(2) 直訳
[6.] His dictis e cathedra descendit, et tradidit tertio tunicam, togam, et pileum, qui scandens cathedram locutus est haec: [6] これらで言って、座席から降りた、また第三の者に、シャツ、トーガと帽子を渡した、その者は座席にのぼって、これらを話した――
"Quid mihi juveni cum tam sublimi theoremate? 「何が〔あるのか〕私に若者に、このように高尚な論証とともに?
Provoco ad eruditos sedentes hic ad latera, provoco ad sapientes vos in orchestra, immo provoco ad supremi caeli angelos, num quisquam ex sua rationali luce potest aliquam de anima ideam sibi sumere. 私はここに脇へ座っている学者へ訴える、私は天井さじき(貴賓席)の中のあなたがた、賢明な者に訴える、それどころか、私は最高の天界の天使に訴える、だれが自分の理性的な光から霊魂について何らかの観念を自分自身に得ることができるのか。
At de sede ejus in homine possum ego sicut alii vaticinari; しかし、人間の中のその座について私は他の者のように(典拠確かに)表明することができる。
et vaticinor quod sit in corde et inde in sanguine; また私は(典拠確かに)表明する、心臓の中とここから血の中にあること。
et hoc meum vaticinium est, quia cor sanguine suo regit et corpus et caput; またこの私のものは(典拠確かに)表明される、心臓はその血によって身体と頭とを統制するからである。
emittit enim magnum vas aorta vocatum in universum corpus, ac emittit vasa carotides vocata in universum caput; というのは、大動脈と呼ばれる大きな血管を全身の中に送り出すから、そして頸動脈と呼ばれる血管を頭全体の中に送り出す。
inde universalis consensus est, quod anima ex corde per sanguinem sustentet, nutriat, vivificet universum systema organicum et corporis et capitis: ここから普遍的に同意されている、霊魂は心臓から血によって維持している、滋養物を与えている、生かしている、(身体の)器官の全組織を、身体も頭も。
ad fidem hujus assertionis accedit, quod in Scriptura Sacra toties dicatur `Anima et cor' ut この信仰(信念)の主張に向けて~という事実がある、聖書の中にこれほど何度も言われている「霊魂と心臓(心)」例えば、
Quod amaturus sis Deum 'ex tota anima et ex toto corde;' あなたは神を愛さなければならないこと「全部の霊魂から、また全部の心(心臓)から」
et quod Deus creet in homine 'novam animam et novum cor' (Deut. [1]vi. 5; x. [2]12; xi. [3]13; xxvi. 16; Jerem. xxxii. 41; Matth. xxii. [4]37; Marc. xii. 30, 33; Luc. x. 27 et alibi). また神は人間の中に創造すること「新しい霊魂と新しい心(心臓)を」(申命記6:5、10:12、11:13、26:16、エレミヤ32:41、マタイ22:37、マルコ12:30, 33、ルカ10:27また他の箇所に)。
Ac aperte quod sanctis sit anima carnis (Levit. xvii. 11, 14)." そして、公然と(あからさまに)血は肉の霊魂であること(レビ記17:11, 14)」。
His auditis aliqui extulerunt vocem, dicentes, "Docte, docte;" これらで聞いて、ある者は声を上げた、言って、「学者らしい、学者らしい」。
erant ex canonicis. 聖職者からであった。
月: 2015年10月
原典講読『真のキリスト教』697(直訳[7])
(2) 直訳
[7.] Post haec quartus hujus vestibus indutus, et ingressus cathedram, dixit: [7] この後、この衣服を着た第四の者が、また座席に入って、言った――
"Suspicor etiam ego, quod non aliquis tam subtili et limato ingenio sit, ut dispicere possit quid anima, et qualis illa: 「わたしもまた疑念を抱く、だれかがこれほどに鋭い(透徹した)また鋭利な知力(才気)がないことないこと、吟味することができるような、何が霊魂か、またその性質が――
quare arbitror, quod apud illum, qui vult rimari illam, subtilitas supervacuis teratur; それゆえ、私は思う、彼のもとに、その者はそれ〔霊魂とその性質〕を調べることを欲する、不必要な(余分な)精妙なもの(微妙な議論)が浪費されている。
sed usque a pueritia permansi in fide sententiae, in qua fuerunt antiqui, quod anima hominis sit in ejus toto, et in hujus omni parte, et sic quod tam in capite et in singulis ejus, quam in corpore et in singulis ejus; しかしそれでも、子供時代から私は見解の信仰(信念)の中にとどまった、その中に古代人はいた、人間の霊魂はその全体の中にあること、またこの全部の部分の中に、またこのように頭の中にも、またその個々のものの中に、身体の中にも、その個々のものの中に。
