(3)訳文
(21)姦淫について、またそれらの種類と段階について
478.姦淫について外なるものだけから判断するだれも、姦淫に何らかの悪が内在することを知ることができない、というのは、これらの中で結婚に似ているから。
これらの外なるものの審判者は、内なるものが言われ)、また彼らに、これらの外なるものからその善あるいはその悪を得ていることが言われる時、自分自身に言う、「内なるものとは何か? それらをだれが見るのか? このことは、それぞれの者の知性の領域の上方にのぼることではないのか?」
これらの者は、すべての偽りの善を、本物の意志の善として受け入れる者に似ている。そして、その者は知恵を談話の優雅さから眺める。または、人間そのものを、みごとな衣装から、また堂々とした(荘厳な)馬車の中で運ばれることから評価し、また善の情愛から判断されるものであるその状態の内なるものからでなく評価する。同じく、そのことは木の果実について、そして何らかの食べる物について、視覚と触覚だけからの判断と似ていて、味と知識からその美点について判断しない。人間の内なるものについて知覚することを決して欲しないすべての者は、そのように振る舞う。
ここから、姦淫の中に何も悪を見ないこと、それどころか、結婚をそれらと同じ寝室の中で結合させる、すなわち、まったく同様のものにする今日の多くの狂気がある。
またそのことは外なるものの中で似ている外観のためにだけである。
[2] そのようであることを、この経験〔から〕の証明が確信させる。
かつて、天使たちによりヨーロッパの世界から、そこの才能の付与されている者、学問のある者、知恵のある者が呼び集められた。また結婚と姦淫の違いについて質問され、自分の理解力の理性(論拠)に諮るよう求められた。また協議の後、十人を除いてすべての者が、法定の(公共の)法律だけが違いをつくること、何らかの利益のためであり、それは確かに知られることができる、しかし、それでも市民の思慮分別によって適するようにされることができる、と答えた。
その後、結婚の中に善の何らかのものを、また姦淫の中に悪の何らかのものを見るか質問された。彼らは、何らかの理性的な〔=健全な理性に合致した〕悪と善を〔見〕ない、と答えた。
何らか罪のものを見るか質問されて、彼らは言った、「どこに、それが? 行為は似ていないか?」
これらの答えに、天使たちは唖然とし、叫んだ、「おお、〔この〕時代の愚かさは、どんな、どれほど〔ものなのか〕」。
それらを聞いて、数百人の知恵ある者たちが互いに〔顔を〕向け、声高に笑って、自分たちの間で言った、「これが愚かである? 他の者の妻を愛することが永遠の断罪に値することを納得させる何らかの知恵がありえるのか?〔そんな知恵はありえない〕」
[3] けれども、姦淫は霊的な悪、またここから道徳的な悪、そして市民的な悪、そして理性の知恵に正反対に対立するものであること、なおまた、姦淫の愛は地獄からであり、またそれへ戻ること、また結婚愛は天界からであり、またこれへ戻ることは、この〔書の〕部分である最初の章、「淫行愛と結婚愛の対立について」の中に示されている。
しかし、すべての悪は、すべての善のように、広さと高さが定められていて、そして広さにしたがってそれに種類があり、また高さにしたがってそれに段階があるので、それゆえ、姦淫が両方の次元に関して知られるように、それらが、最初にその種類の中に、またその後、その段階(程度)の中に分けられる。
そのことはこの連鎖の中で行なわれる――
(1) 姦淫に三つの種類がある、単一のもの、二重のもの、三重のものである。
(2) 単一の姦淫は、他の妻との独身の男のものまたは他の夫との未婚の女のものである。
(3) 二重の姦淫は、他の者の妻との夫のもの、または逆のものである。
(4) 三重の姦淫は、血縁の者とである。
(5) 四段階の姦淫があり、それらにしたがって、それらの属性の割り当て、譴責、死後の転嫁が行なわれる。
(6) 第一段階の姦淫は、無知の姦淫であり、それはまだ理解力に諮ること、またここからそれを抑えることができない者により行なわれる。
(7) これらの者により行なわれた姦淫は穏やかである。
(8) 第二段階の姦淫は、情欲の姦淫であり、それは確かに理解力に諮ることができる、しかし、それらに瞬間の偶発的な原因のために〔諮ることが〕できない者により行なわれる。
(9) これらの者により行なわれた姦淫は、その後、それらに理解力が賛同するかあるいは賛同しないことに応じて、罪を帰すことができる。
(10) 第三段階の姦淫は、理性の姦淫であり、それは理解力で、罪の悪でないことを確信する者により行なわれる。
(11) これらの者により行なわれた姦淫はきびしい、そして確信にしたがって罪が帰せられる。
(12) 第四段階の姦淫は、意志の姦淫であり、それらについて理解力に諮る(ことが値いする)ほどのものではなく、それを許されたものまた喜ばしいものとする者により行なわれる。
(13) これらの者により行なわれた姦淫は最もきびしい、そして意図された悪として彼らに罪が帰せられ、そして有罪として居座る。
(14) 第三と第四の段階の姦淫は、行為で行なわれたかあるいは行為で行なわれなかったにしろ、それらの中の理解力と意志の量と質によって、罪の悪である。
(15) 意志の意図からの姦淫は、また理解力の確信からの姦淫は、人間を自然的、感覚的、形体的にする。
(16) このことは、ついには教会と宗教のすべてのものを自分自身から退けるほどのものになる。
(17) それでもやはり、人間の推理力がを、他の者に〔授けられている〕ように授けられている。
(18) しかし、外なるものの中にいる時、その推理力を用いる、しかし、自分の内なるものの中にい〕時、誤用する。
今から、これらの説明が続く。
◎前回の直訳の部分で「彼ら」としたところを「それら」と修正しておきました。その他、いくつかのミスがありました。