者)をさらに卓越した名誉へ、またさらに豊富な収入へ進める権威があること」。

 支配が本質的なものであり、宗教が形式的なものであるほど、それらの聖職者による支配(位階制)がどこまで進むことができるかもまた明かされた。

 これらの者の支配しようとする熱望もまたあばかれ、天使により見られた。また、〔それが〕世俗の権限の中にいる者の支配しようとする熱望にまさることが見られた。

 

☆1 ここは英語 load です。イギリスの主教を話題としているので英語を用いたのでしょう、そして、意味としては(国王の意味もありますが、複数なので)「貴族」でしょう。

☆2 ジョージ二世です。341番(メモラビリア)参照。