原典講読『啓示された黙示録』 68(訳文)

(3) 訳文

1. 「エペソの教会の天使に書け」は、おもに教えの真理に目を向け、生活の善へ目を向け者へ、また彼らについて、を意味する〔73番〕。「これらをその右手に七つの星をつかむ方」は、主を意味する、その方からみことばを通してすべての真理がある〔74番〕。「七つの金の燭台の真ん中を歩く方」は、主の教会から者に、すべての照らしがあることを意味する〔75番〕。

2. 「わたしはあなたの働きを知っている」は、その方は人間の内的なものと外的なものを同時にすべてのものを見ることを意味する〔76番〕。「あなたの労苦、あなたの忍耐を」は、彼らの追求と辛抱強さを意味する〔77番〕。「また、あなたが悪い者に耐えることができないこと」は、悪が善と言われることに耐えないことを意味する、また逆に〔善が悪を言われることに〕〔78番〕。「また、自分が使徒であることを言っている者をあなたが調べ、また〔そう〕ではなく、彼らがうそつきとあなたが見つけた」は、教会の中で善と真であることが言われているものが調べられることを意味する、それらはそれでも悪と虚偽である〔79番〕。

 3. 「また、あなたは耐え、忍耐を持っている」は、彼らの辛抱強さを意味する〔80番〕。「また、わたしの名前のために苦労し、また衰えなかった」は、宗教とその教えのものであるそれらを自分自身に獲得する追求(研究)と働きを意味する〔81番〕。

 4. 「しかし、わたしはあなたに対立するものを持っている、あなたはあなたの最初の仁愛を捨てた」は、生活の善が最初の位置にないことが彼らに逆らうものであることを意味する〔82番〕。

 5.「 そこで、あなたがどこからすべり落ちたか思い出せ」は、迷い出たことを思い出すことを意味する〔83番〕。「また悔い改めよ、また最初の働きを行なえ」は、自分の生活の状態をひっくり返すように、を意味する〔84番〕。「もしそうでないなら、わたしはあなたにすぐに来る。また、もし、あなたが悔い改めないなら、あなたの燭台をその場所から移す」は、そうでなければ、真理を見るために、もはや照らしが与えられないことが確実であることを意味する〔85番〕。

 6. 「しかし、あなたはこのことを持っている、あなたはわたしは憎んでいるニコライ派の人たちの働きを憎んだ」は、このことを自分の真理から知っていること、またここから、働きを功績を求めるものとして☆欲しないことを意味する〔86番〕。(☆ utの直訳「~こと」は「~として」の誤りでした)

 7. 「耳を持っている者は、霊が教会に何を言うか聞け」は、それらを理解し、従う者が、みことばの神的真理で教えられる新しい教会からの者になることを意味する、それは新しいエルサレムである〔87番〕。「勝つ者に」は、悪と虚偽に対して戦い、改心される者を意味する〔88番〕。「わたしは彼に、いのちの木から食べることを与える」は、主からの愛と仁愛の善えを自分のものとすることを意味する〔89番〕。「神の楽園(パラダイス)の真ん中にある」は、知恵と信仰の真理の中に内的に〔自分のものとすること〕、を意味する。〔90番〕


 8. 「また、スミルナの教会の天使に書け」は、生活に関して善の中にいる、しかし、教えに関して虚偽の中にいる者へ、また彼らについて、を意味する〔91番〕。「これらを最初の者と最後の者が言う」は、主を、唯一の神であることを意味する〔92番〕。「死んだ、また生きる者」は、教会の中で無視されている、またその方の人間性が神的なものと認められていないことを意味する、そのときそれでもそれに関してもまたおひとりがいのちであり、またその方だけから永遠のいのちがある〔93番〕

 9. 「わたしはあなたの働き知っている」は、主は彼らの内的なものと外的なものを同時にすべてのものを見られることを意味する〔94番〕。「苦難、貧困を」は、虚偽の中にいる、またここから善の中にいないことを意味する〔95番〕。「また自分をユダヤ人であることを言っている者の冒涜を」は、彼らのもとに愛の善があると、うそをつくことを意味する、そのときそれでも〔それらは〕ない〔96番〕。「しかし、サタンの会堂〔の者である〕」は、教えに関して虚偽の中にいるからである、を意味する。〔97番〕。