et quod vanum a neotericis inventum fuerit, designare ei sedem alicubi, et non ubivis; また現代の著述家により考え出された空虚なこと、それにどこかに座を定めること、またどこでもなく。
est quoque anima substantia spiritualis, de qua non praedicatur extensio nec locus, sed habitatio et impletio. 霊魂は霊的な実体でもある、それについて拡大も場所も属性づけられない、しかし、住むことと充満〔が属性づけられる〕。
Quis etiam non intelligit vitam, dum nominat animam, estne vita in toto et in qualibet parte?" さらにまただれがいのちを理解しないか? 霊魂のことを言う時、〔その〕いのちは全部の中にまたどんなものでも部分にあるのではないか」。
His dictis favebant multi in auditorio. これらで聞いて、講堂の中の多くの者が賛同した。
原典講読『真のキリスト教』697(直訳[8])
(2) 直訳
[8.] Post hunc surrexit quintus, ac iisdem insignibus ornatus, e cathedra edidit hoc: [8] この後、第五の者が立ち上がった、そして同じ装飾(目立つもの)で飾って、座席からこのことを(声を)出した――
"Non moror dicere ubi est anima, num in aliqua parte, vel num ubivis in toto; 「言うことを私は愚図くずしない(延ばさない、気にしない)、霊魂がどこにあるか、何らかの部分の中にか、あるいは全部の中のどこでもか。
sed ex meo promo et condo aperiam mentem de hoc, quid anima et qualis illa. しかし、私の蓄えと倉庫から私はこのことについて心を開く、何が霊魂か、またその性質(どんなものか)。
Anima non cogitatur ab aliquo, nisi sicut purum quid, quod assimilari potest aetheri aut aeri aut vento, in quo vitale est ex rationalitate, quae homini est prae bestiis. 霊魂はある者により考えられていない、純粋な何かのようにでないなら、それはエーテルのまたは空気のまたは風になぞらえられる、その中に推理力からの生命力がある、それは人間に獣よりもある。
Opinionem hanc fundavi super hoc, quod homo dum exspirat, dicatur efflare seu emittere animam seu spiritum; この見解を私はこのことの上に建てた、人間は最期の息を吐く時、霊魂または霊を息を吐き出すことまたは出すことが言われること。
inde etiam anima post mortem vivens creditur esse talis halitus, in quo est vita cogitativa, quae vocatur anima; ここからもまた、死後に生きている霊魂はこのような息(発散気)であることが信じられている、その中に思考力のあるいのちがある、それは霊魂と呼ばれる。
quid aliud potest anima esse? 他の何が霊魂であることができるのか?
Sed quia audivi ex orchestra dicentes, quod problema de anima, quid illa et qualis illa est, non sit supra intellectum, sed in illo et coram illo, rogo et precor, ut aeternum hoc arcanum vos ipsi aperiatis." しかし、私は天井桟敷(貴賓席)から言っているのを聞いたので☆、霊魂についての問題(討議の議題)、それは何か、その性質が〔何〕であるか、理解力の上方にない、しかし、その中に、またその前に〔ある〕こと、私は求める(懇願する)また願う(祈る)、この永遠の秘義をあなたがた自身が明らかにするように」。
☆ このquiaが「原文」のところでquaとなっていました。訂正します。
原典講読『真のキリスト教』697(直訳[9],[10])
(2) 直訳
[9.] Et seniores in orchestra inspexerunt archididascalum, qui illud problema proposuerat, qui ex nutibus intellexit, quod vellent ut descenderet et doceret; [9] また、天井桟敷(貴賓席)の中の長老が上級の教師(校長)を熟視した(覘き込んだ)、その者は問題(討議の議題)を提出した(示した)、その者は身振りから理解した、下り、教えるように欲していること。
et actutum ille ex suggestu descendit, pertransivit auditorium, et ingressus est cathedram, et ibi exporrigens manum dixit. また直ちに、彼は講壇から下った、講堂を通り抜けた、また座席に入った、またそこで手を伸ばして、言った。
"Auscultate quaeso; 「聞け、どうぞ。
quis non credit Animam esse intimam et subtilissimam essentiam hominis? だれが信じないか、霊魂が人間の最内部の最も鋭敏な(微細な)本質(エッセンス)のエッセ(存在)であること?
