原典講読『真のキリスト教』782(直訳[3],[4])

直訳
[3.] "Excitare, excitare, indue robur tuum Zion; [3] 「起き上がれ、起き上がれ、あなたの力強さを着よ、シオン。
indue vestes decoris tui Hierosolyma, urbs sanctitatis; あなたの美しい衣服を着よ、エルサレム、聖なる都。
quia non addet ut in te veniat amplius praeputiatus et immundus: なぜなら、加えないから、さらにあなたの中にやって来るような〔ことは〕、無割礼の者と汚れた者。
excute te e pulvere, surge, sede Hierosolyma. あなたはちりから振り落とせ、起き上がれ、座れ、エルサレム。
…. Cognoscet populus…nomen meum, in die illo; ……民は知る……わたしの名前を、その日に。
nam Ego Ille qui loquor, ecce Me; なぜなら、わたしは、彼〔である〕その者が話す、見よ、わたしを。
…consolatus Jehovah populum suum, redemit Hierosolymam" (Esai. lii. 1, 2, 6, 9). ……エホバは自分の民を慰める、エルサレムをあがなう」(イザヤ52:1, 2, 6, 9)
"Jubila filia Zionis,…laetare ex omni corde filia Hierosolymae; 「歓呼せよ、シオンの娘……すべての心から喜べ、エルサレムの娘。
…Rex Israelis….in medio tui; ……イスラエルの王が……あなたの真ん中に。
ne time malum amplius; 悪をもはや恐れるな。
…. laetabitur super te cum gaudio, acquiescet in amore [6]suo, exsultabit super te cum jubilo; あなたの上に楽しさとともに喜ぶ、自分の愛の中に満足する(安心する)、あなたの上に歓呼とともに小躍りする。
…dabo vos in nomen et laudem omnibus populis terrae" (Zephan. iii. 14-17, 20). ……わたしはあなたがたを与える、名前と称賛の中へ、地のすべての民に」(ゼパニヤ3:14-17, 20)
"Sic dixit Jehovah Redemptor tuus,…dicens Hierosolymae, Habitaberis" (Esai. xliv. 24, 26). 「このように、あなたのあがない主エホバは言った……エルサレムに言って、あなたは住む〔ようになる〕」(イザヤ44:24, 26)
"Sic dixit Jehovah, Revertar ad Zionem, et habitabo in medio Hierosolymae; 「このように、エホバは言った、わたしはシオンに帰る、またわたしはエルサレムの真ん中に住む。
unde vocabitur Hierosolyma urbs veritatis, et mons Jehovae Zebaoth mons sanctitatis" (Sach. viii. 3, 20-23). そこからエルサレムは〝真理〟の都と呼ばれる、また万軍のエホバの山は聖なる山と」(ゼカリヤ8:3, 20-23)
"Tunc cognoscetis, quod ego Jehovah Deus tuus, habitans in Zione, monte sanctitatis, et erit Hierosolyma sanctitas: 「その時、あなたがたは知る、わたしエホバがあなたがたの神、シオンの中に住んでいる、聖なる山、またエルサレムは聖なるもの〔になる〕ことを。
…. et fiet in die illo, stillabunt montes mustum, et colles fluent lacte: ……またその日の中になる、山々が新しいブドウ酒を滴らせる、また丘々が乳を流す。
…et Hierosolyma sedebit in generationem et generationem" (Joel iv.[B.A. iii.] 17-21). ……またエルサレムは世々に(世代と世代の中に)座る」(ヨエル3:17-21)
[4.] "In die illo erit germen Jehovae in decus et gloriam; [4] 「その日に、エホバの若枝は美観と栄光の中にある。
…. et fiet, relictus in Zione, et residuus in Hierosolyma, Sanctus dicetur,..omnis scriptus ad vitam in Hierosolyma" (Esai. iv. 2, 3). ……またなる、シオンの中に残された者は、またエルサレムの中に残りの者は、聖なるものと言われる……すべての者はエルサレムの中でいのちへ書かれる」(イザヤ4:2, 3)
"In extremitate dierum erit mons domus Jehovae constitutus in caput montium; 「終わりの日に、エホバの家の山は山々の頂の中に据えられる。
…nam e Zione exibit Doctrina, et Verbum Jehovae ex Hierosolyma" (Mich. iv. 1, 2, 8). ……なぜなら、シオンから教えが出る、またエルサレムからエホバのみことばが」(ミカ4:1, 2, 8)
"In tempore illo vocabunt Hierosolymam thronum Jehovae, et congregabuntur omnes gentes ob nomen Jehovae Hierosolymam, neque ibunt amplius post confirmationem cordis sui mali" (Jerem. iii. 17). 「その時に、エルサレムはエホバの王座と呼ばれる、すべての国はエホバのエルサレムの名前のために集められる、もはや自分の悪の心の確信の後に行く(こと)ない」(エレミヤ3:17)
"Specta Zionem urbem festi stati nostri, oculi tui videant Hierosolymam, habitaculum tranquillum, tabernaculum quod non dissipabitur; 「私たちの祝祭の定められたシオンの都を眺めよ、あなたの目はエルサレムを見る、穏やかな(静かな)住まいを、幕屋(天幕)を、それは追い散らされない。
non removebuntur clavi ejus in perpetuum, et funes ejus non avellentur" (Esai. xxxiii. 20). そのくいは取り去られない、永久に、またその綱は引き離されない」(イザヤ33:20)
(Praeter etiam alibi, ut Esai. xxiv. [7]23; xxxvii. 32; lxvi. 10-14; Sach. xii. 3. 6-10; xiv. 8, 11, 12, 21; Malach. iii. [8]4; Psalm. cxxii. 1-7; Psalm. [9]cxxxvii. 4-6.) (ほかにもまた他の箇所に、例えば、イザヤ24:2337:3266:2337:3266:10-14、ゼカリヤ12:3, 6-1014:8, 11, 12, 21、マラキ3:4、詩篇122:1-7、詩篇137:4-6)

