原典講読『啓示された黙示録』 224(訳文)

(3) 訳文

224.これらに私はこのメモラビリアを加える――

 

 私は霊の集団を見た、すべての者はひざまずいて、自分たちに天使を遣わし、その者と面と向かって話し、またその者に自分の心の考えを明らかにするように神へ祈っていた。

 また立ち上がったとき、彼らの視野の中に立っている麻布を着た三人の天使が見られた。また彼らは言った、「主イエス・キリストがあなたがたの祈りを聞いた、またそれゆえ、私たちをあなたがたへ派遣した。私たちにあなたがたの心の考えを明らかにせよ」。

[2] また彼らは言った、「聖職者たちは私たちに言った、神学の事柄の中で理解力は力がないこと、しかし信仰がある人間から持ってくる、また神からでない知的な信仰は適当でないこと。

 私たちはイギリス人である、また私たちは私たちの聖なる召使いから多くのものを聞いた、それらを私たちは信じた。しかし、私たちが、自分自身を改革派教会の者と呼んだ他の者と、また自分自身をローマカトリック教徒と呼んだ他の者と、さらに分派の支持者(非国教徒)と話したとき、すべての者は学問のある者に見え、またそれでも多くの事柄の中である者は他の者と一致していない、またそれでもすべての者は、「私たちを信じよ」、また他の者は、「私たちは神の召使いである、私は知っている」と言った。

 しかし、私たちは、信仰のものと呼ばれ、教会のものである神的な〝真理〟は、ある者に生まれだけからでなく、遺伝からでもなく、しかし、神により天界から、またそれは天界への道を示す、そして仁愛の善と一緒の生活を入る、またこのように永遠のいのちへ導く、と知っているので、私たちは不安になり、またひざまずいて、神へ祈った」。

 [3] その時、天使たちは答えた、「みことばを読め、また主を信じよ、するとあなたがたは〝真理〟を見る、それらがあなたがたの信仰といのちのものになる。キリスト教世界の中のすべての者は、唯一の泉からのように、みことばからその教えの事柄を汲む」。

[4] しかし、集団から二人の者が言った、「私たちは読んだ、しかし、理解しなかった」。

 また天使たちは答えた、「あなたがたは、みことばである主に近づいていない、そしてまた、あなたがたは虚偽を確信した」。

 またさらに天使たちは言った、「光なしに信仰とは何か、また理解することなしに考えることは何か? これは人間性ではない。カラスとカササギもまた理解力なしに話しことを学ぶことができる。

 私たちはあなたがたに断言することができる、霊魂から望む人間はだれでも、光の中でみことばの〝真理〟を見ることができる。食物を見る時、それが自分のいのちの食物であることを知らない動物は存在しない。人間は理性的で霊的な動物である。この者は、自分のいのちのものを、そのように身体のものでないものを、しかし信仰の真理である霊魂の食物を見る、もしそれに飢えるなら、主からそれを求める。さらにまた理解力で受け入れないものは何でも、これは事柄に関して記憶に残らない、しかし単に音声に関して残る。それゆえ、私たちは天界から世の中に見おろした時、私たちは何も見ないで、しかし、大部分が不調和な単なる音声を聞いた。

[5] しかし、私たちは、聖職者からの学問のあるものが、一つは世から、もう一つは天界からの理解力への二つの道があることを知らないで、理解力から遠ざけた何らかのものをすっかり語る。また主が理解力を照らす時、世から理解力を遠ざける。しかし、もし、理解力が宗教から閉ざされるなら、彼に天界からの道は閉ざされる、またその時、人間は、みことばの中に盲人よりもさらに見ない。私たちは、穴の中に落ち込んでしまって、それらから起き上がらなかったこのような多くの者を見ている。

説明の例がある――あなたがたは、何が仁愛か、また何が信仰か、仁愛は隣人に善く行なうことであること、また信仰は神について、また教会の本質的なものについて正しく考えることであること、またここから、善く行ない、また正しく考える者は、すなわち、善く生き、また正しく信ずる者は救われることを理解することができないのか?」

 これらに彼らは、理解している、と言った。

 [6] さらに天使たちは、罪から悔い改めを行なわなければならないこと、人間は救われるために、また人間が悔い改めを行なわないなら、その中に生まれている罪の中に残ること、また悔い改めを行なうことは神に反するので悪を欲しないことであり、そして年の中に一度または二度、自分自身を調べること、自分の悪を見ること、それを神の前に告白すること、助けを切願すること、それらをやめること、また新しい生活を始めることである、と言った。またこのことを行なえば行なうほど、また主を信じれば信じるほど、それだけ罪は赦される。

 その時、集団から彼らは言った、「これらを、またこのようにまた何が罪の赦しか私たちは理解する」。

 [7] またその時、、実際に今は、神について、霊魂の不死性(不滅)について、再生について、また洗礼について、自分たちをさらに教えるように天使たちに懇願した。

 天使たちはこれらに答えた、「私たちは、あなたがたが理解するものでないなら、どんなものでも言わない。そうでなければ、私たちの話しは、砂の中の、またそこに種の雨のようにむだである、その種はどれほど天から水をかけられても、それでもしおれ、滅びる」。

 また彼らは「神」について言った――「天界の中にやって来るすべての者は、そこに場所を割り当てられている。またここから、神の観念にしたがって、永遠の楽しさがある、この観念は普遍的にすべての礼拝の中で支配しているからである――見えない神の観念は何らかのものの中に向けられない、何らかのものの中に終結しない、それゆえ、存在をやめ、滅びる。霊としての神についての観念は、霊がエーテルまたは風のように信じられるとき、空虚な観念である。しかし、人間としての神についての観念は、正しい観念である。というのは、神は神的な愛と神的な知恵であるから、それらのそのようなすべてのものとともにまた、これらの主体は人間であり、エーテルまたは風ではない。

