原典講読『啓示された黙示録』 463(訳文)

(3) 訳文

 453 ここに私はこのメモラビリアを加える――

 

 私は霊界の中で海岸を眺め、壮大な港を見た。

 私は近づき、のぞきこんだ。見よ、そこに大きな船と小さな船、それらの中にすべての種類の商品、腰掛け梁の上に座っている少年と少女たちがいて望む者に配っていた。

 また、彼らは言った、「私たちは私たちの美しい海ガメを見ることを期待している、それらがすぐに海から出てくる」。

 すると見よ。私は小さな海ガメと大きな海ガメを、それらの甲羅とうろこの上に座っている幼児の海ガメを見た、それらは周囲の島々を眺めていた。

 親のカメ(複数)は二つの頭を持っていた、一つ大きな頭はそれらの身体の甲羅に似た甲羅で取り巻かれ、ここから赤く輝いていた。またもう一つの小さな頭は、海ガメにあるようなものであり、それを身体の前の部分の中に引き戻し、そしてまた目立たないように大きな頭に差し込んだ。

 しかし、私は目を、赤く輝く大きな頭に保った、また私は、これが人間のような顔を持っていること、また腰掛け梁の上の少年と少女たち話し、また彼らの手をなめているのを見た。またその時、少年と少女たちがそれらを触った、またそれらに食糧とぜいたくなもの、そしてまた貴重なものを与えた、例えば、衣服のための純粋な絹から作られたもの、板のためのシトロン材の木、飾るための紫の染料(紫色の布)、また「染料のための緋色」である。

 [2] これらを見て、私はそれらが何を表象するか知ることを願った。私は霊界の中に見られるすべてのものは対応であり、また天界から降りてくる何らかの霊的なものを、それらは情愛とここから思考のものを表象することを知っていたからである。

 またその時、天界から私に話され、また言った、「あなた自身は港が何を、なおまた船が何を、そのようにまたその上の少年と少女が何を表象するか知っている、しかし、あなたは何が海ガメか知らない」。

 また彼らは言った、「海ガメはそこの聖職者からの、信仰を仁愛とその善の働きから完全に分離する者を表象する。明らかに何らかの結合がないことを自分自身に肯定し、しかし、信仰によって聖霊が父なる神の中に、子の功績のために、人間のもとに入り、そして彼の内的なものを、彼のプロプリウムの意志までも清め、その意志から長円形を平面のようにする。また聖霊の働きがその平面に近づくとき、その左の周囲の部分からそれをまったくそれを触れない、またこのように人間の生来の内的なまたは高い部分は、神のためのものであり、また外的なまたは低い部分は人間のためのものである、とする。またこのように神の前に、人間が行なうものは善も悪も何も見られない、とする。善は、これは功績を求めるものであるので、また悪は、これは悪であるので〔見られない〕。それで、もしそれらが神の前に見られるなら、人間は〔善悪の〕両側から滅びる――またそのようであるので、人間に、好むどんなものでも、世に対して自分自身を用心するかぎり、欲すること、考えること、話しまた行なうことが許される、としている」。

 [3] 私は、さらにまた、神について遍在と全知でないこと考えることが許された、と主張したかどうか質問した。

 天界から言われた、このこともまた彼らに許されたこと、信仰を得、またそれによって、一度、清められ、義とされた者のもとの神は、その者の思考や意志の何らかのものを見ない、またそれでも〔その者は〕自分の内的な胸、または心の高い領域の中に、または信仰の性質の中に保持し、それをその行動の中に受け、またその行動は時々、人間に知られないで繰り返されることができる。

「これらが、『小さな頭』が表象するものであり、平信徒と話す時、それを身体の前部の中に引っ込め、隠し、そしてまた大きな頭に差し込む。なぜなら、小さな頭から彼らと話さなず、しかし、前部が人間の顔を備えたように見える大きな頭から話すからである。また彼らと、愛、仁愛、善の働き、十戒の教え、悔い改めについて、みことばから話す、また彼らはそれらについて、ほとんどすべてのものを、それらが書かれているみことばから引き出す。しかし、その時、小さい頭を大きな頭の中に差し込み、そこから自分自身のもとで内的に、それらのすべてのものは神、天界、救いのために行なわれてはならない、しかし、単に公けと私的な善のために〔行なうものである〕と理解している。

けれども、彼らはみことばからそれらについて話すので、特に、福音、聖霊の働き、また救いについて、調子よくまた優雅に、それゆえ、聴衆に美しい人間のように、また地球の中の他の者よりも賢明な者に見える。それゆえ、あなたもまた、船の腰掛け梁の上に座っている少年と少女たちにより、彼らに豪華なものと高価なものが与えられたことを見た。

[4] それゆえ、あなたの見た海ガメとして表象される者たちはこれらの者である。

 あなたの世界の中で(単にそのことによってでは)、自分自身をすべての者で最も賢明な者であることを信じ、そして他の者を嘲笑し、特に仲間を、その者と彼らのように賢明な者ではないと言って、その者を軽蔑して拒んでいることは、他の者からほとんど見分けられない。あるしるしを、自分自身に衣服の中につけ、そのしるしから自分自身を他の者から区別されるようにしている」。

