原典講読『真のキリスト教』665(訳文)

(3) 訳文
665. この後、私たちの直接に上方にあった天界から、天使からの声が聞こえた、言って、「(あなたがたは)こに上れ、そして身体に関してまだ自然界の中にいるあなたがたからの一人に私たちは質問する、そこでは、〝良心〟について何を知っているか」。
 また、私たちは上った、また入った後、ある賢明な者(たち)に出会った、また私に質問した、「あなたの世界の中で、〔彼らは〕良心について何を知っているか?」。
 また、私は答えた、「もしよろしかったら、私たちは降る、また私たちは平信徒からまた聖職者から賢明な者と信じられている数を呼び集める、また私たちはあなたがたの下の鉛直線の下に立ち、そして質問する。また、あなたがたはそのように何を答えるか、あなたがたの耳で聞くでしょう」。
 また、そのように行なわれた。選ばれた者からの一人がラッパを取った、またそれを南、北、東、また西へ鳴らした、またその時、数分の後、ほとんどスタディオン〔約一八五メートル〕〔四方〕の空間を満たすような、このように多くの者がいた〔集まった〕。
しかし、上からの天使たちがそれらからのすべての者を四つの集団の中に配列させた、一つは政治家から、もう一つは学者から、第三のものは医者から、また第四のものは聖職者から構成された。
 そのように配列された者たちに、私たちは言った、「(あなたがたは)せ、あなたがたが呼び集められたこと。理由がある、その者は私たちの正反対の上方にいる天使たちが、知ることを熱望しているからである、あなたがたはその中に以前いた世で、良心について何を考えたか、またここから、何を今でもそれについて考えているか、それらのものについて以前の観念を今でも心に留めている。というのは、天使たちは、良心について世の中の思考は、失なわれた思考の中にある、と話しているからである」。
 [2] この後、私たちは、最初に政治家から構成された集団へ向け、またもし喜びなら、良心について。何を考えたか、また何をここから今でも考えているか、心から言うように求めた。
 これに彼らは、一つ、その後にもう一つと〔=次らか次へと〕答えた。それらの答えは一つの中に集められた、良心が自分自身を知ることである以外の、そのように、何を意図したか、考えた、行なったか、また話したか気づいていること以外の何らかのものを知らないことである。
 しかし、私は彼らに言った、「私たちは、良心の言葉の語源について質問しなかった、しかし、良心について〔質問した〕」。
 また、彼らは答えた、「良心とは、名誉または富の、そしてまた、それら二つのための名声の危険の予想された恐れからの苦痛(悲しみ)以外の他の何か。
 しかし、その苦痛(悲しみ)は、宴会によって、また高貴な(=上等の)インの杯によって、また、ウェヌスとその少年の遊びについての会話によって☆1追い払われる」。
 [3] これに私たちは言った、「あなたがたは冗談を言っている。言え、よろしかったら、あなたがたのだれかが、感じているかどうか、何らかの不安が別の場所からか?」
 彼らは答えた、「別の場所から、とは何か? 世界全部は劇場のようではないのか? その上で、それぞれの者が、、喜劇役者のように自分の〔舞台〕上で自分の場面を演じる。
 私たちは自分の欲望から、だれでも、ある者をごまかし(あざけり)で、ある者をお世辞(へつらい)で、ある者をたくらみ(策略)で、ある者を友情の見せかけ(ふり)で、ある者を誠実の作りごとで、またある者を他の政治的な技巧(巧妙さ)で、誘惑で欺き、罠にかける――ここから私たちに心の苦痛(悲しみ)は何もない、しかし、これに反して、快活さと喜びが〔ある〕、それらを拡がった胸で静かにまたそれでも十分に吐き出す(発散させる)
