原典講読『結婚愛』44(直訳[10]と訳文)

[10] Tres novitii his auditis, dixerunt, "Legiturne in Verbo, quod in caelo non dentur nuptiae, quia sunt angeli?" [10] 三人の新来者たちは、これらで聞いて、言った、「みことばの中に読まれないか? 天界の中に結婚式(婚礼)がないこと、天使であるので」。
Ad haec spiritus angelici responderunt, "Suspicite in caelum, et vobis respondebitur." これらに天使的な霊は答えた、「天界の中を見上げよ、すると、あなたがたに答えられる」。
Et quaesiverunt, cur suspicerent in caelum. また質問した、なぜ天界の中を見上げるのか。
Dixerunt, "Quia inde sunt nobis omnes interpretationes Verbi; 言った、「ここから私たちにみことばのすべての説明(解釈)あるからである。
Verbum est penitus spirituale; みことばは深く霊的なものである。
et angeli, quia sunt spirituales, docebunt spiritualem intellectum ejus." また天使は、霊的であるので、その霊的な意味(理解されたもの)を教える(未来)」。
Et post aliquam moram aperiebatur caelum supra caput illorum, et in conspectum illorum venerunt duo angeli, et dixerunt, "Dantur nuptiae in caelis, sicut in terris; またいくらかの時の経過の後、彼らの頭の上方の天界が開かれた、また彼らの視野の中にふたりの天使がやって来た、また言った、「天界の中に結婚式(婚礼)が存在しない、地の中のような。
sed non aliis ibi, quam qui in conjugio boni et veri sunt, neque alii sunt angeli; しかし、他の者にそこにない、善と真理の結婚の中にいる者以外に、天使である、他の者にもない。
quare nuptiae spirituales, quae sunt conjugii boni et veri, ibi intelliguntur. それゆえ、霊的な結婚式(婚礼)、それは善と真理の結婚である、そこに意味される。
Hae dantur in terris, et non post obitum, ita non in caelis; これら〔の婚礼〕は地の中に存在する、また死の後でない、そのように天界の中にない。
sicut dicitur de quinque virginibus stultis, in nuptias etiam invitatis, quod non potuerint intrare, quia illis non fuit conjugium boni et veri, non enim fuit illis oleum, sed modo lampades; 五人の愚かな娘(乙女)について言われるように、婚礼に招待もされている、入ることができなかったこと、彼女たちに善と真理の結婚がなかった、というのは、彼女たちに油(オリーブ油)がなかったから、しかし、明りだけが。
per ‘oleum’ intelligitur bonum, et per ‘lampades’ verum; 「油(オリーブ油)」によって善が意味される、また「明かり」によって真理。
ac ‘nuptui dari’ est intrare in caelum, ubi est illud conjugium." そして「婚姻に与えられること」は天界に入ることである、そこにその結婚がある。
Tres novitii, his auditis laetificati sunt, ac pleni desiderio caeli, et spe nuptiarum ibi, et dixerunt, "Studebimus moralitati et decori vitae, ut votis potiamur." 三人の新来者は、これらで聞いて喜んだ、そして天界の十分な願望で、またそこに結婚式(婚礼)の希望で、また言った、「私たちは礼儀正しい(=道徳的な)またふさわしい生活に専念する(意図する)(未来)、願いを獲得するために」。
 