 10. 「あなたは被るであろうものを、あなたは何も恐れるな」は、あなたがたら悪から攻撃される、また、あなたがたが虚偽から襲撃されるとき、あなたがたは絶望しないように、を意味する〔98番〕。「見よ、あなたがたが試されるために、悪魔があなたがたから(のだれかを)牢獄の中に投げ込むような来たるべきものを」は、彼らの生活(いのち)の善が、地獄からの悪により攻撃されることを意味する〔99番〕。「あなたがたが試されるために」は、彼らに対抗して戦う虚偽によって〔攻撃されること〕、を意味する〔100番〕。「また、あなたがたは十日間の苦難を持つであろう」は、継続期間が時で満ちたことを意味する〔101番〕。「あなたは死までも忠実であれ」は、虚偽が遠ざけられ、その時まで〝真理〟を受ける〔こと〕を意味する〔102番〕。「わたしはあなたにいのちの王冠を与える」は、彼らに、その時、永遠のいのち、勝利の報酬が〔ある〕ことを意味する〔108番〕。

 11. 「耳を持っている者は、霊が教会に何を言うか聞け」は、ここに、前のもの〔前に述べたこと〕のような〔もの〕が意味される☆〔104番〕。(☆ ここを直訳で「このことは意味する、それは前のもの」としましたが(訳文として)ほぼ誤りです。このように訂正します。以下、これと同一の箇所もそうです。)「勝つ者は」は、悪と虚偽に対して戦い、改心される者を意味する〔105番〕。

第二の死により損なわれない」は、その後、地獄からの悪と虚偽により屈服しないことを意味する〔106番〕。


 12. 「またペルガモの中の教会の天使に書け」は、教会のすべてのものを善の働きの中に置き、教えの真理の中に置かない者へ、また彼らについて、を意味する〔107番〕。「これらを鋭い両刃の剣を持つ者が言われる」は、みことばからの教えの真理に関する主を意味する、その真理によって悪と虚偽が追い散らされる〔108番〕。

 13. 「わたしはあなたの働きを知っている」は、ここに前に述べたことのようなものが意味される〔109番〕。「またどこにあなたがたが住んでいるか」は、暗黒の中の彼らのいのち(生活)を意味する〔110番〕。「また、あなたはわたしの名前を保っている、またわたしの信仰を否定しなかった」は、そのとき、それでも彼らに宗教が、またそれにしたがって礼拝がある、を意味する〔110番〕。「また、サタンが住んでいるあなたがたのもとで、わたしの忠実な証人アンテパスが殺された日々の中で」は、虚偽によって教会の中のすべての真理が消滅させられた(殺された)時を意味する〔112番〕。

 14. 「しかし、わたしはあなたにわずかな対立するものを持っている」は、〔以下に〕続けられるものが彼らに対立する〔ものである〕ことを意味する〔113番〕。「あなたはそこにバラムの教えを保っている者を持っている、バラムはバラクに、イスラエル民族の前につまずきの石を〔置いて〕逆らうことを、偶像に捧げたものを食べることと淫行をなすことを教えた」は、彼らの間に偽善の働きを行なう者がいる、それによって教会の中の神の礼拝は汚され、不純にされることを意味する〔114番〕。

 15. 「そのようなものを、あなたは持つ、またあなたは、わたしは憎むニコライ派の人たちの教えを保っている」は、彼らの間にさらにまた、功績の働きを行なう者がいることを意味する〔115番〕。

 16. 「悔い改めよ」は、彼らの働きに用心するように、を意味する〔116番〕。「もしそうでないなら、わたしはあなたにすぐに来る、またわたしは彼らとわたしの口の剣で戦う」は、もし〔そうで〕ないなら、主は彼らと、みことばから争うことを意味する〔117番〕。

 17.「耳を持っている者は、霊が教会に何を言うか聞け」は、ここに前に述べたことのようなものが意味される〔118番〕。「勝つ者に」は、ここに前に述べたことのようなものが意味される〔119番〕。「わたしは彼に隠れたマナから食べることを与える」は、その時、天界の愛の善を自分のものとすること、またこのように働く者とと主との結合を意味する〔120番〕。「また、わたしは彼に白い石を与える」は、善を支持するまた結合した真理を意味する〔121番〕。「小石の中に新しい名前が書かれている」は、このように彼らに前のもの〔で〕ない善の性質が〔ある〕ことが意味される〔122番〕。「それを受ける者でないなら、だれも知らない」は、他の者に見られないことを意味する、彼らのいのち(生活)に刻み込まれているからである〔123番〕。


18. 「また、テアテラの中の教会の天使に書け」は、仁愛からの信仰の中に、またここから善の働きの中にいる者へ、また彼らについて、そしてまた、仁愛から分離した信仰の中に、またここから悪の働きの中にいる者へ、また彼らについて、を意味する〔124番〕。「これらを神の子が、火の炎のようなその目を持つ者が言われる」は、神的愛の神的知恵に関する主を意味する〔125番〕。「また真ちゅうに似たその足を〔持つ〕」は、自然的な神的善を意味する〔126番〕。