 [5] 〔天使は〕私に話して言った、「私はあなたに、その他の信仰の事柄について彼らが何を感じるか、言わない。例えば、(神の)選び、選択の自由、洗礼、聖餐についてのようなものであり、それらを〔彼らは〕公けにしない、しかし私たちは天界の中で知っている。

 けれども、世の中でそのようなものであるものは、死後、考えることと異なって話すことは許されないので、それゆえ、その時、自分の狂気から話すこと以外に異なって話すことができず、狂人のように見なされ、そして社会から追い出され、また最後に深淵の穴の中に降ろされる、また形体的(物質的)な霊になり、ミイラのように見られる。というのは、彼らの心の内的なもので「たこ」が引き起こされ、世の中でもまた垣を間に置くからである。

 彼らからの地獄の社会は、マキアヴェリの追随者からの地獄の社会の境界にある、そして一方から他方の中へときどき入り、自分自身を仲間と呼ぶ。しかし、行為での信仰について何らかの宗教的なもの(信念)が彼らにあった、しかし、マキアヴェリの追随者のもとに何らかのものはなかった、という相違があるので去る。

 [6] その後、私は、彼らが社会から追い出され、投げ込まれるために集められたのを見た。私は七つの帆とともに空中を飛ぶ船を、またその中に船長たちと船員たちを、紫色の衣服を着て、帽子の上にりっぱな月桂樹を装備して、叫んでいるのを見た、「見よ、私たちは天界の中にいる。私たちは紫の衣を着ており、すべての者よりも〔すぐれた〕月桂冠をかぶった教師である、私たちはヨーロッパの中のすべての聖職者からの賢明な者の長であるからである」。

 私は、これは何か、と怪しんだ――また私に、幻想と呼ばれる、高慢の映像、そして想像上の思考であったことが言われ、それは前に海ガメとして見られ、また今や、社会から追い出された狂人として、そして一つに集められ、そして一つの場所の中に一緒に立っていた。

 またその時、私は彼らと話すことを望んだ。私は、立っている場所に近づき、彼らに挨拶し、言った、「あなたがたは人間の内なるものをその外なるものから分離した者です、そして聖霊の活動を信仰の中に〔あるもの〕のように〔分離し〕、人間とともに一緒に働くことから、信仰の外に、またこのように神を人間から分離しました。

 あなたがたは、聖職者からの他の多くの教師のように、このように仁愛とその働きそのものを信仰から遠ざけるだけでなく、しかし、信仰そのものもまた人間による神の前のその現われ関して〔遠ざけた〕のではありませんか?

しかし、それらの事柄について私が、理性から、あるいは聖書からあなたがたに話すことを、あなたがたが欲するかどうか質問します」。

 彼らは、「最初に、理性から話すこと〔を欲する〕」と言った。

[7] また私は〔次のことを〕言って、話した、「どのように人間のもとの内なるものと外なるものは分離されることができますか?

だれが普通の知覚から、人間のすべての内的なものは外的なものの中に、またそれでもその最外部の中にその結果を引き起こし、またその働きを生み出すように進み、広がることを見ませんか、または見ることができませんか?

 外なるもののために内なるものはあり、その外なるものの中で定まり、またその中で休み、このように存在しますが、それは柱がその柱礎(土台床)の上にあるのとほとんど異ならないのではありませんか?

 あなたがたは、連続がなかったなら、またこのように結合が、最外部のものは分解されること、そして空中の泡のように消滅するにを見ることができます。

 そのように、人間のもとの神の内的な活動は無数であること、それらについて人間は何も知らないことを、だれが否定することができるますか。またそれらを知ることを助けるものが何かありますか? 最外部のものを知るだけであり、それらの中に自分の思考と意志ともに、神とともに、同時に存在します。

 [8] しかし、このことは例によって説明されます。人間は自分の話す活動の内的なものを知っていますか。例えば、どのように肺は空気を引き寄せ、またそれで小囊(のう)、気管支、葉(よう)を満たすのか。どのようにその空気を気管の中に送り出し、またそれらをそこの音の中に変えるのか。どのようにその音を声門の中で咽頭の働きで加減するのか、またどのように舌はその後、それを音節に区切るのか、また唇は話すようになるために(音の)区切りをそろえるのか〔です〕。

人間が話すことができるための最外部のためのものであるそれらすべての内的な活動について人間は何も知らないのではありませんか?

 それら内なるものから、最外部のものとのその連続から、ある(一つの)ものを取り去るか、または分離してみなさい、人間は丸太よりもさらに話すことができますか?

 [9] さらに例をあげましょう。

 二つの手は人間の最外部のものです。

それから続く内的なものは、頭から首を通り、なおまた胸を、肩甲骨、腕また前腕を通っていませんか。無数の筋肉の構造物が、無数の組織集団の運動繊維、無数の神経と血管の束、そして多くの骨の関節がその靭帯や膜とともに存在しませんか。人間はそれらについて何らかのものを知っていますか? またそれでも彼の手はそれらのすべてのものから働きます。

 左の手の手首の周りのそれらの内的なものが、それ自体を曲げ、入らない、と想像してみてください。前腕から切り離され、そして引き離された手は、何らかの生命のないもののように腐りませんか? それどころか、あなたが信じることを欲するなら、人間が首を折られるなら、その身体のようになります

原典講読『啓示された黙示録』 463(訳文[9],[10],[11])

