原典講読『結婚愛』44(直訳[6], [7])

[6] His auditis, gavisi sunt bini adolescentes novitii, et dixerunt, "Est usque ibi amor sexus; [6] これらで聞いて、二人の若者(青年)の新来者はうれしがった、また言った、「そこにもまた性愛がある、

quid amor conjugialis aliud?" 結婚愛は他の何か?

Sed spiritus angelici ad illa respondebant, "Cogitate penitius, expendite, et percipietis, quod vester amor sexus sit amor extraconjugialis, et quod amor conjugialis sit prorsus alius, et quod hic distinctus sit ab illo, sicut triticum a palea, aut potius sicut humanum a ferino: しかし、天使的な霊は彼らに答えた、「深く考えよ、熟考せよ、するとあなたがたは知覚する、あなたがたの性愛は婚外性交の(結婚外の)愛であること、また結婚愛はまったく他ののもであること、またこれ(後者)はそれ(前者)から区別されること、麦がもみ殻からのように、またはむしろ人間が野獣からのように。

si quaesiveritis feminas in caelo, quid amor extraconjugialis, assevero quod responsurae sint, 'Quid hoc? もし、あなたがたが天界の中の女に質問するなら、何が婚外性交の(結婚外の)愛か、私は断言する、答えることを、「これは何か?

quid loqueris? 何をあなたがたは言うのか>

quomodo potest tale exire ore tuo quod ita laedit aures? どのように、このようなものをあなたの口で出てくることができるのか、そのように耳を害すること?

quomodo potest amor non creatus ingenerari homini.' どのように、創造されなかった愛が人間に出生によって伝わるのか」。

Si tunc quaesiveris illas, quid amor vere conjugialis, scio quod responsurae sint, quod non sit amor sexus, sed amor unius e sexu, qui non aliter existit, quam dum juvenis videt virginem a Domino provisam, et virgo juvenem, utrinque sentiant conjugiale incendi in cordibus suis, ac percipiant, ille quod sua sit, et illa quod suus sit, obviat enim se amor amori, et facit se cognoscere, et conjungit illico animas, et postea mentes, et inde intrat pectora, ac post nuptias ultra, et sic fit plenus amor, qui indies in conjunctionem crescit, usque ut non amplius sint duo, sed sicut unus: もし、その時、あなたがたが彼女たちに質問するなら、何が真の結婚愛か、私は知っている、(彼女たちが)答えることを、性愛ではないこと、〔異〕性からの唯一(一人)の愛〔である〕こと、それは異なって存在しない、若者が主により備えられた乙女(処女)見る時、また乙女(処女)が若者を、両者が自分の心の中に燃え上がる結婚的なもの(結婚への傾き)を感じる、そして知覚する、彼は自分のものであること、また彼女は自分のものであること、というのは、愛は愛に(それ自身に)出会うから、また認めることを(それ自身に)行なう、また直ちに霊魂を結合させる、またその後、心を、またここから胸に入る、そして婚姻の後、〔さらに〕越えて、十分な愛になる、それは日々に結合の中へと増大する、もはや二つではないようにまでも、しかし、一つ〔である〕ように。

[7] scio etiam, quod juraturae sint, quod non sciant alium amorem sexus; [7] さらにまた、私は知っている、(彼女たちが)誓うであること、他の性愛を知らないこと。

dicunt enim, 'Quomodo potest dari amor sexus, nisi sit ita obvius et reciprocus, ut spiret aeternam unionem, quae est ut duo sint una caro?'" というのは、言うから、「

His addiderunt spiritus angelici, "In caelo prorsus non sciunt, quid scortatio, nec quod sit, nec quod dabilis; これらに天使的な霊は加えた、「天界の中ではまったく知られていない、何が淫行(=でたらめな性的な振る舞い)か、あることも〔知られてい〕ない、ありえることも〔知られてい〕ない。

angeli frigent toto corpore ad amorem incastum seu extraconjugialem, ac vicissim calent toto corpore ex amore casto seu conjugiali; 天使は全身で不貞な()または婚外性交の(結婚外の)愛に凍る(寒気がする)、そして逆に、全身で貞淑なまたは結婚の愛に温かい。

apud viros ibi omnes nervi cadunt ad aspectum scorti, et se tendunt ad aspectum uxoris." そこに男のもとで、すべての神経は娼婦の見ることに悪化する(=娼婦を見ると委縮する)、また妻の見ることに伸びる。

原典講読『結婚愛』44(直訳[8], [9])

[8] Tres novitii, his auditis, quaesiverunt, num similis amor inter conjuges est in caelis, sicut in terris. [8] 三人の新来者たちは、これらで聞いて、質問した、夫婦(配偶者たち)の間に似た愛があるのか、天界の中の、地の中のような。

Et duo spiritus angelici responderunt, quod prorsus similis. 二人の天使的な霊は答えた、まったく似ていること。

