[5] Postea quaesivi, num sciant quomodo fit communicatio; [5] その後、私は質問した、どのように伝達が生じるか知っているかどうか。
Dixerunt, "In omni conjunctione per amorem erit actio, receptio, et reactio; 言った「愛を通してのすべての結合の中に、活動(作用)、受容、また反動(反作用)がある(未来)。
status delitiosus amoris nostri est agens seu actio, status sapientiae maritorum est recipiens seu receptio, et quoque est reagens seu reactio secundum {1}receptionem, et haec reactio a nobis percipitur cum delitiis in pectore secundum statum jugiter expansum et praeparatum ad recipiendum illa, quae cum virtute apud maritos, ita quoque cum statu extremo amoris apud nos aliqua ratione cohaerent et inde procedunt." 私たちの愛の楽しい状態は働きかける力(作用因)または活動(作用)であり、夫たちの知恵の状態は受け入れるものまたは受容である、そしてまた受容☆にしたがって反応することまたは反動(反作用)がある、またこの反動(反作用)は私たちから胸の中の歓喜とともに知覚される、その受け入れに向けて常に広がるまた用意する状態にしたがって、それらは夫たちのもとの力(精力)とともに、そのようにまた私たちのもとの愛の最外部の状態とともに、何らかの割合で(比例して)密着する、またここから発出する。
☆ ここは原文は「知覚」ですが、「受容」が正しいでしょう。「注」参照。
Porro dixerunt, "Cave ne per delitias, quas memoravimus, intelligas delitias illius amoris ultimas; さらに言った、「用心せよ、歓喜によって、それを私たちが話しに出している、あなたが最外部の(最終の)愛の歓喜を理解しないように。
de his nusquam aliquid loquimur, sed de delitiis pectoralibus nostris, quarum perpetua correspondentia est cum statu sapientiae maritorum nostrorum." これらについて決して何らかのものを私たちは話していない、しかし、私たちの胸の歓喜について、それらの永続的なものは私たちの夫の知恵の情愛に対応している。
[6] Post haec apparuit e longinquo tanquam columba volans cum folio arboris in ore, sed sicut appropinquavit, loco columbae visus est puerulus cum charta in manu, et ad nos accedens illam mihi porrexit, et dixit, "Lege illam coram his virginibus fontis;" [6] この後、遠方から口の中の木の葉とともに、あたかもハトが飛んでいるのが見られた(現われた)、しかし近づくに応じて、ハトに代わって手の中に紙とともに小さな少年が見られた、また私たちに近づいてそれ〔紙〕を私に差し出した、また言った、「それをこれら泉の処女たちの前で読め」。
et legi haec; また、私はこれらを読んだ。
"Dic terricolis cum quibus es, quod detur amor vere conjugialis, cujus delitiae sunt myriades, de quibus vix aliquas adhuc novit orbis; 「地上の住民に言え、その者たちとあなたはいる、結婚愛が存在すること、その歓喜は無数である、それらについてほとんど何らかのものは依然として地球(世界)に知られていない。
at cognoscet, cum ecclesia se desponsat suo Domino, ac nubit." しかし、知る、教会がその主と婚約するとき、そして、結婚する」。
Et tunc quaesivi, "Cur puer ille vocavit vos virgines fontis?" またその時、私は質問した、「なぜ、その少年はあなたがたを泉の処女たちと呼んだのか?」