[9] さらに例をあげましょう。

 二つの手は人間の最外部のものです。

それから続く内的なものは、頭から首を通り、なおまた胸を、肩甲骨、腕また前腕を通っていませんか。無数の筋肉の構造物が、無数の組織集団の運動繊維、無数の神経と血管の束、そして多くの骨の関節がその靭帯や膜とともに存在しませんか。人間はそれらについて何らかのものを知っていますか? またそれでも彼の手はそれらのすべてのものから働きます。

 左の手の手首の周りのそれらの内的なものが、それ自体を曲げ、入らない、と想像してみてください。前腕から切り離され、そして引き離された手は、何らかの生命のないもののように腐りませんか? それどころか、あなたが信じることを欲するなら、人間が首を折られるなら、その身体のようになります。

 人間の心も、そしてそのいのちの二つのもの、意志と理解力もまったく似ています。信仰と仁愛のものである神的な活動が人間にまでも、途中で、また連続によって、伸びないなら、確かに、その時、人間は獣になるだけでなく、しかし、腐った丸太です。〔今述べた〕これらは理性にしたがっています。

[10] さて、あなたが聞きたいなら、同じことが聖書にもまたしたがっている〔ことを話します〕。

 主は言われていませんか、

 

「わたしにとどまりなさい、わたしもあなたがたの中にとどまります。……わたしはブドウの木で、あなたがたは枝です。わたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、この人は多くの実を結びます。わたしなしにあなたがたは何も行なうことができないからです」(ヨハネ15:4, 5)。

 

 実は善い働きであり、それを主は人間によって、人間は主により自分自身からのように行なうのではありませんか。

さらにまた、主は言われていませんか、戸に立って、叩くこと、また開く者は入れられ、そして彼と食事をし、また彼はその方と食事をすることです(黙示録3:20)。

 主はミナとタラントを人間がそれらで商売し、また利益を得え、また利益を得るかぎり、永遠のいのちを与えられるのではありませんか? 

 なおまた(主は)、報酬をそれぞれの者にその方のブドウ畑の中の労働にしたがって与えること(マタイ20:1-17)を(言われていませんか)?

しかし、これらはわずかです。人間は木のように実を結ばなくてはならないこと、戒めにしたがって行なうべきであり、神と隣人を愛すべきであることについて、みことばからの多くのもので紙面を満たすことができます。

しかし、私は、あなたがたのプロプリウム(固有)の知性が、みことばからのものであるものと、このような共通のものを持つことができないこと、本質的にそのようなものを、たとえあなたがたが話しても、それでもあなたがたの観念がそれらをゆがめることを知っています。また、あなたがたは伝達とここからの結合に関して、神のすべてのものを人間から遠ざけているので、あなたがたはこれと異なってできません。その時、礼拝のすべてのもの以外に何が残りますか?

[11] その後、私に天界の光の中で見られ、それは、それぞれの者がどんなものであるかあばき、明らかにする〔光であった〕。またその時、私は、〔彼らが〕前のように空中の船の中に、あたかも天界の中にように、紫色でその中に、そして頭に関して月桂樹でいるのを見なかった。しかし、〔彼らが〕砂だらけの場所の中に、小片からの衣服の中で、そして腰の周りにあたかも漁に使うような綱の帯を締め、それらを通して裸であるのが見られた――またその時、マキアヴェリの追随者の境界にある社会の中に降された。

原典講読『啓示された黙示録』 第10章

CAPUT X.

第10章

 

(1) 原文

ET vidi alium Angelum fortem descendentem e Caelo, circumdatum nube, et iris supra caput, et facies Ejus sicut Sol, et pedes Ejus sicut Columnae ignis.

2. Et habebat in manu Sua Libellum apertum et posuit pedem Suum dextrum super mari, et Sinistrum super terra.

3. Et clamavit voce magna, sicut leo rugit, et cum clamavit locuta sunt septem tonitrua suas voces.

4. Et cum locuta sunt septem tonitrua voces suas, futurus sum scribere, et audivi vocem e Caelo dicentem mihi, Obsigna quae locuta sunt septem tonitrua, et ne illa scribas.

5. Et Angelus, Quem vidi stantem super mari et super terra, sustulit manum Suam in Caelum.

6. Et juravit per Viventem in saecula saeculorum, Qui creavit Caelum et quae in eo, et Terram et quae in ea, et Mare et quae in eo, quod tempus non erit amplius.

7. Sed in diebus vocis septimi Angeli, quando futurus est Clangere et consummabitur mysterium Dei, sicut evangelizavit Suis servis Prophetis.

8. Et vox, quam audivi e Caelo, iterum loquens cum me, et dicens, Abi, accipe Libellum apertum in manu Angeli stantis super [mari et super] terra.

9. Et abivi ad Angelum, dicens Ei, Da mihi Libellum; et dixit mihi, Accipe et devora illum, et amaricabit tuum ventrem, sed in ore tuo erit dulcis sicut mel.

10. Et accepi Libellum e manu Angeli, et devoravi illum, et erat in ore meo sicut mel dulcis; et cum devoravi illum amaricatus est venter meus.

