[7.] Postquam haec dicta sunt, converterunt se ad alterum advenam, qui in mundo fuerat politicus. [7] このことが言われた後、彼らはもう一人の(第二の)到着者に向かって(自分自身を)向きを変えた、その者は世の中で政治家であった。
Hic confessus est quod non crediderit vitam post mortem; この者は言明(告白)していた、死後のいのちを信じていなかったこと。
et quod cogitaverit de novis quae audiverat de illa, quod essent figmenta et inventa. また、新しいものについて考えたこと、それらはそれらについて聞いた、作り事やでっちあげであったこと。
"Meditans de illa dixi, Quomodo possunt animae corpora esse? 「それらについて熟考している〔とき〕、私は言った、どのように霊魂に身体があることができるのか?
annon omne hominis jacet mortuum in sepulcro? 人間のすべてのものは墓の中に死んで横たわっていないか?
estne oculus ibi? そこに目はある?
quomodo potest videre? どのように見ることができるのか?
estne auris ibi? そこに耳はある?
quomodo potest audire? どのように聞くことができるのか?
unde illi os quo loquatur? どこから彼は、口は、それで話すのか?
si aliquid hominis viveret post mortem, num foret id aliud quam simile larvae? もし、人間の何らかのものを、死後、見るなら、それは何らかのものでないのか、幽霊に似たもののような?
quomodo potest larva edere et bibere? どのように幽霊が食べることと飲むことができるのか?
et quomodo potest delicio conjugiali frui? またどのように結婚の歓喜を享受することができるのか?
unde ei vestes, domus, cibi, et sic porro? 彼にどこからか、衣服、家、食物は、またこのようにさらに(等々)?
et larvae, quae sunt effigies aereae, apparent sicut sint, et tamen non sunt. また幽霊は、それは空気の像(似姿)である、存在するように見える、またそれでも存在しない。
Haec et similia de vita hominum post mortem cogitavi in mundo; 人間の死後のいのちについてこれらや似たものを、私は世の中で考えた。
at nunc cum vidi omnia, ac tetigi manibus meis omnia, convictus sum per ipsos sensus, quod sim homo sicut in mundo, adeo ut non sciam aliud quam quod vivam sicut vixi, cum differentia, quod ratio nunc mihi sanior sit; しかし、今や、私はすべてのものを見た、そして私の手ですべてのものを触れた(tango)、感覚そのものによって私は確信した、
aliquoties puduit me cogitationum priorum." 数回、以前の考えの私を恥じた☆」。
☆ 「恥じた」が三人称となっていますがこの動詞は「非人称+対格」で使われます。なので、恥じたのは自分です。
[8.] Similia de se narravit philosophus; [8] 同様のこと自分自身(のもの)について哲学者は語った。
attamen cum hac differentia, quod retulerit nova illa, quae audiverat de vita post mortem, inter opiniones et hypotheses, quas ex antiquis et hodiernis collegerat. しかしながら、この相違とともに、それら新しいものを語った、それらを死後のいのちについて聞いた、見解や仮説の間に〔ある〕、それらを古代人や現代人(今日の人々)から集めた。
His auditis obstupuerunt sophi; これらで聞いて、賢人たちは唖然とした。
et illi qui e schola Socratica erant, dixerunt, quod ex novis his e terris percipiant quod interiora mentium humanarum successive occlusa sint, et quod nunc in mundo fides falsi luceat sicut veritas, ac ingeniositas fatua sicut sapientia, et quod lux sapientiae a nostris temporibus se demiserit ab interioribus cerebri in os sub nasum, ubi illa coram oculis apparet sicut splendor labri, ac loquela oris inde sicut sapientia. また、彼らは言った、その者はソクラテスの学派(学校)からであった、地からのこれらの新しいものから知覚したこと、人間の心の内的なものは連続的に閉ざされたこと、また今や世の中で虚偽の信仰が〝真理〟のように輝いていること、そして愚かな才気が知恵のように、また私たちの時代からの知恵の光は脳の内側から鼻の下の口まで(それ自体を)下げた、そこにそれら〔光〕は目の前に唇の輝きのように見える、そしてここからの口の話しは知恵のように。