Respondebant, "Vocamur virgines cum ad hunc fontem sedemus, quoniam sumus affectiones veritatum sapientiae maritorum nostrorum, et affectio veri vocatur virgo; 答えた、「私たちはこの泉に座っているとき、処女と呼ばれる、私たちは私たちの夫の知恵の“真理”の情愛であるので、また真理の情愛は処女と呼ばれる」。
fons etiam significat verum sapientiae, ac rosetum, super quo sedemus, delitias ejus." 泉もまた知恵の真理を意味する、そしてバラの花壇は、その上に私たちは座っている、その歓喜を」。
[7] Tunc una ex septem illis, nectebat sertum ex rosis, et conspersit illud aqua fontis, ac posuit illud super pileo pueri circum capitellum ejus, et dixit, "Recipe delitias intelligentiae; [7] その時、彼女たちの七人からのある者が、バラからの花冠を編んだ、またそれを(に)泉の水を振りかけた、そしてそれを少年の帽子(頭飾り)の上に置いた、彼の小さな頭のまわりに、また、言った、「知恵の歓喜を受け取れ。
scias quod pileus significet intelligentiam, ac sertum ex roseto hoc delitias." あなたは知る(未来)、帽子(頭飾り)が知性を意味すること、そしてバラからの花冠がこの歓喜を」。
Ac puer his decoratus abiit, et e longinquo rursus visus est sicut columba volans, sed cum coronamento super capite. そして少年はこれらで飾られて立ち去った、また遠方から、再び、ハトが飛んでいるように見えた、しかし、頭の上に冠とともに(=被って)。
@1. Prima editio: perceptionem, 注1 初版はperceptionem 〔SS版(アルフレッド・アクトンの英訳書)ではこれは文脈から見てreceptionemでのミスであろうとしている〕
(3)訳文
293.これらに二つのメモラビリアが付け加えられる。第一のものはこれ――
かつて窓を通して私は東へ向かって眺めた、また、ある泉の近くにバラの花壇の上に座って、水を飲んでいる七人の女を見た。
私は何を行なっているのか見るために強く鋭い視線を向けた、そして私の鋭い視線の強さが彼汝たち☆1に働きかけた。それゆえ、彼女たちからのある者が身振りで私を招いた。また、私は家を出た、急いで近づいた。近づいたとき、丁寧に、どこから来たのか質問した。また(彼女たちは)言った、「私たちは妻たちである、また、ここに結婚愛の歓喜について会話している、また多くの確証(証拠)から、その歓喜はさらにまた知恵の歓喜でもあることを結論している」。
返答は、私に、霊の中に、またここから知覚の中に見られたように、さらに内部のものそして照らされたものであること、他の時に前のものよりも、そのように私のアニムスを喜ばせた。それゆえ、私は彼女たちに言った、「これらの楽しさについて質問の機会を許せ」、すると同意した。
また、私は質問した、「結婚愛の歓喜が知恵の歓喜と同じであることを、どのように、あなたがた妻たちは知っているのか?」
[2] また、答えた、「このこと私たちは、夫のもとの知恵が私たちのもとの歓喜に対応〔すること〕から知っている。なぜなら、私たちのもとのこの愛の歓喜は、それ自体を高め、また少なくし、そしてまったくそれ自体を私たちの夫のもとの知恵にしたがって性質を与えるからである」。
これらを聞いて、私は質問て、「私は知っている、夫たちの柔らかい言葉が、そして彼らの心の快活さが、あなたがたに働きかけること、またあなたがたは胸全体で彼らから楽しむこと。しかし、私は、彼らの知恵がそれをひき起こす、とあなたがたの言うことを不思議に思う。しかし、私に(あなたがたは)、何が知恵か、また何を知恵が〔行うか〕言え」と言った。