 私たちは、私たちの仲間からのだれかからのある者を、彼らを代わる代わる、心臓と胸の〔痛みの〕ような、またここから心の収縮のような不安と悩みが出てくることを聞いた。しかし、これらの者について薬剤師に質問した時、教えられた、胃の中の消化されていないものから起こるうつ病の(ゆうつな)体液から、または脾臓の病気の状態からであること。しかし、これらの者からのある者たちについて私たちは、自分の以前の快活さを、薬によって回復した、と聞いた」。
 [4] これをたちが聞いた後、私たちは学者から構成された集団へ向きを変えた、それらの者の間にもまた技術で熟練した多くの自然科学者☆2がいた。またらにしかけて、私たちはった、「あなたがたは、知識専念したまたここからあなたがたは知恵託宣者であるとじているあなたがたはもしびなら、何良心?」
 またらはえた、「この目的(意図)は何どんなものか
 確かに、私たちはる者のもとに、身体の胃の領域だけでなく、しかし、心の住まいもまた悩ます悲しみ、悲哀また不安があることを聞いたというのは、私たちは、二つのがそれらのまいであることをじているからまたこれらは繊維いているもの(容器)から構成されているのである苦い体液であること、それがそこに繊維をつねりかみ、むしばみ、またこのように心の思考のスフェアをそのように、何らかの楽しみの中へ、変化から、注ぎ出すことができないように締めつける。ここから、人間つの事柄だけに心を向けることが生じる、そのことからそれらの繊維が、伸張性と弾力で滅びる、ここからそれらの頑固さと硬直が〔生じる〕。それらから霊魂精気☆3の不規則な運動が起こり、それは医者により失調症と呼ばれ、そしてまたその機能での欠陥がそれが卒倒(めまい)ばれる
 一言でいえば、心その時、地獄の群れにとりつかれたように座り、自分自身をここやそこへと、鍵が取り付けられた車輪ができるよりも、また砂州の上にしがみつく船ができるよりも、さらに向きを変えることもできない。
 心のこのようなものとここからの胸の悩みは彼らのもとの支配している愛が損失を被るそれらにに起こる、それはもし攻撃されるなら、脳の繊維を縮ませ)、またその収縮は、心が自由に広がらないようにさまたげ、そしていろいろな形の中で歓喜をつかまえる。
この危機にいるときこれらのそれぞれのものを自分気質にしたがっていろいろな種類幻想、狂気また精神錯乱、また宗教的なものの中でのある種の狂気の襲撃が入それをこれらの者は良心の呵責と呼ぶ」。
 [5] この後、私たちは医者たちから構成された第三集団きをけた、それらの間に外科医と薬剤師もいた。また、私たちはった、「あなたがたはおそらく、何良心、知っているそれは心臓実質組織またここから土台となっている上腹部下腹部の領域を襲。悩ます苦痛なのか〔知っている〕。または、ほかの何かなのか?」
 また、これらの者は答えた、「良心は、このような苦痛でしかない。私たちは他の者よりもその起源を知っている、というのは、、それは身体の器官、そしてまた頭の器官を、したがって、心もまた攻撃する偶発的な病気であるから、これ〔心〕は、クモが自分のクモの巣の糸の中心にいて、それによって同様に走り出、また突進するように、脳の器官の中に座るから。これらの病気を私たちは器官の病気と呼ぶ、またそれは、それらの〔病気が〕時々、戻る〔とき〕、慢性のもの〔と呼ぶ〕。
 しかし、良心の苦痛によって、私たちの前で病気(不健康)によって述べられているようなこのような苦痛は、心気症の病気以外の他のものではない、それは最初に脾臓を、また第二位に膵(すい)臓と腸間膜のその本質的な機能で奪う。ここから、胃の病気が、それらから体液の不健康状態(悪化)が導かれる。というのは、胃の開き口(門、孔)まわりに圧迫が生じるからであり、それは胸やけと名づけられる。これらから、黒い、黄色のまたは緑の胆汁のぎっしり詰まった体液が引き出され、それらから毛細管と呼ばれる血の最小の管がふさがれ、そこから悪液質(不健康状態、カヘキシー)、委縮、また癒合、そしてまた、トロリとした粘液(リンパ液)からの擬似肺炎、そして膿漿のようなリンパ、また血の(全部の)大部分の中でむしばむ。