(3)訳文
44.第二のメモラビリア――
 かつて、私は世からの三人の新来の霊を見た、その者たちは歩きまわり、(視覚によって)調べ、質問した。
彼らは驚きの中にいた、以前のような完全な人間を見たこと、また以前と同様の者を見たこと。というのは、彼らは知ったから〔ここを「新しくした」と誤訳してしまいました〕、以前の世界、すなわち、自然から死んだこと、またそこで、人間は最後の審判よりも前に生きないこと、その時、墓の中にたくわえられた肉と骨で取りまかれることを信じたこと。それゆえ、むしろ真の人間であった〔という〕すべての疑いがはらされるために、交互に眺めたそして自分自身を、また他の者を触れ、また対象をさわって調べ、また千のものによって、今や、前の世の中のような人間であったことを確認した。このことに加えて、お互いにさらに純粋な光の中で、また対象をすぐれた輝きの中で、またこのようにさらに完全に見る〔ことを確認した〕。
 [2] その時、たまたま、ふたりの天使的な霊が彼らに出会った、また、「どこからあなたがたはであるか?」と言って、引き止めた。また、彼らは答えた、「私たちは世から死んだ、そして再び世の中で生きている。そのように私たちは世から世の中へ移住した。このことに、今や、私たちは驚いている」。
 またその時、三人の新来者はふたりの天使的な霊に天界について質問した。また三人の新来者からのふたりは青年であったので、彼らの目から性への欲望(情欲)の火花のよう〔なものが〕輝き出た、天使的な霊は言った、「おそらく、あなたは女を見た」。また彼らは答えた、「私たちは見た」。
 また天界について質問したので、彼らはこれらを言った――
 「天界の中にすべての荘厳なものとみごとなもの、また目は決して見ないようなものがある。またそこに乙女と若者がいる、乙女は、その形の中の美と呼ばれることができるようにも美しい。そして、若者は形の中の礼儀正しさと呼ばれることができるようにも礼儀正しい。また、乙女(処女)の美と若者の礼儀正しさ、相互のまた釣り合っている形のように、それ自体に対応している」。
 また、ふたりの新来者は、天界の中で人間の形は自然界の中にいる彼らとまったく似ているかどうか質問した。
 また答えた、まったく似ている、男から何も、また女から何も取り除かれていないこと。「一言でいえば、男は男であり、女は女である、すべての完全な形の中に、その中に創造されている。もし欲するなら、去れ、またあなたのもとで調べよ、何も欠けていないか、むしろ、あなたは以前のように男であるかどうか」。
 [3] 再び、新来者たちは言った、「私たちは世の中で、そこから私たちは去ったが、天界の中では天使であるので婚姻が存在しない、と聞いた。このように、性愛は存在するのか?」
 また、天使的な霊は答えた、「あなたがたの性愛はそこ〔天界〕に存在しない、しかし、天使の性愛が存在し、それは欲望(情欲)らのすべての誘惑なしの貞潔である」。
 これに新来者たちは答えた、「もし誘惑するもの(魅力的なもの)が何もない性愛が存在するなら、その時、何が性愛か?
 またこの愛について考えたとき、ため息をついた、また言った「おお、なんと天界の楽しさは乾いていることか。若者のだれが、その時、天界を望むことができるのか?
 そのような愛は不毛のものやいのちの欠いていものでないのか?」
 これらに天使的な霊は、ほほえんで話した、「天使の性愛は、すなわち、天界の中にあるようなものは、それでも、最内部で楽しさで満ちている。心のすべてのものの最も楽しいものの拡張である、またここから胸のすべてのものの、そして胸の中に内部にある、心臓が肺と遊ぶように、その遊びから呼吸、音声また話しが出る、それが(両)性の間の、すなわち、若者と乙女の間の交わりのようにつくる、〔それは〕天界の快さそのものであり、純粋である。
 [4] 天界の中に上るすべての新来者は、〔その者の〕貞潔がどんのものであるか調べられる。というのは、乙女交わりの中に入れられ、天界の美の〔彼女たちとの〕、彼女たちは音声から、話し、顔、目、身振り、また出てくるスフェアから、性愛に関してどんなものであるか知覚するから。その者がもしみだらな(不貞な)ものであるなら、逃げ去り、また自分たちに、サテュロスまたはプリアーポスを見たことを知らせる。そしてまた、新来の(近づく者)らは、また天使の目の前に毛むくじゃらの者に見られる、また足に関して子牛またはヒョウのように変えられ、また彼らは、自分の欲望(情欲)でそこにオーラ(空気)を汚さないように、すぐに投げ落される」。