原典講読『真のキリスト教』782(原文と直訳[5],[6]と訳文)

直訳
[5.] Quod per "Hierosolymam" ibi intelligatur ecclesia a Domino instauranda, et non Hierosolyma a Judaeis habitata, patet ex singulis descriptionis ejus in locis allatis; [5] エルサレムによってそこに主により設立される教会が意味されること、ユダヤ人により住まれたエルサレムでない、そこの描写の(記述)の個々のものから明らかである、引用された(affrero)箇所の中の。
ut quod Jehovah Deus creaturus caelum novum et terram novam, et quoque tunc Hierosolymam; 例えば、神エホバはしいと新しい地を創造すること、そしてまたその時、エルサレムを。
et quod haec futura sit corona decoris et cidaris regni; またこれは王の美しい王冠とかぶり物となること。
quod vocanda sit sanctitas, et urbs veritatis, thronus Jehovae, habitaculum tranquillum, tabernaculum quod non dissipabitur; 聖なるものと呼ばれること、また、〝真理〟の都、エホバの王座、穏やかな(静かな)住まい、天幕(幕屋)、それは無にされない。
quod ibi lupus et agnus pascent simul: そこに狼と子羊は一緒に食うこと。
et dicitur quod ibi "montes stillabunt mustum, et colles fluent lacte, et illa sedebit in generationem et generationem;" また言われる、「山々が新しいブドウ酒を滴らせる、また丘々が乳を流す、またそれは世々に(世代と世代の中に)座る」こと。
praeter plura: ほかに多くのもの――
etiam de populo ibi, quod sanctus, omnis scriptus ad vitam, quod dicendi redempti Jehovae. さらにまた、そこに住民について、聖なるもの〔である〕こと、すべての者はいのちへ書かれる、エホバにあがなわれた者と呼ばれる。
Praeterea in omnibus illis locis agitur de adventu Domini, imprimis de adventu Ipsius secundo, quando Hierosolyma talis erit, qualis ibi describitur: ほかにそれらのすべての場所の中に、主の来臨について扱われている、特に、その方の第二の来臨について、エルサレムがそのようなものになる時、そこに述べられているような――
prius enim non maritata est, hoc est, facta Sponsa et Uxor Agni, sicut de Nova Hierosolyma in Apocalypsi dicitur. というのは、以前に夫を与えられなかった(結婚させられたなかった)から、すなわち、花嫁や小羊の妻になった、「黙示録」の中の新しいエルサレムについて言われているように。
[6.] Prior ecclesia seu hodierna intelligitur per "Hierosolymam," apud Danielem, et initium ejus ibi describitur per haec: [6] 前の教会、すなわち、今日の〔教会〕は「ダニエル〔書〕」のもとの「エルサレム」によって意味される、またその始まりはそこにこれらによって述べられている――
"Scito … et percipito, ab exitu verbi, ad usque restituendum et ad aedificandum Hierosolymam, usque ad Messiam Principem, septimanae septem; 「知れ……また知覚せよ、言葉の出ることから、エルサレムを回復するまで、また建設へ、君主メシアの〔来る〕まで、七週間。
postea septimanis sexaginta et duabus restituetur et aedificabitur platea et fossa, sed in angustia temporum" (ix. 25); その後、六十と二週間、街路と堀が回復され、建てられる、しかし、時間の苦しみの中で」(9:25)
at finis ejus describitur ibi per haec: しかし、その終わりはそこにこれらによって述べられている――
"Tandem super avem abominationum desolatio, et usque ad consummationem et decisum stillabit super devastationem " (vers. 27, ibi). 「最後に、翼の上に忌まわしいものの荒涼〔がある〕、また完了と決定まで荒廃の上に滴る」(27節、そこに)
Ultima haec sunt quae intelliguntur per haec Domini verba apud Matthaeum: この最後のものである、それは主のこれらのことばによって意味されている「マタイ(福音書)」のもとの――
"Cum… videritis abominationem desolationis praedictam a Daniele propheta, stantem in loco sancto, qui legit, probe notet" (xxiv. 15). 「預言者ダニエルによって語られた、荒涼の忌まわしいものをあなたがたが見るとき、聖なる場所の中に立つ、その者は読む、正しく(よく)注目する」(24:15)
Quod per " Hierosolymam" in supra allatis locis non intellecta sit Hierosolyma a Judaeis habitata, constare potest a locis in Verbo, ubi de hac dicitur quod prorsus deperdita sit, et quod destruenda (Ut Jerem. v. 1 ; vi. 6, 7; vii. 17, 18 seq.; viii. seq. ix. 10, 11, 13 seq. [B.A. 11, 12, 14, seq.]; xiii. 9, 10, 14; xiv. 16; Thren. i. 8, 9, 17; Ezech. iv. 1 ad fin.; v. 9 ad fin.; xii. 18, 19; xv. 6-8; xvi. 1-63; xxiii. 1-[10]49; Matth. xxiii. 37, 38; Luc. xix. 41-44; xxi. 20-22; xxiii. 28-30; praeter multis aliis in locis); 「エルサレム」によって、上に引用された、ユダヤ人により住まわれるエルサレムが意味されないことは、みことばの中の場所から明らかにすることができる、そこにこれについて言われる、完全に失われること、また滅びること(例えば、エレミヤ5:16:6, 77:17, 18以降、第8章以降、9:11, 12, 14以降、13:9, 10, 1414:16、哀歌1:8, 9, 17、エゼキエル4:1末まで、5:9末まで、12:18, 1915:6-816:1-6323:1-49、マタイ23:37, 38、ルカ19:41-4421:20-2223:28-30、ほかに多くの他の、場所の中に)
et quoque ubi vocatur Sodoma, (Esai. iii. 9; Jerem. xxiii. 14; Ezech. xvi. 46, 48, et alibi). そしてまた、そこにソドムと呼ばれている(イザヤ3:9、エレミヤ23:14、エゼキエル16:46, 48、また他の箇所に)
 
