(3) 訳文
1. 「また私に杖(棒)に似たアシ(葦)が与えられた」は、天界と世の中の教会の状態を知るまた見る能力と力が与えられたことを意味する(485番)。「また天使はそばにいた、言って、『立ち上がれ、神の神殿と祭壇と、また、その中で崇拝している者を測れ」は、主の臨在と、新しい天界の中の教会の状態を見る、また知るようにとのその方の命令を意味する(486番)。
2. 「また神殿の外の前庭は、外へ投げ出せ、それをあなたは測ってはならない」は、地上の教会の状態が、今後、どんなものか、遠ざけられなければならない、また知ってはならないことを意味する(487番)。「異教徒に与えられているので」は、その教会の状態が生活の悪により失われた、見捨てられたからである、を意味する(488番)。「彼らは聖なる都市を、四十二か月の間踏みにじる」は、それは何らかのものが残らないようにまでも、みことばのすべての真理を追い散らすであろう、を意味する(489番)。
3. 「また、わたしはわたしのふたりの証人を与える」は、主が天地の神であること、そしてその方の人間性が神的なもの心から告白する、また認める者を、十戒の戒めにしたがった生活によってその方に結合される者を意味する(490番)。「彼らは千二百六十日預言する』」は、主の認知、また十戒の戒めにしたがって生活、それら二つのものが、新しい教会の本質的なものであり、終わりと初めまで教えられなければならないことを意味する(491番)。「麻布をまわりに着て」は、真理の受け入れがないために嘆きを意味する(492番)。
4. 「これらの者は二つのオリーブの木と二つの燭台である、それらは地の神の前に立っている」は、主からの彼らのもとの愛そして知性を、すなわち、仁愛と信仰を意味する(493番)。
5. 「また、もしだれかが彼らに害することを欲するなら、火が彼らの口から出て、彼らの敵を食い尽す」は、新しい教会の本質的なそれら二つのものを破壊することを欲する者は、地獄的な愛から滅びることを意味する(494番)。「また、もしだれかが彼らに危害を働きかけることを欲するなら、彼らはそのように殺されなければならない」は、それらを断罪する者は、同様に断罪されることを意味する(494番)。
6. 「これらの者は、彼らの預言の日々に雨を降らせないように天を閉ざす力を持っている」は、それら二つの本質的なものから背く者は、天界からの何らかの真理を受けることができないことを意味する(496番)。「また水を血に変える力を持っている」は、それらから自分自身を背かせる者は、みことばの真理を虚偽化することを意味する(497番)。「また欲するたびごとに、すべての災害で地を打つ〔力を持っている〕」は、それらを破壊することを欲する者は、自分自身をすべての種類の悪と虚偽の中に投げ込むことを意味する、それを行なうたびごとに、またその程度に(498番)。
7. 「また、証しを果たしたとき」は、主がその教会の二つの本質的なものを教えた後に、を意味する(499番)。「深淵から上ってくる獣が彼らと戦い、また彼らに勝ち、彼らを殺す」は、信仰のみについての教えの内なるものの中にいる者が、それら二つのものを退けるであろうことを意味する(500番)。
8. 「また、彼らの身体は大きな都の街路の上に〔あるだろう〕」は、それらがまったく退けられたことを意味する(501番)。「それは霊的なソドムとゴモラを呼ばれる」は、地獄的な二つの愛を意味する、それらは自己愛からの支配する愛、また自己知性の高慢から統制する愛である、それらは教会の中で、唯一の神がない、また主が礼拝されないところに、また十戒の教えにしたがって生きないところに〔ある〕(502, 503番)。「そこにまた私たちの主がはりつけにされた」は、主の神的人間性の認知がなく、このように拒絶することを意味する(504番)。
9. 「また、民と部族と言語と国民から〔の者〕が彼らの身体を三日半の間見た」は、教会の終わりまで、信仰のみからの教えの虚偽と生活の悪の中にいた、またいることになるすべての者が、今後、新しいもの始まりに向けて、それら二つの本質的なものについて聞いたまた聞くことになるとき、を意味する(505番)。「彼らの身体が墓の中に置かれることを許されない」は、彼らがそれらを断罪した、また断罪するであろうことを意味する(506番)。
10. 「また、地の上に住む者は、彼らの上に楽しみ、喜ぶ」は、信仰のみの中にいた教会の中の者のもとの心と霊魂の情愛の快さを意味する(507番)。「互いに贈り物を送る」は、愛と友情によっての交わりを意味する(508番)。「それらのふたりの預言者が地の上に住む者を苦しめたからである」は、新しい教会のそれら二つの本質的なものは、改革派の教会の中で受け入れられた二つの本質的なものとの対立から、軽蔑され、災いとされ、嫌悪されることを意味する(509番)。