11. Et dixit mihi, Oportet te iterum prophetare super populos et gentes et linguas et reges multos.

 

(2) 直訳

ET vidi alium Angelum fortem descendentem e Caelo, circumdatum nube, et iris supra caput, et facies Ejus sicut Sol, et pedes Ejus sicut Columnae ignis. 1. 私は天から降るもう一人の力のある天使を見た、雲に囲まれた、また頭の上に虹、またその顔は太陽のような、またその足は火の柱のような。

2. Et habebat in manu Sua Libellum apertum et posuit pedem Suum dextrum super mari, et Sinistrum super terra. 2. また、自分の手の中に開かれた小さな本(巻き物)を持っていた、また自分の右足を海の上に置いた、また左〔足〕を地の上に。

3. Et clamavit voce magna, sicut leo rugit, et cum clamavit locuta sunt septem tonitrua suas voces. 3. また、大きな声で叫んだ、ライオンがほえるような、また叫んだとき、七つの雷鳴がその音を話した。

4. Et cum locuta sunt septem tonitrua voces suas, futurus sum scribere, et audivi vocem e Caelo dicentem mihi, Obsigna quae locuta sunt septem tonitrua, et ne illa scribas. 4. また、七つの雷鳴がその音を話したとき、私は書くことをしようとした、また私は天界から私に言う声を聞いた、封じよ、それは七つの雷鳴が話す、またそれをあなたは書くな(書かないように)。

5. Et Angelus, Quem vidi stantem super mari et super terra, sustulit manum Suam in Caelum. 5. また、天使は、その者を私は見た、海の上と地の上に立っている、自分の手を天の中に上げた(tollo)。

6. Et juravit per Viventem in saecula saeculorum, Qui creavit Caelum et quae in eo, et Terram et quae in ea, et Mare et quae in eo, quod tempus non erit amplius. 6. また、誓った、世代の世代の中で(永久に)生きている方によって、その方は天とその中に〔あるものを〕創造した、また地とその中に〔あるものを〕、また海とその中に〔あるものを〕、時は今後(これ以上、もはや)ないであろう。

7. Sed in diebus vocis septimi Angeli, quando futurus est Clangere et consummabitur mysterium Dei, sicut evangelizavit Suis servis Prophetis. 7. しかし、第七の天使の声の日の中で、らっぱを吹くことが起こるであろう時、また神の奥義が完了(成就)させられるであろう、ご自分のしもべの預言者たちが福音をもたらす(宣べ伝える)ように。

8. Et vox, quam audivi e Caelo, iterum loquens cum me, et dicens, Abi, accipe Libellum apertum in manu Angeli stantis super [mari et super] terra. 8. また声が、それを私は天から聞いた、再び私に話している、また言っている、出かけよ、〔海の上と〕地の上に立っている天使の手の中の開かれた小さな本(巻き物)を受けよ。

9. Et abivi ad Angelum, dicens Ei, Da mihi Libellum; 9. また、私は天使へ出かけた、彼に言って、私に小さな本(巻き物)を与えよ。

et dixit mihi, Accipe et devora illum, et amaricabit tuum ventrem, sed in ore tuo erit dulcis sicut mel. また私に言った、それを受けよ、また食い尽せ、すると、あなたの腹に苦い(あなたを腹を苦くする☆)であろう、しかし、あなたの口の中で蜂蜜のように甘いであろう。

☆ amaricabit(amarico?) がわかりませんが、これでよいと思います。

10. Et accepi Libellum e manu Angeli, et devoravi illum, et erat in ore meo sicut mel dulcis; 10. また、私は天使の手から小さな本(巻き物)を受けた、またそれを食い尽した、また私の口の中で甘い蜂蜜のようであった。

et cum devoravi illum amaricatus est venter meus. また、私がそれを食い尽したとき、私の腹は苦くなった☆。

☆ amaricatus がわかりませんが「苦くなった」でよいと思います。

11. Et dixit mihi, Oportet te iterum prophetare super populos et gentes et linguas et reges multos. 11. また、私に言った、あなたは再び~ねばらない、預言すること、民族また国民また言語また多くの王の上に(ついて)。

 

(3) 訳文

 1. 私は雲に囲まれて天から降って来るもう一人の力のある天使を見た、頭の上に虹があり、その顔は太陽のようであり、その足は火の柱のようであった。

 2. また、自分の手に開かれた小さな巻き物を持っていた、また自分の右足を海の上に、左足を地の上に置いた。

 3. また、ライオンがほえるような大きな声で叫んだ。叫んだとき、七つの雷鳴がその音を話した。

 4. また、七つの雷鳴がその音を話したとき、私は書こうとした。また、私は天界から私に言う声を聞いた、「七つの雷鳴が話すことを封じよ、それを書くな」。

 5. また、私が見た海の上と地の上に立っている天使は、自分の手を天に上げた。

 6. また、永久に生き、天とその中にあるものを、また地とその中にあるものを、また海とその中にあるものを創造さらた方によって、誓った、「時はもはやない」。

 7. しかし、第七の天使の声の日に、らっぱを吹くことが起こる時に、ご自分のしもべの預言者たちが福音を宣べ伝えるように神の奥義が成就する。

 8. また私が天から聞いた声が、再び私に話して、言った、「出かけよ、〔海の上と〕地の上に立っている天使の手の中の開かれた小さな巻き物を受けよ」。

 9. また、私は天使へ出かけ、彼に言った、「私に小さな巻き物を与えよ」。すると、私に言った、「それを受けよ、食い尽せ、あなたの腹に苦いであろう、しかし、あなたの口の中で蜂蜜のように甘いであろう」。

 10. また、私は天使の手から小さな巻き物を受け、それを食い尽した、すると私の口の中で甘い蜂蜜のようであった。また、私がそれを食い尽したとき、私の腹は苦くなった。

 11. また、私に言った、あなたは再び、民族、国民、言語、多くの王について 預言しなければならない。

原典講読『啓示された黙示録』 第10章全章の内容

SENSUS SPIRITUALIS.