@1 ixv. (cum exemplo Auctoris,) pro “xiv.” 注1 xvii.」の代わりにxviii.(著者の写し(本)に)
@2 in manu Jehovae:sic exemplum Auctoris. 注2 in manu Jehovae――このように著者の写し(本)に。
@3 Jehovae pro “Jehovah” 注3 Jehovah」の代わりにJehovae
@4 populum pro “populous” (vide A.C., n. 6281). 注4 populous」の代わりにpopulum (『天界の秘義』6281番を見よ)
@5 redemptos pro “redempti” (vide A.C., n.6281). 注5 redempti」の代わりにredemptos (『天界の秘義』6281番を見よ)
@6 suo (cum exemplo Auctoris,) pro “tuo” 注6 tuo」の代わりにsuo(著者の写し(本)に)
@7 23 pro “3:” vide Apoc. Rev., n. 880. 注7 3」の代わりに23、『啓示された黙示録』880番を見よ。
@8 4 (cum exemplo Auctoris,) pro “2, 4” 注8 xvii.」の代わりにxviii.(著者の写し(本)に)
@9 cxxxvii. (cum exemplo Auctoris,) pro “cxxx.” 注9 cxxx」の代わりにcxxxvii(著者の写し(本)に)
@10 49 (cum exemplo Auctoris,) pro “40” 注10 40」の代わりに49(著者の写し(本)に)
 
(3) 訳文
782. 新しい教会が「神から天界を通って降る新しいエルサレム」(「黙示録」第21)によって意味されることは、エルサレムがカナンの地の首都であり、またそこに神殿、いけにえが行なわれた祭壇があり、そのように神的な礼拝そのものが、それへ年の中で三度、全地のすべての男性は、やって来ることが命じられ、なおまた、エルサレムにいた主は、またその神殿の中で教え、またその後、そこにご自分の人間性を栄化したからである。ここから、「エルサレム」によって教会が意味される。
 「エルサレム」によって教会が意味されることは、旧約の中の預言書から、主により設立される新しい教会について、それはそこにエルサレムと言われていることがはっきりと明らかである。
[2] それによってそこに教会が理解されるそれ自体の箇所だけが提示され、それらから内的な理性を授かっただれでも見ることができる。
 ここから単にこれらの箇所だけがある――
 
