[6] Ex significatione “vestium,” videri potest [6] 「衣服」の意味から見られることができる
Cur discipuli Domini imposuerunt Vestimenta sua super asinam et pullum, cum Dominus intraret Hierosolymam: なぜ、主の弟子たちは自分の衣服をロバと動物の子の上に置いたか、主がエルサレムに入ったとき。
et cur populus tunc stravit Vestimenta sua in via (Matth. xxi. 7-9; Marc. xi. 7, 8; Luc. xix. 35, 36); また、なぜ人々はその時、自分の衣服を道の中に敷いたか(sterno)(マタイ21:7-9;マルコ117, 8、ルカ19:35, 36)。
et quid significatur, per quod また何が意味されるか、~ことによって
“Milites Vestimenta Domini diviserint in quatuor partes” (Joh. xix. 23, 24); 「兵士たちは主の衣服を四つの部分の中に分けた」(ヨハネ19:23, 24)。
ita quid significatur per haec apud Davidem: そのように何が意味されるか、ダビデ〔の書〕のもとのこれらによって――
“Diviserunt Vestes Meas, et super Vestimentum Meum jecerunt sortem” (Psalm. xxii. 19 [B.A. 18]). 「彼らはわたしの衣服を分ける、またわたしの衣服の上に(ついて)くじを引く」(詩篇22:18)。
[7] Ex significatione “vestium” etiam patet, cur [7] 「衣服」の意味からもまた明らかである、なぜ
Sciderunt Vestes suas, cum aliquis contra Divinum Verum Verbi locutus est (Esaj. xxxvii{7}. 1; et alibi); 自分の衣服を引き裂いた(scindo)、だれかが神的真理に反して話したとき(イザヤ37:1、また他の箇所に)。
tum quod なおまた~こと
Laverint Vestes ut purificarentur (Exod. xix. 14; Levit. xi. 25, 40{8}); cap. xiv. 8, 9; Num. xix. 11 ad fin.). 彼らは清められるために衣服を洗った(出エジプト記19:14、レビ記11:25, 40、第14章8, 9、民数記19:11終わりまで)。
Et quod propter praevaricationes contra Divina Vera exuerent Vestes, et induerent saccum (Esaj. xv. 3; cap. xxii. 12; cap. xxxvii. 1, 2 Jerem. iv. 8{9}; cap. vi. 26; cap. xlviii. 37; cap. xlix. 3; Thren. ii. 10; Ezech. xxvii. 31; Amos viii. 10; Jon. iii. 5, 6, 8). また神的真理に反するそむきの罪のために、衣服を脱いだ、また亜麻(荒布)を着たこと(イザヤ15:3、第22章12、第37章1, 2、エレミヤ4:8、第6章26、第48章37、第49章3、哀歌2:10、エゼキエル27:31、アモス8:10、ヨナ3:5, 6, 8)。
Qui novit quid “vestimenta” in genere et in specie significant, nosse potest quid significaverunt vestes Aharonis et filiorum ejus, quae fuerunt Ephodum, Pallium, Tunica tesselata, Baltheus, Femoralia, Cidaris. 全般的にまた特定的に「衣服」が何を意味するか知った(知る)者は、アロンと彼の息子たちの衣装が何を意味したか知ることができる、それらは、エポデ、市松模様の下着(チュニカ)、帯、ズボン下(ももひき・パンツ)、かぶり物(冠)。
Quoniam “lux” significat Divinum Verum, ac “Vestis” similiter, ideo dicitur apud Davidem, “Jehovah Se operit Luce sicut Veste” (Psalm. civ. 2). 「光」は神的真理を、そして「衣服」は同様に、意味するので、それゆえ、ダビデ(の書)のもとに言われる、「エホバはご自分を光の衣服のようにおおう(包む)」(詩篇104:2)。
@1 Quae pro “Qui” 注1 「Qui」の代わりに Quae
@2 11, 12, pro “11, 12, 13″ 注2 「11, 12, 13」の代わりに 11, 12
@3 36 pro “36, 37″ 注3 「36, 37」の代わりに 36
@4 ix. pro “x.” 注4 「x.」の代わりに ix.