霊的な意味

CONTENTUM TOTIUS CAPITIS.

全章の内容

 

(1) 原文

AGITUR ADHUC DE EXPLORATIONE ET MANIFESTATIONE ILLORUM QUI IN ECCLESIIS REFORMATORUM SUNT: HIC QUID CREDUNT DE DOMINO,

QUOD SIT DEUS CAELI ET TERRA (ut Ipse docuit, Matth. xxviii. 18), ET QUOD HUMANUM IPSIUS SIT DIVINUM;

ET QUOD HOC IBI NON RECEPTUM SIT, ET QUOD AEGRE POSSIT RECIPI, QUAMDIU DOGMA DE JUSTIFICATIONE PER SOLAM FIDEM CORDIBUS INSIDET.

 

(2) 直訳

AGITUR ADHUC DE EXPLORATIONE ET MANIFESTATIONE ILLORUM QUI IN ECCLESIIS REFORMATORUM SUNT: 依然として彼らの調査と明示について扱われている、その者は改革者(派)の教会の中にいる。

HIC QUID CREDUNT DE DOMINO, ここに、主について何が信じられているか。

QUOD SIT DEUS CAELI ET TERRA (ut Ipse docuit, Matth. xxviii. 18), ET QUOD HUMANUM IPSIUS SIT DIVINUM; 天地の神であること(その方が「マタイ」28:18で教えているように)、またその方の人間性が神的であること。

ET QUOD HOC IBI NON RECEPTUM SIT, ET QUOD AEGRE POSSIT RECIPI, QUAMDIU DOGMA DE JUSTIFICATIONE PER SOLAM FIDEM CORDIBUS INSIDET. またこのことがそこに受け入れられていないこと、またほとんど受け入れられることができないこと、信仰のみによって義認の教義が心に固く宿る(座る)かぎり。

 

(3) 訳文

 依然として改革者派の教会の中にいる者の調査と明示について扱われている。ここに、主について何が信じられているか。天地の神であり(その方が「マタイ」28:18で教えているように)、またその方の人間性が神的であることである。またこのことが、信仰のみによって義認の教義が心に固く宿るかぎり、そこに受け入れられていないこと、またほとんど受け入れられることができないことである。

原典講読『啓示された黙示録』 第10章、個々の節の内容

CONTENTA SINGULORUM VERSUUM.

個々の(各個の)節の内容

 

(1) 原文

1. ” Et vidi alium Angelum fortem descendentem e Caelo,” significat Dominum in Divina Majestate et Potentia [n. 465]; ” circumdatum nube, et iris supra caput,” significat Divinum Naturale et Divinum Spirituale Ipsius [n. 466]: ” et facies Ejus sicut sol,” significat Divinum Amorem et simul Divinam Sapientiam [n. 467]; ” et pedes Ejus sicut columnae ignis,” significat Divinum Naturale Domini quoad Divinum Amorem, quod sustentat omnia [n. 468].

2. ” Et habebat in manu Sua Libellum apertum,” significat Verbum quoad id doctrinae ibi, quod Dominus sit Deus Caeli et Terrae, et quod Humanum Ipsius sit Divinum [n.469]: ” et posuit pedem dextrum super mari et sinistrum super terra,” significat quod Dominus sub Suo Auspicio et Dominio habeat universam Ecclesiam [n. 470].

3. ” Et clamavit voce magna sicut leo rugit,” significat lamentationem gravem quod Ipsi Ecclesia sit ablata [n. 471]; ” et cum clamavit, locuta sunt septem tonitrua voces suas,” significat quod Dominus per universum Caelum detexerit quid in Libello [n. 472].

4. ” Et cum locuta sunt septem tonitrua voces suas, futurus sum scribere, et audivi vocem e Caelo dicentem mihi, Obsigna quae locuta sunt septem tonitrua, et ne illa scribas,” significat quod illa quidem manifestentur, sed quod non recipiantur quam postquam illi, qui per “Draconem,” “Bestiam” et “Pseudoprophetam” intelliguntur, e mundo spirituum ejecti sunt, quia periculum si prius [n. 473].

5, 6. ” Et Angelus, Quem vidi stantem super mari et super terra, sustulit manum Suam in Caelum, et juravit per Viventem in saecula saeculorum,” significat contestationem et testificationem Domini per Se Ipsum [n. 474]; ” Qui{1} creavit Caelum et quae in eo, et Terram et quae in ea, et Mare et quae in eo,” significat qui vivificat omnes qui in Caelo et qui in Ecclesia sunt, ac omnia et singula apud illos [n. 475]; ” quod tempus non erit amplius,” significat quod non aliquis status Ecclesiae, seu aliqua Ecclesia, nisi agnoscitur unus Deus, et quod Dominus sit Ille [n. 476].

