原典講読『啓示された黙示録』 343(訳文)

(3) 訳文

 343 「地の上に、海の上に、そしてどんな木の上にも風が吹かないように、地の四つの風を押しとどめている」は、そこに善い者が悪い者と結合している内的なものの中へ、低いところから、さらに近い、またここからさらに強い流入が、主により押しとどめられ、妨げられた、を意味する。

 〔次のことを〕知らなければならない、天界の中の天使が自分の愛のまた自分の知恵の状態の中にとどまることができないような、それほどのに、悪い者が天界の下の霊たちの世界の中に増される時、最後の審判が存在するようになることである、というのは、その時、彼らに支えと土台がないから。またこのことは下の悪い者の増大から存在するようになるので、それゆえ、主は、彼らの状態を保つために、さらに強くまたさらに強くご自分の神性とともに流入する、またこのことが、下の〔領域の〕悪い者が善い者から分離されないなら、何らかの流入によって保たれることができない(時)までも生じる。また、このことは悪い者がそれを耐えない(時)までも、天界の降下と接近とここからさらに強い流入によって生じ、またその時、悪い者は逃げ、自分自身を地獄と結合させる。このこともまた、先行する章の中のこれらによって意味されていることである――

 

 「彼らは山々と岩々に言った、『私たちの上に倒れよ。私たちを王座の上に座っている者の顔から、また小羊の怒りから隠せ。その方の怒りの大いなる日がやって来るからである、だれが立つことができるのか』」(黙示録6:16, 17)。

 

 [2] さて、説明へ(向かおう)――「四つの風」によって天界の流入が意味される。「地、海、すべての木」によって、低いもの〔領域〕とそこに〔ある〕すべてのものが意味される。「地と海」によってすべての低いもの〔領域〕が、また「すべての木」によって、そこに〔ある〕すべてのものが〔意味される〕。

 「風」が流入を、正しく(理解されて)理解力の中への真理の流入を意味することは、続く箇所から明らかにすることができる――

 

 「主エホビが言われた。四つの風から、霊よ、やって来い、またこの殺された者の中に吹きつけよ)生きるために」(エゼキエル37:9, 10)。

 「四つの戦車が見られ」それに四つの馬があった。「これらは天の四つの風である」(ザカリヤ6:1, 5)。

 「あなたがたは再び生まれるべきである。

 風はどこへでも欲して、吹く。あなたは、どこからやって来るか、どこへ去るか知らない」(ヨハネ3:7, 8)。

 「地の造り主は世界をご自分の知恵によって備え、風をご自分の宝庫から引き出す」(エレミヤ10:12, 13、51:15, 16、詩篇125:7)。

 「エホバはご自分の風を吹かせる、水は流れる。ご自分のことばを、ご自分の法令と審判を告げる」(詩篇147:17-19)。

 「嵐の風は、エホバをほめたたえ、その方のみことばを行なっている」(詩篇148:7, 8)。

 エホバは「風をご自分の天使とする」(詩篇104:3, 4)。

 エホバは「風の翼の上に乗る」(詩篇17:10、詩篇104:3)。

 

 「風の翼」は、流入する神的真理である。

 それゆえ、主は「鼻の息」と呼ばれた(哀歌4:20)。また、「アダムの鼻の中にいのちの霊魂を吹き込んだ」と言われている(創世記2:7)。

なおまた、「弟子たちの中へ吹き込み、言った、聖霊を受けよ」(ヨハネ20:21, 22)。[3] 「聖霊」は主から発出している神的真理であり、弟子たちへの中へのその流入が表象されており、それゆえ、「彼らの中に吹き込んだ(息をかけた)」ことによって意味されている。

 「風(息)」と呼吸が理解力の中への神的真理の流入を意味することは、理解力との肺の対応からである、それについて『 神の愛と知恵』の中に見られる(371-429番)。

 さらに近いまたさらに強い神的な流入が天界によって悪い者のもとの真理を追い散らすので、それゆえ、「風」は彼らのもとの真理の消散、またここから地獄との彼らの結合を、そして死(滅亡)をを意味する。例えば、これらの箇所から見られることができる――

 