Et quia perceperunt, quod vellent scire, num similes delitiae ultimae ibi essent, et dixerunt quod prorsus similes, sed multo beatiores, "quia perceptio et sensatio angelica est multo exquisitior perceptione et sensatione humana; また知覚したので、知ることを欲していること、似(同様の)最後の(最終的な)歓喜がそこにあるかどうか、また言った、まったく似ている、しかし、はるかに幸福(祝福されている)、「天使の知覚と感覚は人間の知覚と感覚〔よりも〕はるかに鋭敏であるので。

et quid vita amoris illius nisi ex vena potentiae? またその愛のいのちは何か、〔性的〕能力の流れ(静脈)からでないなら?

numne hac deficiente amor ille deficit et frigescit? これが不足〔するなら〕、その愛はなくな(不足する)また冷たくならないか?

estne virtus illa ipsa mensura, ipse gradus, et ipsa basis illius amoris? その強さは測定そのもの、程度(段階)のもの、またその愛の基盤そのものではないのか?

estne initium, firmamentum et complementum ejus? その始まり、支えまた完成(実現)ではないのか?

Universalis lex est, quod prima existant, subsistant, et persistant ab ultimis; 普遍的な法則である、最初のものは最後の(最終的な)ものから存在するようになる、存続する(とどまる)、また存続する(続く)こと。

ita etiam ille amor; その愛もまたそのよう〔である〕。

quare nisi forent ultimae delitiae, non forent ullae amoris conjugialis." それゆえ、最後の(最終的な)歓喜がないなら、、結婚愛の〔歓喜〕は何もない」。

[9] Tunc quaesiverunt novitii, num ex ultimis delitiis illius amoris ibi nascantur proles; [9] その時、新来者たちは質問した、その愛の最後の(最終的な)歓喜からそこに子が生まれないのか。

et si non nascerentur proles, cui usui sunt illae. またもし子が生まれないなら、何に役立ちにある、それは。

Responderunt spiritus angelici, quod non aliquae proles naturales, sed proles spirituales; 天使的な霊は答えた、何らかの自然的な子はないこと、しかし霊的な子が。

Et quaesiverunt, "Quid proles spirituales?" また彼らは質問した、「何が霊的な子か?」

Et responderunt, "Duo conjuges per delitias ultimas plus uniuntur conjugio boni et veri, et conjugium boni et veri est conjugium amoris et sapientiae, ac amor et sapientia sunt proles, quae ex conjugio illo nascuntur: また答えた、「二人の配偶者(夫婦)最後の(最終的な)歓喜によってさらに結合される、善と真理の結婚で、また善と真理の結婚は愛と知恵の結婚である、そして愛と知恵が子である、それらがその結婚から生まれる。

et quia maritus ibi est sapientia, et uxor est amor ejus, et quoque ambo sunt spirituales, ideo non aliae proles, quam spirituales, possunt ibi concipi et gigni. また、夫はそこに知恵であるので、また妻はその〔知恵への〕愛である、そしてまた両方は霊的なものである、それゆえ他の子はない、霊的なもの以外の、そこにみごもることまた生じることができる。

Inde est, quod angeli post delitias, non fiant maesti, ut aliqui in terris, sed hilares, et hoc illis est ex jugi influxu recentium virium post priores, quae renovant et simul illustrant; ここからである、天使は、歓喜の後、悲しくならない、地の中のある者のように、しかし、機嫌がよい(=快活になる)、またこのことは彼らに前のものの後の(活力)の不変の流入からである、それらは更新する、また同時に照らす。

omnes enim qui in caelum veniunt, redeunt in vernam suam juventutem, inque vires ejus aetatis, et sic permanent in aeternum." というのは、天界の中にやって来るすべての者は、自分の青年(青春)代の春の中に戻るから、そしてその年齢の力(活力)(vis)の中に、またこのように永遠にとどまる。

原典講読『結婚愛』44(直訳[10]と訳文)