@1 Qui pro “Et Qui

7. ” Sed in diebus vocis septimi Angeli, quando futurus clangere,”significat explorationem et manifestationem status Ecclesiae finalem, quod peritura sit, si non Nova a Domino instauretur [n. 477]; ” et consummabitur mysterium Dei, sicut evangelizavit Suis servis Prophetis,” significat quod tunc appariturum sit quod in Verbo utriusque Testamenti praedictum est et hactenus occultatum, quod post Ultimum Judicium super illos qui devastaverunt Ecclesiam, venturum sit Regnum Domini [n. 478].

8. ” Et vox quam audivi e Caelo iterum loquens cum me, dicens, Recipe libellum apertum in manu Angeli stantis super mari et super terra,” significat mandatum e Caelo ut haurirent illam Doctrinam, sed ut manifestaretur per Johannem quomodo illa in Ecclesia reciperetur, antequam illi qui per “Draconem,” “Bestiam” et “Pseudoprophetam” intelliguntur, remoti sunt [n. 479].

9. ” Et abivi ad Angelum, dicens Ei, Da mihi Libellum,” significat motionem animi apud plures ad recipiendum Doctrinam [n. 480]; et dixit mihi, Accipe et devora illum, et amaricabit tuum ventrem, sed in ore tuo erit dulcis sicut mel,” significat quod receptio ex agnitione quod Dominus sit Salvator et Redemptor, sit grata et amoena, at quod agnitio quod solus sit Deus Caeli et Terrae, et quod Humanum Ipsius sit Divinum, sit ingrata et molesta ex falsificationibus [n. 481].

10. ” Et accepi libellum e manu Angeli et devoravi illum, et erat in ore meo sicut mel dulcis; et cum devoravi illum, amaricatus est venter meus,” significat ita factum, et sic manifestatum [n. 482].

11.  ” Et dixit mihi, Oportet te iterum prophetare super populos et gentes et linguas et reges multos,” significat quod quia ita est, adhuc docendum sit quales sunt qui in sola fide [n. 483].

 

(2) 直訳

1. ” Et vidi alium Angelum fortem descendentem e Caelo,” significat Dominum in Divina Majestate et Potentia [n. 465]; 1. 「私は天から降るもう一人の力のある天使を見た」は、神的な威厳と力の中の主を意味する( 465番)。

” circumdatum nube, et iris supra caput,” significat Divinum Naturale et Divinum Spirituale Ipsius [n. 466]: 「雲に囲まれた、また頭の上に虹」は、その方の神的自然的なものと神的霊的なものを意味する( 466番)。

” et facies Ejus sicut sol,” significat Divinum Amorem et simul Divinam Sapientiam [n. 467]; 「またその顔は太陽のような」は、神的愛と同時に神的知恵を意味する( 467番)。

” et pedes Ejus sicut columnae ignis,” significat Divinum Naturale Domini quoad Divinum Amorem, quod sustentat omnia [n. 468]. 「またその足は火の柱のような」は、神的愛に関する手の神的自然的なものを意味する、それはすべてのものを支える( 468番)。

2. ” Et habebat in manu Sua Libellum apertum,” significat Verbum quoad id doctrinae ibi, quod Dominus sit Deus Caeli et Terrae, et quod Humanum Ipsius sit Divinum [n.469]: 2. 「また、自分の手の中に開かれた小さな本(巻き物)を持っていた」は、そこにその教えに関するみことばを意味する、主は天地の神であること、またその方の人間性が神性であること( 469番)。

” et posuit pedem dextrum super mari et sinistrum super terra,”significat quod Dominus sub Suo Auspicio et Dominio habeat universam Ecclesiam [n. 470]. 「また右足を海の上に置いた、また左〔足〕を地の上に」は、主がご自分の指導と支配権の下に全教会を持っていることを意味する( 470番)。

3. ” Et clamavit voce magna sicut leo rugit,” significat lamentationem gravem quod Ipsi Ecclesia sit ablata [n. 471]; 3. 「また、大きな声で叫んだ、ライオンがほえるような」は、重苦しい悲嘆を意味する、その方に教会が取り去られた(aufero)こと( 471番)。

” et cum clamavit, locuta sunt septem tonitrua voces suas,” significat quod Dominus per universum Caelum detexerit quid in Libello [n. 472]. 「また叫んだとき、七つの雷鳴がその音を話した」は、主が全天界を通して何が小さな本(巻き物)の中に〔あるか〕明かしたことを意味する( 472番)。

4. ” Et cum locuta sunt septem tonitrua voces suas, futurus sum scribere, et audivi vocem e Caelo dicentem mihi, Obsigna quae locuta sunt septem tonitrua, et ne illa scribas,” significat quod illa quidem manifestentur, sed quod non recipiantur quam postquam illi, qui per “Draconem,” “Bestiam” et “Pseudoprophetam” intelliguntur, e mundo spirituum ejecti sunt, quia periculum si prius [n. 473]. 4. 「また、七つの雷鳴がその音を話したとき、私は書くことをしようとした、また私は天界から私に言う声を聞いた、封じよ、それは七つの雷鳴が話す、またそれをあなたは書くな(書かないように)」は、それらは確かに明らかにされる、しかし、彼らが、その者は「竜」、「獣」また「偽預言者」によって意味される、霊界から追い出される後以外に受け入れられないこと、もし以前になら、危険〔がある〕ので( 473番)。

