[7] Secundo, quod “Sanguis” significet Divinum Verum, clare videri potest ex sensu ejus opposito, in quo significat Divinum Verum Verbi falsificatum aut prophanatum, quod patet ex his: [7] 第二に、「血」が神的真理を意味することは、その正反対の意味からはっきりと見られることができる、その中で虚偽化されたまたは冒涜されたみことばの神的真理を意味する、それはこれらから明らかである――
Qui “obturat aures suas, ne audiat Sanguines, et occludit oculos, ne videat malum” (Esaj. xxxiii. 15). その者は「自分の耳をふさぐ、血を聞かないように、また目を閉じる、悪を見ないように」(イザヤ32:15)。
“Perdes loquentes mendacium, virum Sanguinum et doli abominatur Jehovah” (Psalm. v. 7 [B.A. 6]); 「あなたはうそつきの話す者を滅ぼす、エホバは血と欺きの男を忌み嫌う」(詩篇5:6)。
Omnis scriptus ad vitam in Hierosolyma, cum Dominus abluerit Sanguines ejus e medio ejus per spiritum judicii et per spiritum expurgationis (Esaj. iv.{6} 2, 3, 4): エルサレムの中でいのちのために書かれたすべての者は、そのとき主はその真ん中から(で)血を洗い落とす、審判の霊によって、また浄化の霊によって(イザヤ4:2, 3, 4)。
“In die quo nata es vidi te conculcatam in Sanguinibus, et dixi, In Sanguinibus tuis vive; 「あなたが生まれたその日の中で、わたしはあなたを見た、血の中で踏みにじられた、また、わたしは言った、あなたの血の中で生きよ。
lavi et ablui Sanguines a super te” (Ezech. xvi. 5, 6, 9, 22, 36, 38); わたしはあなたの上から血を洗った、また洗い落した」(エゼキエル26:5, 6, 9, 22, 36, 38)。
“Errarunt Caeci in plateis, polluti sunt Sanguine, et quae non possunt, tangunt vestimentis suis” (Thren. iv. 13, 14); 「盲人たちは街路の中をさ迷った、血で汚れた、また〔触る〕ことができないそれを、自分の衣服で触る」(哀歌4:13, 14)。
“Vestis est polluta Sanguinibus” (Esaj. ix. 4 (B.A. 5)); 「衣服は血で汚された」(イザヤ9:5)。
“Etiam in alis tuis inventus est Sanguis animarum innocentium” (Jerem. ii. 34{7}); 「あなたのすその中にもまた無垢な者の血が見つかった」(エレミヤ2:37)。
“Manus vestrae Sanguinibus plenae sunt, lavate vos, purificate vos, removete malitiam operum vestrorum” (Esaj. i. 15, 16); 「あなたがたの手は血で満ちている、あなたがたを洗え、あなたがたを清めよ、あなたがたの働きの悪意を取り除け」(イザヤ1:15, 16)。
“Manus vestrae pollutae sunt Sanguine, et digiti vestri iniquitate, labia vestra locuta sunt mendacium, festinant ad effundendum Sanguinem innocentem” (Esaj. lix. 3, 7); 「あなたがたの手は血で汚れている、またあなたがたの指は不法で、あなたがたの唇はうそを話した。彼らは無垢な者の血を流すために急ぐ」(イザヤ59:3, 7)。
“Jehovah exiens ad visitandum iniquitatem terrae, tunc revelabit terra Sanguines suos” (Esaj. xxvi. 21{8}; 「地の不法を視察するため出て行くエホバは、その時、血はその血を現わすであろう」(イザヤ26:21)。