 さらにまた同様のものが、血とその漿液(血清)の中の通過から、蓄膿(症)の溶解、身体の中の膿瘍と膿瘍から、流れ出る。その血が頸動脈を通って頭の中に上がるとき、脳の髄、皮質と(脳)膜が浪費され、むしばまれ、かみつかれ、またこのように苦痛をかきたてられ、それは良心の〔呵責〕と呼ばれる」。
 [6] これらを聞いて、私たちは彼らに言った、「あなたがたはピッポクラーテス☆4とガレノス☆5の言葉を話す。それらは私たちにギリシア語であり☆6、私たちは理解しない。私たちは、これらの病気について質問しなかった、しかし、ただ心だけのものである良心について〔質問した〕」。
 また彼らは言った、「身体の病気と頭の病気は同じものである、またこれらは身体からのぼる。というのは、一つの家の中の二つの階ように密着し、心の状態は身体の状態から分離できずに依存するから。しかし、私たちはそれら重苦しさ(圧迫感)と頭痛を(それらを私たちは、あなたがたが良心によって理解するものである、と把握しているが)、私たちは、あるものを膏剤と発庖剤によって、あるものを注ぎ込むものと乳液(乳剤)によって、またあるものを薬味によって、またあるものを鎮痛薬によって治療する」。
 [7] そのとき、私たちは彼らからさらに同様のものを聞いた、それゆえ、私たちは身を背け、聖職者へ向き変えた、また私たちは言った、「あなたがたは、何が良心か知っている。それゆえ、言え、また居合わせる者に教えよ」。
 また彼らは答えた、「何が良心か、私たちは知っているし、知らない。
 私たちは悔恨あることを信じる、それは選びに先行する。すなわち、その瞬間、人間は信仰を与えられ、それによって彼に新しい心と新しい霊が生じ、そして再生される。
 しかし、私たちは認める、その悔恨が地獄の火のために恐怖とここからの不安〔がある〕わずかな者にだけ生じること、またほとんど者は罪とここからの神の正しい怒りのためではないこと。
 しかし、彼ら懺悔者(告白者)私たちは、キリストが十字架の受難によって断罪を取り去ったこと、またこのように地獄の火を消したという福音によって癒した、また彼らに天界を開けた、その者は神の御子の功績の転嫁が刻まれている信仰で祝福される。
 さらに、真理のものも狂信的なものも、いろいろな宗教からの良心的な者が存在する、その者は自分自身に救いの事柄の中で、本質的なものだけでなく、形式的なものでもまた、そしてまた無関心な事柄の中でささいなものをつくっている。
 それゆえ、前に私たちが言ったように、私たちは良心があることを知っている、しかし、真実のもの(真の良心)が何か、またどんなものか、それらはまったくの霊的なものにちがいないので、私たちは知らない。
 
1 ウェヌス(ビーナス)は美と愛の女神であり、「性的活動、愛欲」の意味があります。「その少年」はクピドー(Cupido、キューピッド)のことでしょう、すなわち、愛欲、恋愛を話すことです。
2 ここの原語physiceは「物理学者」の意味がありますが(『秘義』6057:1)がここでは特定の学問としないでもっと一般的に「自然哲学」(『霊界体験記』2299の見出し参照)または、このように「自然科学者」あるいは「唯物論者」とするのがよいようです。
3 霊魂精気は脳髄に生じ神経を通って全身に伝えられるとされていた精気、魂と外界をつなぐ役を果たすと考えられていた。
4 ピッポクラーテスは紀元前45世紀のギリシアの医師。
5 ガレノスは2世紀のギリシアの医師。
6 英語に「It’s Greek to me.」という表現があります。直訳すれば「それは私にギリシア語である」意訳すれば「それは私にはまったくちんぷんかんぷんだ」となります。この表現がラテン語にもあるのでしょうか? わざわざギリシアの「医師」を持ち出しているところから判断すれば、ありそうです。すなわち、「あなたがたは専門用語ばかり使って話すので、まったくわからない」。