at quid essentia absque forma aliud quam ens rationis? しかし、何らかの形なしの本質とは何か、創造の所産以外の?
quare anima est forma, sed qualis forma dicetur; それゆえ、霊魂は形である、しかし、形がどんなものであるか言われる。
est forma omnium amoris et omnium sapientiae; 愛のすべてのもの形と知恵のすべてのものの〔形〕である。
omnia amoris vocantur affectiones, et omnia sapientiae vocantur perceptiones; 愛のすべてのものは情愛と呼ばれる、また知恵のすべてのものは知覚と呼ばれる。
hae ex illis et sic cum illis faciunt unam formam, in qua innumerabilia in tali ordine, serie et cohaerentia sunt, ut vocari possint unum; それらからまたそれらとともにこれらは一つの形をつくる、その中に無数のものがこのような秩序、系列(連鎖)と密着性(整合性)の中にある、一つの存在物(個体)と呼ばれることができるような。
et vocari possunt unum, quia non potest inde aliquid auferri, nec ad illud aliquid addi, ut sit talis: また、一つの存在物(個体)と呼ばれることができる、ここから何らかのものを取り去ることできないからである、それへ何らかのものとを加えることも、そのようなものであるために――
quid anima humana nisi talis forma? 何が人間の霊魂が、このような形でないなら?
suntne omnia amoris et omnia sapientiae essentialia illius formae, et haec apud hominem sunt in anima et ex anima in capite et corpore. 愛のすべてのものと知恵のすべてのものがその形の本質的なものではないのか、またこれらが人間のもとにある、霊魂の中にまた霊魂から、頭と身体の中に。
[10.] Vos vocamini spiritus et angeli; [10] あなたがたは、(あなたがたは)霊や天使と呼ばれている。
et credidistis in mundo, quod spiritus et angeli sit sicut venti aut aetheres, et sic mentes et animi; またあなたがたは世の中で信じた、霊や天使は風またはエーテルのようであること、またこのように心とアニムス☆。
☆ mensは心でも特に「知的な心」を意味します、この意味で「知性」とも訳せます。animusは心でも特に「外的な、また自然的な心」を意味します。気質、性格とも訳せます。
et nunc clare videtis, quod vere, realiter et actualiter sitis homines, qui in mundo vixistis et cogitavistis in materiali corpore, et scivistis quod corpus materiale non vivat et cogitet, sed substantia spiritualis in illo corpore, et hanc vocavistis animam, cujus formam nescivistis, et tamen nunc vidistis et videtis illam: また、今や、はっきりとあなたがたは見る、真に、実際に、事実上、人間であること、その者は世の中で、あなたがたが物質的な身体の中で生きた、また考えた、またあなたがたが知った、物質的な身体が生き、考えない、しかしその身体の中の霊的な実体が〔生き、考えた〕、またこれをあなたがたは霊魂と呼ぶ、またその形を知らなかった、またそれでも今や、あなたがたは見てきた、また見ている。
vos omnes estis animae, de quarum immortalitate tam multa audivistis, cogitavistis, dixistis et scripsistis; あなたがた、すべての者は霊魂である、それらの不死性についてこのように多くのものを聞いた、考えた、言った、また書いた。
et quia estis formae amoris et sapientiae a Deo, non potestis mori in aeternum. また、あなたがたは神からの愛と知恵の形である、永遠に死ぬことができない。
Anima itaque est forma humana, de qua ne hilum potest auferri, et ad quam ne hilum potest addi, ac est intima forma omnium formarum universi corporis; そこで、霊魂は人間の形である、それについて少しも取り去ることができない、またそれに加えることもできない、そして最内部の形である、身体全体のすべての形の。
et quia formae quae extra sunt ab intima accipiunt et essentiam et formam, ideo estis, sicut apparetis coram vobis et nobis, animae; また形は、それは外にある、最内部のものから本質と形とを受けるので、それゆえ、あなたがたは、あなたがたや私たちの前に見られているように、霊魂である。
