原典講読『啓示された黙示録』 教えの事柄 (4)

(2) 直訳(4 悔い改め)

4. DE PAENITENTIA.― 4 悔い改めについて――

Quod praeter Baptismum sit Sacramentum Paenitentiae, quo lapsis post Baptismum beneficium mortis et meriti Christi applicatur, quare vocatur laboriosus quidam Baptismus. 洗礼のほかに(加えて)悔い改めの秘跡がある、それによって洗礼の後、キリストの死と功績の恩恵が適用される、それゆえ、ある種の勤勉な(精励刻苦な)洗礼と呼ばれること。

Quod partes Paenitentiae sint Contritio, Confessio, et Satisfactio. 悔い改めの部分は「痛悔」、「告白」、また「贖罪」であること。

Quod Contritio sit donum Dei, et impulsus Spiritus Sancti non adhuc inhabitantis, sed tantum moventis, ita quod sit dispositio. 「痛悔」は、神の贈り物(賜物)であること、また今まで住んでいない聖霊の打撃、しかし、こんな程度に〔心を〕動かせて(奮起させて)、そのように(したがって)それは〔心の〕配置(調整)である。

Quod Confessio debeat esse omnium mortalium peccatorum, etiam occultissimorum, ac intentionum: 「告白」は、罪のすべての死すべきものにあるべきである(なくてはならない)こと、さらにまた最も隠されたものに、そして意図のものに。

quod peccata quae retinentur non remittantur, at quod illa quae post scrutationem non occurrunt, inclusa sint Confessioni: 罪は、それはしまっておかれる(保持される)、赦されないこと、しかし、それは注意深い研究(熟読)の後に〔心に〕出てこない、「告白」に含まれる。

quod fieri debeat ad minimum semel in anno: 少なくとも年に一度行なわれるべきであること。

quod peccata absolvenda sint a clavium Ministris, et quod remittantur cum dicunt, “Ego absolvo;“‘ 罪は「鍵」☆の聖職者により放免(赦免)されなければならないこと、また「私は赦免する☆」というとき、赦されること。

☆「鍵」が何を意味するかわかりませんが「教皇から権限を与えられた」ということでしょう。教皇には「天の御国のかぎ」が与えたとされるからです(マタイ16:19)。

☆ 原文でabsolveとしましたがabsolvoの間違いでした。

quod Absolutio sit sicut actus judicis, cum sententia pronuntiatur: 赦免は裁判官の行為のようであること、判決が発音される(述べられる)ときの。

quod graviora peccata absolvenda sint ab Episcopis, et adhuc graviora a Pontifice. さらに重い罪は司教により放免(赦免)されなければならないこと、またさらに、さらに重いものは教皇により。

Satisfactio, quod fiat per poenas satisfactorias a Ministro ex arbitrio pro mensura delicti imponendas: 「贖罪」は、罪の贖罪(賠償行為)により生じる、聖職者により意のままに(自由裁量によって)計られたものとして過失(落ち度)の課せられたもの。

quod cum Poena aeterna etiam Poena temporalis remittatur. また永遠の罰とともに一時の(この世の)罪もまた赦されること。

Quod Indulgentiarum potestas a Christo relicta sit Ecclesiae, et quod usus illarum maxime salutaris sit. キリストによる罪の「免償」は教会に残されている(relinquo)こと、またそれらの利用は最大に(最も)救いのもの(手段)であること。

 

(3) 訳文

 4 悔い改めについて――

 洗礼に加えて悔い改めの秘跡がある、それによって洗礼の後、キリストの死と功績の恩恵が適用され、それゆえ、ある種の精励刻苦な洗礼と呼ばれる。

 悔い改めは、「痛悔」、「告白」、「贖罪」からなる。

 「痛悔」は、神の賜物であり、今まで心に住んでいなかったこれほどに〔心を〕動かせる聖霊の打撃であり、したがってそれは〔心の〕調整である。

 「告白」は、罪のすべての死すべきものに、さらにまた最も隠されたものに、そして意図のものにあるべきである。しまっておかれる罪は赦されない、しかし、それは熟慮の後に〔心に〕出てこない「告白」に含まれる。〔これは〕少なくとも年に一度行なわれるべきである。罪は「鍵」☆の聖職者により赦免されなければならないこと、また「私は赦免する」というとき、赦される。赦免は、判決が述べられるときの裁判官の行為のようである。さらに重い罪は司教により、またさらに、さらに重いものは教皇により赦免されなければならない。

 「贖罪」は、聖職者により自由裁量によって)過失として計られ課せられた罪の賠償行為により生じる。また永遠の罰とともに一時の(この世の)罪もまた赦される。

 キリストによる罪の「免償」は教会に残されており、それらの利用は救いの手段の最大のものである。

 

☆「鍵」が何を意味するかわかりませんが「教皇から権限を与えられた」ということでしょう。教皇には「天の御国のかぎ」が与えたとされるからです(マタイ16:19)。

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