 「わたしはエラムの上に天の四つの末端から四つの風を引き寄せ、彼を追い散らす」(エレミヤ49:36)。

 「あなたは彼らを追い散らされる、風が彼らを連れ去るように、暴風雨が彼らを散らす」(イザヤ41:16)。

 「エホバの吹くこと(息)は硫黄の流れのように彼らに火をつける」(イザヤ33:33)。

 不法をたくらむ者は「神の吹くこと(息)により滅び、その方の鼻の息により食い尽される」(ヨブ記4:8, 9)。

 「世界の基がエホバの叱責によって、あなたの鼻の息の吹くことによりあらわにされた」(詩篇18:15)。

 「私は幻の中で見ていた。見よ、大きな海の中に四つの風が突進し、四つの獣が上った」(ダニエル7:2, 3以降)。

 「エホバの暴風雨から怒りが出て、不信心な者の頭上に突進した」(エレミヤ23:12、詩篇30:23)。

「私の神よ、あなたの嵐によって彼らを追え、あなたの暴風雨によって恐れさせよ」(詩篇83:15)。

 「エホバの道は嵐と暴風雨の中に〔ある〕」(ナホム1:3)。

 ほかに他の箇所に、例えば、エレミヤ25:32、エゼキエル13:13、ホセア8:7、アモス1:15、ゼカリヤ9:14、詩篇11:6、詩篇50:3、詩篇55:8、詩篇107、そこにこれらが――「彼は暴風雨の風が吹くように、と言った。エホバは暴風雨がやむ、その波が黙るように行なった」(25, 26節)。 

 

 [4] ここから、何が霊的な意味の中で意味されるか明らかである、これらによって――

 

 イエスは舟の中で「風を叱責し、海に言われた、『黙れ(静まれ)』。するとやんだ」(マルコ4:39、ルカ8:23, 24)。

 

「海」によって地獄が、また「風」によってここからの流入が意味される。

 「東風」によってもまた、強い流入以外の何らかのものが意味されない(エゼキエル17:10、エレミヤ18:17、エゼキエル19:12、ホセア13:15、詩篇48:7)。なおまた同じその風によって、スフの海は干し上がった(出エジプト記14:21)。それについてこのようにモーセ〔言っている〕――「あなたの鼻の吹くこと(息)によって水は積み上げられ、あなたの風を吹き、海は彼らを織り込んだ」(出エジプト記15:8, 10)。

 

 これらから、今や、「地の上に風が吹かないように、四つの風を押しとどめること」によって、低いものの中にさらに近いまたさらに強い流入が押しとどめられることと妨げられることが意味されることを明らかにすることができる。

原典講読『啓示された黙示録』 344、345、346

(1) 原文

344. [Vers. 2.] ” Et vidi alium Angelum ascendentem ex ortu solis,” significat Dominum providentem et moderantem.―Per “Angelum” hic intelligitur Dominus quoad Divinum Amorem, quia ascendit “ex ortu solis;” et ab “ortu solis” seu ab oriente, est ex Divino Amore, est enim Dominus in mundo spirituali Sol et Oriens, et quoque ita vocatur quoad illum Amorem; quod sit providens et moderans, patet a mandato Ipsius ad quatuor Angelos, quod “non damno afficerent terram et mare, usque dum servi Dei signati fuerint super frontibus.” Quod Divinum Humanum Domini per “Angelum” in supremo Sensu intelligatur, patet ex his:

 

“Angelus facierum Jehovae liberavit eos, ob amorem Suum et clementiam Suam: Hic redemit illos, et assumpsit illos, et portavit illos omnibus diebus aeternitatis” (Esaj. lxiii. 9);

“Angelus Qui redemit me ab omni malo, benedicat illis” (Gen. xlviii 16);

“Subito veniet ad Templum Suum Dominus Quem vos quaeritis, et Angelus foederis Quem vos desideratis” (Malach. iii. 1);

“Ego mitto Angelum coram te, ad custodiendum te in via; caveto tibi a faciebus Ejus, quia Nomen Meum in medio Ejus” (Exod. xxiii. 20-23).

 

“Angelus” et “missus” in Lingua Hebraea sunt una vox; inde est, quod Dominus toties Se dicat “Missum a Patre,” per quod intelligitur Divinum Humanum. “Angelus” autem in sensu respectivo est omnis qui recipit Dominum, tam qui in Caelo est quam qui in mundo.

 

(2) 直訳

344. [Vers. 2.] ” Et vidi alium Angelum ascendentem ex ortu solis,” significat Dominum providentem et moderantem.― 344(2節) 「また、私はもうひとりの天使を見た、太陽の出るところから上ってくる」は、配慮するまた抑制する主を意味する。

Per “Angelum” hic intelligitur Dominus quoad Divinum Amorem, quia ascendit “ex ortu solis;” 「天使」によってここに神的愛に関する主が意味される、「太陽の出るところから」上ってくるからである。

et ab “ortu solis” seu ab oriente, est ex Divino Amore, est enim Dominus in mundo spirituali Sol et Oriens, et quoque ita vocatur quoad illum Amorem; また「太陽の出るところ」から、すなわち、東からは、神的愛からである、というのは、霊界の中の主は太陽と東であるから、そしてまたその愛に関してそのように呼ばれる。

quod sit providens et moderans, patet a mandato Ipsius ad quatuor Angelos, quod “non damno afficerent terram et mare, usque dum servi Dei signati fuerint super frontibus.” 配慮しているまた抑制していることは、四人の天使へのその方の命令から明らかである、「地を危害を与えてはならない、そして海もない、神のしもべが、額の上に印を押されるまで」。