[3] これらに妻たちは憤慨して、答えた、「あなたは、私たちが、何が知恵か、また何を知恵が〔行うか〕知らない、と思っているのか? そのときそれでも、夫たちのもとのそれらについて私たちは絶えず熟慮している、またそれらを、日々、彼らの口から学んでいる。なぜなら、私たち妻たちは私たちの夫たちの状態について朝から夕まで考えているからである。一日の中で、差し込む数分(少しの時間)はほとんど間に存在しない、すなわち、その中で私たちの直覚的な思考が彼らからまったく去る(それる)、すなわち、不在である〔時である〕。逆に、一日の中で、夫たちは私たちの状態について、ほとんど何も考えていない。ここから、私たちは、彼らの何の知恵を私たちの中で〔彼らが〕楽しんでいるか知っている。夫たちはその知恵を理性的な霊的な知恵、そして道徳な霊的な知恵と呼んでいる。〔彼らは〕理性的な霊的な知恵を理解力のまた思考の存在と言う、そして道徳な霊的な知恵を意志のまた生活の存在と言う。しかし、それら両方のものを〔一つのものとして〕考え、一つのものにする、また、また、この知恵の楽しいものが彼らの心から私たちの胸の中に歓喜の中に移され、また私たちのもの〔心〕から彼らの胸の中に、またこのようにその知恵の起源へ戻る、と想定している」。
[4] またその時、私は質問した、「あなたがたの中で歓喜となる夫たちの知恵について」、さらに何らかのものを知っているかどうか。
言った、「私たちは知っている。霊的な知恵があり、またここから、理性的な、また道徳的な知恵がある。霊的な知恵は救い主なる主を天地の神として認めること、またその方から、みことば、そしてここからの説教によって生じること〔であるが〕、自分自身に教会の真理を、そこから理性的な霊的なもの〔知恵〕を得ることである。またその方からそれらにしたがって生活すること、そこから道徳的な霊的なもの〔知恵〕を〔得ることである〕。これら二つのものを夫たちは知恵と呼ぶ、それらは全般的に結婚愛を生み出す(働く)。
私たちは彼らから理由もまた聞いている、それらの知恵によって心の内的なものが開かれること、またここから彼らの身体のもの、そこから最初のものから最後のものまで、愛の水脈のため(として) 自由な通行(移行)が存在するようになり、その流れ込み、十分な数量、また力から、結婚愛は依存し、生きている。
私たちの夫たちの理性的なまた道徳的な霊的な知恵は、特に結婚に関して、目的また標的として妻だけを愛すること、また他の者〔女〕へのすべての欲望を取り去ることを持っている。またこのことが生じれば生じるほど、それだけ程度に関してその愛が高められ、そして質に関して完全にされ、そしてまたそれだけ私たちの中の明瞭なまた鋭敏なものを私たちは、私たちの夫たちの情愛の快さと思考の楽しいものに対応したものを感じる」。
[5] その後、私は、どのように伝達が生じるか知っているか質問した。
言った「愛を通してのすべての結合の中に、活動(作用)、受容、また反動(反作用)がある(未来)。私たちの愛の楽しい状態は働きかける力(作用因)または活動(作用)であり、夫たちの知恵の状態は受け入れるものまたは受容である、そしてまた受容☆2にしたがって反応することまたは反動(反作用)がある、またこの反動(反作用)は私たちから、その受け入れに向けて常に広がるまた用意する状態にしたがって、胸の中の歓喜とともに知覚される、それらは夫たちのもとの力(精力)とともに、そのようにまた私たちのもとの愛の最外部の状態とともに、何らかの割合で(比例して)密着し、またここから発出する」。
さらに言った、「私たちが話しに出している歓喜によって、あなたが最外部の(最終の)愛の歓喜を理解しないように用心せよ。これらについて決して何らかのものを私たちは話していない、しかし、私たちの胸の歓喜について〔話している〕、それらの永続的なものは私たちの夫の知恵の情愛に対応している」。
[6] この後、遠方から口の中の木の葉とともに、あたかも飛んでいるかのようなハトが現われ、しかし近づくに応じて、ハトに代わって手の中に紙とともに小さな少年が見られた、また私たちに近づいてその紙を私に差し出し、言った、「それを、これら泉の処女たちの前で読め」。また、私はこれらを読んだ。
「地上の住民に言え、その者たちとあなたはいるが、結婚愛が存在し、その歓喜は無数であり、それらについてほとんど何らかのものは依然として地球(世界)に知られていない、しかし、教会がその主と婚約し、そして、結婚するとき、知ることを」。
またその時、私は質問した、「なぜ、その少年はあなたがたを泉の処女たちと呼んだのか?」
答えた、「私たちはこの泉に座っているとき、私たちは私たちの夫の知恵の“真理”の情愛であるので処女と呼ばれる、また真理の情愛は処女と呼ばれる。泉もまた知恵の真理を、そしてその上に私たちは座っているバラの花壇は、その歓喜を意味する」。
[7] その時、彼女たちの七人からのある者が、バラからの花冠を編み、それに泉の水を振りかけた、そしてそれを少年の帽子(頭飾り)の上に彼の小さな頭のまわりに置いた、また、言った、「知恵の歓喜を受け取れ。あなたは、帽子(頭飾り)が知性を、そしてバラからの花冠がこの歓喜を意味することを知る(未来)」。
そして少年はこれらで飾られて立ち去った、また遠方から、再び、ハトが飛んでいるように見えた、しかし、頭の上に冠を被っていた。
☆1 ここにはillos(それら(男)を)とありますが、illas(彼女たち)ではないかと思います。
☆2 ここは、原文は「知覚」ですが、文脈から「受容」としました。
◎ ここで旅行に出かけます(8~11日)、それでこの講座を休みます、再開は11日の予定です。