verbo anima est ipse homo, quia est intimus homo, quare ejus forma est plene et perfecte forma humana; 一言でいえば、霊魂は人間そのものである、最内部の人間であるので、それゆえ、その形は十分に(まったく)完全に人間の形である。
verum non est vita, sed est proximum receptaculum vitae a Deo, et sic habitaculum Dei." けれども、いのちではない、しかし、神からのいのちの最も近い容器である、またこのように神の住まい」。
原典講読『真のキリスト教』697(直訳[11]と訳文)
(2) 直訳
[11.] His dictis adplaudebant multi, sed aliqui dicebant, "Expendemus." [11] これらで聞いて、多くの者は拍手喝さいした、しかし、ある者たちは言った、「私たちは熟考する(した)」。
Ego tunc abivi domum; 私は、その時、家を(へ)立ち去った。
et ecce super gymnasio illo, loco prioris meteori apparuit nubes candida absque striis seu radiis inter se dimicantibus; また見よ、その(高等)学校の上方に、以前の大気現象に代わって白く輝く雲が見られた、細い帯または光線なしに、互いに争って(闘う)。
quae nubes penetrans tectum intravit, ac illustravit parietes; その雲が屋根を貫通して入った、そして壁を照らした。
et audivi, quod viderint scripturas, ac inter alias etiam hanc, また、私は聞いた、彼らが書かれたものを見ていること、そして他のものの間にこれもまた〔見た〕、
"Jehovah Deus ….inspiravit in nares hominis Animam vitarum, et factus est homo in Animam viventem" (Gen. ii. 7). 「神エホバが……人間の鼻の中にいのちを息(霊魂)を吹き込んだ、また人間は生きている霊魂になった」(創世記2:7)。
@1 vi. (cum exemplo Auctoris,) pro “v.” 注1 「v.」の代わりにvi(著者の本(写し)に)
@2 12 (cum exemplo Auctoris,) pro “11” 注2 「11」の代わりに12(著者の本(写し)に)
@3 13 (cum exemplo Auctoris,) pro “14” 注3 「14」の代わりに13(著者の本(写し)に)
@4 37 (cum exemplo Auctoris,) pro “3” 注4 「3」の代わりに37(著者の本(写し)に)
(3) 訳文
697. 第六のメモラビリア――
かつて私から遠くない〔ところに〕私は大気現象を見た――私は小さい雲に分かれた雲を見た、それらのあるものは空色、またあるものは暗い色。また私は、互いに戦っているようなものを見た。細い帯の光線がそれらを輝き貫いき、それはある時は切っ先のように鋭く、ある時は折れた剣のように鈍く見えた。それらの光線はある時は向かい合って伸び、ある時はそれ自体の中に(それ自体を)引っ込め、完全に拳闘家たちのよう〔であった〕。そのようにそれらのいろいろな色の小さな雲は、互いに闘っていた〔ように〕見えた、しかし、遊んでいた。
また、この大気現象は私から遠くない〔ところに〕見られたので、私は目を上げた、そして〔目の〕鋭さを注いだ、また私は、少年、若者、老人を、家の中に入っている者たちを見た、その家は大理石から、土台は班岩から造られていた。この家の上方にその現象があった。
またその時、入っていく者たちからのある者に話しかけて、私は質問した、「ここに何が?」また答えた、「学校である、そこで若者たちが知恵に属するいろいろなものの中で手ほどきされる」。
[2] 私はこれを聞いて、彼らと入った。私は霊の中に、すなわち、、その中に霊界の人間がいる、その者は霊と天使たちと呼ばれる、それと似た状態の中にいた――また見よ、その学校の中に前部に特別席が、真ん中に長椅子、脇に、まわりに座席、また入り口の上方に天井さじき(貴賓席)☆1が見られた。特別席☆2は、示されようとしている〔機会、場合に〕その討議の議題に答える若者のためにあった、長椅子は聴衆のために、脇の座席は以前に賢明に答えた者のために、また天井さじき(貴賓席)は判断し、判定する者である長老のためにあった。天井さじき(貴賓席)の中央に演壇かあった、そこに賢明な男が座っていた、その者を校長と呼んだ、その者は討議の議題を示した、それへ特別席の若者が答える。
またその後、〔彼らが〕集められ、演壇から男が立ち上がり、言った、「答えよ、今、私は『何が霊魂か、またその性質(どんなものか)?』この討議の議題に向けて尋ねる、また、もしあなたがたができるなら、それを解け」。
[3] これらを聞いて、すべての者は驚いた、また(不平を)つぶやいた、また長椅子の上の集団からある者は叫んだ、「人間のだれが黄金時代(サートゥルヌスの時代)からこの私たちの時代まで、何が霊魂か、またさらにましてその性質を(それがどんなものか)、理性のどんなものも思考で見ることまた把握することができたか?