[10] Tres novitii his auditis, dixerunt, "Legiturne in Verbo, quod in caelo non dentur nuptiae, quia sunt angeli?" [10] 三人の新来者たちは、これらで聞いて、言った、「みことばの中に読まれないか? 天界の中に結婚式(婚礼)がないこと、天使であるので」。
Ad haec spiritus angelici responderunt, "Suspicite in caelum, et vobis respondebitur." これらに天使的な霊は答えた、「天界の中を見上げよ、すると、あなたがたに答えられる」。
Et quaesiverunt, cur suspicerent in caelum. また質問した、なぜ天界の中を見上げるのか。
Dixerunt, "Quia inde sunt nobis omnes interpretationes Verbi; 言った、「ここから私たちにみことばのすべての説明(解釈)あるからである。
Verbum est penitus spirituale; みことばは深く霊的なものである。
et angeli, quia sunt spirituales, docebunt spiritualem intellectum ejus." また天使は、霊的であるので、その霊的な意味(理解されたもの)を教える(未来)」。
Et post aliquam moram aperiebatur caelum supra caput illorum, et in conspectum illorum venerunt duo angeli, et dixerunt, "Dantur nuptiae in caelis, sicut in terris; またいくらかの時の経過の後、彼らの頭の上方の天界が開かれた、また彼らの視野の中にふたりの天使がやって来た、また言った、「天界の中に結婚式(婚礼)が存在しない、地の中のような。
sed non aliis ibi, quam qui in conjugio boni et veri sunt, neque alii sunt angeli; しかし、他の者にそこにない、善と真理の結婚の中にいる者以外に、天使である、他の者にもない。
quare nuptiae spirituales, quae sunt conjugii boni et veri, ibi intelliguntur. それゆえ、霊的な結婚式(婚礼)、それは善と真理の結婚である、そこに意味される。
Hae dantur in terris, et non post obitum, ita non in caelis; これら〔の婚礼〕は地の中に存在する、また死の後でない、そのように天界の中にない。
sicut dicitur de quinque virginibus stultis, in nuptias etiam invitatis, quod non potuerint intrare, quia illis non fuit conjugium boni et veri, non enim fuit illis oleum, sed modo lampades; 五人の愚かな娘(乙女)について言われるように、婚礼に招待もされている、入ることができなかったこと、彼女たちに善と真理の結婚がなかった、というのは、彼女たちに油(オリーブ油)がなかったから、しかし、明りだけが。
per ‘oleum’ intelligitur bonum, et per ‘lampades’ verum; 「油(オリーブ油)」によって善が意味される、また「明かり」によって真理。
ac ‘nuptui dari’ est intrare in caelum, ubi est illud conjugium." そして「婚姻に与えられること」は天界に入ることである、そこにその結婚がある。
Tres novitii, his auditis laetificati sunt, ac pleni desiderio caeli, et spe nuptiarum ibi, et dixerunt, "Studebimus moralitati et decori vitae, ut votis potiamur." 三人の新来者は、これらで聞いて喜んだ、そして天界の十分な願望で、またそこに結婚式(婚礼)の希望で、また言った、「私たちは礼儀正しい(=道徳的な)またふさわしい生活に専念する(意図する)(未来)、願いを獲得するために」。
 