“Quotquot Ipsum receperunt, dedit illis potestatem ut filii Dei essent, qui non ex Sanguinibus” (Joh. i. 12, 13); 「その方を受け入れたと同数の者、彼らに神の子となるような力を与えた、その者は血から〔生まれたのでは〕ない」(ヨハネ1:12, 13)。
In Babylonia “Sanguis Prophetarum et Sanctorum inventus est” (Apoc. xviii.{9} 24) バビロンの中で「預言者と聖徒の血が見つけられた」(黙示録18:24)。
“Mare factum est tanquam Sanguis mortui, et fontes aquarum facti sunt Sanguis” (Apoc. xvi. 3, 4; Esaj. xv. 9{10}; Psalm. cv. 29{11}); 「海は死んだ者の血のようになった、また水の泉は血になった」(黙示録16:3, 4、イザヤ15:9、詩篇105:29)。
Simile significatur per quod flumina, collectiones et stagna aquarum in Aegypto versa sint in Sanguinem (Exod. vii. 15-25{12}); 同様のものが、エジプトの中の川、水を集めたものと池が血に変えられたことによって意味される(出エジプト記7:12-15)。
“Luna vertetur in Sanguinem antequam venit dies Jehovae magnus” (Joeliii. 4{13} [B.A. ii. 31]); 「月は血に変えられるであろう、エホバの大いなる日がやって来る前に」(ヨエル2:31)。
“Luna facta est Sanguis” (Apoc. vi. 12). 「月は血になった」(黙示録6:12)。
In his locis et pluribus aliis, “Sanguis” significat Verum Verbi falsificatum, et quoque prophanatum; これらの箇所また他の多くのものの中で、「血」は虚偽化された、そしてまた冒涜されたみことばの神的真理を意味する。
quod tamen manifestius videri potest ex illis locis in Verbo in serie lectis. それはそれでもさらにはっきりと見られることができる、みことばの中のそれらの箇所から、連続(系列)の中であなたが読む。
Cum itaque per “Sanguinem” in opposito sensu significatur Verum Verbi falsificatum aut prophanatum, patet quod per “Sanguinem” in genuino sensu significetur Verum Verbi non falsificatum. そこで、「血」によって正反対の意味の中で虚偽化されたまたは冒涜された神的真理が意味されるとき、「血」によって本来の意味の中で虚偽化されていないみことばの真理が意味されることが明らかである。
@1 3-8 pro “3 ad n.” 注1 「3 ad n.」の代わりに 3-8
@2 xxvi. pro “xxvii.” 注2 「xxvii.」の代わりに xxvi.
@3 53-56 pro “50 ad 58″ 注3 「50 ad 58」の代わりに 53-56
@4 17 pro “8” 注4 「8」の代わりに 17
@5 13-15 pro “13, 14, 15, 16″ 注5 「13, 14, 15, 16」の代わりに 13-15
@6 iv. pro “iii.” 注6 「」の代わりに
@7 34 pro “33, 34″ 注7「33, 34」の代わりに 34
@8 21 pro “20” 注8 「20」の代わりに 21
@9 xviii. pro “xvii.” 注9 「xvii.」の代わりに xviii.
@10 9 pro “6, 9″ 注10 「6, 9」の代わりに 9
@11 29 pro “23, 28, 29″ 注11 「23, 28, 29」の代わりに 29
@12 25 pro “27” 注12 「27」の代わりに 25
@13 iii. 4 pro “iii. 34″ 注13 「iii. 34」の代わりに iii. 4
(3) 訳文
379 「また小羊の血の中で自分の衣を白くした」は、また真理によって悪の虚偽からそれらを浄化した(清めた)、またこのように主により改心された、を意味する。
虚偽の悪と悪の虚偽がある。虚偽の悪が、口で罪人(つみびと)であることを告白しさえすれば、悪は断罪しないと宗教から信じた者のもとに〔ある〕。また悪の虚偽が悪を自分自身のもとで確信した者のもとに〔ある〕。