これはすべての者の理解力のスフェア(領域)の上にあるのではないか?」
しかし、これらに天井さじき(貴賓席)から言い返された、「これは理解力の上方にない、しかし、その中に、またその前に〔ある〕。ただ(単に)答えよ」。
また、特別席にあがり、討論の議題に答える若者たちが、その日に選ばれて、立ち上がった。五人いた、その者は長老たちにより探し出され、そして、賢明を賦与されている者〔であると〕見つけられ、またその時、座席の脇に、列の上に座っている〔者であった〕。またこれらの者はその後、順にのぼって、その上に座った。まただれもがのぼるとき、オパールのような色の絹でできたシャツを、またその上に柔らかな羊毛のトーガを着せられた、それに花〔模様〕が織り込まれていた、またほかに帽子、そのてっぺんの上に小さいサファイアで取り囲まれたロザリオ〔のような飾り〕があった。
[4] また私は、そのように着せられ、のぼる最初の者を見た、その者は言った、「霊魂とその性質は何か、創造の日からだれにも啓示されていない。神おひとりの宝庫の中の秘義である。
しかし、霊魂は人間の中で女王のように住んでいることが明らかにされている――けれども、その宮殿がどこにあるか、学者たちは根拠を推測した。ある者は、大脳と小脳の間の小さな結節の中にあること〔を推測した〕、それは松果体と呼ばれる。この中に霊魂の座を想定した、その理由は、人間全体がこれらの二つの脳から統制されていて、またその結節がそれらを制御するからである。それゆえ、脳が意のままに制御する、これは人間全体もまた頭からかかとまで制御する」。
また、言った、「ここから、このことは真理またはもっともらしいもののように世の中の多くの者に見られた、しかし、時代の後、このことは作り事として捨てられた」。
[5] これを言い終わった後、トーガ、シャツと帽子を脱いだ、それらを選ばれた者たちからの第二の者が受け入れ、そして座席に入った。
霊魂について、天界全対の中に、また世界全対の中に、霊魂とその性質が何か知られていないことの発言であった。
「このことは、あること、また人間の中にあることが知られている、しかし、どこに〔あるの〕か推測されている。このことは、頭の中にあること確実がである、理解力(知力)がそこで考える、また意志がそこに意図する、また頭の中の正面方向に顔に、人間の五感があるので。これらやそれらに別の者は、頭の中の内部に住んでいる霊魂以外に、いのちを与えない、しかし、その集会所がそこにどこにあるか、あえて私は発言しない、しかし、私は彼らに同意した、その者はそれに脳の三つの脳室の中に、ある時にはそこの線条体の中に、ある時には両方の脳の髄質の中に、ある時には皮質の中に、ある時には硬膜の中に座を割り当てた。というのは、それぞれの座に対しての確信からの白色の小石☆3(=賛成票)を欠いていなかったから。
脳の三つの脳室に対する〔賛成の〕小石(票)は、それらは霊魂精気と脳のすべてのリンパ液の容器であることであった。線条体に対する〔賛成の〕小石(票)は、これらは髄質をつくること、それによって神経が出る、またそれによって両方の脳が脊柱の中に続けられる、またこれから、またそれから繊維が突出する、それらから身体全体が構成されるからであった。両方の脳の髄質に対する〔賛成の〕小石(票)は、それがすべての繊維の集めることと積み重ねであること、それらは人間全体の最初の段階であるからであった。皮質に対する〔賛成の〕小石(票)は、そこに最初のものと最後のものの目的があること、またここからすべての繊維の始まり、またこのように感覚と運動〔がある〕からあった。硬膜に対する〔賛成の〕小石(票)は、それらは両方の脳の共通のおおいであること、またここからある連続(するもの)によってそれ自体を、心臓の上に、また身体の内臓の上に伸ばしているからであった。
私に関しては、私は判断しない、あるものについてさらに、他のものについてよりも。あなたがたは、どうぞ、何が好ましいものか判断せよ、また選べ。
[6] これらを言って、座席から降りた、また第三の者に、シャツ、トーガと帽子を渡した、その者は座席にのぼって、これらを話した――
「若者の私に、このように高尚な論証とともに何が〔あるのか〕?