5, 6. ” Et Angelus, Quem vidi stantem super mari et super terra, sustulit manum Suam in Caelum, et juravit per Viventem in saecula saeculorum,” significat contestationem et testificationem Domini per Se Ipsum [n. 474]; 5, 6. 「また、天使は、その者を私は見た、海の上と地の上に立っている、自分の手を天の中に上げた。また、誓った、世代の世代の中で(永久に)生きている方によって」は、ご自分自身によって、主の証言と証明を意味する( 474番)。

” Qui{1} creavit Caelum et quae in eo, et Terram et quae in ea, et Mare et quae in eo,” significat qui vivificat omnes qui in Caelo et qui in Ecclesia sunt, ac omnia et singula apud illos [n. 475]; 「その方は天とその中に〔あるものを〕創造した、また地とその中に〔あるものを〕、また海とその中に〔あるものを〕」は、その方はすべての者を生かすことを意味する、その者は天界の中に、またその者は教会の中にいる、そしてそれらのものとすべてと個々の者を( 475番)。

” quod tempus non erit amplius,” significat quod non aliquis status Ecclesiae, seu aliqua Ecclesia, nisi agnoscitur unus Deus, et quod Dominus sit Ille [n. 476]. 「時は今後(これ以上、もはや)ないであろう」は、教会の何らかの状態がないことを意味する、すなわち、何らかの教会が、唯一の神が認められないなら、また主がその方であること( 476番)。

@1 Qui pro “Et Qui“ 注1 「Et Qui」の代わりに Qui

7. ” Sed in diebus vocis septimi Angeli, quando futurus clangere,”significat explorationem et manifestationem status Ecclesiae finalem, quod peritura sit, si non Nova a Domino instauretur [n. 477]; 7.「しかし、第七の天使の声の日の中で、らっぱを吹くことが起こるであろう時」は、教会の最終の状態の調査と明示を意味する、それは滅びるであろう、もし新しいものが主により設立されないなら( 477番)。

” et consummabitur mysterium Dei, sicut evangelizavit Suis servis Prophetis,” significat quod tunc appariturum sit quod in Verbo utriusque Testamenti praedictum est et hactenus occultatum, quod post Ultimum Judicium super illos qui devastaverunt Ecclesiam, venturum sit Regnum Domini [n. 478]. 「また神の奥義が完了(成就)させられるであろう、ご自分のしもべの預言者たちが福音をもたらす(宣べ伝える)ように」は、その時、現われる(見える)ことを意味する、両方の契約のみことばの中に予言された、また今まで隠された、最後の審判の後、彼らの上の、その者は教会を荒廃させた、主の王国がやって来ること( 478番)。

8. ” Et vox quam audivi e Caelo iterum loquens cum me, dicens, Recipe libellum apertum in manu Angeli stantis super mari et super terra,” significat mandatum e Caelo ut haurirent illam Doctrinam, sed ut manifestaretur per Johannem quomodo illa in Ecclesia reciperetur, antequam illi qui per “Draconem,” “Bestiam” et “Pseudoprophetam” intelliguntur, remoti sunt [n. 479]. 8. 「また声が、それを私は天から聞いた、再び私に話している、また言っている、〔海の上と〕地の上に立っている天使の手の中の開かれた小さな本(巻き物)を受けよ」は、天界からの命令を意味する、その教えを吸収する(学ぶ)ように、しかし、ヨハネによって明らかにされるように、それらをどのように教会の中に受け入れられるか、彼らが、その者は「竜」、「獣」また「偽預言者」によって意味される、遠ざけられる前に( 479番)。

9. ” Et abivi ad Angelum, dicens Ei, Da mihi Libellum,” significat motionem animi apud plures ad recipiendum Doctrinam [n. 480]; 9. 「また、私は天使へ出かけた、彼に言って、私に小さな本(巻き物)を与えよ」は、多くの者のもとの心(アニムス)の動くこと(感情)を意味する、教えを受け入れることへ向けて( 480番)。

et dixit mihi, Accipe et devora illum, et amaricabit tuum ventrem, sed in ore tuo erit dulcis sicut mel,” significat quod receptio ex agnitione quod Dominus sit Salvator et Redemptor, sit grata et amoena, at quod agnitio quod solus sit Deus Caeli et Terrae, et quod Humanum Ipsius sit Divinum, sit ingrata et molesta ex falsificationibus [n. 481]. 「また私に言った、それを受けよ、また食い尽せ、すると、あなたの腹に苦い(あなたを腹を苦くする)であろう、しかし、あなたの口の中で蜂蜜のように甘いであろう」は、認知からの受け入れが、主が救い主とあがない主であること、快い(喜ばしい)また楽しいものであること、しかし、〔主〕おひとりが天地の神であること、またその方の人間性が神的であることの認知は、虚偽化から、うれしくないまた困難(煩わしい)〔もの〕であることを意味する( 481番)。