 これらで聞いて、二人の新来者は再び言った、「そのように界の中に性愛は何もない。そのいのちの本質を空(から)にした愛でないなら、貞潔な性愛とは何か? このようにそこの若者と乙女の交わりは乾燥した(味気ない)楽しさではないのか? 私たちは石や幹(丸太)ではない、しかし、いのちの知覚と情愛である」。
 [5] これらを聞いて、憤慨した二人の天使的な霊は答えた、「あなたがたは依然として貞潔でないので、何が貞潔な性愛か、まったく知らない。
その愛は心のまたここから心臓 ()☆の楽しさそのものである、また同時に心臓 ()の下の肉のものではない。天使の貞潔は、それは両性に共通であり、心(心臓)の囲いを超えてその愛の移行を妨げる、しかしその内部で、その上方で若者の礼儀正しさは乙女の美とともに、貞潔な性愛の歓喜で楽しむ、それらは言葉によって述べられることができないようにも、楽しさのさらに内的なもの、また豊かな(多産な)ものである。
 しかし、この性愛は天使にある、彼らに結婚愛だけがあり、またこの愛は不貞な性愛と同時にありえないからである。真の結婚愛は貞潔な愛であり、不貞な(みだらな)愛と共通なものを持たない。性からの一人の者だけとの、他のすべての者から遠く離れたものである、というのは、霊の〔愛〕またここから身体の愛であるから、また身体の愛とここから霊の〔愛〕ではない、すなわち、霊を悩ませる愛ではない」。
 [6] これらで聞いて、二人の若者の新来者はうれしがった、また言った、「そこにもまた性愛がある、
結婚愛は他の何か?」
 しかし、天使的な霊は彼らに答えた、「深く考えよ、熟考せよ、するとあなたがたは知覚する、あなたがたの性愛は婚外性交の(結婚外の)愛であること、また結婚愛はまったく他のものであること、またこれ(後者)はそれ(前者)から、麦がもみ殻からのように、またはむしろ人間が野獣からのように区別されること。もし、あなたがたが天界の中の女に、何が婚外性交の(結婚外の)愛か質問するなら、私は、「これは何か? 何をあなたがたは言うのか? どのように、耳を害するこのようなものをあなたの口に出てくることができるのか? どのように、創造されなかった愛が人間に出生によって伝わるのか」と答えることを断言する。
 もし、その時、あなたがたが彼女たちに何が真の結婚愛か質問するなら、私は、(彼女たちが)答えることを知っている、性愛ではないこと、〔異〕性からの唯一(一人)の愛〔である〕こと、それは、若者が主により備えられた乙女、また乙女が若者を見る時、両者が自分の心の中に燃え上がる結婚的なもの(結婚への傾き)を感じ、そして、彼は自分のものであり、また彼女は自分のものであること知覚するものと異ならない、というのは、愛はそれ自身の愛に出会う、またそれ自身に認めることを行なう、また直ちに霊魂を結合させる、またその後、心を、またここから胸に入る、そして婚姻の後、〔さらに〕越えて、十分な愛になるからである、それは日々に結合の中へと、もはや二つではないように、しかし、一つ〔である〕ようにまでも増大する。
 [7] さらにまた、私は (彼女たちが)、他の性愛を知らないことを誓うであろう、と知っている。というのは、「どのように性愛が存在することができるのか? 永遠の結合をしたがるように、そのように出迎え、また交互のものでないなら、それは二つが一つの肉であるためである」と言うから。
 これらに天使的な霊は加えた、「天界の中では何が淫行かまったく知られていない、あることも〔知られてい〕ない、ありえることも〔知られてい〕ない。天使は全身で不貞なまたは婚外性交の(結婚外の)愛に凍りつく、そして逆に、全身で貞淑なまたは結婚の愛に温かくなる。そこの男のもとで、すべての神経は、娼婦を見ると委縮し、また妻の見ることで伸長する」。 
 [8] 三人の新来者たちは、これらを聞いて、夫婦の間に地上のような似た愛が天界の中にあるのか、質問した。
 二人の天使的な霊は答えた、まったく似ていること。
 また、似た(同様の)最終的な歓喜がそこにあるかどうか知ることを欲している、と知覚したので、また言った、まったく似ている、しかし、はるかに幸福(祝福されている)、「天使の知覚と感覚は人間の知覚と感覚〔よりも〕はるかに鋭敏であるので。またその愛のいのちは何か、〔性的〕能力の流れ(静脈)からでないなら? これが不足〔するなら〕、その愛はなくなる(不足する)か冷たくならないか? その強さは、測定そのもの、程度(段階)のもの、その愛の基盤そのものではないのか? その始まり、支え、完成ではないのか?