「衣」によってここに、前のように(378番)、みことばからの全般的な真理が意味され、それは彼らの宗教的信念をつくる。「小羊の血の中で自分の衣を白くした」ことが言われているのとは、「白」は真理について言われ(167, 231, 232番)、そのように真理によって虚偽を清めるからである。それはさらにまた、このように主により改心されたことが意味される、世の中で悪に対して戦い、また主を信じたすべての者は、世から去った後、主により教えられ、また自分の宗教の虚偽から、真理によって導き出され、またこのように改心されるからである。その理由は、悪を罪として避けた者は、生活の善の中にいるからである、生活の善は真理を望む、またそれらを認める、また受け入れる。しかし、決して生活の悪は〔望ま〕ない。
「小羊の血」によって、みことばの中のここにまた他の箇所に、主の十字架の受難が意味されることが信じられている。しかし、十字架の受難は最後の試練であった、それによって主は完全に地獄に勝った、またご自分の人間性を完全に栄化した、それらの二つによって人間を救った、〔このことが〕『新しいエルサレムの教え 主について』に見られる(22-24, 25-27番)、なおまた前に(67番)。また、主はそれらによって完全にご自分の人間性を栄化した、すなわち、神的なもの(神性)にしたので、それゆえ、その方の「肉」と「血」によって、その方の中のまたその方からの神性以外に何らかのものが意味されない。「肉」によって神的愛の神的善が、また「血」によってその善からの神的真理が〔意味される〕。
[2] 「血」のことが言われるみことばの中の多くの箇所の中で、それによってどこでも霊的な意味で主の神的真理が意味され、〔これは〕さらにまたみことばの神的真理であり、また正反対の意味の中で虚偽化されたまたは冒涜されたみことばの神的真理であることを、続く箇所から明らかにすることができる。
最初に、「血」によって、主のまたはみことばの神的真理が意味されることは、これらから――血は「契約の血」と言われた、また「契約」は結合であり、これは主によりその方の神的真理によって生じる。例えば、「ゼカリヤ書」に――
「あなたの契約の血によって、わたしは縛られた者を穴から解放する」(9:11)。
またモーセに――
モーセは民の耳の中に律法の書を読んだ後に、民の上に血の半分を振りかけ、「また、言った、見よ、契約の血を、それをエホバがあなたがたとこれらのすべてのことばの上に結んだ」(出エジプト記24:3-8)。
「また、イエスは杯を取り、彼らに言って、言った、すべての者はこれから飲め、これはわたしの血である、それは新しい契約の〔血〕〔である〕」(マタイ26:27, 28、マルコ14:24、ルカ22:20)。
「新しい契約の血」によって、旧いまた新しい「契約」と呼ばれるみことば以外の、そのようにそこに神的真理が意味され、他のものが意味されない。
[3] 「血」によってそのことが意味されるので、それゆえ、主は彼らに、「これはわたしの血である」と言って、ぶどう酒を与えた。「ぶどう酒」は神的真理を意味する(316番)。それゆえ、さらにまた、「ブドウの血」と呼ばれる(創世記49:11、申命記32:14)。
このことはさらにこれらの主のことばから明らかである――
「まことに、まことに、わたしはあなたがたに言う、あなたがたが人の子の肉を食べ、またその方の血を飲まないなら、あなたがたの中に、あなたがたはいのちを持たない。なぜなら、わたしの肉は真の食べ物、またわたしの血は真の飲み物であるからである。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、彼はわたしの中にとどまり、わたしは彼の中に〔とどまる〕」(ヨハネ6:53-56)。
「血」によってここに神的真理が意味されることが、はっきりと明らかである。飲む者がいのちを持ち、そして主の中に、また主は彼の中にとどまることが言われたからである。このことを神的真理が、またそれにしたがった生活がひき起こし、聖餐がそれを強めることは、教会の中でよく知られることができる。
[4] 「血」は主の神的真理を意味したので、それはさらにまたみことばの神的真理である、またこれは旧いまた新しいその方の契約である、それゆえ、血はイスラエル教会の中で最も聖なる表象するもの、そのすべてと個々のものは霊的なものの対応するものであった。例えば、彼らは過ぎ越しの祝いの血から取り、彼らの上に災害がやって来ないように「家の側柱とかもいの上に与えた」こと (出エジプト記12:7, 13, 22)、全焼のいけにえの血が祭壇の上に、祭壇の土台に、アロンの上に、彼の息子たち、また彼らの衣服の上に振りかけられること(出エジプト記29:12, 16, 20, 21、レビ記1:5, 11, 15、3:2、8, 13、4:25, 30, 34、5:9、8:15, 24、17:6、民数記17:17、申命記12:27)、なおまた垂れ幕の上に、それは箱の上に、そこのあがないのふたの上に、また香の祭壇の角の上に(レビ記4:6, 7, 17, 18、16:12-15)。