Quod Divinum Humanum Domini per “Angelum” in supremo Sensu intelligatur, patet ex his: 主の神的人間性が「天使」によって最高の意味の中で意味されることは、これらから明らかである――

“Angelus facierum Jehovae liberavit eos, ob amorem Suum et clementiam Suam: 「エホバの顔の天使が彼らを解放した、ご自分の愛とご自分の慈悲深さのために。

Hic redemit illos, et assumpsit illos, et portavit illos omnibus diebus aeternitatis” (Esaj. lxiii. 9); このことが彼らをあがなった、また彼らを引き受けた、また彼らを運んだ、永遠のすべての日々に」(イザヤ63:9)。

“Angelus Qui redemit me ab omni malo, benedicat illis” (Gen. xlviii 16); 「天使が、その者はすべての悪から私をあがなった、彼らを祝福する」(創世記48:16)。

“Subito veniet ad Templum Suum Dominus Quem vos quaeritis, et Angelus foederis Quem vos desideratis” (Malach. iii. 1); 「突然に、主がご自分の神殿に来る、その方をあなたがたは求める、また契約の天使が、その者をあなたがたは望む」(マラキ3:1)。

“Ego mitto Angelum coram te, ad custodiendum te in via; 「わたしは天使をあなたの前に遣わす(送る)、道の中であなたを守るために。

caveto tibi a faciebus Ejus, quia Nomen Meum in medio Ejus” (Exod. xxiii. 20-23). あなたに用心せよ、彼の顔から、わたしの名前が彼の中に〔ある〕からである」(出エジプト記23:20-23)。

“Angelus” et “missus” in Lingua Hebraea sunt una vox; 「天使」と「遣された者」はヘブル語の中で一つの言葉である。

inde est, quod Dominus toties Se dicat “Missum a Patre,” per quod intelligitur Divinum Humanum. ここからである、主は(こんなに)しばしば自分自身を「父から遣わされた者」と言ったこと、そのことによって神的人間性が意味される。

“Angelus” autem in sensu respectivo est omnis qui recipit Dominum, tam qui in Caelo est quam qui in mundo. けれども「天使」は相対的な(関連する)意味ですべての者である、その者は主を受け入れる、天界の中にいる者も、世の中に〔いる〕者も。

 

(3) 訳文

 344(2節) 「また、私はもうひとりの天使を見た、太陽の出るところから上ってくる」は、配慮するまた抑制する主を意味する。

 「天使」によってここに神的愛に関する主が意味される、「太陽の出るところから」上ってくるからである。また「太陽の出るところ」から、すなわち、東からは、神的愛からである、というのは、霊界の中の主は太陽と東であり、そしてまたその愛に関してそのように呼ばれるから。配慮しているまた抑制していることは、四人の天使へのその方の命令、「神のしもべが、額の上に印を押されるまで、地にそして海に危害を与えてはならない」から明らかである。

 主の神的人間性が「天使」によって最高の意味の中で意味されることは、これらから明らかである――

 

 「エホバの顔の天使が、ご自分の愛とご自分の慈悲深さのために彼らを解放した。このことが彼らをあがなった。また彼らを引き受け、永遠のすべての日々、彼らを運んだ」(イザヤ63:9)。

 「すべての悪から私をあがなった天使が、彼らを祝福する」(創世記48:16)。

 「突然、あなたがたは求める主がご自分の神殿に、あなたがたが望む契約の天使が来る」(マラキ3:1)。

 「わたしは天使をあなたの前に遣わす、道であなたを守るために。あなたは用心せよ、彼の顔から、わたしの名前が彼の中に〔ある〕からである」(出エジプト記23:20-23)。

 

 「天使」と「遣された者」はヘブル語の中で一つの言葉である。ここから、主はしばしば自分自身を「父から遣わされた者」と言われ、そのことによって神的人間性が意味される。

 けれども「天使」は相対的な意味で、天界の中に、世の中にいる、主を受け入れるすべての者である。

 

(1) 原文

345. ” Habentem sigillum Dei vivi,” significat Qui unice cognoscit omnes et singulos, et illos a se invicem potest distinguere et separare.―Quoniam signabantur super frontibus per sigillum, ideo per “habere sigillum Dei vivi,” quia de Domino, intelligitur nosse omnes et singulos, ac posse distinguere et separare servos Dei ab illis qui non servi Dei sunt.