10. ” Et accepi libellum e manu Angeli et devoravi illum, et erat in ore meo sicut mel dulcis; 10. 「また、私は天使の手から小さな本(巻き物)を受けた、またそれを食い尽した、また私の口の中で甘い蜂蜜のようであった。

et cum devoravi illum, amaricatus est venter meus,” significat ita factum, et sic manifestatum [n. 482]. また、私がそれを食い尽したとき、私の腹は苦くなった」は、そのように行なわれた、またこのように明らかにされた、を意味する( 482番)。

11. ” Et dixit mihi, Oportet te iterum prophetare super populos et gentes et linguas et reges multos,” significat quod quia ita est, adhuc docendum sit quales sunt qui in sola fide [n. 483]. 11. 「また、私に言った、あなたは再び~ねばらない、預言すること、民族また国民また言語また多くの王の上に(ついて)」は、そのようであるので、さらに(依然として)どんなものであるか伝え(教え)なければならないことを意味する、その者は信仰のみの中に〔いる〕( 483番)。

 

(3) 訳文

 1. 「私は天から降るもう一人の力のある天使を見た」は、神的な威厳と力の中の主を意味する( 465番)。「雲に囲まれ、頭の上に虹〔がある〕」は、その方の神的自然的なものと神的霊的なものを意味する( 466番)。「またその顔は太陽のよう〔である〕」は、神的愛と同時に神的知恵を意味する( 467番)。「またその足は火の柱のよう〔である〕」は、神的愛に関する主の神的自然的なものを意味する、それはすべてのものを支える( 468番)。

 2. 「また、自分の手の中に開かれた小さな巻き物を持っていた」は、そこにその教えに関するみことばを意味する、主は天地の神であること、またその方の人間性が神性であることである( 469番)。「また右足を海の上に、また左足を地の上に置いた」は、主がご自分の指導と支配権の下に全教会を持っていることを意味する( 470番)。

 3. 「また、ライオンがほえるような大きな声で叫んだ」は、その方から教会が取り去られたことの重苦しい悲嘆を意味する( 471番)。「また叫んだとき、七つの雷鳴がその音を話した」は、主が全天界を通して何が小さな巻き物の中に〔あるか〕明かしたことを意味する( 472番)。

 4. 「また、七つの雷鳴がその音を話したとき、私は書こうとした、また私は天界から私に言う声を聞いた、『七つの雷鳴が話すことを封じよ、それを書くな』」は、それらは確かに明らかにされる、しかし、「竜」、「獣」、「偽預言者」によって意味される者が、霊界から追い出される後でないなら、もし以前になら、危険なので、受け入れられない( 473番)。

 5, 6. 「また、私が見た海の上と地の上に立っている天使は、自分の手を天に上げた。また、永久に生きている方によって誓った」は、ご自分自身による主の証言と証明を意味する( 474番)。「その方は天とその中にあるものを、また地とその中にあるものを、また海とその中にあるものを創造された」は、その方はすべての者を生かすことを意味する、その者は天界の中に、またその者は教会の中にいる、そしてそれらのものとすべてと個々の者を〔生かす〕(475番)。「時はもはやない」は、唯一の神が、また主がその方であることが認められないなら、教会の何らかの状態が、すなわち、何らかの教会がないことを意味する( 476番)。

 7.「しかし、第七の天使の声の日に、らっぱを吹くことが起こる時に」は、教会の最終の状態の調査と明示を意味する、それは、もし新しいものが主により設立されないなら滅びるであろう( 477番)。「また、ご自分のしもべの預言者たちが福音を宣べ伝えるように神の奥義が成就する」、その時、両契約のみことばの中に予言され、また今まで隠されたものが現われる(見える)こと、教会を荒廃させた者の上の最後の審判の後、主の王国がやって来ることを意味する( 478番)。

 8. 「また私が天から聞いた声が、再び私に話して、言った、『海の上と地の上に立っている天使の手の中の開かれた小さな巻き物を受けよ』」は、「竜」、「獣」、「偽預言者」によって意味される者が遠ざけられる前に、その教えを学ぶようにとの天界からの命令を意味する、しかし、それらをどのように教会の中に受け入れられるかヨハネによって明らかにされるように〔学べ戸の命令が意味される〕( 479番)。

 9. 「また、私は天使へ出かけ、彼に言った、『私に小さな巻き物を与えよ』」は、教えを受け入れることへ向けて多くの者のもとの心(アニムス)の動くこと(感情)を意味する( 480番)。「すると、私に言った、『それを受けよ、食い尽せ、あなたの腹に苦いであろう、しかし、あなたの口の中で蜂蜜のように甘いであろう』」は、主が救い主とあがない主であることの認知からの受け入れが快いまた楽しいものであること、しかし、〔主〕おひとりが天地の神であること、またその方の人間性が神的であることの認知は、虚偽化から、うれしくないまた困難なものであることを意味する( 481番)。

 10. 「また、私は天使の手から小さな巻き物を受け、それを食い尽した、すると私の口の中で甘い蜂蜜のようであった。また、私がそれを食い尽したとき、私の腹は苦くなった」は、そのように行なわれ、このように明らかにされた、を意味する( 482番)。

 11. 「また、私に言った、『あなたは再び、民族、国民、言語、多くの王について 預言しなければならない』」は、そのようであるので、依然として信仰のみの中にいる者にどんなものであるか教えなければならないことを意味する( 483番)。