His auditis quidam ex tironibus ibi dixit, "Et quam stupidae mentes terricolarum hodie; これらで聞いて、そこに見習い(徒弟)からのある者が言った、「また、今日の地球の住民の心は何と愚かなのか。
utinam adessent discipuli [2]Heracliti et Democriti, qui rident ad omnia, et qui flent ad omnia, et audiremus magnum risum et magnum fletum." ヘラクレイトス☆1とデモクリトス☆2の弟子たちが出席していた(居合わせた)らよいのに、その者はすべてのものに笑う、またその者はすべてのものに泣く☆3、私たちは大いなる笑いと大いなる泣きを聞いたであろう」。
☆1 ヘラクレイトスはギリシアの哲学者(紀元前576-480)。すべての創造の中で火が基本的な原理であると教えた。「泣きの哲学者」と呼ばれた、人類の愚かさを嘆いたからである。
☆2 デモクリトスはギリシアの哲学者(紀元前460-370)。原子論を発展させた。彼は快さ(機嫌がよいこと)を人生の目的とした。それで「笑いの哲学者」と呼ばれた。
☆3 脚注にもあるように、この順だと読みづらい(または間違っている)ので、これの二人の順番は変えた方がよいでしょう。
Postquam peractus est hic conventus, dederunt tribus novitiis e terra suae ditionis insignia, quae erant lamellae cupreae, super quibus aliqua hieroglyphica exarata sunt, cum quibus abiverunt. この集会がなし遂げられた後、地からの三人の新参者に自分の地域の勲章を与えた、それは銅の記念銘板(小板)であった、それらの上に何か象形文字が書き記されていた、それらとともに彼らは立ち去った。
@1 “munia….exesa:” sic ed. prin.; sic quoque De Am. Conj., n. 182; 注1「munia….exesa」――このように初版に。このようにまた『結婚愛』182番に。
videantur A. E., n. 1059, ubi legitur “mumi Aegyptiacum.” 『講解』1059番参照(見られる)、そこに「mumi Aegyptiacum」と読まれる。
A Doctore Tafel quidem legebatur “mumiae….exesae.” ターフェル博士により確かに「mumiae….exesae」と読まれた。
@2 “Heracliti et Democriti”: sic edition princeps. 注2「Heracliti et Democriti」――このように初版に。
Forte legeris Democriti Et Heracliti. もしかするとあなたは Democriti Et Heracliti と読む。
(3) 訳文
693. 第二のメモラビリア――
数週間後、私は天界から、「見よ、再び、パルナッソスに集会〔がある〕。加われ、私たちが道を示す」。言っている声を聞いた.
私は加わった、また私が近くにいたとき、私はへリコーンの上に、ラッパとともに、それで集会を知らせ、布告したある者を見た。
また、アテネの都とその辺境から前のように上ってくる者を、また彼らの真ん中に地からの三人の新参者を見た。
彼らはキリスト教からの三人、一人は聖職者、もう一人は政治家、三人目は哲学者であった。
これらの者を途中でいろいろな話しで〔彼らは〕楽しませた、特に、名前を挙げた古代の賢人たちについて。彼らは、彼らを見るかどうか質問した。彼らは、見られること、またもし欲するなら、彼らは愛想がよいので挨拶する、と言った。
彼らは、デモステネス、ディオゲネス、エピクロスについて質問した。
彼らは言った、「デモステネスはここにいない、しかし、プラトンのもとに〔いる〕、ディオゲネスは自分の学徒とともにへリコーンの下に滞在している、その理由は、世俗的なものを、天界的なことだけを心に思い巡らしたように何も重要視しない からである。
エピクロスは西に向かう境界の中に住んでいて、私たちの方へ入らない、私たちが善の情愛と悪の情愛の間を区別する、私たちが善の情愛は知恵と一緒であること、また悪の情愛は知恵に反していることを言うからである」。
[2] パルナッソスの丘に上った時、見張りの者がそこに、泉からの水を、水晶の鉢の中に携えてきた、また、「泉からの水である、それについて古代人は神話として語っている、(翼のある)馬ペーガソスのひづめにより破り開かれたこと、またその後、九人の乙女により捧げられた」と言った。しかし、翼のある馬ペーガソスによって真理の理解力、それによって知恵が意味された。その足のひづめによって経験が、それによって自然的な知性が意味された。また九人の乙女によって、すべての種類の認識と知識が意味された。