11. 「また、三日半の後、神からのいのちの息(霊)が彼らの中に入り、彼らは自分の足の上に立った」は、それら二つの本質的なものが、新しい教会が始まり、前進する時、主により受け入れる者のもとで生かされることを意味する(510番)。「また、大いなる恐れが彼らを見ている者の上に起こった」は、神的真理に対する心の動揺と狼狽を意味する(511番)。
12. 「また、彼らは彼らに言っている天からの大きな声を聞いた、『ここへ上れ』」は、新しい教会のそれら二つの本質的なものは主により、天界の中へ、〔それらは〕そこからであり、またそこにある、上げられた、またそれらの保護を意味する(512番)。「彼らは雲の中で天の中に上った」は、みことばの中の文字どおりの意味の中のその神的真理によって天界の中へ上げることを、またそこでの主との結合を意味する(513番)。「彼らの敵たちはそれを(彼らを)見た」は、仁愛から分離した信仰の中にいる者がそれらを聞いた、しかし自分の虚偽の中にとどまったことを意味する(514番)。
13. 「また、その時間の中で、大いなる地震が起こって、都の十分の一部分が倒れた」は、その時、彼らのもとに著しい状態の変化が生じ、彼らが天界から引き裂かれて地獄の中へ落ちた、を意味する(515番)。「また地震の中で七千の人間の名前が殺された」は、信仰のみを告白し、さらに仁愛の働きを何も行なわなかったすべての者が滅びたことを意味する(516番)。「また残りの者は怖がるようになり、天の神に栄光を明け渡した」は、彼らの滅亡を見た者が、主を認め、分離されたこと意味する(517番)。
14. 「第二のわざわいは過ぎ去った。見よ、第三のわざわいがすぐにやって来る」は、ゆがんだ教会の状態の悲嘆を、また最後に、最後の悲嘆を意味する、それについて今後〔に起こる〕(518番)。
15. 「また第七の天使がらっぱを吹いた」は、完了後の、主の来臨とその方の王国〔が来る〕時の教会の状態を意味する(519番)。「また天の中に大きな声が起こった、言って、『世の支配は、私たちの神の、またそのキリストのものになった。また永遠に支配される」は、天使からの祝賀を意味する、始めからあったように天界と教会が主のものになったこと、、また、今や、さらにまたその方の神的人間性のものになったこと、そのように、主は、今や、天界と教会の上に両方のものに関して、永遠に支配するようになること〔である〕(520番)。
16. 「また、神の前で自分の王座の上に座っている二十四人の長老が、自分の顔の上に伏せ、神を崇拝した」は、天界の天使のすべての者による主が天地の神であることの認知を、また最高の崇拝を意味する(521番)。
17. 「言って、『私たちはあなたに感謝します、全能の神、主よ、あなたはいる方、またあなたはいた方、またやって来る方です」は、主は「その方はいる」、「その方は生きる」、「その方自身からできる」、また「すべての者を支配する」という天界の天使による、告白と賛美することを意味する、(その方)おひとりが永遠と無限であるから(522番)。「あなたはご自分の大いなる力を得られ、あなたは王国に入られる」は、新しい天界と新しい教会を意味し、そこではその方が唯一の神と認めている(523番)。
18. 「国民は怒りました」は、信仰のみとここからの悪の生活の中にいる者を意味する、彼らは自分体の-の信仰に反抗している者を激しく怒った(524番)。「あなたの怒りがやって来ました。死者の審判の時」は、彼らの滅亡を、また彼らの上の最後の審判を意味する、それらの者に何らかの霊的ないのちがない(525番)。「またあなたのしもべに、預言者、また聖徒に報いを与える〔時〕」は、みことばからの教えの真理の中にいる、またそれらにしたがった生活の中に者にある永遠のいのちの幸福を意味する(526番)。「またあなたの名前を恐れる者に、小さい者と大きい者に」は、主のものを、小さいまた大きい程度に、愛する者を意味する(527番)。「また地を滅ぼす者が滅びる〔時です〕』」は、教会を破壊した者を地獄の中への投げ捨てることを意味する(528番)。
19. 「また神の神殿は天の中で開かれ、その方の神殿の中のその方の契約の箱が見られた」は、新しい天界を意味する、その中で主はご自分の神的人間性の中で礼拝される、またその方の十戒の戒めにしたがって生かされる、それらは新しい教会の二つの本質的なものであり、それらによって結合〔がある〕(529番)。
「また、稲光、声、雷鳴、地震が起こり、大きな雹(ひょう)〔が降った〕」は、その時の低い地の中の、誤った推論、動揺、善と真理の虚偽化を意味する(530番)。