 

(2) 直訳

345. ” Habentem sigillum Dei vivi,” significat Qui unice cognoscit omnes et singulos, et illos a se invicem potest distinguere et separare.― 345「生ける神の印を持っている」は、その方がもっぱら(ひとえに)すべてと個々の者を知る、また彼を自分自身からお互いに区別することまた分離することができる、を意味する。

Quoniam signabantur super frontibus per sigillum, ideo per “habere sigillum Dei vivi,” quia de Domino, intelligitur nosse omnes et singulos, ac posse distinguere et separare servos Dei ab illis qui non servi Dei sunt. 印によって額の上に封印されたので、それゆえ、「生ける神の印を持っていること」によって、主について〔である〕ので、すべてと個々の者を知ることが意味される、そして主のしもべを彼らから区別することと分離することができること、その者は主のしもべではない。

 

(3) 訳文

345 「生ける神の印を持っている」は、ひとえにその方がすべてと個々の者を知る、また彼らを自分自身からお互いに区別することまた分離することができる、を意味する(345番)。

 印によって額の上に封印されたので、それゆえ、「生ける神の印を持っていること」によって、主について〔である〕ので、すべてと個々の者を知ること、そして主のしもべを主のしもべではない者から区別することと分離することができることが意味される。

 

(1) 原文

346. ” Et clamavit voce magna quatuor Angelis, quibus datum est damno afficere terram et mare,” [Vers. 3.] “dicens, Ne damno afficiatis terram, neque male, neque arbores,”significata Domino inhibitionem et retentionem influxus propioris et fortioris in inferiora.―Quod haec significentur patet ex illis quae supra (n. 343) explicata sunt. Ex Sensu literae est, quod quatuor Angeli retinerent influxum, sed ex Sensu spirituali est, quod Dominus. Quod “non damno afficerent terram, mare et arbores,” significat quod non per influxum vehementem, sed moderatum; Dominus enim per varios gradus influxus in Caelos, disponit, ordinat, temperat et moderatur omnia ibi et in Infernis, et per Caelos et Inferna omnia in mundo.

 

(2) 直訳

346. ” Et clamavit voce magna quatuor Angelis, quibus datum est damno afficere terram et mare,” [Vers. 3.] “dicens, Ne damno afficiatis terram, neque male, neque arbores,”significata Domino inhibitionem et retentionem influxus propioris et fortioris in inferiora.― 346「また、四人の天使に大きな声で叫んだ、それらの者に地と海を危害を働きかけることが与えられた」。〔第3節〕「言って、あなたがたは地を危害を与えてはならない、そして海もない、そして木もない」は、主による、内的なものの中へのさらに近いまたさらに強い流入の制止と抑制を意味する。

Quod haec significentur patet ex illis quae supra (n. 343) explicata sunt. これらが意味されることは、それらから明らかである、それらは上に説明されている(343番)。

Ex Sensu literae est, quod quatuor Angeli retinerent influxum, sed ex Sensu spirituali est, quod Dominus. 文字どおりの意味からである、四人の天使が流入を押しとどめること、しかし、霊的な意味からである、主〔が押しとどめる〕こと。

Quod “non damno afficerent terram, mare et arbores,” significat quod non per influxum vehementem, sed moderatum; 「地を危害を与えてはならない、海と木を」は、激しい流入によってではないことを意味する、しかし、穏やかな(制御された)〔流入によって〕。

Dominus enim per varios gradus influxus in Caelos, disponit, ordinat, temperat et moderatur omnia ibi et in Infernis, et per Caelos et Inferna omnia in mundo. というのは、主は天界の中のいろいろな段階の流入によって、そこにまた地獄の中のすべてのものを配列させる(整える)、秩序づける、和らげる、また抑えるから、また天界と地獄によって世の中のすべてのものを。

 

(3) 訳文

346 「それらの者に地と海に危害を働きかけることが与えられた四人の天使に大きな声で叫んだ。〔第3節〕あなたがたは地に、海にも、そして木にも危害を与えてはならない、と言って」は、主による、内的なものの中へのさらに近いまたさらに強い流入の制止と抑制を意味する。

 これらが意味されることは、前に説明されているそれらから明らかである(343番)。

文字どおりの意味からは、四人の天使が流入を押しとどめること、しかし、霊的な意味からは、主〔が押しとどめる〕こと〔が意味される〕。

 「地、海と木に危害を与えてはならない」は、激しい流入によってではなく、しかし、穏やかな流入によってであることを意味する。

 というのは、主は天界の中のいろいろな段階の流入によって、そこにまた地獄の中のすべてのものを、また天界と地獄によって世の中のすべてのものを整え、秩序づけ、和らげ、抑えるから。