原典講読『結婚愛』 294(直訳[7],[8]と訳文)

[7] Postquam septem illae uxores haec et similia plura eloquutae sunt, venerunt mariti illarum cum botris in manibus, quorum aliqui erant saporis delicati, et aliqui saporis tetri; [7] それらの七人の妻たちがこれらをまた同様の多くのものを話した後、彼女たちの夫たちが手の中にブドウの房とともにやって来た、そえらのあるものは上品な味だった、またあるものは忌まわしい(まずい)味の

et dicebant uxores, "Cur etiam apportastis uvas malas seu labruscas?" また、妻たちは言った、「なぜ、あなたがたは悪い、すなわち、野ブドウの(実の)房もまた携えているのか?」

Respondebant mariti, "Quia percepimus in animabus nostris, cum quibus vestrae unitae sunt, quod cum viro isto loquutae sitis de amore vere conjugiali, quod ejus delitiae essent delitiae sapientiae, et quoque de amore scortatorio, quod ejus delitiae essent voluptates insaniae: 夫たちは答えた、「私たちは私たちの霊魂の中で知覚したからである、あなたがたのそれら〔霊魂〕と結合している、その男と真の結婚愛について話したこと、その歓喜は知恵の歓喜であったこと、そしてまた淫行愛について、その歓喜は狂気の快楽であったこと。

hae sunt uvae tetri saporis seu labruscae, illae autem sunt uvae delicati saporis." これら(後者)は忌まわしい(まずい)味の、すなわち、野ブドウの(実の)房である、けれどもそれら(前者)は上品な味のブドウの房である」。

Et confirmabant sermonem uxorum suarum; また、〔彼らは〕自分たちの妻たちの話しを確認した(説明した)

addentes, quod voluptates insaniae in externis appareant similes delitiis sapientiae, sed non in internis, "prorsus sicut uvae bonae et uvae malae quas apportavimus; 言い足して、狂気の快楽は外なるものの中で知恵の歓喜と似たものに見える、しかし、内なるものの中で〔そうでは〕ない、「まったく善いブドウの房と悪いブドウの房のようである、それらを私たちが携えてきた。

est enim tam castis quam incastis similis sapientia in externis, sed prorsus dissimilis in internis." というのは、貞潔な者にも不貞な者にも外なるものの中で似た知恵がある、しかし、まったく異なっている、内なるものの中で」。

[8] Post haec iterum venit puerulus cum membrana in manu, et mihi porrexit, dicens, "Lege;" [8] この後、再び小さい少年(子ども)が手の中の紙(羊皮紙)ともにやって来た、また私に差し出した、言って、「読め」。

et legi haec: また、私はこれらを読んだ――

"Scitote quod delitiae amoris conjugialis ascendant ad caelum supremum, ac se in via et ibi cum delitiis omnium amorum coelestium conjungant, et sic intrent suam felicitatem, quae in aeternum persistit; 「(あなたがたは)知れ(未来)、結婚愛の歓喜は最高の天界へ上ること、そしてそれ自体を途中で、またそこで天界のすべての愛と結合させる、またこのようにそれ自体の幸福の中へ入る、それは永遠に存続する。

causa est, quia delitiae illius amoris sunt etiam delitiae sapientiae. 理由がある、その愛の歓喜は知恵の歓喜でもまたあるからである。

Et quoque scitote, quod voluptates amoris scortatorii descendant usque ad infernum infimum, ac se in via et ibi cum voluptatibus omnium amorum infernalium conjungant, et sic intrent suam infelicitatem, quae consistit in aerumna omnium jucunditatum cordis; そしてまた(あなたがたは)知れ(未来)、淫行愛の快楽は最適の地獄までも降ること、そしてそれ自体を途中で、またそこで地獄のすべての愛の快楽と結合させる、そしてこのようにそれ自体の不幸の中へ入る、それは悩み(苦悩)にある、心のすべての快さを。

causa est, quia voluptates illius amoris sunt etiam voluptates insaniae." 理由がある、その愛の快楽は狂気の快楽でもまたあるからである」。

Post haec abiverunt mariti cum uxoribus, et comitati sunt puerulum usque ad viam ascensus ejus in caelum: この後、夫たちは妻たちとともに立ち去った、また小さい少年(子ども)が道まで同行した、その上ること、天界の中へ。

et cognoscebant societatem, e qua missus est, quod esset societas caeli novi, cum quo ecclesia nova in terris conjuncta erit. また彼らは社会を知った、そこから遣わされた、新しい天界の社会であったこと、それに地の中の新しい教会が結合される(未来)

 

(3)訳文

 294.第二のメモラビリア――

 