(3)訳文
44.第二のメモラビリア――
 かつて、私は世からの三人の新来の霊を見た、その者たちは歩きまわり、(視覚によって)調べ、質問した。
彼らは驚きの中にいた、以前のような完全な人間を見たこと、また以前と同様の者を見たこと。というのは、彼らは知ったから〔ここを「新しくした」と誤訳してしまいました〕、以前の世界、すなわち、自然から死んだこと、またそこで、人間は最後の審判よりも前に生きないこと、その時、墓の中にたくわえられた肉と骨で取りまかれることを信じたこと。それゆえ、むしろ真の人間であった〔という〕すべての疑いがはらされるために、交互に眺めたそして自分自身を、また他の者を触れ、また対象をさわって調べ、また千のものによって、今や、前の世の中のような人間であったことを確認した。このことに加えて、お互いにさらに純粋な光の中で、また対象をすぐれた輝きの中で、またこのようにさらに完全に見る〔ことを確認した〕。
 [2] その時、たまたま、ふたりの天使的な霊が彼らに出会った、また、「どこからあなたがたはであるか?」と言って、引き止めた。また、彼らは答えた、「私たちは世から死んだ、そして再び世の中で生きている。そのように私たちは世から世の中へ移住した。このことに、今や、私たちは驚いている」。
 またその時、三人の新来者はふたりの天使的な霊に天界について質問した。また三人の新来者からのふたりは青年であったので、彼らの目から性への欲望(情欲)の火花のよう〔なものが〕輝き出た、天使的な霊は言った、「おそらく、あなたは女を見た」。また彼らは答えた、「私たちは見た」。
 また天界について質問したので、彼らはこれらを言った――
 「天界の中にすべての荘厳なものとみごとなもの、また目は決して見ないようなものがある。またそこに乙女と若者がいる、乙女は、その形の中の美と呼ばれることができるようにも美しい。そして、若者は形の中の礼儀正しさと呼ばれることができるようにも礼儀正しい。また、乙女(処女)の美と若者の礼儀正しさ、相互のまた釣り合っている形のように、それ自体に対応している」。
 また、ふたりの新来者は、天界の中で人間の形は自然界の中にいる彼らとまったく似ているかどうか質問した。
 また答えた、まったく似ている、男から何も、また女から何も取り除かれていないこと。「一言でいえば、男は男であり、女は女である、すべての完全な形の中に、その中に創造されている。もし欲するなら、去れ、またあなたのもとで調べよ、何も欠けていないか、むしろ、あなたは以前のように男であるかどうか」。
 [3] 再び、新来者たちは言った、「私たちは世の中で、そこから私たちは去ったが、天界の中では天使であるので婚姻が存在しない、と聞いた。このように、性愛は存在するのか?」
 また、天使的な霊は答えた、「あなたがたの性愛はそこ〔天界〕に存在しない、しかし、天使の性愛が存在し、それは欲望(情欲)らのすべての誘惑なしの貞潔である」。
 これに新来者たちは答えた、「もし誘惑するもの(魅力的なもの)が何もない性愛が存在するなら、その時、何が性愛か?
 またこの愛について考えたとき、ため息をついた、また言った「おお、なんと天界の楽しさは乾いていることか。若者のだれが、その時、天界を望むことができるのか?
 そのような愛は不毛のものやいのちの欠いていものでないのか?」
 これらに天使的な霊は、ほほえんで話した、「天使の性愛は、すなわち、天界の中にあるようなものは、それでも、最内部で楽しさで満ちている。心のすべてのものの最も楽しいものの拡張である、またここから胸のすべてのものの、そして胸の中に内部にある、心臓が肺と遊ぶように、その遊びから呼吸、音声また話しが出る、それが(両)性の間の、すなわち、若者と乙女の間の交わりのようにつくる、〔それは〕天界の快さそのものであり、純粋である。
 [4] 天界の中に上るすべての新来者は、〔その者の〕貞潔がどんのものであるか調べられる。というのは、乙女交わりの中に入れられ、天界の美の〔彼女たちとの〕、彼女たちは音声から、話し、顔、目、身振り、また出てくるスフェアから、性愛に関してどんなものであるか知覚するから。その者がもしみだらな(不貞な)ものであるなら、逃げ去り、また自分たちに、サテュロスまたはプリアーポスを見たことを知らせる。そしてまた、新来の(近づく者)らは、また天使の目の前に毛むくじゃらの者に見られる、また足に関して子牛またはヒョウのように変えられ、また彼らは、自分の欲望(情欲)でそこにオーラ(空気)を汚さないように、すぐに投げ落される」。
 これらで聞いて、二人の新来者は再び言った、「そのように界の中に性愛は何もない。そのいのちの本質を空(から)にした愛でないなら、貞潔な性愛とは何か? このようにそこの若者と乙女の交わりは乾燥した(味気ない)楽しさではないのか? 私たちは石や幹(丸太)ではない、しかし、いのちの知覚と情愛である」。
 [5] これらを聞いて、憤慨した二人の天使的な霊は答えた、「あなたがたは依然として貞潔でないので、何が貞潔な性愛か、まったく知らない。
その愛は心のまたここから心臓 ()☆の楽しさそのものである、また同時に心臓 ()の下の肉のものではない。天使の貞潔は、それは両性に共通であり、心(心臓)の囲いを超えてその愛の移行を妨げる、しかしその内部で、その上方で若者の礼儀正しさは乙女の美とともに、貞潔な性愛の歓喜で楽しむ、それらは言葉によって述べられることができないようにも、楽しさのさらに内的なもの、また豊かな(多産な)ものである。
 しかし、この性愛は天使にある、彼らに結婚愛だけがあり、またこの愛は不貞な性愛と同時にありえないからである。真の結婚愛は貞潔な愛であり、不貞な(みだらな)愛と共通なものを持たない。性からの一人の者だけとの、他のすべての者から遠く離れたものである、というのは、霊の〔愛〕またここから身体の愛であるから、また身体の愛とここから霊の〔愛〕ではない、すなわち、霊を悩ませる愛ではない」。
 [6] これらで聞いて、二人の若者の新来者はうれしがった、また言った、「そこにもまた性愛がある、
結婚愛は他の何か?」
 しかし、天使的な霊は彼らに答えた、「深く考えよ、熟考せよ、するとあなたがたは知覚する、あなたがたの性愛は婚外性交の(結婚外の)愛であること、また結婚愛はまったく他のものであること、またこれ(後者)はそれ(前者)から、麦がもみ殻からのように、またはむしろ人間が野獣からのように区別されること。もし、あなたがたが天界の中の女に、何が婚外性交の(結婚外の)愛か質問するなら、私は、「これは何か? 何をあなたがたは言うのか? どのように、耳を害するこのようなものをあなたの口に出てくることができるのか? どのように、創造されなかった愛が人間に出生によって伝わるのか」と答えることを断言する。
 もし、その時、あなたがたが彼女たちに何が真の結婚愛か質問するなら、私は、(彼女たちが)答えることを知っている、性愛ではないこと、〔異〕性からの唯一(一人)の愛〔である〕こと、それは、若者が主により備えられた乙女、また乙女が若者を見る時、両者が自分の心の中に燃え上がる結婚的なもの(結婚への傾き)を感じ、そして、彼は自分のものであり、また彼女は自分のものであること知覚するものと異ならない、というのは、愛はそれ自身の愛に出会う、またそれ自身に認めることを行なう、また直ちに霊魂を結合させる、またその後、心を、またここから胸に入る、そして婚姻の後、〔さらに〕越えて、十分な愛になるからである、それは日々に結合の中へと、もはや二つではないように、しかし、一つ〔である〕ようにまでも増大する。
 [7] さらにまた、私は (彼女たちが)、他の性愛を知らないことを誓うであろう、と知っている。というのは、「どのように性愛が存在することができるのか? 永遠の結合をしたがるように、そのように出迎え、また交互のものでないなら、それは二つが一つの肉であるためである」と言うから。
 これらに天使的な霊は加えた、「天界の中では何が淫行かまったく知られていない、あることも〔知られてい〕ない、ありえることも〔知られてい〕ない。天使は全身で不貞なまたは婚外性交の(結婚外の)愛に凍りつく、そして逆に、全身で貞淑なまたは結婚の愛に温かくなる。そこの男のもとで、すべての神経は、娼婦を見ると委縮し、また妻の見ることで伸長する」。 
 [8] 三人の新来者たちは、これらを聞いて、夫婦の間に地上のような似た愛が天界の中にあるのか、質問した。
 二人の天使的な霊は答えた、まったく似ていること。
 また、似た(同様の)最終的な歓喜がそこにあるかどうか知ることを欲している、と知覚したので、また言った、まったく似ている、しかし、はるかに幸福(祝福されている)、「天使の知覚と感覚は人間の知覚と感覚〔よりも〕はるかに鋭敏であるので。またその愛のいのちは何か、〔性的〕能力の流れ(静脈)からでないなら? これが不足〔するなら〕、その愛はなくなる(不足する)か冷たくならないか? その強さは、測定そのもの、程度(段階)のもの、その愛の基盤そのものではないのか? その始まり、支え、完成ではないのか?
 最初のものは最後の(最終的な)ものから存在するようになり、とどまり、続くことが普遍的な法則であるその愛もまたそのようである。それゆえ、最終的な歓喜がないなら、結婚愛の歓喜は何もない」。
 [9] その時、新来者たちは、その愛の最終的な歓喜からそこに子が生まれないのか、またもし子が生まれないなら、その役立ちは何なのか質問した。
 天使的な霊は答えた、何らかの自然的な子ではなく、霊的な子であること。
また彼らは質問した、「何が霊的な子か?」
 また答えた、「二人の配偶者(夫婦)最終的な歓喜によって、善と真理の結婚でさらに結合される、また善と真理の結婚は愛と知恵の結婚であり、そして愛と知恵が子であり、それらがその結婚から生まれる。た、夫はそこに知恵であり、また妻はその〔知恵への〕愛であり、そしてまた両方は霊的なものであるので、それゆえ、霊的なもの以外の、そこにみごもることまた生じることができる他の子はない。
 ここから、天使は、歓喜の後、地上のある者のように悲しくならない、、しかし、快活になる、またこのことは彼らに前のものの後の力(活力)の不変の流入からであり、それらは更新し、また同時に照らす。というのは、天界の中にやって来るすべての者は、自分の青春時代の春の中に戻る、そしてその年齢の力(活力)の中に、またこのように永遠にとどまるから。
 [10] 三人の新来者たちは、これらを聞いて、言った、「みことばの中に、天使であるので天界の中に婚礼がないことが読まれないか?」
 これらに天使的な霊は答えた、「天界を見上げよ、すると、あなたがたに答えられる」。
 また質問した、なぜ天界を見上げるのか。
 言った、「ここから、私たちにみことばのすべての説明あるからである。
 みことばは深く霊的なものである。また天使は、霊的であるので、その霊的な意味を教えるであろう」。
 またいくらかの時の経過の後、彼らの頭の上方の天界が開かれ、彼らの視野の中にふたりの天使がやって来た、また言った、「天界の中に地上のような婚礼が存在しない。しかし、善と真理の結婚の中にいる者以外の他の者に、そこにない、天使である者以外にもない。それゆえ、善と真理の結婚である霊的な婚礼が、そこに意味される。
 これら〔の婚礼〕は地上に存在する、また死の後でない、そのように天界の中にない。婚礼に招待されていて、入ることができなかった五人の愚かな娘(乙女)について言われるように、彼女たちに善と真理の結婚がなかった、というのは、彼女たちに油(オリーブ油)がなく、明りだけがあったから。「油(オリーブ油)」によって善が、また「明かり」によって真理が意味される。そして「婚姻が与えられること」は天界に入ることであり、そこにその結婚がある。
 三人の新来者は、これらで聞いて喜んだ、そして天界の十分な願望で、またそこに結婚式(婚礼)の希望で、言った、「私たちは願いを獲得するために、礼儀正しいまたふさわしい生活に専念しよう」。
 