[5] 「小羊の血」によって同様のものが「黙示録」の中の続くものの中で意味されている――
「天の中で戦いが起こった、ミカエルと天使たちは竜に対して戦った。また彼に勝った、小羊の血によって、また自分の証しのことばによって」(12:7, 11)。
というのは、ミカエルと彼の天使たちが何らかのものによって竜に勝つことは、みことばの中の主の神的真理によって以外に考えられることができないから。なぜなら、天界の中の天使たちは何らかの血について考えることができない、主の主の受難についても考えない、しかし、神的真理についてまたその方の復活について〔考える〕からである。それゆえ、人間が主の血について考えるとき、天使たちはその方の神的真理を知覚する、また主の受難について〔人間が考える〕とき、その方の栄化を、またその時、復活だけを知覚する。
そのようであることを、〔私は〕多くの経験によって知ることが与えられた。
[6] 「血」が神的真理を意味することは、ダビデのこれらからもまた明らかである――
神は「乏しい者の霊魂を救う、その方の目の中で彼らの血は貴重であろう。また、彼らは生きる、また彼らにシェバの金から与えられる」(詩篇72:13-15)。
「神の目の中で貴重な血」は、彼らのもとの神的真理のために〔である〕。「シェバの金」はここからの知恵である。
「エゼキエル書」に――
「あなたがたは、イスラエルの山々の上の大きないけにえへ集まれ、あなたがたが肉を食べ、血を飲むために、あなたがたは地の君主の血を飲め、またあなたがたは酩亭までも血を飲め、わたしのいけにえから、それをわたしはあなたがたにいけにえとしてささげる。このように、わたしはわたしの栄光を国民の間に与える」(39:17-21)。
「血」によって、ここに血が意味されることができない、「地の君主の血が飲まれることになる」こと、また「酩亭までも血が飲まれることになる」ことが言われるからである。しかし、みことばの真の意味が生じるその時、「血」によって神的真理が意味される時、そこに主の教会につてもまた扱われていおり、それは異教徒のもとにもまた設立されなければならない。
[7] 第二に、「血」が神的真理を意味することは、その正反対の意味からはっきりと見られることができる、その中で虚偽化されたまたは冒涜されたみことばの神的真理を意味する、それはこれらから明らかである――
その者は「血を聞かないように自分の耳をふさぐ、また、悪を見ないように目を閉じる」(イザヤ32:15)。
「あなたはうそを話す者を滅ぼす、エホバは血と欺きの男を忌み嫌う」(詩篇5:6)。
エルサレムの中でいのちのために書かれたすべての者は、そのとき主はその真ん中で、審判の霊によって、また浄化の霊によって血を洗い落とす(イザヤ4:2, 3, 4)。
「あなたが生まれたその日に、わたしは、血の中で踏みにじられたあなたを見た、また、わたしは言った、あなたの血の中で生きよ。わたしはあなたの上から血を洗い、洗い落した」(エゼキエル26:5, 6, 9, 22, 36, 38)。
「盲人たちは街路の中をさ迷った、血で汚れた。また〔触る〕ことができないそれを、自分の衣服で触る」(哀歌4:13, 14)。
「衣服は血で汚された」(イザヤ9:5)。
「あなたのすその中にもまた無垢な者の血が見つかった」(エレミヤ2:37)。
「あなたがたの手は血で満ちている、あなたがたを洗え、あなたがたを清めよ、あなたがたの働きの悪意を取り除け」(イザヤ1:15, 16)。
「あなたがたの手は血で、またあなたがたの指は不法で汚れている、あなたがたの唇はうそを話した。彼らは無垢な者の血を流すために急ぐ」(イザヤ59:3, 7)。
「地の不法を視察するため出て行くエホバは、その時、血はその血を現わすであろう」(イザヤ26:21)。
「その方を受け入れたと同数の者に神の子となるような力を与えた。その者は血から〔生まれたのでは〕ない」(ヨハネ1:12, 13)。
バビロンの中で「預言者と聖徒の血が見つけられた」(黙示録18:24)。
「海は死んだ者の血のようになった、また水の泉は血になった」(黙示録16:3, 4、イザヤ15:9、詩篇105:29)。
同様のものが、エジプトの中の川、水を集めたもの、池が血に変えられたことによって意味される(出エジプト記7:12-15)。
「エホバの大いなる日がやって来る前に、月は血に変えられるであろう」(ヨエル2:31)。
「月は血になった」(黙示録6:12)。
これらの箇所また他の多くのものの中で、「血」は虚偽化され、そしてまた冒涜されたみことばの神的真理を意味する。それはそれでも、みことばの中の系列の中であなたが読むそれらの箇所からさらにはっきりと見られることができる。
そこで、「血」によって正反対の意味の中で虚偽化されたまたは冒涜された神的真理が意味されるとき、「血」によって本来の意味の中で虚偽化されていないみことばの真理が意味されることが明らかである。