 最初のものは最後の(最終的な)ものから存在するようになり、とどまり、続くことが普遍的な法則であるその愛もまたそのようである。それゆえ、最終的な歓喜がないなら、結婚愛の歓喜は何もない」。
 [9] その時、新来者たちは、その愛の最終的な歓喜からそこに子が生まれないのか、またもし子が生まれないなら、その役立ちは何なのか質問した。
 天使的な霊は答えた、何らかの自然的な子ではなく、霊的な子であること。
また彼らは質問した、「何が霊的な子か?」
 また答えた、「二人の配偶者(夫婦)最終的な歓喜によって、善と真理の結婚でさらに結合される、また善と真理の結婚は愛と知恵の結婚であり、そして愛と知恵が子であり、それらがその結婚から生まれる。た、夫はそこに知恵であり、また妻はその〔知恵への〕愛であり、そしてまた両方は霊的なものであるので、それゆえ、霊的なもの以外の、そこにみごもることまた生じることができる他の子はない。
 ここから、天使は、歓喜の後、地上のある者のように悲しくならない、、しかし、快活になる、またこのことは彼らに前のものの後の力(活力)の不変の流入からであり、それらは更新し、また同時に照らす。というのは、天界の中にやって来るすべての者は、自分の青春時代の春の中に戻る、そしてその年齢の力(活力)の中に、またこのように永遠にとどまるから。
 [10] 三人の新来者たちは、これらを聞いて、言った、「みことばの中に、天使であるので天界の中に婚礼がないことが読まれないか?」
 これらに天使的な霊は答えた、「天界を見上げよ、すると、あなたがたに答えられる」。
 また質問した、なぜ天界を見上げるのか。
 言った、「ここから、私たちにみことばのすべての説明あるからである。
 みことばは深く霊的なものである。また天使は、霊的であるので、その霊的な意味を教えるであろう」。
 またいくらかの時の経過の後、彼らの頭の上方の天界が開かれ、彼らの視野の中にふたりの天使がやって来た、また言った、「天界の中に地上のような婚礼が存在しない。しかし、善と真理の結婚の中にいる者以外の他の者に、そこにない、天使である者以外にもない。それゆえ、善と真理の結婚である霊的な婚礼が、そこに意味される。
 これら〔の婚礼〕は地上に存在する、また死の後でない、そのように天界の中にない。婚礼に招待されていて、入ることができなかった五人の愚かな娘(乙女)について言われるように、彼女たちに善と真理の結婚がなかった、というのは、彼女たちに油(オリーブ油)がなく、明りだけがあったから。「油(オリーブ油)」によって善が、また「明かり」によって真理が意味される。そして「婚姻が与えられること」は天界に入ることであり、そこにその結婚がある。
 三人の新来者は、これらで聞いて喜んだ、そして天界の十分な願望で、またそこに結婚式(婚礼)の希望で、言った、「私たちは願いを獲得するために、礼儀正しいまたふさわしい生活に専念しよう」。
 
☆ corは①心臓、②心の二つの意味がありますが、mensが精神的なものを問題とし、また直後に「肉」に言及しているので、ここは身体の「心臓」と訳すのが正しいでしょう。すなわち、身体にも楽しさがありますが(例えば、感覚器官、また内臓として「胃」など)「心臓にも楽しさがある」と述べています。がわくわくする、とは心臓が喜ぶのでしょう。