原典講読『結婚愛』 291(直訳[2、3]と訳文)

[2] Viri qui in hoc ambitu sunt, et post aemulationis vices imperium obtinent, redigunt uxores vel in possessionem sui juris, vel in obsequia sui arbitrii, vel in mancipia, quisque secundum ambitus illius gradum et qualificatum statum insitum et latentem apud se; [2] 男たちは、その者はこの求めることの中にいる、張り合うことの後、支配の力を得た、妻たちをあるいは自分の支配の下の所有(物)の中にする(追いやる)あるいは自分の自由裁量の従順な行為の中に、あるいは奴隷の中に、それぞれの者が自分自身のもとの生来のまた隠れている彼らの求めることの段階と性質にしたがって。

si autem uxores in hoc ambitu sunt, et post aemulationis vices imperium obtinent, redigunt maritos suos vel in aequalitatem juris secum, vel in obsequia sui arbitrii, vel in mancipia; けれども、もし妻たちはこの求めることの中にいるなら、また張り合うことの後、支配の力を得た、自分の夫たちをあるいは自分自身に対等の支配の下にする(追いやる)、あるいは自分の自由裁量の従順な行為の中に、あるいは奴隷の中に。

at quoniam apud uxores, post obtentos imperii fasces ab illis, remanet cupido quae mentitur amorem conjugialem, refraenata ex lege et ex timore separationis legitimae, si potestatem suam ultra fas in nefas extendunt, ideo consociam vitam cum maritis agunt. しかし、妻たちのもとには~なので、彼らから支配のファスケス(権威標章)☆を得た後、欲望にとどまる、それは結婚への性向の愛を装う、適法の(正当な)分離の法律からまた恐れから抑制されて、もし、自分の権力(支配力)を道義に適うものを超えて道徳的な悪にまで拡張するなら、それゆえ、夫たちとの社交的な生活を送る。

ファスケスは(古代ローマでの)束ねた棒の中央に斧を入れて縛った一種の権威標章、執政官の先駆者が奉持した。

[3] Qualis autem amor et amicitia inter dominam uxorem et maritum servum, tum qualis inter dominum maritum et uxorem servam, intercedit, non potest paucis verbis describi; [3] けれども、女主人の妻と奴隷の夫の間の愛と友情がどんなものが、なおまた主人の夫と女奴隷の妻の間でどんなものが、間に存在するか、わずかな言葉で述べられることができない。

imo si differentiae illarum conferrentur in species, et hae recenserentur, non sufficerent paginae: 実に、もしそれらの相違が詳細に(特定的に)集められるなら、またこれらが列挙されるなら、ページが足りないであろう。

sunt enim variae et diversae; というのは、いろいろであり、また異なっているからである。

variae secundum ambitus naturam apud viros, similiter variae apud uxores; いろいろ〔である〕、男のもとの求めることの性質にしたがって、同様に妻のもとのいろいろなもの。

et diversae virorum ab illis, quae sunt apud feminas: またそれらから男たちの異なったもの〔がある〕、それらは女のもとにある。

viri tales enim in nulla amicitia amoris sunt nisi fatua, et uxores in amicitia amoris spurii ex cupidine. というのは、このような男たちは愛の友情が何もない中にいるから、愚かな(かすかな)ものでないなら、また女たちは欲望からのにせの愛の友情の中に。

Qua autem arte uxores potestatem super viros sibi comparant, in nunc sequente articulo dicetur. けれども、どんな技巧(巧妙さ)で妻たちは男たちの上の力を自分自身に得るか、今や、次の節の中で言われる。

@1. Prima editio: ignotus:この注については前記。

 

(3)訳文

 291.(20) いろいろな種類のみせかけの愛と友情が夫婦の間に存在し、それらの一方が服従し、またここからもう一方が服従させられる。

 結婚の最初の時の過ぎ去った後、権利と支配力について張り合うことが起こる。権利について、取り決められた契約の規定にしたがって対等であり、またそれぞれの者に自分の役目の役立ちの中の地位〔があること〕である。また支配力について〔の張り合いは〕、男により男であるので家のすべての事柄の中で優越性が要求されること、また女に女であるので、劣ることであり、〔このことは〕今日の世界の中に知られたものの間にある。

 今日のこのようなよくある張り合うことは、真の結婚愛について何もない自覚(意識)から、またその愛の至福について何もない感覚の知覚から以外に他のところから流れ出ない。その愛の代わりにそれらの不在から欲望があり、それはその愛を装っている。この欲望から、本物の愛から遠く離れ、支配力を求めることが流れ出て、それはある者に支配する愛の快さから内在し、ある者に結婚前に知識を持っている女からであり、またある者に燃えているもの☆1である。

 [2] この求めることの中にいる男たちは、張り合って、支配の力を得た後、妻たちを、それぞれの者が自分自身のもとの生来のまた隠れている彼らの求めることの段階と性質にしたがって、あるいは自分の支配の下の所有あるいは自分の自由裁量の従順な行為に追いやり、あるいは奴隷する。けれども、もし妻たちはこの求めることの中にいるなら、張り合って支配の力を得た後、自分の夫たちをあるいは自分自身に対等の支配の下に、あるいは自分の自由裁量の従順な行為に追いやり、あるいは奴隷する。しかし、妻たちは、彼らから支配のファスケス(権威標章)☆2を得た後、結婚の愛を装う欲望にとどまるので、もし、自分の支配力を道義に適うものを超えて道徳的な悪にまで拡張するなら、正当な分離の法律に、またその恐れに抑制され、それゆえ、夫たちとの社交的な生活を送る。

 [3] けれども、女主人の妻と奴隷の夫の間の愛と友情がどんなものが、なおまた主人の夫と女奴隷の妻の間でどんなものが、間に存在するか、わずかな言葉で述べられることができない。実に、もしそれらの相違が詳細に集められ、これらが列挙されるなら、ページが足りないであろう。というのは、いろいろであり、また異なっているからである。男のもとの求めることの性質にしたがっていろいろであり、妻のもとのいろいろなものも同様である。また女のもとにあるそれらから異なったものが男たちにある。というのは、このような男たちは、愚かな(かすかな)ものでないなら愛の友情が何もない中にいる、また女たちは欲望からのにせの愛の友情の中にいるから。

 けれども、どんな技巧で妻たちは男たちの上の力を自分自身に得るか、今や、次の節の中で言われる。

 

1 この「燃えるもの」は原文では「知られていないもの」ですが、この読みもありえると思います。

2 ファスケスは(古代ローマでの)束ねた棒の中央に斧を入れて縛った一種の権威標章、執政官の先駆者が奉持した。