原典講読『真のキリスト教』663(訳文)

(3) 訳文
663. 第三のメモラビリア――
 
 かつて私は天使たちの真ん中にいて、彼らの談話を聞いた。
 彼らの談話は知性と知恵についてであった。人間は、また知覚しないこと、両方とも自分自身の中にあるこ、また、このように何でも欲するまた考えるものが、自分自身からであることと以外に異なって感じないこと〔であった〕。そのときそれでも、それらを受け入れる能力を別としてそれらの最小のものも人間からでないない。
  彼らが話した多くのものの間に、このこともまたあった、エデンの園の中の善と悪の知識の木は信仰を意味したこと、知性と知恵は人間からであったこと、またいのちの木は知性と知恵は神からであったことを意味したこと。またアダムがヘビの説得から、神のようになると信じて前者の木から食べたので、それゆえ、庭園から追い払われ、断罪された〔ことを意味した〕。
 [2] 天使たちが、この談話の中にいた時、二人の聖職者が、世の中で王国の大使であった男と一緒にやって来た、また彼らに私は、天使から知性と知恵について私が聞いたものを語った、それらを聞いて、彼ら三人はそれら両方のものについて、そしてまた思慮分別について、神からであるか、あるいは人間からか論争し始めた。論争は激しかった。彼ら三人は、同様に、人間からであることを信じた、感覚とここからの知覚そのものがそのことを確信させたからである。しかし、その時、神学の熱意の中にいた聖職者は、、知性と知恵のものは何もない、またこのように人間から思慮分別は何もないことを主張し、このことはみことばのこれらから確認(証明)れた、
 
 「人間はどんなものでも、彼に天から与えられないなら取ることができない」(ヨハネ3:27)
 
 またこれらから、
 
 イエスは弟子たちに言われた、「わたしなしに、あなたがたはどんなものも行なうことができない」(ヨハネ15:5)
 
 [3] しかし、その時、天使から、どれほど聖職者がそのように話しても、それでも、王国の大使が〔信じる〕ものを心で同様に信じている、という知覚があったので、それゆえ、天使たちは彼らに言った、「あなたがたの服を脱げ、そして政治に仕える者の服を着よ、また、あなたがたが彼らであること信じよ」。そしてそのように行なった、またその時、自分自身の内的なものから考え、そして内的に抱いている論拠から話した、それらは、すべての知性と知恵は人間の中に住んでいること、また彼のものであることであった。言って、「だれがまだ、それらが神から流入することを感じるのか?」 そして自分たちを互いに調べ、また確信した。
 霊界の中で独特なものあるが、霊は、自分の衣服がどんなものであるか〔によって〕、自分自身がこのようなものである、と考える。その理由は、そこのそれぞれの者に理解力が着せるからである。
 [4] その瞬間、彼らの近くに木が現われ、また彼らに言われた、「善と悪の知識の木である。それらから食べないように、あなたがたは用心せよ」。しかし、それでも、彼らはプロプリウムの知性で愚鈍にさせられ、それらから食べる欲望に燃え、また互いに言った、「なぜ、〔食べ〕ないのか? 善い実ではないのか?」
 また、近づき、食べた。
 王国の大使はこのことに気づいた、またいっしょになり、心で友人になった、また地獄の中へ伸びていたプロプリウムの知性の道を、互いに手を握って、一緒に行った。しかし、私はそこから戻る彼らを見た、まだ準備されていなかったからである。