私はここに脇へ座っている学者へ訴える、私は天井さじき(貴賓席)の中のあなたがた、賢明な者に訴える、それどころか、私は最高の天界の天使に訴える、だれが自分の理性的な光から霊魂について何らかの観念を自分自身に得ることができるのか。
しかし、人間の中のその座について私は他の者のように(典拠確かに)表明することができる。また私は、心臓の中とここから血の中にあることを(典拠確かに)表明する。またこの私のものは(典拠確かに)表明される、心臓はその血によって身体と頭とを統制するからである。というのは、大動脈と呼ばれる大きな血管を全身の中に送り出す、そして頸動脈と呼ばれる血管を頭全体の中に送り出すから。ここから普遍的に同意されている、霊魂は心臓から血によって、(身体の)器官の全組織を、身体も頭も維持している、滋養物を与えている、生かしていること。この信念の主張に向けて、聖書の中に「霊魂と心臓(心)」がこれほど何度も言われているという事実がある、例えば、
あなたは神を「全部の霊魂から、また全部の心(心臓)から」愛さなければならないこと。また神は人間の中に「新しい霊魂と新しい心(心臓)を」創造すること(申命記6:5、10:12、11:13、26:16、エレミヤ32:41、マタイ22:37、マルコ12:30, 33、ルカ10:27また他の箇所に)。そして、あからさまに、血は肉の霊魂であること(レビ記17:11, 14)」。
これらを聞いて、ある者は、「学者らしい、学者らしい」と言って、声を上げた。聖職者からであった。
[7] この後、この衣服を着た第四の者が、特別席に入って、言った――
「わたしもまた、何が霊魂か、またその性質が何か、吟味することができるような、だれかがこれほどに透徹したまた鋭利な才気がないことの疑念を抱く――それゆえ、私は思う、それ〔霊魂とその性質〕を調べることを欲する者のもとに、不必要な(余分な)精妙なもの(微妙な議論)が浪費されている。しかしそれでも、子供時代から私は見解の信念の中にとどまった、その中に古代人はいた、人間の霊魂はその全体の中に、またこの全部の部分の中に、またこのように頭の中にも、またその個々のものの中に、身体の中にも、その個々のものの中にあること。また現代の著述家により考え出された空虚なこと、それにどこかに座を定めること、またどこでもなく。霊魂は霊的な実体でもある、それについて拡大も場所も属性づけられない、しかし、住むことと充満〔が属性づけられる〕。
さらにまた、霊魂のことを言う時、〔その〕いのちは全部の中にまたどんなものでも部分にあるいのちを、だれが理解しないか?」。
これらを聞いて、講堂の中の多くの者が賛同した。
[8] この後、第五の者が立ち上がった、そして同じ装飾で飾って、特別席からこのことを(声を)出した――
「霊魂がどこにあるか、何らかの部分の中にか、あるいは全部の中のどこでもか言うことを私は気にしない。しかし、私の蓄えと倉庫から私は、何が霊魂か、またその性質(どんなものか) このことについて心を開く。
霊魂はある者により、純粋な何かのようにしか考えられていない、それはエーテルのまたは空気のまたは風になぞらえられる、その中に推理力からの生命力がある、それは人間に獣よりもある。
この見解を私は、人間は最期の息を吐く時、霊魂または霊を息を吐き出すことまたは出すことが言われることの上に建てた。ここからもまた、死後に生きている霊魂はこのような息(発散気)であることが信じられている、その中に思考力のあるいのちがある、それは霊魂と呼ばれる。他の何が霊魂であることができるのか?