 「見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する……前のものは思い出されない。……見よ……わたしはエルサレムを創造して歓喜〔とする〕、またその民を喜び〔とする〕、エルサレムの上に小躍りが、またわたしの民の上にさらに嬉しく〔ある〕ように。……その時、狼と子羊は一緒に食う……悪は行なわれない……わたしの聖なる全部の山の中で」(イザヤ65:17-19, 25)
 「シオンのために、わたしは黙らない、またエルサレムのために、わたしは休息しない、その義が輝きのように出てくる、そしてその救いが明かりのように燃える時までは。その時、国々はあなたの義を、またすべての王があなたの栄光を見る。また、あなたに新しい名前が呼ばれる、それを主の口が発声する。また、あなたは(エホバの手の中の)さわしい王冠となる、またあなたの神の手の中の王のかぶり物に〔なる〕。……あなたの中で主の喜ぶところである、またあなたの地は夫が与えられる。……見よ、あなたの救いが、見よ、その報酬がその方とともにくる。……また彼らを聖なる民、エホバのあがなわれた者とと呼ぶ。また、あなたは求められた都と呼ばれ、見捨てられた〔と呼ばれ〕ない」(イザヤ62:1-4, 1, 12)
 [3] 「起き上がれ、起き上がれ、あなたの力強さを着よ、シオン。あなたの美しい衣服を着よ、聖なる都エルサレム。なぜなら、無割礼の者と汚れた者が、さらにあなたの中にやって来るような〔ことは〕加えないからである。あなたは、ちりから振り落とせ、起き上がれ、座れ、エルサレム。……その日に民は……わたしの名前を知る。なぜなら、わたしは、話す者であるからである、見よ、わたしを。……エホバは自分の民を慰め、エルサレムをあがなう」(イザヤ52:1, 2, 6, 9)
 「歓呼せよ、シオンの娘……すべての心から喜べ、エルサレムの娘。……イスラエルの王が……あなたの真ん中に。悪をもはや恐れるな。あなたの上に楽しさとともに喜ぶ、自分の愛の中に安心する、あなたの上に歓呼とともに小躍りする。……わたしはあなたがたを、名前と称賛の中へ、地のすべての民に与える」(ゼパニヤ3:14-17, 20)
 「このように、あなたのあがない主エホバは言った……エルサレムに、あなたは住む〔ようになる〕言って」(イザヤ44:24, 26)
 「このように、エホバは言った、わたしはシオンに帰る、またわたしはエルサレムの真ん中に住む。そこからエルサレムは〝真理〟の都、また万軍のエホバの山は聖なる山とと呼ばれる」(ゼカリヤ8:3, 20-23)
 「その時、あなたがたは、わたしエホバが、聖なる山シオンの中に住んでいるあなたがたの神、またエルサレムは聖なるもの〔になる〕ことを知る。……またその日に、山々が新しいブドウ酒を滴らせ、また丘々が乳を流す。……またエルサレムは世々に座る」(ヨエル3:17-21)
 [4] 「その日に、エホバの若枝は美観と栄光の中にある。……また、シオンの中に残された者は、またエルサレムの中に残りの者は、聖なるものと言われる……すべての者はエルサレムの中でいのちへ書かれる〔ようになる〕」(イザヤ4:2, 3)
 「終わりの日に、エホバの家の山は、山々の頂の中に据えられる。……なぜなら、シオンから教えが、またエルサレムからエホバのみことばが出るからである」(ミカ4:1, 2, 8)