これらは今日、寓話と呼ばれる、しかし、対応であった、それらから初期の者たちは話した。
仲間が三人の到来者に言った、「あなたがたは怪しむな。見張りの者はそのように話すことを教えられている。また私たちは泉からの水を飲むことによって真理について教えられること、また真理によって善について、またこのように賢明である(になる)ことを意味する」。
[3] この後、パラディウム(知恵の神殿)に、彼らと世からの三人の新参者、聖職者、政治家、哲学者とともに入った。またその時、机に座っていた月桂冠をかぶった者が、質問した、「地から新しいもの(情報)は何か?」
また彼らは答えた、「これが新しいもの(情報)である、ある者☆1が天使と互いに話していると物語っていること、そして、自然界の中に開かれた〔視覚を〕持つようにと等しく、霊界の中に開かれた視覚を持っている、また彼は新しいもの(情報)をここから多くの者を提示した、それらに間にこれらがある――
人間は、以前に世の中で生きたように死後も生きること。以前に世の中でのように見る、聞く、話すこと。以前に世の中でのように、着せられ、飾られること。以前に世の中でのように、飢え、渇きを感じること。以前に世の中でのように、結婚の歓喜を楽しむこと。以前に世の中でのように、眠り、目を覚ますこと。 そこに(大)地と湖、山と丘、平野と谷、泉と川、庭園と木立ちがあること。なおまたそこに宮殿と家、そして都と村、自然界の中のように、そのようにまた、書かれたもの(文書)と本があること、また職務と商売(取引)があること、なおまた宝石、金、銀があること。一言でいえば、そこにすべてと個々のものがある、それらは地に、またそれらは天界の中で無限に完全である。単なる違いとともに、霊界の中にあるすべてのものは霊的な起源からであり、またここから霊的なものである、そこの「太陽」からであるので、それは純粋な愛である。また、自然界の中にあるすべてのものは自然的な起源から、またここから自然的なものと物質的なものである、太陽からであるので、それは純粋な火である。一言でいえば、人間は死後、完全に人間であること、それどころか、以前に世の中に〔いたとき〕よりもさらに完全に人間であること。というのは、以前に世の中で物質的な身体の中にいた、けれども、この中で霊的な身体の中にいるから」。
[4] これらを聞いて、古代の賢人たちは、それらについて地の中で何を考えるか質問した。
彼ら三人は言った、「私たちはここにいて、そしてすべてのものを観察し、また調べたので、私たちは、真理であることを知っている。それゆえ、私たちは、それらについて地上で何が話され、推論されているか言う」。
またその時、聖職者は言った、私たちの階級(教団)からの者は、最初にそれらを聞いた時、幻視と言った、続いて、作り事、その後、幽霊を見た、また最後に、ためらい、また言った、「信じよ、もし、あなたが欲するなら。私たちは今まで、人間は死後、最後の審判の日よりも前に身体の中にいないことを教えた」。
また彼らは質問した、「彼らの間にだれか知的な者がいないのか? その者が、人間は死後に人間〔として〕生きるという〝真理〟についてそれらを示し、また確信させることができる」。
[5] 聖職者は、「示す者がいる、しかし確信させない」と言った。「示す者は言う、信じることは健全な理性に反していること、人間は生きない人間〔として〕最後の審判の日よりもでないなら、またその間に身体なしの霊魂であること。霊魂とは何か、またそれはその間どこに〔いるのか〕? (気体の発散物)、または空気の中で飛んでいる何らかの風(息)、あるいは地の真ん中の中に隠された存在物なのか、どこにそのプー☆2があるのか? アダムとエバの、また彼らの後のすべての者の霊魂が、今や、六千年の間、すなわち、六十世紀、今でも全世界の中を飛びまわっている、または地の中央の中に閉じ込められて保たれている、また最後の審判を期待しているのか? このような期待は、何が心配また惨めか?
彼らの運命は牢獄の中の鎖と足かせで結び付けられた〔者の〕運命にたとえられるができないか?
もしそのような運命が人間に死後あるなら、人間よりもロバに生まれた〔ほうが〕ましだったのではないか?
さらにまた、霊魂がその身体を再び着用することができること信じることは理性に反していないか? 身体は、虫・ネズミ・魚により食い尽されていないか? そしてその新しい身体に太陽で焼き尽くされた、あるいは塵の中にこなごなにされた(分解された) 骨の骸骨が着せられること〔理性に反していないか〕?
どのようにそれらの屍と腐ったものが集められ、霊魂に結合させられるのか?
しかし、このようなものを聞いたとき、だれも理性から返答しない、しかし、「私たちは理性を信仰の服従の下に保つ」と言って、自分の信仰に固執する――最後の審判の日にすべての者を墓から集めることに〔ついて〕、言う、「このことは全能の働きである」――また全能と信仰が名前を挙げられるとき、理性を追放する。また、その時、理性は無のようなものであること、またある者に〔とって〕幽霊のようなものと言うことができる。それどころか、健全な理性に「狂気」と言うことができる」。
[6] これらを聞いて、ギリシアの賢明な者が言った、「矛盾のようなそれらの背理☆3はそれ自体から消散されないか? またそれでも、世の中で、健全な理性により消散されることができない。何が背理か、そのことよりも信じられることができ、最後の審判について語られること、その時、全世界が滅びること、またその時、天の星がさらに小さい星である地の上に落ちること。また、人間の身体は、その時、あるいは屍、あるいは人間により飲まれたミイラ☆4あるいは小さい粒、その霊魂と一つとなるのか?