しかし、私は、霊魂についての討議の議題、霊魂は何か、その性質が〔何〕であるか、理解力の上方にない、しかし、その中に、またその前に〔ある〕ことを、天井桟敷(貴賓席)から言っているのを聞いたので、私は、この永遠の秘義をあなたがた自身が明らかにするように求め、また願う」。
[9] また、天井桟敷(貴賓席)の中の長老が討議の議題示した校長を覗き込んだ、その者は身振りから、下り、教えるように欲していることを理解した。また直ちに、彼は講壇から下り、講堂を通り抜け、また特別席に入り、またそこで手を伸ばして、言った。
「どうか、聞いてください。霊魂が人間の最内部の最も鋭敏な本質(エッセンス)とエッセ(存在)であることを、だれが信じないか? しかし、何らかの形なしの本質とは、創造の所産以外の何か?
それゆえ、霊魂は形である、しかし、形がどんなものであるか言われる。愛のすべてのものと知恵のすべてのものの形である。愛のすべてのものは情愛と呼ばれ、知恵のすべてのものは知覚と呼ばれる。それらからまたそれらとともにこれらは一つの形をつくる、その中に無数のものが一つの存在物(個体)と呼ばれることができるような秩序、連鎖と密着性の中にある。また、一つの存在物(個体)と呼ばれることができる、そのようなものであるために、ここから何らかのものを取り去ること、それへ何らかのものとを加えることもできないからである――このような形でないなら、何が人間の霊魂か? 愛のすべてのものと知恵のすべてのものがその形の本質的なものではないのか、またこれらが人間のもとに、霊魂の中にまた霊魂から、頭と身体の中にある。
[10] あなたがたは霊や天使と呼ばれている。またあなたがたは世の中で、霊や天使は風またはエーテル、またこのように心とアニムス☆4のようであること信じた。また、今や、はっきりとあなたがたは、真に、実際に、事実上、人間であることを見る、その人間は、あなたがたが物質的な身体の中で生きた、また考えた世の中で、またあなたがたが、物質的な身体が生き、考えないと知った、しかしその身体の中の霊的な実体が〔生き、考えたと知った〕、またこれをあなたがたは霊魂と呼ぶ、またその形を知らなかった、またそれでも今や、あなたがたは見てきた、また見ている。
あなたがた、すべての者は霊魂であり、それらの不死性についてこのように多くのものを聞き、考え、言い、また書かれた。また、あなたがたは神からの愛と知恵の形であるので、永遠に死ぬことができない。
そこで、霊魂は人間の形である、それについて少しも取り去ることができない、またそれに加えることもできない、そして最内部の形、身体全体のすべての形である。また外にある形は、最内部のものから本質と形とを受けるので、それゆえ、あなたがたは、あなたがたや私たちの前に見られているように、霊魂である。一言でいえば、霊魂は、最内部の人間であるので人間そのものであり、それゆえ、その形は十分に、完全に人間の形である。けれども、いのちではない、しかし、神からのいのちの最も近い容器、またこのように神の住まいである」。
[11] これらを聞いて、多くの者は拍手喝さいした、しかし、ある者たちは言った、「私たちは熟考する」。
私は、その時、家へ去った。また見よ、その)学校の上方に、以前の大気現象の場所に互いに争って(闘う) 細い帯または光線なしに白く輝く雲が見られた。その雲が屋根を貫通して入った、そして壁を照らした。また、私は書かれたものを見ていること聞いた、そして〔その書かれた〕他のものの間にこれもまた〔あった〕、
「神エホバが……人間の鼻の中にいのちを息(霊魂)を吹き込まれた、人間は生きている霊魂になった」(創世記2:7)。
☆1 古代ギリシアでは舞台前の合唱隊席をオーケストラと言い、その後、オペラが上演されるときの楽団席がオーケストラ席であり、ここからいわゆる管弦楽団を「オーケストラ」というようになりました。古代ローマ劇場では舞台前の「貴賓席」です。
☆2 「特別席」と意訳した原語cathedraは座席という意味ですが、単なる座席ではなく、正式な特別な座席です。通常は司教(主教)の席を意味します。その席が備わっている教会が「司教(主教)座教会」すなわち、カテドラル(大聖堂)となります。
☆3 古代では投票に小石を用いました、賛成が白石、反対が黒石です。ここでは「欠いていなかった」、とは、どれも「確信」からの賛意を得ていないこともなかった、すなわち、どれも、それなりに確信されていた、という意味です。
☆4 ここの心(mens)は特に「知的な心」を意味します、この意味で「知性」とも訳せます。アニムス(animus)は心でも特に「外的な、また自然的な心」を意味します。気質、性格とも訳せます。