(3) 訳文
153.これらに、自分自身に信仰のみを義認へまでも、教えと生活で確信した者の、死後の彼らの運命について、私はあるメモラビリアを付け加える。
[1] 1. 死んで霊に関して生き返った時、一般的に心臓が叩き続けることをやめた後、第三日に生じることであるが、以前の世の中に生きていること以外に、異なって知らない(ように)、 これほどまでも自分自身に似た身体の中に見られ、その中に以前に世の中でいた。けれども、物質的な身体の中にいない、しかし、霊的なものである霊体的な身体の中にいる、それは彼らの感覚の前に物質的なもののように見える、それでも〔そうでは〕ない。
[2] 2. 何日か後に彼らは、そこにいろいろな社会が設立されている世界の中にいること見る、それは「霊たちの世界」と呼ばれる天界と地獄の間の中間にある世界である。
そこのすべての社会は、それらは無数にあって、善と悪の自然的な情愛にしたがって驚くほど秩序づけられている。善の自然的な情愛にしたがって秩序づけられた社会は、天界と伝達する、また悪の情愛にしたがって秩序づけられた社会は、地獄と伝達する。
[3] 3. 新しくやって来た霊は、すなわち、霊的な人間は、善いもの(社会)も悪いもの(社会)も、いろいろな社会の中へ導かれ、引き渡され、また、善と真理に情愛を感じたかどうか、またどのようにか、あるいは悪と虚偽に情愛を感じたかどうか、またどのようにか調べられる。
[4] 4. もし真理に情愛を感じたなら、悪の社会から導き出され、そして善の社会の中へ、そしてまたいろいろなもの〔社会〕の中へ、自分の自然的な情愛に対応する社会の中にやって来る(時)まで、またそこにその情愛に適合する善を享受する。またこのことを自然的な情愛を脱ぐ(時)まで導き入れられ、また霊的なもの(情愛)を着るが、その時、天界の中へ上げられる。しかし、このことは、世の中で仁愛の生活を、またこのように信仰の生活もまた送った者に生じる、それは、主を信じ、また悪を罪として避けた生活である。
[5] 5. しかし、自分自身に信仰を義認へまでも、その信仰のみを教えと生活で確信した者は、真理に動かされず、しかし、虚偽に動かされ、また善の働きである仁愛の善を、救いの手段から退けたなので、善の社会から導き出され、そして、悪の社会の中へ、そしてまたいろいろな社会の中へ、自分の欲望の愛に対応する社会の中にやって来る(時)まで導き入れられる。なぜなら、虚偽を愛する者は、悪を愛すること以外に異なってできないからである。
[6] 6. しかし、世の中で外なるものの中で善の情愛を偽り装った、それでも、彼らの内なるものの中で悪または欲望の情愛でないなら存在しなかったので、最初に、時々、外なるものの中に保たれる。また、世の中で集団を支配した者は、ここでまた支配する。霊たちの世界の社会で、公けのもの、または一部の中で、以前に職務であったそれらの地位(階級)にしたがって。しかし、真理を愛さないので、公正も愛さない、何が真理と公正か知るようにまで照らされることもできない、それゆえ、数日後に解雇される。
私は、ある社会から他の社会へこのような移行する者を見た、またどこでも彼らに統治(管理)が与えられ、しかし短い時間の後、何度も免職となった。
[7] 7. たびたびの拒絶の後、さらに職務を求めることを、ある者は飽きから欲しない、ある者は名声の奪われる恐れからあえてしない。それゆえ退く、またふさぎ込んで座る、またその時、さびしい場所の中に連れ去られ、そこに小屋があり、それに入る、またそこで、彼らに何らかの仕事が、するようと与えられる。するかぎり、食物を受け取る、またもし、しないなら、飢える、また受け取らない。それゆえ、強制が強いる。
そこの食物は私たちの世界の食物と似ている、しかし、霊的な起源からのものであり、すべての者にそれを行なう役立ちにしたがって、主により天界から与えられる。怠け者には、役立たないので、与えられない。
[8] 8. ある期間の後、仕事に嫌気がする。またその時、小屋から出る。彼らが聖職者だったなら、建設することを欲する。また、直ちに、その時、切られた石、れんが、木材からの厚板、板、なおまた葦とイグサからの塊り、粘土から、石灰、また瀝青の堆積が現われる。それらを見るとき、建築する欲望がたきつけられ、ある時は石を、ある時は材木を、ある時は葦を、ある時はイグサを、ある時は粘土を取り、一つをもう一つの上に手当たり次第に置いて、しかし、彼らの視野の中で秩序正しく、家を建築することを始める。しかし、それは、昼間に彼らが建築し、夜に崩壊する。また、次の日に、崩れたがれきから、そして再び建築する、それらを建築することに飽きるまで――このことは理由から生ずる。それらは、信仰の虚偽を確認するために、みことばから箇所を積み上げ、またそれらの虚偽は教会を異なって建築しないことである。
