(2) 直訳(4律法と福音)
4{1}. DE LEGE ET EVANGELIO.― 4 律法と福音について――
Quod Lex a Deo data sit, ut sciatur quid peccatum, et sic ut id comminatione et metu, et dein promissione et annuntiatione gratiae, arceatur; 律法が神により与えられたこと、何が罪か知られるために、またこのようにそれが脅しと恐れのために、またその後、恩恵の約束と告知〔のために〕、抑制される。
quare praecipuum officium Legis est, ut peccatum originale et omnes fructus ejus revelentur, ac sciatur quam horrendum in modum natura hominis lapsa et funditus depravata est; それゆえ、律法の主要な役割は、原罪とそのすべての果実(産物・成果)が現わされる(示される)ために、そして知られる、人間の性質の様式(制限)の中でどれほど恐ろしい堕落、また根本から腐敗したか。
hac ratione hominem perterrefacit, humiliat, prosternit, usque ut desperet de se ipso, et anxie desideret auxilium; この論拠で人間を脅す、卑しめる、ひれ伏す(=ひれ伏せさせる)、自分自身そのものについて絶望するようにまでも、また心配(不安)で助けを願う。
hic effectus Legis vocatur Contritio, quae non est activa seu factitia, sed passiva, et conscientiae cruciatus. 律法のこの効果(結果)は痛悔と呼ばれる、それは活動的または人造のものではない、しかし、受動的、また良心の責め苦である。
Evangelium autem est tota Doctrina de Christo et de fide, et sic de remissione peccatorum, ita laetissimus nuntius non arguens et terrens, sed consolans: けれども、福音は教えの全体である、キリストについてまた信仰について、またこうして罪の赦しについて、そのように最も喜ばしい使者〔である〕、責め〔ない〕、また怖がらせない、しかし、慰める。
per Legem ira Dei revelatur super omnem impietatem, et homo damnatur, quare facit ut homo ad Christum respiciat, et ad Evangelium; 律法によって、神の怒りはすべて不敬な者の上に現わされる(啓示される)、また人間は断罪される、それゆえ、人間はキリストへ向く(留意する)ようにする(=される)、また福音へ。
praedicatio de utraque erit, quia conjuncta sunt: 両方のものについて伝道(説教)がなくてならない、結合しているからである。
Evangelium docet, quod Christus in Se susceperit omnem maledictionem Legis, et omnia peccata expiaverit, et quod remissionem per fidem consequamur. 福音は教える、キリストはご自分の中に律法のすべての呪いを、またすべての罪をあがなった(償った)こと、また赦しを信仰によって私たちは達成すること。
Quod Spiritus Sanctus non per Legis sed per Evangelii praedicationem detur et accipiatur, et cor hominis renovetur, et quod Spiritus dein ministerio Legis utatur, ut doceat et in Decalogo monstret, quae sit voluntas Dei bona et placens; 聖霊は、律法によってではなく福音の伝道によって、与えられる、また受け入られること、また人間の心を更新する、また〔聖〕霊はその後、律法の仕えること(機能)を用いる、教え、また十戒の中で示すために、それは神の善と喜ぶ意志(みこころ)である。
sic Spiritus mortificat et vivificat. このように〔聖〕霊は死なす、また生かす。
Quod discrimen faciendum sit inter opera Legis et inter opera Spiritus; 相違を行なわなければならないこと、律法の働きの間と〔聖〕霊の働きの間の。
quare fideles non sunt sub Lege sed sub Gratia, nempe illa ratione. それゆえ、忠実な者は律法の下にいない、しかし恩恵の下に、すなわち、その論拠で。
Quod justitia Legis non justificet, hoc est, non reconciliet, neque regeneret, neque per se faciat acceptos Deo, sed donato Spiritu Sancto sequitur Legis impletio: 律法の義(公正)は義としないこと、すなわち、和解させない、再生もさせない、それ自体によって神の受け入れもしない、しかし聖霊の贈り物で律法の成就が生ずる。
quod opera secundae tabulae Decalogi non justificent, quia per illam agimus cum hominibus, et non proprie cum Deo, et tamen in justificatione agendum est cum Deo. 十戒の第二の板の働きは義としないこと、それら〔十戒の働き〕によって私たちは人間とともに行なうからである、また正しく神とともにでなく、またそれでも義認の中で神とともに行なわなくてはならない。
Quod Christus, quia sine peccato subiit poenam peccati, et victima pro nobis factus est, sustulerit illud jus Legis, ne damnet credentes, quia Ille est propitiatio pro illis, propter quam justi reputantur. キリストは、罪なしに罪の罰を受けたので、また私たちのためにいけにえとなった、そのことは律法の権利を手に持った、信じる者が断罪されないように、それは彼らのための贖罪(和解)である、そのために正しい者と見なされる。
@1 4 pro “III.” 注1 「III.」の代わりに4
(3)訳文
4 律法と福音について――
何が罪か知られに、またこのようにそれが脅しと恐れのために抑制され、またその後、恩恵の約束と告知のために、。律法が神により与えられた。それゆえ、律法の主要な役割は、原罪とそのすべての果実が現わされ、そして、人間の性質の様式の中でどれほど恐ろしい堕落また根本から腐敗したことが知られることである。この論拠で人間を、自分自身そのものについて絶望し、また不安で助けを願うようにまでも、脅し、卑しめ、ひれ伏せさせる。律法のこの効果は痛悔と呼ばれ、それは活動的なものまたは人造のものではない、しかし、受動的であり、良心の責め苦である。
けれども、福音は、キリストについてまた信仰について、またこうして罪の赦しについて教えの全体であり、そのように、責めない、怖がらせない、しかし、慰める最も喜ばしい使者である。律法によって、神の怒りはすべて不敬な者に現わされ、また人間は断罪され、それゆえ、人間はキリストへ、また福音へ向くようにされる。両方のものについて伝道がなくてならない、結合しているからである。
福音は、キリストがご自分の中で律法のすべての呪いを、またすべての罪をあがなった(償った)ことを、また信仰によって私たちが赦しを成することを教えている。
聖霊は、律法によってではなく福音の伝道によって、与えられ、受け入られ、また人間の心を更新する、またその後、聖霊は、律法の機能を、また十戒の中で示し、教えるために用いる、それは神の善と喜ぶ意志(みこころ)である。このように聖霊は死なし、また生かす。
律法の働きと聖霊の働きの間の相違が行なわなければならない。それゆえ、すなわち、その論拠で、忠実な者は律法の下にいない、しかし恩恵の下にいる。
律法の義は義としない、すなわち、和解させない、再生もさせない、それ自体によって神を受け入れもしない、しかし聖霊の賜物によって律法が成就される。十戒の第二の板の働きは義としない、それら〔十戒の働き〕によって私たちは人間とともに、また正しく神とともにでなく行なうからである、またそれでも義認の中で神とともに行なわなくてはならない。
キリストは、罪なしに罪の罰を受けた、また私たちのためにいけにえとなったので、そのことは、信じる者が断罪されないように律法の権利を手に持たれた、それは正しい者と見なされるための彼らのための贖罪(和解)である。