(1)原文
350. Notum est, quod homo nascatur vilior {1}bestia. Omnes bestiae nascuntur in scientias amori suae vitae correspondentes; ut primum enim e utero cadunt, vel ex ovo excluduntur, vident, audiunt, gradiuntur, norunt suas escas, suam matrem, suos amicos et inimicos, et non diu post, norunt sexum, et sciunt amare, et quoque educare proles. Solus homo cum natus est, nihil tale scit, nihil enim scientiae illi connatum est; modo est facultas et inclinatio recipiendi illa quae scientiae et amoris sunt; et si haec ab aliis non recipit, manet vilior bestia: quod homo talis nascatur propter finem ut nihil sibi tribuat, sed aliis, et tandem omne sapientiae et ejus amoris soli Deo, ac ut inde possit imago Dei fieri, videatur Memorabile(n. 132-136). [2] Ex his sequitur, quod homo, qui non per alios scit, quod Dominus in mundum venerit, et quod sit Deus, et modo hausit aliquas cognitiones de religione, et de legibus suae regionis, non in culpa sit, si non plus cogitat de amore conjugiali, quam de amore sexus, et quod credat amorem polygamicum esse solum conjugialem: hos Dominus in illorum ignorantia ducit, et Divino auspicio providenter ab imputatione reatus abducit illos, qui ex religione fugiunt mala ut peccata, propter finem ut salventur; unusquisque enim homo nascitur ad caelum, et nullus ad infernum; et quisque in caelum venit a Domino, et in infernum a se.
@1. Prima editio: bestiae;
(2)直訳
350. Notum est, quod homo nascatur vilior {1}bestia. 350.よく知られている、人間は動物(獣)☆よりも卑しいものに生まれていること。
☆ ここはbestiaeと複数で書いてあったものをANC版では単数にしています。そしてこれが正しいです。「単数と複数の違い」についてここでは長くなるので述べません。このことに興味がありましたら、スヴェーデンボリ出版の『スヴェーデンボリ用語辞典』の私による「まえがき」をごらんください。またはSPSC会報の13号(会報は会員に配られています)。日本語では「単数と複数」は(ほとんど)数の違いでしかありませんが、ラテン語では(おそらく他のヨーロッパ言語も?)意味する概念が違います。
Omnes bestiae nascuntur in scientias amori suae vitae correspondentes; すべての動物(獣)はその生命の愛に対応する知識の中に生まれている。
ut primum enim e utero cadunt, vel ex ovo excluduntur, vident, audiunt, gradiuntur, norunt suas escas, suam matrem, suos amicos et inimicos, et non diu post, norunt sexum, et sciunt amare, et quoque educare proles. というのは、子宮から落ちるとすぐに、あるいは卵から孵化される、見る、聞く、歩く、自分の食物を知る、自分の母親を、自分の友と敵を、また長い間の後でなく、〔異〕性を知る、また愛することを知るから、そしてまた子を育てることを。
Solus homo cum natus est, nihil tale scit, nihil enim scientiae illi connatum est; 人間だけが、生まれたとき、このようなものを何も知らない、というのは、彼に知識が何も生来のものでないから、
modo est facultas et inclinatio recipiendi illa quae scientiae et amoris sunt; 単にそれらを受け入れる能力と性向がある、それらは知識と愛のものである。
et si haec ab aliis non recipit, manet vilior bestia: また、もしこれらを他の者から受けないなら、卑しい動物(獣)にとどまる。
quod homo talis nascatur propter finem ut nihil sibi tribuat, sed aliis, et tandem omne sapientiae et ejus amoris soli Deo, ac ut inde possit imago Dei fieri, videatur Memorabile(n. 132-136). 人間は何も自分自身に帰さないように、しかし、他の者に、また最後に知恵とその愛のすべてのものを神おひとりに〔帰す〕目的のために生まれている、そしてここから神の映像になることができること、メモラビリアに見られる(132-136番)。