 数日後に、再び私はバラ園の中のそれらの七人の妻たちを見た、しかし以前の同じバラ園の中にではない。荘厳な(みごとな)ラ園であり、それに類似したものを私は決して以前に見たことがなかった。円形であった、そしてバラがそこに虹の弓形のように形作った、紫色のバラすなわち花がその最外部の輪を、そして金色の黄色の他のものが最も近い内側を、そしてこの内を紺青色の他のものが、そして明るい緑色または輝く緑色の〔バラすなわち花が〕最内部〔輪〕を〔形作った〕。またこの虹のバラ園の内に澄んだ水の小さな池があった。

 以前に泉の処女と呼ばれた七人のそれらの妻たちは、そこに座っていて、窓の中に私を見て、再び自分自身へ呼んだ。また、私が近づいたとき、「あなたは地の上にさらに美しいものを決して見ていないかどうか?」と言った。私は言った、「どこにもない」。

 また言った、このようなものは主により瞬間に創造される(未来)こと、またそれは地の中の何らかの新しいものを表象する、なぜなら、主により創造されるすべてのものは表象する(接続)らである。しかし、これが何か、もしあなたができるなら、推測せよ。私たちは、結婚愛の歓喜を推測する。

 [2] これを聞いて、私は言った、「結婚愛の歓喜とは何か? 以前にあなたがたは、それらについて知恵から、そしてまた能弁から、これほどに多くのものを話した。

 その後、私はあなたがたから立ち去り、私はあなたがたの談話を、私たちの領域の中に滞在している妻たちに語った。また私は、教えられて、今や、私は知っていることを言った、あなたがたにあなたがたの結婚愛から出てくるの歓喜があること、それらをあなたがたの夫たちに彼らの知恵にしたがって(あなたがたが)伝えることができる、またそれゆえ、あなたがたの夫たちをあなたがたの霊的な目で絶えず朝から夕まで熟視すること、そして知恵へ向けて(のために)彼らのアニムス()を向け、導くこと、それらの歓喜を(あなたがたが)獲得する目的のためにであること。さらにまた私は話しに出した、何を知恵によってあなたがたが理解しているか、それは霊的理性的なまた道徳的な知恵〔である〕。また結婚に関して、妻だけを愛することへ向かう(ための)、また他の女へ向かうすべての欲望を取り去ることへ向かう(ための)〔知恵である〕。しかし、これらに、私たちの領域の妻たちは笑いとともに答えて、言った、『このことは何か。それら言われたものはつまらないものである。私たちは何が結婚愛か知らない。何らかのものが夫たちにある〔にしても〕、それでも私たちには何もない。その時、私たちのもとの彼の(その)歓喜はどこからか? それどころか、あなたがたは最外部のものと呼ぶ歓喜を、時々、私たちは手荒く拒む、というのは、私たちに不愉快なものである、ほとんど強姦以外に異ならないからである。実に、もし、あなたが留意するなら、私たちの顔の中にそのようない愛のしるしを見ていない(未来)。それゆえ、もし、それらの七人の妻たちとまたあなたが、朝から夕までも、私たちの夫たちについて、絶えず彼らのえり好みと自由な選択に向けて彼らからこのような歓喜を(私たちが)得るために(私たちが)留意している目的のために(私たちが)えている、と話したなら、あなたはばかげたことを話しているかまたは冗談を言っている』。それらの言葉を私が話す(述べる)ために、これらを私は彼女たちの言ったことを心に留めた、泉の近くであなたがたから私が聞いた、またそれほどに熱心に私が吸収し、そしてまた私が信じたことに反感を抱き、そしてまた談話にまったく逆らう〔であろう〕からである」。

 [3] これらにバラ園の中に座っている妻たちは答えた、「友よ、あなたは妻たちの知恵と思慮分別を知らない、夫たちにそれらをまったく隠しているからである、またそれらを、愛されるためだけの目的のために隠す。というのは、霊的でなく単に理性的に自然的また道徳的であるだれにでも、その男(夫)に、妻へ向けて冷淡があるから。これは彼のもとの最内部の中に隠れている。これを賢明なまた用心深い妻は敏感にまた鋭く気づく、またそれだけ自分の結婚愛から隠し、そして胸の中に引っ込め、そこに、その最小のものも顔の中に、音声の中にも、身振り(そぶり)中にも見られないようにこれほどに深くしまい込む。理由がある、見られれば見られるほど、それだけそこに住んでいる結婚の男の冷淡が彼の心の最内部からそれ自体を彼の最外部の中へ注ぎ出し、そして全身の冷たくなることをひき起こし、またここから寝床からまた寝室からの分離の努力(活動)〔がある〕からである」。

