[5.] Dictum est mihi ab angelis exploratoribus, quod praesul ille prae multis aliis, qui se in justificatione per solam fidem confirmaverunt, in statu conversionis sit, quoniam in pueritia sua, antequam ingressus est reformationem facere, imbuerit dogma de praeeminentia charitatis: [5] 私に調査者の天使から話された、長〔である〕彼は他の多くの者よりも、その者は自分自身を信仰のみによって義認の中に確信した、回心の状態の中にいる、~ので、自分の少年期の中で、改革を行なうことに入る前に、仁愛の卓越についての教義を吸収した。
quapropter etiam tam in scriptis quam in sermonibus suis tam egregie de charitate docuit; そのためにさらにまた、自分の著作(文書)の中にも、説教の中にも、これほどに著しく仁愛について教えた。
ex quibus profluit, quod fides justificationis apud illum implantata fuerit in externo naturali ejus homine, non autem radicata in interno spirituali homine. それらから生じた(流れ出た)、彼のもとの義認の信仰は植え付けられたこと、彼の外なる自然的な人の中に、けれども内なる霊的な人の中に根付いていなかった。
Aliter vero fit cum illis, qui in pueritia sua se confirmant contra spiritualitatem charitatis; けれども、彼らに異なっている、その者は自分の少年期の中で仁愛の霊性に反して確信した。
quod etiam ex se fit, dum justificatio per solam fidem per confirmationes stabilitur. さらにまた自分自身から〔そう〕なっている、信仰のみによって義認を確信によって確かなものにされた時。
Locutus sum cum Principe Saxoniae, cum quo Lutherus in mundo fuerat: 私はザクセン☆1の君主☆2と話した、その者とともにルターは世の中にいた。
☆1 ザクセンは東ドイツ東南部の地方、旧州。
☆2 君主となっていますが、本書の最後に(メモラビリア索引の後)「ドイツの選帝侯の質問」の記事があります。その選帝侯(大公)です。すなわち、ルターの庇護者であったザクセン選帝侯フリードリヒ三世」です。
ille mihi retulit, quod saepius oblocutus sit, imprimis quod charitatem separaverit e fide, et hanc salvificam et non illam declaraverit, cum tamen Scriptura Sacra non modo illa duo universalia media salutis conjungit, sed etiam Paulus charitatem fidei praefert, dicendo, 彼は私に語った(refero)、しばしば逆らったこと、特に、仁愛を信仰から分離したこと、またこれ(後者=信仰)は救うもの、またそれ(前者=仁愛)は〔救わ〕ない、と宣言した、そのときそれでも聖書はその二つの普遍的な救いの手段は結合しているだけでなく、しかし、パウロもまた仁愛を信仰に(与格)優先させた☆、言って、
☆ praeferoは与格を取ります。
Quod sint tria, fides, spes, et charitas, et quod harum maxima sit charitas (1 Cor. xiii. 13). 三つのものがあること、信仰、希望、また仁愛、またこれらの最大のものが仁愛であること(コリントⅠ13:13)。
sed quod Lutherus toties responderit, quod non possit aliter propter Romano-Catholicos. しかし、ルターはこれほど何度も答えた、ローマカトリック教徒のために〔分離と〕異なってできなかったこと。
Hic princeps est inter felices. この君主は幸福な者の間にいる。
(3) 訳文
796. これらの三人の指導者が、それらの者はキリスト教会の改革者たちであったとき、しばしば私は話し、またここから、彼らのいのちの状態が、最初から今日まで、どんなものであたか教えられた。
ルターについては――
霊界に着いたとき、最初の時から、自分の教義の最も熱烈な宣伝者と擁護者であった、また地から多数の同意する者と好感を持つ者が増大するほど、それに対する彼の熱意は増えた。