 天界の中の神の観念は、主の観念である。その方は、その方が教えるように天地の神である。あなたがたの神の観念は私たちのものと等しい、私たちは仲間となる」。

 これらを彼らが言ったとき、〔聞いた〕彼らの顔は輝いた。

 [8] 「霊魂の不滅」について彼らは言った、「人間は永遠に生きる、愛と信仰によって神と結合されることができるからである。このことをだれもができる。この可能性が霊魂の不滅をつくることを、もしそのことについて多少でも深くあなたがたが考えるなら、あなたがたは理解することができる」。

 [9] 「再生」について――「神が存在することを教えられただけで、それぞれの人間に神について考える、また考えない自由があることを、だれが見ないか? 

市民的なものと自然的なものの中のようにと等しく、霊的なものの中にも、そのような自由がある。

 主はこれを絶えずすべての者に与える。それゆえ、もし考えないなら罪が生ずる。

 人間はこの可能性から人間である、しかし、獣はこの可能性がないことから獣である。

 それゆえ、人間は、心から主からであることを認めさえすれば、自分自身を自分自身からのように改心することと再生することができる。

 悔い改めを行ない、主を信じるすべての者は、改心され、再生される〔が、その〕二つとも人間は自分自身からのように行なわなければならない、しかし「自分自身からのように」は、主からである。

 人間が自分自身からそれへ向けてどんなものにも少しも寄与することができないことは真理である。しかしながら、あなたがたは、それを主からあなたがたからのように行なうために、彫像〔として〕創造されていない、しかし人間〔として〕創造されている。この独特ななものは愛と信仰の相互のものであり、それを主は、人間からご自分に生じるために確かに欲している。

 一言でいえば、あなたがたから行なえ、また主からであることを信じよ。このように、あなたがたはあなたがたからのように行なう」。

 [10] しかし、その時、イギリス人たちは、自分自身からのように行なうことは、創造から人間に植え付けられているか質問した。

 天使は答えた、「植え付けられていない、自分自身から行なうことは神だけのものであるからである。しかし、絶えず与えられる、すなわち、絶えず結び付けられる、またその時、人間は自分自身からのように善を行えば行なうほど、また真理を信じれば信じるほど、〔それだけ〕天界の天使である。しかし、悪を行なエば行なうほど、またここから虚偽を、そしてまた自分自身からであることを信じれば信じるほど、それだけ地獄の霊である。

 このこともまた自分自身からのようにであることを、あなたがたは驚く、しかしそれでも、あなたがたは、あなたがたが惑わされないように、ユダの中へのようにあなたがたの中に入らないように、あなたがたをすべての不正が満たし、そして霊魂と身体を滅ぼさないように、あなたがたが悪魔から守られるように祈る時、このことを見る。しかし、善あるいは悪であるものを自分自身から行なう、と信じるすべての者に罪が生ずる。しかし、自分自身からのように行なう、と信じる者に罪が生じない。なぜなら、自分自身から善を行なう、と信ずるなら、神のものであるものを自分自身に要求するからである。また、もし、自分自身から悪を行なう、と信ずるなら、悪魔のものであるものを自分自身に帰すからである」。

 [11] 「洗礼」について彼らは、霊的に洗うこと、それは改心と再生である、と言った。また幼児は、教父(名親)たちが彼のために、誓約した二つのもの、悔い改めと神への信仰を、成人したときそれらを行なう時、改心させられ、再生される、なぜなら、最初に、悪魔と彼のすべての働きを抑えるように、第二に、神を信じるように、誓約するからである。

 天界の中のすべての幼児はそれらの二つのものの中に導かれる、しかしこれらの者に悪魔は地獄であり、そして神は主である。

 さらに、洗礼は天使たちの前に、人間が教会からの者であることのしるしである。

 これらを聞いて集団から言った、「これらを私たちは理解する」。

 [12] しかし、その時、脇から、「私たちは理解しない」と叫んでいる声が、また、「私たちは理解することを欲しない」〔という〕他の声が聞かれた。また、その声がだれからか調べられた。自分自身に信仰の虚偽を確信した、またその者は神託として信じられることを、またこのように崇拝されることを欲した者から〔である〕ことがわかった。

 天使たちは答えた、「驚くいてはならない。このような者が、今日、非常に多い。天界から私たちに、技巧によって、唇を動かし、そしてオルガンのような音を出すことができるような彫像に見える。またそこからの音が地獄からあるいは天界からの発散物かどうか知らない、虚偽であるのか、あるいは真理であるのか、知らないからである。推論し、推論する。なおまた、そのようなものであるのかどんなものも見ないで、説明し、説明する。

しかし、あなたがたは、人間の才気は何でも欲するものを、そのようであるように見られるように証明することができることを知っている。それゆえ、このことを、異端者に、このことを不信心な者にできる、それどころか無神論者に、神が存在しないこと、しかし、自然だけ〔が存在することを証明することができる〕」。

 [13] その後、賢明になる願望に刺激されたイギリス人からのその集団は、天使たちに言った、「これほどにいろいろなことが〝聖餐“について語られている。私たちに教えよ、何が〝真理〟か」。

 天使たちは言った、「主へ目を向け、悔い改めを行なう人間は、その最も聖なるものによって主に結合されること、そして天界の中に導き入れられることは〝真理〟である」。

 しかし、集団から者は言った、「これは奥義である」。

 また天使たちは言った、「奥義<

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