 「その時に、エルサレムはエホバの王座と呼ばれ、すべての国はエホバのエルサレムの名前のために集められる、もはや自分の悪の心の確信の後に行く(こと)ない」(エレミヤ3:17)
 「私たちの祝祭の定められたシオンの都を眺めよ、あなたの目はエルサレムを、穏やかな住まいを、天幕を見る、それは追い散らされない。そのくいは、永久に、取り去られない、またその綱は引き離されない」(イザヤ33:20)
 (ほかにもまた他の箇所に、例えば、イザヤ24:2337:3266:2337:3266:10-14、ゼカリヤ12:3, 6-1014:8, 11, 12, 21、マラキ3:4、詩篇122:1-7、詩篇137:4-6)
 [5] エルサレムによってそこにユダヤ人により住まれたエルサレムでない、主により設立される教会が意味されることは、そこの引用された箇所の中の記述の個々のものから明らかである。
えば、神エホバはしい新しい地を、そしてまたその時、エルサレムを創造すること。またこれはしい王冠とかぶりとなること。聖なるもの、〝真理〟都、エホバの王座、穏やかなまい幕屋 ばれそれはにされないことそこに子羊一緒うことまたわれる、「山々しいブドウらせまた丘々またそれは世々ことほかにくのもの――さらにまたそこに住民について、聖なるものであり〕、すべてのはいのちへかれエホバにあがなわれたばれること
 ほかにそれらのすべての場所、主来臨について、特エルサレムがそこにべられているようなそのようなものになる時の、その第二来臨についてわれている――
というのは、以前えられなかったすなわち、「黙示録」しいエルサレムについてわれているように花嫁小羊になったから
 [6] 教会、すなわち、今日〔教会〕ダニエル〔書〕」のもとのエルサレムによって意味されるまたそのまりはそこのこれらによってべられている――
 
 「言葉ることから、知……また知覚せよエルサレムを回復するまでまた建設、君主メシアの〔来まで、七週間〔あること〕。その後、六十二週間〔あること〕、街路回復され、建てられるしかし、時間しみの(9:25)
 
 しかしそのわりはそこにこれらによってべられている――
 
 「最後に、翼の上に忌まわしいものの荒涼〔がある〕、また完了と決定まで荒廃の上に滴る」(そこの第27)
 
「マタイ福音書」の主の次のことばによって意味されているものは、この最後のものである――
 
 「預言者ダニエルによって語られた荒涼の忌まわしいものが聖なる場所の中に立つのをあなたがたが見るとき、読む者は、よく注目せよ」(24:15)
 
  前に引用された「エルサレム」によって、ユダヤ人により住まわれるエルサレムが意味されないことは、みことばの中の場所から明らかにすることができる、そこにこれについて、完全に失われること、また滅びることが言われている(例えば、エレミヤ5:16:6, 77:17, 18以降、第8章以降、9:11, 12, 14以降、13:9, 10, 1414:16、哀歌1:8, 9, 17、エゼキエル4:1末まで、5:9末まで、12:18, 1915:6-816:1-6323:1-49、マタイ23:37, 38、ルカ19:41-4421:20-2223:28-30、ほかに多くの他の、場所の中に)
 そしてまた、そこにソドムと呼ばれている(イザヤ3:9、エレミヤ23:14、エゼキエル16:46, 48、また他の箇所に)