@5 xlv. pro “xlix.” 注5 「xlix.」の代わりに xlv.
@6 lxiii. pro “xliii.” 注6 「xliii.」の代わりに lxiii.
@7 xxxvii. pro “xxxvi.” 注7 「xxxvi.」の代わりに xxxvii.
@8 25, 40, pro “24, 40″ 注8 「24, 40」の代わりに 25, 40
@9 8 pro “4” 注9 「4」の代わりに 8
(3) 訳文
166 「それらは自分の衣服を汚さなかった」は、真理の中にいて、生活の悪とここからの虚偽によって礼拝を汚さなかった者を意味する。
みことばの中の「衣服」によって、善が着る真理が意味され、また正反対の意味の中で悪が着る虚偽が意味される。というのは、人間は、自分の善かあるいは自分の悪であり、ここから真理または虚偽が彼の「衣服」であるから。
すべての天使と霊は、彼らの善の真理にしたがった衣服で、または彼らの悪の虚偽にしたがった衣服で見られる、その事柄についてはロンドンで出版の著作『天界と地獄』中に見られる(177-182番)。それらから、「自分の衣服を汚さないこと」によって真理の中にいること、また悪の生活とここからの虚偽によって礼拝を汚さないことが意味されることが明らかである。
[2] みことばの中で「衣服」によって真理が、また正反対の意味で虚偽が意味されることは、これらの箇所から明らかである――
「起き上がれ、起き上がれ、あなたの力を着よ、シオン。あなたの美しい衣服を着よ、エルサレム」(イザヤ52:1)。
エルサレムよ、「わたしはあなたに刺繍された衣服を着せた、あなたにアナグマ〔の皮〕のはきものを履かせた、あなたに亜麻布を着せた、またあなたを装飾品で飾った、(あなたの)衣服は金と銀、またあなたの衣服は亜麻布、絹、また刺繍された衣服である、ここからあなたは非常に美しくなった。しかし、〔あなたは〕あなたの衣服から取り出し、あなたはあなたに色とりどりの高いところを、あなたがその上で淫行するためにつくった。さらにまた刺繍されたあなたの衣服を取り出し、男の像をつくり、それらと淫行した」(エゼキエル16:10-18)。
そこにユダヤ教会が、それにみことばがあるので真理が与えられたこと、しかし、それらを虚偽化したことが描かれている。「淫行すること」は虚偽化することである(134番)。
[3] 王の娘の全栄光は内部にあり、たその衣服は金の織り合わせたものから〔できていて〕、刺繍されたものの中で、王〔のもと〕に連れて来られる」(詩篇45:13, 14)。
「王の娘」は、真理の情愛に関する教会である。
「イスラエルの娘よ、サウルのために泣け、その者は楽しさとともに二度染めのものをあなたがたに着せ、あなたがたの衣服の上に金の飾られたものを置いた」(サムエル記Ⅱ1:24)。
これらがサウルについて言われるのは、彼によって王としての神的真理が意味されるからである(20番)。
「わたしは、君主を、王の息子たちを、外国人の衣服を着たすべての者を罰する」(ゼパニヤ1:8)。
敵は「あなたの衣服を取り去る、またあなたの装飾の容器を〔奪い〕取る」(エゼキエル23:26)。
「ヨシュアはよごれた衣服を着ていた、このように天使の前に立った」、その者〔天使〕は言った、「彼の上からよごれた衣服を取り去れ。また、彼に他の衣服を着せよ」(ザカリヤ3:3-5)。
「入ってくる王は、食事の席についている者を見た、また婚礼の衣服を着ていない人間を見た。また、彼に言った、友よ、あなたは婚礼の衣服を持たないで、どのようにしてここへ入ったのか」(マタイ22:11, 12)。
「婚礼の衣服」は、みことばからの神的真理である。
[4] 「あなたがたは、にせ預言者に用心せよ、その者はあなたがたへ羊の衣服でやって来る」(マタイ7:15)。
「だれも新しい衣服の布切れを古い衣服に与えない。そうでなければ、その新しいものは古いものを裂く、また古いものに新しいものからの布切れは合わない」(ルカ5:36)。