[2] Ex his sequitur, quod homo, qui non per alios scit, quod Dominus in mundum venerit, et quod sit Deus, et modo hausit aliquas cognitiones de religione, et de legibus suae regionis, non in culpa sit, si non plus cogitat de amore conjugiali, quam de amore sexus, et quod credat amorem polygamicum esse solum conjugialem: [2] これらからいえる、人間は、その者は他の者を通して知らない、主が世にやって来たこと、また神であること、また単に宗教について何らかの知識を吸収した、また自分の王国の法律について、批難(過失)の中にいない、もし結婚愛について、性愛についてよりもさらに考えなくても、また一夫多妻の愛だけが結婚のもの〔愛〕であることを信じること。
hos Dominus in illorum ignorantia ducit, et Divino auspicio providenter ab imputatione reatus abducit illos, qui ex religione fugiunt mala ut peccata, propter finem ut salventur; これらの者を主は彼らの無知の中で導く、また神的な導きの摂理で、有罪な転嫁(帰すること)から彼らを引き寄せる、その者は宗教から悪を罪として避ける、救われるようにとの目的のために
unusquisque enim homo nascitur ad caelum, et nullus ad infernum; というのは、だれでも人間は天界へ向けて生まれているから、まただれも地獄へ向けて〔生まれてい〕ない。
et quisque in caelum venit a Domino, et in infernum a se. まただれもが、天界の中へ主から☆行く(やって来る)、また地獄の中へ自分自身から☆。
☆もちろんここの「から」運動の起点としての「から」ではありません、原因としてです。これは日本語でも同じです。
@1. Prima editio: bestiae; 注1 初版:bestiae
(3)訳文
350.人間が動物(獣)よりも卑しいものに生まれていることはよく知られている。
すべての動物(獣)は自分の生命の愛に対応する知識の中に生まれている。というのは、子宮から落ちる、あるいは卵から孵化するとすぐに、見る、聞く、歩く、自分の食物、母親、友と敵を知る、またそのうちに、〔異〕性を、また愛することを知る、そしてまた子を育てることを知るから。
生まれたとき人間だけが、このようなものを何も知らない、というのは、彼に生来の知識が何もでないから。知識と愛に属すものを受け入れる能力と性向だけがある。また、もしこれらを他の者から受けないなら、卑しい動物(獣)にとどまる。人間は何も自分自身に帰さないように、しかし、他の者に、また最後に知恵とその愛のすべてのものを神おひとりに〔帰す〕目的のために生まれている、そしてここから神の映像になることができることがメモラビリアに見られる(132-136番)。
[2] これらから、他の者を通して、主が世にやって来たこと、また神であることを知らない、また単に宗教について、また自分の王国の法律について何らかの知識を吸収した人間は、もし結婚愛について、性愛についてよりもさらに考えなくても、また一夫多妻の愛だけが結婚愛であることを信じても、批難されないことがいえる。彼らの無知の中で、主はこれらの者を導く、また神的な導きの摂理で、罪ある転嫁(帰すること)から、宗教から悪を罪として避ける者を、救われる目的のために引き戻される。というのは、だれでも人間は天界へと生まれており、だれも地獄へと生まれていない、まただれもが、天界へ主から行き、地獄へ自分自身から行くからである。
◎たまには「雑談」しましょう(というよりも、私は教師時代、雑談だらけの授業をしていた)。
この「結婚愛」を始めたのはちょうど1年前(2月25日)である、大作なので1年以上はかかるとは踏んでいた。このだらだらペースから、私は人生の「下流」また「最下流」を思う。すなわち、人生を川の流れと見なせば、そこには上流・中流・下流・最下流がある。そしてその期間(年数)は21年である。すなわち、21年までが上流(流れが速い、いろいろと学ぶ期間である)、続いて21年間の42までがそれに続いて一般的には社会に出て、いろいろ活動する。その後、転機を迎える(起承転結であり、私でいえば、柳瀬氏による新教会に出会ったこと)、そして下流になる、62歳からは「最下流」であり、最後は84歳(スヴェーデンボリもこの年齢で死ぬ)、これ以上に生きる人は「余滴」でしょう。
下流、最下流の特徴は「流れがゆっくりしていることである」、すなわち、いまやっているように、1年たってもまだ翻訳が終わらない(若い頃は考えられなかった)。しかし、流れはゆっくりであっても、そこに流れている水はいろいろな支流を含んで大量である。なので、これでいいのかな、と思っている。
さて、その「結婚愛」も、ここで4分の3ほど終えた。ここで「問題」、「1年間で4分の3終えた仕事はあとどれくらいで全部を終えるか?」(考えてください、即答できるあなたは明晰な頭脳の持ち主、なお、私の女房も即答した、しかし、頭がよいとは思えなかったが)
私は前述のように高校で数学を教えていた。40で定時制に移った。そこでは分数もよくわかっていない生徒を相手とした、その時、よく出した問題が「ある仕事をAさんが2時間でする、同じ仕事をBさんが3時間でする。その仕事をふたりが協力して行なえば何時間でできるか?」である。その授業はこれでほぼ終わる、それで、これをしっかり理解できた生徒はひとりいるか、いなかである。内容は小学校高学年(分数)程度なのに。
よくある答えが「2時間と3時間を足して、2で割る、それで2時間半」。この答えはほんとうによくあり、社会人相手にこの問題をぶつけてもこんなものであった。一人でやっても2時間なのに二人でやったら「2時間半」、じゃもう一人は仕事のじゃまをしているのか? となる。
答えは1時間12分です(適当に考えてください、ちゃんと正解を得る人もいます)
元に戻して、『結婚愛』はこのペースなら全部終えるのに3分の4なので(分数、そして「逆数」の意味からそうなります)あと、1年の3分の1、すなわち、あと4か月となります。(学校教育から遠ざかった人、また分数を根底から理解しなかった人には何のことかわからないかもしれない、しかし、このようにちゃんとと理解していなかったな、と感じられるなら、この雑談も有意義だった)。