[9] 9. 飽きから立ち去り、その後、孤独に、暇のままに座る。怠け者には天界から食物が与えられないので、言われたように、飢え始める。どのようにして食物を受け取るか、また飢えを鎮めること以外に他のことを考えることを〔し〕ない――この状態の中にいるとき、彼らにある者たちがやって来る、その者たちに施しを懇願する。また、彼らは言う、「なぜ、そのように怠け者〔として〕あなたがたは座っているのか? 私たちと、私たちの家に来い。私たちはあなたがたにするべき仕事を与え、あなたがたを養う」。
その時、喜んで立ち上がり、彼らと彼らの家の中へ立ち去った、またそこにだれにも自分の仕事が与えられ、また仕事ゆえに食物が与えられる――しかし、自分自身に信仰の虚偽を確信したすべての者は、善の役立ちの仕事をすることができない、しかし悪の役立ちの仕事を、誠実に行なわないで、名誉または利益のために、見られるようにだけ〔行ない〕、それゆえ、自分の仕事を後に残し、社交)話すこと、歩くこと、眠ることだけを愛する。またその時、雇い主によりもはや仕事へ引き寄せることができないので、それゆえ、役に立たない者のように追い払われる。
[10] 10. 追い払われた時、彼らに目が開かれ、ある洞穴へ向かう道が見える。そこへやって来たとき、扉が開かれ、そこに食物があるか尋ねる。そこに食物が〔ある〕と答えられるとき、そこにとどまることを許すよう懇願する。許し、そして導き入れることが言われ、彼らの後ろで扉が閉ざされる――その時、その洞穴の長がやって来て、彼らに言う、「あなたがたはもはや出ることができない。あなたがたの仲間を見よ、すべての者は働いている、また働くかぎり、天界から彼らに食物が与えられる。このことを私は、あなたがたに知って〔もらう〕ように言う」。そしてまた、仲間が言う、「私たちの長は、それぞれの者がふさわしい仕事について知っている、このようにどんなものでも日々負わせる。それをあなたがたが果たしたその日に、あたがたに食物が与えられる。もし〔果たさ〕ないなら、食物も衣服も与えられない。またもしだれかが他の者に悪を行なうなら、洞穴の隅に投げつけられ、断罪のほこりまみれの寝台の上に置かれ、そこで悲惨に苦しめられる、またこのことが、長が彼のもとに悔い改めのしるしを見るまで〔続く〕。その時、解放され、彼に、自分の仕事を行なうように命令される」。そしてまた、彼らは、それぞれに、自分の仕事の後、歩くこと、会話すること、その後、眠ることが許される、と言われる――また洞穴の中の内部へ導かれ、そこに娼婦がいて、彼女たちからそれぞれの者が女の中のある者を自分自身に取ることが許される、見境なく淫行にふけることは罰のもとに禁じられる。
[11] 永遠の強制収容所でしかないこのような洞穴から、全地獄は構成される。
私が周知のものとする目的のために、私に何らかのものの中に入り、見ることことが与えられた。すべての者が卑しく見えた。彼らからのだれ一人も、世の中でだれ〔であり〕どんな職務の中にいたか知らなかった。しかし、私といた天使は、私に言った、「世の中で、この者は召使い、この者は兵士、この者は将校(長官)、この者は聖職者、この者は要職にあった、この者は裕福であった。それでも、すべての者は、奴隷と似た(者同士の)仲間であったとしか以外に知らない」。この理由は、内的に似たものであり、それでも外的に異なっていた、そして内的なものが霊界の中ですべての者を仲間とするからである。
このような運命が、仁愛の生活を遠ざけ、ここからそれ〔生活〕を世の中で生きなかった者にある。
[12] [11.] 全般的に地獄について、それらはこのようなまったくの洞穴と強制収容所から、しかし、そこにサタンがいるのものとそこに悪魔がいる似ていないものから構成される。
虚偽とここからの悪の中にいた者はサタン、悪とここからの虚偽の中にいた者は悪魔、と言われる。
サタンは天界の光の中で死体のように、ある者はミイラのような黒い〔色に〕に見える。また、悪魔は天界の光の中で暗い火のように、ある者はすすのような黒いものに見える。しかし、すべての者は顔と身体に関して怪物のようである。しかし、炭火からの光のようである自分の光の中で、怪物のようではなく、人間のようである。このことは彼らに、仲間となることができるために与えられている。