「衣服」は真理を意味するので、それゆえ、主は、外なるものまた霊的なものを表象するものであった前の教会の真理を「古い教会の布切れ」に、また内なるものまた霊的なものであった新しい教会の真理を「新しい教会の衣服」にたとえた。
「白い衣服を着て王座の上に二十四人の座っている長老」(黙示録4:4)。
「王座の前に、小羊の視野の中に立った者は、白いローブ(衣)を着ていた。その者は自分のローブ(衣)を洗り、自分のローブ(衣)を小羊の血の中で白くした」(黙示録7:9, 13, 14)。
祭壇の下にいた「それぞれの者に白いローブ(衣)が与えられた」」(黙示録6:11)。
「白い馬の上に座っている軍勢は、白いまた清潔な亜麻布の衣服でその方に従った」(黙示録19:14)。
[5] 「天使」は神的真理を意味するので、それゆえ、主の墓の中で見られた天使たちは白いまた光り輝く衣服の中で現われた(マタイ28:3、ルカ24:4)。
主は神的善と神的真理であり、そして真理は「衣服」によって意味されるので、それゆえ、〔主が〕変容されたとき、
「その方の顔は太陽のように輝き、その方の衣服は光のようになった」(マタイ17:2)。
また「稲光のような白〔であった〕」(ルカ9:29)。
また「どのようにであっても、地上のさらし屋が白くすることできない雪のような光り輝く白〔であった〕」(マルコ9:3)。
「その方の衣服は雪のように白かった」(ダニエル7:9)と言われる「日の老いたる者」について、その者もまた主である。
またさらに、これらが主について〔言われる〕――
「あなたのすべての衣服に、没薬、アロエ、カシア(肉桂)に、油を注いた」(詩篇45:8)。
「ぶどう酒の中で自分の衣服を、またブドウの血の中の中で自分のおおいを洗った」(創世記49:11)。
「エドムから、ボツラから〔血の〕振りかけられた衣服でやって来るこの者はだれか。その衣服で誉むべきこの者は。なぜ、あなたの衣服に関して赤いのか。あなたの衣服は酒ぶねの中の踏みつける者のようである。勝利が、わたしの衣服の上に振りかけられた。また、わたしはわたしのすべての衣服を汚した」(イザヤ63:1-3)。
これらもまた主について〔である〕。その方の「衣服」はそこのみことばの真理である。
「血で染められた衣服を着て白い馬の上に座っている方の名前は、神のみことばと呼ばれた」(黙示録19:13, 16)。
[6] 「衣服」の意味から、主がエルサレムに入ったとき、なぜ、主の弟子たちは自分の衣服をロバと動物の子の上に置いたか、また、なぜ人々はその時、自分の衣服を道の中に敷いたか、見られることができる(マタイ21:7-9;マルコ117, 8、ルカ19:35, 36)。また「兵士たちは主の衣服を四つの部分に分けた」ことによって何が意味されるか(ヨハネ19:23, 24)。
そのように、ダビデ〔の書〕のこれらによって何が意味されるか――
「彼らはわたしの衣服を分け、わたしの衣服についてくじを引く」(詩篇22:18)。
[7] 「衣服」の意味からもまた、だれかが神的真理に反して話したとき、なぜ自分の衣服を引き裂いたが明らかである(イザヤ37:1、また他の箇所に)。なおまた、清められるために衣服を洗ったこと(出エジプト記19:14、レビ記11:25, 40、14:8, 9、民数記19:11終わりまで)。
また、神的真理に反するそむきの罪のために、衣服を脱ぎ、亜麻(荒布)を着たこと(イザヤ15:3、22:12、37:1, 2、エレミヤ4:8、6:26、48:37、49:3、哀歌2:10、エゼキエル27:31、アモス8:10、ヨナ3:5, 6, 8)。
全般的にまた特定的に「衣服」が何を意味するか知る者は、アロンと彼の息子たちの衣装が何を意味したか知ることができる、それらは、エポデ、市松模様の下着(チュニカ)、帯、ズボン、かぶり物(冠)である。
「光」は、そして「衣服」も同様に神的真理を意味するので、それゆえ、ダビデの書に「エホバはご自分を光の衣服のようにおおう」(詩篇104:2)と言われている。