そこに、彼のいのちが身体の中にあった時のアイスレーベンような家が彼に与えられた。またそこの真ん中にすこし上げられた席が設けられ、その中に着席した。また開かれた入り口を通って聞く者は入った。また、これらの者を順に配列した。最も近い(ところ)に自分に好意を持つ者が座った、また彼らの後ろに好意の少ない者を置いた、またその時、ずっと話し続けたが、時々、質問を許した、話しが何らかの起源から同じものが始まり、その結末となる目的のためである。
[2] この公衆の(全般的な)好意から最後に〔ルターは〕「確信」を吸収した、それは霊界の中で、話すものに対して、だれからも抵抗されないようなできないような効力である。
けれども、これは古代人により利用された呪文を唱えること(加持祈祷)の種類〔のもの〕であったので、その確信からさらに話すことは重く禁じられ、またその後、前のように記憶と同時に理解力(知力)から教えた。
このような確信は、自己愛からわき出る呪文を唱えること(加持祈祷)の種類〔のもの〕である。それからは、最後に、だれかが反駁する(否定する)とき、疑問の事柄を攻撃するだけでなく、しかし人物そのものもまた〔攻撃する〕ようなものになる。
[3] これが霊界の中で1757年に行なわれた最後の審判までの、彼のいのち(生活)の状態であった。しかし、その時、一年の後、自分の最初の家から他のものへ、また同時に、その時、他の状態の中へ移された。
また、彼は、私が、自然界の中にいる者であり、霊界の中に者と話すことを聞いたので、多くの者の間にいて、私に近づいた、また何らかの質問と答えの後、今日が前の教会の終わりであり、新しいもの〔教会〕の始まりであることを知覚した、それについてダニエルが預言した、また主が福音書記者のもとに予告した。また、この「新しい教会」は「黙示録」の中の「新しいエルサレム」によって意味されること、「永遠の福音」によって、天界の中央を飛んでいる天使が地の上に住んでいる者に福音をもたらしたこと(14:6同書)に強く憤慨し、ののしった。けれども、新しい天界(が設立され)、つくられたこと、またその方のことばにしたがって(マタイ18:18)、天地の神として主だけを認めた者から生じたことを知覚するほど、また、集団が、毎日、自分の集会へ、少なくなることに気づくほど、争いが終わり、その時、私のすぐ近くに近づき、私と親しく話すことを始めた。また、信仰
のみによる義認についての主要な教義がみことばからでなく、しかし、プロプリウムの知性から持ち込んだことを確信した後に、主について、仁愛について、信仰の真理について、選択の自由について、またさらに、あがないについて、またこのことをひとえにみことばから自分自身に教えられることを許した。
[4] 最後に、確信の後、好意を持ち始め、またその後、さらにまたさらに、それらから「新しい教会」が確立されるという〝真理〟確信し始めた。この時に、私のもとに彼は毎日いた、またその時、それらの〝真理〟を再び集めるたびごとに、みことばと正反対に対立しているような以前の自分の教義を、笑い始めた。また私は彼が言っているのを聞いた、「あなたがたは、私が信仰のみの義認を捕え、仁愛を霊的なもののその本質から締め出し、そしてまた人間の霊的なものの中ですべての選択の自由を、ほかに信仰のみにより一緒に受け入れられたそれらの鎖からの輪のように、ぶら下がる多くのものを取り除いたことを怪しむな。その目的はローマカトリック(教徒)から引き離すことにあった、その目標を私は異なって遂げ、なし遂げることができなかったからである。そのために、私がはずれたことに驚かない、しかし、私は、一人の狂った者がこのように多くの狂った者を生みだすことができることに驚いている」。また、そばに、その時代に評判となっている教義で有名なある著者を、その信仰の教えの信奉者を眺めた、彼らは聖書の中の対立するものを見なかった、それらは、それでもはっきりとしている。
[5] 私に調査者の天使から話された。主導者である彼は自分自身を信仰のみによって義認の中に確信した他の多くの者よりも、回心の状態の中にいる、改革を行なうことに入る前に、自分の少年期の中で、仁愛の卓越についての教義を吸収したからである。そのためにさらにまた、自分の書いたものの中でも、説教の中でも、これほどに著しく仁愛について教えた。それらから生じた、彼のもとの義認の信仰は、彼の外なる自然的な人の中に植え付けられた、けれども、内なる霊的な人の中に根付いていなかったこと。
けれども、自分の少年期の中で仁愛の霊性に反して確信した者は異なる。さらにまた、信仰のみによって義認を確信によって確かなものにされた時、自分自身から〔そう〕なっている者も。
私はザクセン☆1の君主☆2と話した、ルターは世でその者とともにいた。彼は私に語った、しばしば逆らったこと、特に、仁愛を信仰から分離し、信仰は救うもの、また仁愛は救わないと宣言したこと、そのときそれでも聖書はその二つの普遍的な救いの手段は結合しているだけでなく、しかし、パウロもまた仁愛を信仰に優先させた、言って、
三つのものがあること、信仰、希望、また仁愛、またこれらの最大のものが仁愛であること(コリントⅠ13:13)。
しかし、ルターは、ローマカトリック教徒のために〔分離と〕異なってできなかった、と何度も答えた。
この君主は幸福な者の間にいる。
☆1 ザクセンは東ドイツ東南部の地方、旧州。
☆2 君主となっていますが、本書の最後に(メモラビリア索引の後)「ドイツの選帝侯の質問」の記事があります。その選帝侯(大公)です。すなわち、ルターの庇護者であったザクセン選帝侯フリードリヒ三世」です。