原典講読『驚くべきこと』 279

(1) 原文「2308番」

279(2308). Nusquam aliquis in altera vita luit poenam propter malum hereditarium quia ejus non est, ita non in culpa quod talis sit, sed propter malum actuale quod ipsius est, ita quoque quantum ex malo hereditario per actualem vitam sibi appropriavit, ut prius n. 966 dictum est: quod infantes adulti facti remittantur in statim mali sui hereditarii, non est ideo ut poenam luant sed ut sciant quod ex se non nisi malum sint, et quod ab inferno quod apud eo ex misericordia Domini in caelum auferantur, et quod in caelo non sint ex merito sui sed ex Domino; et sic ne ex bono quod apud eos, se coram aliis jactent; nam hoc est contra bonum amoris mutui, sicut est contra verum fidei.

 

(2) 直訳

279(2308). Nusquam aliquis in altera vita luit poenam propter malum hereditarium quia ejus non est, ita non in culpa quod talis sit, sed propter malum actuale quod ipsius est, ita quoque quantum ex malo hereditario per actualem vitam sibi appropriavit, ut prius n. 966 dictum est: 279(2308) 決してだれも来世で遺伝悪のために罰を受けない、彼のものではないので、したがって〔彼が〕このようであることに責任(とがめ)の中にない、しかし、彼自身のものである実際の(実行された)悪のために、このように(したがって)どれだけ遺伝悪から自分自身の実際の(実行された)生活によって自分のものにしたか〔によって罰を受ける〕、前に966番〔で〕言われたように。

quod infantes adulti facti remittantur in statim mali sui hereditarii, non est ideo ut poenam luant sed ut sciant quod ex se non nisi malum sint, et quod ab inferno quod apud eo ex misericordia Domini in caelum auferantur, et quod in caelo non sint ex merito sui sed ex Domino; おとなになった幼児たちが遺伝による自分自身の悪の状態に送り返されること、罰を受けるためにゆえではない、しかし、知るために、自分自身からは悪以外のものでないこと、そして彼らのもとの地獄から、主の慈悲により、天界(の中)に連れ去られること、そして、天界(の中)に自分自身からいるのではないこと、しかし主により。

et sic ne ex bono quod apud eos, se coram aliis jactent; そしてこのように善から、それは彼らのもとに〔ある〕、他の者の前に自慢しないように。

nam hoc est contra bonum amoris mutui, sicut est contra verum fidei. なぜなら、このことは相互愛の善に反しているから、信仰の真理に反しているように。

 

(3) 訳文

279(2308) だれも来世で遺伝悪のために決して罰を受けない、彼のものではなく、したがってそのようであることに彼に責任はないからである。しかし、前の966番で言われたように、彼自身のものである実際の悪のために、このようにどれだけ遺伝悪から自分自身の実際の生活によって自分のものにしたかによって罰を受ける。おとなになった幼児たちが遺伝による自分自身の悪の状態に送り返されるのは罰を受けるためにではなく、自分自身からは悪以外のものでないこと、そして彼らのもとの地獄から、主の慈悲により、天界に連れて行かれ、そして、自分自身からでなく主の慈悲により天界にいることを知るためである。そしてこのように他の者の前に彼らのもとにある善を誇らないないように、なぜなら、このことは信仰の真理に反しているように、相互愛の善に反しているからである。

 

◎遺伝悪について〔原典講読『天界と地獄』で述べたことの再録〕

 これもスヴェーデンボリ神学の特徴の一つであると思う。すなわち、親から受け継ぐものは身体的特徴(これは万人の認めるところ)の外面だけでなく、性格(ある程度年取ると、自分の行動などが親と似ていると気づく、特に「くせ」と言われるものである)など、内面的なものも似ている。しかし、それだけでなく、何と! 行なった悪まで(語られていないが当然「善」も)遺伝するのである。

 「親の因果が子に報い……」などと言われ、聖書にも「彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか」(ヨハネ9:2)とあるが、漠然と「そんなことないだろう」と受け止めていた。しかし、スヴェーデンボリはきちっと語っていた。

スヴェーデンボリに出会あって「遺伝悪」を意識させられた。「自分はなんでこんなに悪人なんだろう」と漠然と思っていたことに答えが与えられた。そしてだれにも遺伝悪が隠れていて、いつか現われてくるのである。自分の遺伝悪と向き合わないで一生を終える人がいるとは思えない。そして、自分の悪行が子に遺伝するのは、ちょっと恐ろしいし、借金を子に残すようで、責任も感じる。

 人は何のために生きるのか、いろいろあるが「遺伝悪と戦い」の一面があると思う。

 ついでに、一つだけよくわからないことがある。自分が遺伝させる悪は、子が生まれるまでのものであって、生まれた後に行なった悪は遺伝するのか、しないのか? 確信ないが、しないと思っている。

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