私たちは世の中にいた時、理性が私たちに与える推理から人間の霊魂の不滅を信じた、そしてまた、私たちは祝福された者のために場所を指定し、それをエーリシュオン☆5と呼んだ、また私たちは、人間の似姿または外見(姿)で存在すること、しかし、霊的なので希薄であることを信じた」。
[7] このことが言われた後、彼らはもう一人の(第二の)到着者に向かって向きを変えた、その者は世の中で政治家であった。
この者は、死後のいのちを信じていなかったこと、また、それらについて聞いた新しいものについて、それらは作り事やでっちあげであったと考えたことを言明していた。
「それらについて熟考している〔とき〕、私は言った、どのように霊魂に身体があることができるのか? 人間のすべてのものは墓の中に死んで横たわっていないか? そこに目はあっても、どのように見ることができるのか? そこに耳はあても、どのように聞くことができるのか? どこから、彼は口で話すのか? もし、人間の何らかのものを、死後、見るにしても、それは、幽霊に似たような何らかのものでないのか? どのように幽霊が食べ、飲むことができるのか? またどのように結婚の歓喜を享受することができるのか? 彼に、衣服、家、食物はどこからか、等々? 幽霊は、空気の像であり、存在するように見えるが、それでも存在しない。
人間の死後のいのちについてこれらや似たものを、私は世の中で考えた。しかし、今や、私はすべてのものを見た、そして私の手ですべてのものを触れ、感覚そのものによって私は確信し、数回、以前の考えの私を恥じた」。
[8]自分自身(のもの)について同様のことを哲学者は語った。しかしながら、それら新しいものを、それらを死後のいのちについて、見解や仮説の間に〔ある〕それらを古代人や現代人(今日の人々)から集めたことを聞いた〔という〕この相違とともに語った。
これらを聞いて、賢人たちは唖然とした。また、ソクラテスの学派からであった者は言った、地からのこれらの新しいものから知覚したこと、人間の心の内的なものは連続的に閉ざされたこと、また今や世の中で虚偽の信仰が〝真理〟のように輝いていること、そして愚かな才気が知恵のように、また私たちの時代からの知恵の光は脳の内側から鼻の下の口まで(それ自体を)下げ、そこにそれら〔光〕は目の前に唇の輝きのように、そしてここからの口の話しは知恵のように見えること。
これらを聞いて、そこの徒弟のある者が言った、「また、今日の地球の住民の心は何と愚かなのか。すべてのものを笑うデモクリトス☆6とすべてのものを泣くヘラクレイトス7の弟子たちが出席していた(居合わせた)らよいのに、私たちは大いなる笑いと大いなる泣きを聞いたであろう」。
この集会がなし遂げられた後、〔彼らは〕地からの三人の新参者に自分の地域の勲章を与えた、それは銅の記念銘板(小板)であった、それらの上に何か象形文字が書き記されていた、それらとともに彼らは立ち去った。
☆1 スヴェーデンボリのことです。
☆2 「プー」はギリシア語で「どこ?」を意味します。死後の霊魂がいると信じられた場所です。
☆3 paradoxon(ギリシア語)は通常「逆説」と訳されます。しかし、逆説は「一見矛盾に見えて実際は正しい説」です、この箇所のようにスヴェーデンボリはこの意味で使用していません。それで逆説でなく背理のような言葉で訳すのが正しくなります。一般に、ある個人の場合、辞書どおりの意味で使っていない言葉はありえます、これはその例です。
☆4 ミイラは薬とされ「飲まれた」ことがあります。
☆5 Campi Elysiiはフランス語でChamps Elysees(理想郷)、すなわち「シャンゼリゼ」です。
☆6 デモクリトスはギリシアの哲学者(紀元前460-370)。原子論を発展させた。彼は快さ(機嫌がよいこと)を人生の目的とした。それで「笑いの哲学者」と呼ばれた。
☆7 ヘラクレイトスはギリシアの哲学者(紀元前576-480)。すべての創造の中で火が基本的な原理であると教えた。「泣きの哲学者」と呼ばれた、人類の愚かさを嘆いたからである。