原典講読『啓示された黙示録』 第7章、個々の節の内容(訳文) 

(3) 訳文

 1. 「これらの後、私は、地の四つの隅に立っている四人の天使を見た」は、今や、全天界が最後の審判を行なうことへの努力の中に〔ある〕を意味する(342番)。「地の上に、海の上に、そしてどんな木の上にも風が吹かないように、地の四つの風を押しとどめている」は、そこに善い者が悪い者と結合している内的なものの中へ、低いところから、さらに近い、またここからさらに強い流入が、主により押しとどめられ、妨げられた、を意味する(343番)。

 2, 3. 「また、私は、太陽の出るところから上ってくるもうひとりの天使を見た」は、配慮するまた抑制する主を意味する(344番)。「生ける神の印を持っている」は、ひとえにその方がすべてと個々の者を知る、また彼らを自分自身からお互いに区別することまた分離することができる、を意味する(345番)。「それらの者に地と海を危害を働きかけることが与えられた四人の天使に大きな声で叫んだ。あなたがたは地に、海にも、そして木にも危害を与えてはならない、と言って」は、主による、内的なものの中へのさらに近いまたさらに強い流入の制止と抑制を意味する(346番)。「私たちが私たちの神のしもべに、彼らの額の上に印を押すまで」は、主による善からの真理の中にいる者が分離される前に、を意味する(347番)。

 4. 「また私は印を押された者の数を聞いた。百四十四千人」は、天地の神として主を認め、みことばを通してその方からの愛の善からの教えの真理の中にいるすべての者を意味する(348番)。「イスラエルの子孫のすべての部族から印を押された」は、彼らからの主の天界と教会を意味する(349番)。

 5. 「ユダの部族から十二千人が印を押された」は、主への愛である天的な愛を意味し、これは新しい天界と新しい教会にいることになるすべての者のもとにある(350番)。「ルベンの部族から十二千人が印を押された」は、そこにいることになる彼らのもとの天的な愛からの知恵を意味する(351番)。「ガドの部族から十二千人が印を押された」は、その愛からの知恵に属し、そこにいることになる彼らのもとの生活の役立ちを意味する(352番)。

 6. 「アセルの部族から十二千人が印を押された」は、彼らのもとの相互愛を意味する(353番)。ナフタリの部族から十二千人が印を押された」は、彼らのもとの役立ちと役立ちからの知覚を意味する(354番)。「マナセの部族から十二千人が印を押された」は、彼らのもとの仕えようとする意志や行動の意志を意味する(355番)。

 7. 「シメオンの部族から十二千人が印を押された」は、彼らのもとの霊的な愛を意味し、それは隣人に対する愛である(356番)。「レビの部族から十二千人が印を押された」は、彼らのもとの善からの真理の情愛を意味し、それから知性〔がある〕(357番)。「イッサカルの部族から十二千人が印を押された」は、彼らのもとの生活の善を意味する(358番)。

 8. 「ゼブルンの部族から十二千人が印を押された」は、彼らのもとの善と真理の結婚愛を意味する(359番)。「ヨセフの部族から十二千人が印を押された」は、彼らのもとの善と真理の教えを意味する(360番)。「ベニヤミンの部族から十二千人が印を押された」は、彼らのもとの教えにしたがった善からの真理の生活を意味する(361番)。

 9. 「これらの後、私は見た、また、見よ、大きな群衆を、それを数えることはだれもできない」は、〔ここに〕列挙されていない、またそれでも主の新しい天界の中と新しい教会の中にいる、またいる、残りのすべての者を意味する。その者は最外部の天界と外なる教会をつくっており、彼らの性質を主おひとり以外にだれも知らない(363, 364番)。

「すべての国民と部族と民族と言語から」は、善からの宗教の中に、また教えからの真理の中にいるキリスト教界の中のすべての者を意味する(365番)。「王座の前と小羊の前に立っている」は、主を聞く者、命じるられることを行なう者を意味する(366番)。「白い衣を着て、また彼らの手の中にシュロの木枝〔を持って〕」は、高い天界との伝達と結合、また神的真理からの告白を意味する(367番)。

 10. 「また大きな声で叫んで、言った、救いが王座に座っている私たちの神にまた小羊に〔ある〕」は、主が彼らの救い主であることの心からの認知を意味する(368番)。

 11. 「また、すべての天使は王座また長老たちと四つの動物のまわりに立った」は、主が命じることを聞いて行なう全天界の中のすべての者を意味する(369番)。「また王座の前に自分の顔の上に伏せ、神を崇拝した」は、彼らの心の卑下と卑下から主の崇拝を意味する(370番)。

 12. 「アーメン。と言って」は、神的〝真理〟を、またそれらからの確証を意味する(371番)。「祝福と栄光と知恵と感謝を捧げること」は、主の神的霊的なものを意味する(372番)。「また誉れ、また力と力強さ」は、主の天的霊的なものを意味する(373番)。「私たちの神に永遠に〔あれ〕」は、それらが主の中に主から、永遠に〔ある〕、を意味する(374番)。「アーメン」は、すべての者の同意を意味する(375番)。

 13, 14. 「また長老からのひとりが、私に答えた、白い衣を着たこれらの者はだれであるのか、どこからやって来たのか言った。私は彼に言った、主よ、あなたは知っている」は、知ろうとする願いと質問しようとする意志を、そして応答と知らせることを意味する(376番)。「また私に言った、これらの者は大きな苦難からやって来た者である」は、その者は試練の中にいて、悪と虚偽に対して戦った者であることを意味する(377番)。「また自分の衣を洗った」は、またその者は虚偽の悪から自分の宗教的信念を清めた、を意味する(378番)。「また小羊の血の中で自分の衣を白くした」は、また真理によって悪の虚偽からそれらを浄化した(清めた)、またこのように主により改心された、を意味する(379番)。

 15. 「このことのゆえに、彼らは神の王座の前にいて、昼にまた夜にその方の神殿の中で仕え、王座の上に座っている方は彼らの間に住む」は、主の臨在の中にいる、そして常にまた忠実に真理にしたがって生きる、それをその方の教会の中でその方から受け入れている、を意味する(380番)。

 16. 「彼らはもはや飢えない、もはや渇かない」は、この後、彼らに善と真理が不足しないことを意味する(381番)。「そして彼らの上に太陽は、そしてどんな熱も落ちない」は、この後、彼らに悪への欲望はない、そして悪の虚偽への〔欲望〕もないことを意味する(382番)。

 17. 「王座の真ん中にいる小羊が、彼らを飼うからである」は、主おひとりが彼らを教えることを意味する(383番)。「また彼らを生ける水の泉へ導く」は、またみことばの真理を通してご自分との結合へ導く、を意味する(384番)。「また神が彼らの目からすべての涙をぬぐい取る」は、もはや悪とそれらの虚偽に対する戦いの中にいないこと、またこのように苦痛の中にいない、しかし、主から、善と真理の中に、またここから天界の楽しさの中にいる、を意味する(385番)。