 19. 「わたしはあなたの働きを知っている」は、ここに前に述べたことのようなものが意味される〔127番〕。「仁愛、奉仕」は、仁愛とその働きと呼ばれる霊的な情愛を意味する〔128番〕。「信仰、あなたの忍耐を」は、獲得しようまた教えようとする〝真理〟と追求(熱意)を意味する〔129番〕。「最初のものよりも多くの最後のあなたの働きを」は、霊的な真理の情愛からのそれらの増大を意味する〔130番〕。

 20. 「しかし、わたしはあなたにわずかな対立するものを持っている」は、以下に続けられるものを意味する〔131番〕。「女イゼベルを許したこと」は、教会の彼らのもとに仁愛から分離した信仰があることを意味する〔132番〕。「自分自身を女預言者と呼ぶことを」は、教会の教えを信仰のみにする者を意味する〔133番〕。「わたしのしもべたちを教え、惑わしたこと、淫行をすること」は、そのことから、みことばの真理を虚偽化することが生じる、を意味する。〔134番〕。「そして偶像に捧げたものを食べること」は、礼拝を汚すこと、また冒涜を意味する〔135番〕。

 21. 「わたしは彼に、自分の淫行から悔い改めるように時間を与えた、また悔い改めなかった」は、自分自身がその教えを確信した者は、たとえ、みことばの中に反対のものを見ても、〔その教えから〕去らないことを意味する〔136番〕。

 22. 「また、わたしは彼女を寝床の中に、また彼女と姦通する者を大きな苦難の中に投げ込む」は、このようにその教えの中に虚偽化されたものとともに残る、また虚偽によりひどく攻撃されることを意味する〔137番〕。「もし自分の行ないから悔い改めないなら」は、もし、信仰を仁愛から分離することから引き下がることを欲しないなら、を意味する。〔138番〕。

 23. 「また、わたしは彼の子たちを死で殺す」は、みことばからのすべての真理は虚偽に変えられることを意味する〔139番〕。「教会のすべての者は、わたしが腎臓と心臓を調べる者であることを知るために」は、それぞれの者の真理がどんなものかまた善がどんなものか主が見られることを教会が知るために、を意味する〔140番〕。「また、わたしはそれぞれの者にその働きにしたがって与える」は、それぞれの者に働きの中の仁愛とその信仰にしたがって与えることを意味する〔141番〕。

 24. 「けれども、わたしは、あなたがたに、またテアテラの残りの者に、この教えを持っていないそれぞれの者に言う」は、仁愛から分離した信仰の教えがある者に、また仁愛と結合した信仰の教えがある者に、を意味する、〔142番〕。「また、その者はサタンの深みを知らない」は、彼らは、まったくの虚偽である彼らの内的なものを理解していない、を意味する〔143番〕。「わたしはあなたがたの上に何らかの重荷を課さない」は、ただ自分自身に彼らを用心するように、〔このことだけ〕を意味する〔144番〕。

 25. 「しかしながら、あなたがたが持っているものを、わたしが行くまで、保持せよ」は、みことばからの仁愛、またここから信仰について知っているわずかなものを、主の来臨まで保持し、またそれらにしたがって生きなくてはならないことを意味する〔145番〕。

 26. 「また、勝つ者に、また最後までわたしの働きを守る者に」は、仁愛、またここからの信仰の中に実際にいる、またそれらの中に生涯の終わりまでとどまる者を意味する〔146番〕。「わたしは国民(異教徒)の上に支配力を与える」は、地獄からも自分自身のもとの悪に勝つことを意味する〔147番〕。

 27. 「また、彼らを、鉄ので支配する」は、みことばの文字どおりの意味からの真理によって、また同時に自然的な光(ルーメン)からの正しい推論によって、を意味する〔148番〕。「陶工の器が粉砕されるように」は、わずかなものや無価値なもののように、を意味する。〔1496番〕。「また、わたしがわたしの父から受けるように」は、このことは世の中にいた時、その方の中のご自分の神性から、ご自分に地獄の上のすべての支配力を獲得された主から〔であること〕を意味する〔150番〕。

 28. 「また、わたしは彼に明けの明星を与える」は、その時の知性と知恵を意味する〔151番〕。

 29. 「耳を持っている者は、霊が教会に何を言うか聞け」は、ここに前に述べたことのようなものが意味される〔152番〕。