☆ corは①心臓、②心の二つの意味がありますが、mensが精神的なものを問題とし、また直後に「肉」に言及しているので、ここは身体の「心臓」と訳すのが正しいでしょう。すなわち、身体にも楽しさがありますが(例えば、感覚器官、また内臓として「胃」など)「心臓にも楽しさがある」と述べています。がわくわくする、とは心臓が喜ぶのでしょう。

原典講読『結婚愛』45

(1)原文

[III.]
DE STATU CONJUGUM POST MORTEM.

 
45. Quod conjugia in caelis sint, mox supra ostensum est; hic nunc, num foedus conjugiale pactum in mundo, mansurum et stabile futurum sit post mortem, vel non. Hoc quia non est res judicii, sed experientiae, et haec mihi data est per consociationem cum angelis et spiritibus, a me tradendum est; at usque ita, ut quoque ratio adstipuletur. Inter vota et desideria conjugum etiam est scire illud; viri enim qui amaverunt uxores suas, si mortuae sunt, volunt scire num bene illis sit, similiter uxores quae amaverunt viros suos, et num iterum conveniant; multi etiam conjuges optant praescire, num post mortem separentur, vel num una vivant; illi qui inter se animis discordant, numne separentur; ac illi qui animis concordant, numne una vivant. Haec quia ex optatis sunt, tradentur; quod fiet in hoc ordine.
 