 [4] その時、私は質問した、「あなたがたは結婚の冷淡と呼ぶそのような冷淡がどこからか?」

〔彼女たちは〕答えた、「霊的なものの中での彼らの狂気からである。また、霊的なものの中で狂っているすべての者は、内部で妻に向けて冷たい、また内部で淫婦に向けて熱い。また結婚愛と淫行愛はそれ自体に対立しているので、淫行愛が熱である(温かい)時、結婚愛は冷淡を生じることがいえる。また男は、彼のもとで冷淡が支配するとき、何らかの愛の感覚にまたこのように何らかのその息(そよぎ)耐えない。それゆえ、妻はこれほどに賢明にまた用心深くそれを隠す、また否定してまた拒絶して、それを隠せば隠すほど、それだけ男は娼婦のスフェアの流れ入るものから元気づけられ、回復される。ここから、このような男の妻に私たちにあるような胸の歓喜はない、しかし、単に快楽〔がある〕、それは男の側から狂気の快楽と呼ばれるべき〔もの〕である、淫行愛の快楽であるからである。

 [5] すべての貞潔な妻は、不貞な妻もまた自分の夫を愛する。しかし、知恵がもっぱら彼の(その)愛の受け入れるものであるので、それゆえ、妻はすべての努力を、彼の(その)狂気を知恵に変えるために、すなわち、自分自身のほかに他の女をほしがらないように、ついやす。このことを、何らかのものが男から見つけられないように最大に用心して千もの方法で行なう、なぜなら、愛が強制されることができないこと、しかし、自由の中で徐々に入り込むことをよく知っているからである。それゆえ、妻たちに視覚から、聴覚から、また触覚から、自分の男たちのアニムス(心)のすべての状態を知ることが与えられている。しかし、逆に、男たちに、自分の妻たちのアニムス(心)の状態を何も知ることが与えられていない。

 [6] 貞淑な妻は、男(夫)を厳しいつきで眺めること、荒っぽい声で話しかけること、そしてまた、怒ることまたけんかすることができる、それでもなお、やはり、心の中で彼に対する優しいまた柔らかい愛をいだくこと〔ができる〕。しかし、それらの怒りの状態や偽装が目的として知恵を持っている、またここから夫のもとの愛の受け入れを〔目的として持っている〕ことは、すぐに和解することができることからはっきりと明らかである。さらに、妻たちに、彼女たちに植え付けられた愛を、にそして髄に隠すために、男のもとの結婚の冷淡が突発しない、そしてまた淫行の彼の熱の炉を消すような、またこのように緑の木からそれを乾いた丸太にする〔しないような〕このような手段がある」。

 [7] それらの七人の妻たちがこれらをまた同様の多くのものを話した後、彼女たちの夫たちが手の中にブドウの房とともにやって来た、それらのあるものは上品な味、またあるものは忌まわしい味だった。また、妻たちは言った、「なぜ、あなたがたは悪い〔ブドウの房〕、すなわち、野ブドウの房もまた携えているのか?」

 夫たちは答えた、「私たちは私たちの霊魂の中で、あなたがたのそれら〔霊魂〕と結合していることを知覚したからである、その男と真の結婚愛について話したこと、その歓喜は知恵の歓喜であったこと、そしてまた淫行愛について、その歓喜は狂気の快楽であったこと。後者は忌まわしい味の、すなわち、野ブドウの房である、けれども前者は上品な味のブドウの房である」。

 また、〔彼らは〕自分たちの妻たちの話しを確認した(説明した)。言い足して、狂気の快楽は外なるものの中で知恵の歓喜と似たものに見える、しかし、内なるものの中で〔そうでは〕ない、「まったく善いブドウの房と悪いブドウの房のようである、それらを私たちが携えてきた。というのは、貞潔な者にも不貞な者にも外なるものの中で似た知恵がある、しかし、内なるものの中で、まったく異なっている」。

 [8] この後、再び小さい少年が紙を手にしてやって来て、「読め」と言って、私に差し出した。私はこれらを読んだ――

 「(あなたがたは)知れ、結婚愛の歓喜は最高の天界へ上る、そしてそれ自体を途中で、またそこで天界のすべての愛と結合させ、またこのように永遠に存続するそれ自体の幸福の中へ入ることを。その理由は、その愛の歓喜は知恵の歓喜でもまたあるからである。

 そしてまた(あなたがたは)知れ、淫行愛の快楽は最適の地獄までも降る、そしてそれ自体を途中で、またそこで地獄のすべての愛の快楽と結合させ、そしてこのように、心のすべての快さ〔に代わって〕悩み(苦悩)であるそれ自体の不幸の中へ入ることを。その理由は、その愛の快楽は狂気の快楽でもまたあるからである」。

 この後、夫たちは妻たちとともに立ち去った、また小さい少年が天界の中へ上る道まで同行した。また彼らは、そこから遣わされた社会を、〔それは〕新しい天界の社会であったこと知った、それに地上の新しい教会が結合される(未来)

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