(i.) Quod amor sexus maneat apud omnem hominem post mortem, qualis ille interius, hoc est, in interiore ejus voluntate et cogitatione fuerat in mundo.
(ii.) Quod amor conjugialis similiter.
(iii.) Quod duo conjuges ut plurimum post mortem conveniant, se cognoscant, iterum consocient, et per aliquod tempus vivant simul; quod fit in primo statu, ita dum in externis sunt sicut in mundo.
(iv.) Sed quod successive, sicut exuunt externa, ac intrant in interna sua, percipiant quali amore et inclinatione inter se ad se mutuo fuerant, et inde num possint una vivere, vel non.
(v.) Quod si possunt una vivere, maneant conjuges; at si non possunt, se separent, quandoque se vir ab uxore, quandoque se uxor a viro, et quandoque se uterque ab invicem.
(vi.) Et quod tunc detur viro uxor conveniens, ac foeminae maritus similiter.
(vii.) Quod conjuges inter se fruantur consortiis similibus, quibus in mundo, sed jucundioribus et beatioribus; verum absque prolificatione, pro qua, seu loco ejus, est illis prolificatio spiritualis, quae est amoris et sapientiae.
(viii.) Quod ita fiat illis qui veniunt in coelum; aliter vero illis qui in infernum.
 
Sequitur nunc explicatio, per quam articuli illi illustrantur et confirmantur.
 
(2)直訳
[III.] DE STATU CONJUGUM POST MORTEM. (3)死後の夫婦の状態について
45. Quod conjugia in caelis sint, mox supra ostensum est; 天界の中に結婚があることが、すぐ前に示された。
hic nunc, num foedus conjugiale pactum in mundo, mansurum et stabile futurum sit post mortem, vel non. ここに今や、世の中で結ばれた結婚の約束(契約)が、死後、残る(続く)また確定しているかどうか、あるいはないか〔示される〕。
Hoc quia non est res judicii, sed experientiae, et haec mihi data est per consociationem cum angelis et spiritibus, a me tradendum est; このことは判断(力)の事柄ではないので、しかし、経験の〔事柄〕、またこのことが私に与えられた、天使との交わりによって、また霊と、私により伝えられる(述べられる)
at usque ita, ut quoque ratio adstipuletur. しかし、それでもそのような〔ものである〕、理性によってもまた得られる(aspiro)ような。
Inter vota et desideria conjugum etiam est scire illud; 夫婦(配偶者たち)の願いと欲求の間にもそれを知ることがある。
viri enim qui amaverunt uxores suas, si mortuae sunt, volunt scire num bene illis sit, similiter uxores quae amaverunt viros suos, et num iterum conveniant; というのは、男は、その者は自分の妻を愛した、もし死ぬなら、知ることを欲するから、彼らによい〔ことである〕かどうか、同様に、妻は、彼女は自分の夫を愛した、また再び出会うかどうか。
multi etiam conjuges optant praescire, num post mortem separentur, vel num una vivant; 多くの夫婦(配偶者たち)また前もって知ることを望む、死後、別れるかどうか、あるいは一緒に生活するかどうか。
illi qui inter se animis discordant, numne separentur; 彼らは、その者は自分たちの間で(互いに)アニムスで一致しない、別れるのではないか。
ac illi qui animis concordant, numne una vivant. そして、彼らは、その者はアニムスで一致している、一緒に生活するのではないか。
Haec quia ex optatis sunt, tradentur; これらが望みから存在するので、伝えられる(述べられる)
quod fiet in hoc ordine.― この順序で行なわれる――
(i.) Quod amor sexus maneat apud omnem hominem post mortem, qualis ille interius, hoc est, in interiore ejus voluntate et cogitatione fuerat in mundo. (1) 死後、すべての人間のもとに性愛が残ること、彼の内なるものがどのようか、すなわち、世の中で彼の内的なものの中の意志と思考が〔どのようなもので〕あったか。
(ii.) Quod amor conjugialis similiter. (2) 結婚愛も同様に〔残る〕こと。
(iii.) Quod duo conjuges ut plurimum post mortem conveniant, se cognoscant, iterum consocient, et per aliquod tempus vivant simul; (3) 二人の夫婦は、死後、たいてい(大部分は)、出会う、互いに認める、再び、仲間となる、またある期間、一緒に生活すること。
quod fit in primo statu, ita dum in externis sunt sicut in mundo. このことが最初の状態の中で生じる、そのように、外なる状態の中に〔いる〕時、世の中でのように。
(iv.) Sed quod successive, sicut exuunt externa, ac intrant in interna sua, percipiant quali amore et inclinatione inter se ad se mutuo fuerant, et inde num possint una vivere, vel non. (4) しかし、連続的に(しだいに)外なるものを出るに応じて、そして自分の内なるものの中に入ること、自分たち自身の間の愛と性向(好み)を知覚する、自分たちに向けて相互にあった、またここから、一緒に生活することができるか、あるいは〔でき〕ないか
(v.) Quod si possunt una vivere, maneant conjuges; もし一緒に生活することができるなら、夫婦は残ること。
at si non possunt, se separent, quandoque se vir ab uxore, quandoque se uxor a viro, et quandoque se uterque ab invicem. しかし、もしできないなら、互いに分かれる、ある時は男自身が妻から、またある時は妻自身が男から、またある時は、両者自身が相互から。
(vi.) Et quod tunc detur viro uxor conveniens, ac foeminae maritus similiter. (6) また、その時、男に適当な(似合いの)妻が与えられること、そして女に夫が同様に。
(vii.) Quod conjuges inter se fruantur consortiis similibus, quibus in mundo, sed jucundioribus et beatioribus; (7) 夫婦は互いの間で似た交わりを享受する、世の中のそれらで、しかし、さらに快いもので、またさらに幸福なもので。
verum absque prolificatione, pro qua, seu loco ejus, est illis prolificatio spiritualis, quae est amoris et sapientiae. けれども、生殖(子孫を産むこと)しに、それに対して、すなわち、その代わりに、霊的な生殖(子孫を産むこと)がある、それは愛と知恵のものである。
(viii.) Quod ita fiat illis qui veniunt in coelum; aliter vero illis qui in infernum. (8) 彼らのそのようになること、その者は天界の中にやって来る。けれども、彼らに異なっている、その者は地獄の中に〔やって来る〕。
Sequitur nunc explicatio, per quam articuli illi illustrantur et confirmantur. 今や、説明が続けられる、それによってそれらは照らされ、確信させられる。
 
(3)訳文

(3)死後の夫婦の状態について
 

45.天界の中に結婚があることが、すぐ前に示された。今やここに、世の中で結ばれた結婚の約束が、死後、残り、確定しているか、あるいはそうでないか〔示される〕。
 このことは判断の事柄ではなく、経験の事柄であるので、またこのことが、天使また霊との交わりによって私に与えられたので、私により伝えられ。しかし、それでも理性によってもまた得られるようなものである、。
 夫婦(配偶者たち)の願いと欲求の間にもそれを知ることがある。というのは、自分の妻を愛した男は、もし死ぬなら、〔これは〕自分たちによい〔ことである〕かどうか知ることを欲するから、同様に、自分の夫を愛した妻は、また再び出会うかどうか。多くの夫婦(配偶者たち)また、死後、別れるかどうか、あるいは一緒に生活するかどうか前もって知ることを望む。互いにアニムス(気質)で一致しないなら、別れるのではないか。そして、アニムスで一致しているなら、一緒に生活するのではないか。
これらが、望みから存在するので、伝えられ。この順序で行なわれる――
 
 (1) 死後、すべての人間のもとに性愛が残る、彼の内なるものがどのようか、すなわち、世の中で彼の内的なものの中の意志と思考が〔どのようなもので〕あったかである。
 (2) 結婚愛も同様〔に残る〕。
 (3) 大部分の夫婦のふたりは、死後、出会い、互いに認め、再び、仲間となる、またある期間、一緒に生活する。このことが最初の状態の中で、そのように、外なる状態の中に〔いる〕時、世の中でのように生じる。
 (4) しかし、しだいに、外なるものを出る、そして自分の内なるものの中に入ることに応じて、自分たちに向けて相互にあった自分たち自身の間の愛と性向(好み)を、またここから、一緒に生活することができるか、あるいは〔でき〕ないか知覚する。
(5) もし一緒に生活することができるなら、夫婦は残る。しかし、もしできないなら、互いに別れる、ある時は男自身が妻から、またある時は妻自身が男から、またある時は、両者自身が相互から。
 (6) また、その時、男に適当な(似合いの)妻が、そして同様に女に夫が与えられる。
 (7) 夫婦は、互いの間で世の中のそれらと似た交わりを享受する、しかし、さらに快いもので、またさらに幸福なものである。けれども、生殖(子孫を産むこと)く、それに対して、すなわち、その代わりに、霊的な生殖(子孫を産むこと)がある、それは愛と知恵のものである。
 (8) 天界の中にやって来る者はそのようになる。けれども、地獄の中にやって来る者は異なる。
 
 今や、説明が続けられ、それによってそれらは照らされ、確信させられる。

原典講読『結婚愛』46

(1)原文
46. (i.) Quod amor sexus maneat apud omnem hominem post mortem, qualis ille interius, hoc est, in interiore ejus voluntate et cogitatione fuerat in mundo. Omnis amor sequitur hominem post mortem, quia est esse vitae ejus; et amor regnans, qui est caput reliquorum, permanet apud hominem in aeternum, et cum illo simul amores subordinati; quod permaneant, est quia amor est proprie spiritus hominis, et est corporis a spiritu, ac homo post mortem fit spiritus, et sic amorem suum fert secum; et quia amor est esse vitae hominis, patet, quod qualis hominis vita fuit in mundo, talis fiat sors ejus post mortem. Quod amorem sexus concernit, est ille universalis omnium, nam est a creatione inditus ipsi animae hominis, ex qua totius hominis essentia est, et hoc propter generis humani propagationem; quod hic amor principaliter maneat, est quia post mortem vir est vir, ac femina est femina, et quia nihil est in anima, in mente, et in corpore, quod non est masculinum in masculo, et femininum in femina; et haec duo ita creata sunt, ut connitantur in conjunctionem, imo in conjunctionem ut unum fiant; hic nisus est amor sexus, qui praecedit amorem conjugialem. Nunc quia inclinatio conjunctiva inscripta est omnibus et singulis masculi et feminae, sequitur quod illa inclinatio non possit obliterari ac obire cum corpore.
 
(2)直訳
46. (i.) Quod amor sexus maneat apud omnem hominem post mortem, qualis ille interius, hoc est, in interiore ejus voluntate et cogitatione fuerat in mundo.― (1) 死後、すべての人間のもとに性愛が残ること、彼の内なるものがどのようか、すなわち、世の中で彼の内的なものの中の意志と思考が〔どのようなもので〕あったか。
Omnis amor sequitur hominem post mortem, quia est esse vitae ejus; すべての愛が人間に、死後、同行する(続く)、彼のいのちのエッセ(存在)であるので。
et amor regnans, qui est caput reliquorum, permanet apud hominem in aeternum, et cum illo simul amores subordinati; また、支配愛は、それは他のもの〔愛〕の頭である、人間のもとに永遠に残る(存続する)、またそれとともに同時に従属する愛が。
quod permaneant, est quia amor est proprie spiritus hominis, et est corporis a spiritu, ac homo post mortem fit spiritus, et sic amorem suum fert secum;  残る(存続する)ことは、愛は正しく(正確に)人間の霊であるからである、また霊から身体のものである、そして、人間は、死後、霊になる、またこのように自分の愛を自分自身にもたらす(受ける)。
et quia amor est esse vitae hominis, patet, quod qualis hominis vita fuit in mundo, talis fiat sors ejus post mortem. また、愛は人間のいのちのエッセであるので、明らかである、人間のいのち(生活)が世の中でどのようなものであったか〔によって〕、彼の死後の運命がそのようなものになることが。
Quod amorem sexus concernit, est ille universalis omnium, nam est a creatione inditus ipsi animae hominis, ex qua totius hominis essentia est, et hoc propter generis humani propagationem; 性愛については、それはすべてのもの〔愛〕の普遍的なものである、なぜなら、創造から人間の霊魂そのものに着せられているからである、それから人間全体に本質がある、またこれは人類の繁殖のため〔のものである〕。
quod hic amor principaliter maneat, est quia post mortem vir est vir, ac femina est femina, et quia nihil est in anima, in mente, et in corpore, quod non est masculinum in masculo, et femininum in femina; この愛が特に残ることは、死後、男は男である、そして、女は女であるからである、また霊魂の中に、心の中に、また身体の中に何もないからである、男性の中に男らしいものはないこと、また女性の中に女らしいもの。
et haec duo ita creata sunt, ut connitantur in conjunctionem, imo in conjunctionem ut unum fiant; またこれら二つはそのように創造されている、結合に向かって努力するように、それどころか、結合の中で一つとなるように。
hic nisus est amor sexus, qui praecedit amorem conjugialem. この努力(活動)は性愛である、それは結婚愛に先行する。
Nunc quia inclinatio conjunctiva inscripta est omnibus et singulis masculi et feminae, sequitur quod illa inclinatio non possit obliterari ac obire cum corpore. さて、結合へ向かう傾向が男性と女性のすべてと個々のものに刻み込まれているので、~がいえる、その傾向は身体とともに抹殺される(消し去られる)とそして死ぬことができないこと。
 
(3)訳文
46.(1) 死後、すべての人間のもとに性愛が残る、彼の内なるものがどのようか、すなわち、世の中で彼の内的なものの中の意志と思考が〔どのようなもので〕あったかである。
 すべての愛が人間に、死後、同行す、彼のいのちのエッセ(存在)であるからである。また、他の愛の頭(かしら)である支配愛は、またそれとともに同時に従属する愛が人間のもとに永遠に存続する存続するのは、愛はまさしく人間の霊であり、また霊から身体のものである、そして、人間は、死後、霊になり、またこのように自分の愛を自分自身にもたらすからである。また、愛は人間のいのちのエッセであるので、人間のいのち(生活)が世の中でどのようなものであったか〔によって〕、彼の死後の運命がそのようなものになることが明らかである。
 性愛については、それはすべての愛の普遍的なものである、なぜなら、創造から人間の霊魂そのものに着せられていて、それから人間全体に本質があり、またこれは人類の繁殖のため〔のものである〕からである。この愛が特に残ることは、死後、男は男であり、女は女であるからである、また霊魂の中に、心の中に、また身体の中に、男性の中に男らしいもの、また女性の中に女らしいものがないことは何もないからである〔二重否定、すなわち、=ある〕。またこれら〔男女〕二つは、結合に向かって努力するように、それどころか、結合の中で一つとなるように、そのように創造されている。この努力(活動)は性愛であり、それは結婚愛に先行する。
 さて、結合へ向かう傾向が男性と女性のすべてと個々のものに刻み込まれているので、その傾向は身体とともに消し去られ、そして死ぬことができないことがいえる。