原典講読『真のキリスト教』661(訳文)

(3) 訳文
661. これらにこれらのメモラビリアをえる
 第一のものはこれ――
 
 霊界の中の東へ近く、さらに高い北の方位の中に、少年のための、そして青年のための、また成人のための、そしてまた老人のための教育の場所がある。この場所の中に、幼児で死んだすべての者は送られ、天界の中で育てられる。同様に、その中に世から新たに到着し、天界と地獄についての知識を望むすべての者は〔送られる〕。
 彼らの場(領域)、すべての者が主からの流入によって教えられるために「東」近くにある、と言うのは、主は「東」であるから、そこに太陽の中にいるからである、それはその方から純粋な愛である。ここから、その太陽からの熱は、その本質では愛であり、またそれからの光は、その本質では知恵である。これらが彼らに、主から、その太陽から吹き込まれ、そして、受け入れにしたがって吹き込まれ、また受け入れは賢明になる愛にしたがっている。
 教育の時の後、知性ある者になった者はここから送られ、またこれらの者は主の弟子と呼ばれる。ここから最初に西の中に送られ、またそこにとどまらない者は、南へ、またある者は南を通って東に〔送られ〕、また、そこに彼らの住まいがある社会の中に導き入れられる。
[2] かつて、私は天界と地獄について熟考していたとき、両方の状態について普遍的な知識を願い始めた。普遍的なものを知る者は、その後、個々のものを把握することができると知っている、部分が全般的なものの中にあるように、後者は前者の中にあるからである。
 この願いの中で、私は東に近い北の方位の中のその領域を眺めた、そこに教育の場所があった、また、私にその時、開かれた道を通って、それを私は行き、そして一つの大学の中に入った、そこに若い男たちがいた。
また、私は、そこの上級の教師たちに近づいた、その者は教え、また彼らに、天界と地獄について普遍的なものを知っているかどうか質問した。
 また彼らは、何らかのわずかなもの知ってい、と答えた。「しかし、もし私たちが主へと東に向かって眺めるなら、私たちは教えられ、また知る」。
[3] また彼らはそのようにし、また言った、「地獄の普遍的なものは三つある、しかし、地獄の普遍的なものは天界の普遍的なものと正反対に対立している――地獄の普遍的なものはこれらの三つの愛である――自己愛からの支配する愛、世への愛(世俗愛)からの他の者の財産を所有する愛、また淫行(的な)愛。
 それらに対立する天界の普遍的なものはこれらの三つの愛である――役立ちへの愛からの支配する愛、それら〔財産〕によって役立ちを行なう愛からの世の財産を所有する愛、また真の結婚愛」。
 これらが言われて、平和を祈った後、私は立ち去り、家に戻った。
 私が家にいたとき、私に天界から言われた、「上方のものと下方のもののその三つの普遍的なものを調べよ、また、その後、私たちはそれをあなたの手の中に見る」、
 「手の中に」と言われたのは、人間が理解力で調べたすべてのものは、天使たちには、手に刻み込まれているように見えるからである☆。
 それゆえ、「黙示録」に、特別なしるしを額の上と手の上に受けることが言われている(13:1614:920:4)
 [4] この後、私、地獄の普遍的な第一の愛を調べた、それは自己愛から支配する愛であった、またその後、それに対応する天界の普遍的な愛を、それは役立ちへの愛から支配する(統治する)愛であった。というのは、私一方もう一方〔愛〕熟考すること(調べること)なしに、〔熟考すること(調べること)〕許されなかったから理解力は、もう一方なしに、一方の愛を受け入れないからである、というのは、対立しているから。それゆえ、両方のものが知覚されるために、一方がもう一方に反して、正反対のものの中に示される。というのは、美しくかわいらしい顔が、その対立した、美しくないまた醜い顔から明らかになるから。
 私自己愛からの支配する議論たと、この愛が最高度に地獄的なものであったこと、またここから彼らのもとに〔あり〕、その者は最も深い地獄の中にいることを知覚することが与えられた。
また役立ちへのから配(統治)する、最高度天界的でありまたここから天界にいるのもとにある〕こと。
 [5] 自己愛からの支配する最高度地獄的であることは、自己愛から支配することはプロプリウムからである、そして人間のプロプリウムは出生から悪そのものであり、また悪そのものは主に対して正反対である。そのために、彼らはの悪の中に進めば進むほどますます、主と教会の聖なるものを否定し、自分自身と自然を崇拝する。そのにいる本質的調またることをめた。
 さらにまたこのはどれだけ抑制がゆるめられるかによって〕、それは不可能げられないときじるがそれだけ段階から段階、また最高点までもへ突進するようなものである。またそこに終わりもなく、しかし、もしさらに上の段階が与えられないなら、苦しみ、嘆く。
 [6] 政治家のもとのこのは、王たち皇帝たちであることをまたもし可能なら、世のすべての者の上に支配することを、また王たちの王たち、また皇帝たちの皇帝たちと呼ばれることを欲するまでものぼるしかし、同聖職者のもとで、神々であることを天界のすべての者の上に支配するように、また神々の神々と呼ばれること欲するまでのぼる。
 これらやそれらの、心、何らかのめないことは、続くもののられる
 しかし、逆、役立ちのから配(統治)ることをするこれらの自分自身から配(統治)ることをしないしかしから〔欲する〕、役立ちのからでありまたそのもの(自身)であるからであるこれらの者は地位役立ちを行なうための手段としか眺めない。これらの者は〔役立ちを〕地位のはるかに上に置く、しかし、前の者たちは地位を役立ちのはるかに上に置く。
 [7] 私がこれらを熟考していたとき、私に、主からの天使を通して、「今、今、あなたは見る、また視覚からあなたは、その地獄的な愛がどんなものであるか確信する」と言われた。
 またその時、突然、地がそれ自体を、左へ開いた、また私は地獄から悪魔がのぼってくるのを見た、その者に、頭の上に、額の上、目まで押し下げられた正方形の帽子があった、顔は燃えるような熱病のような吹き出物でいっぱい、獰猛な目、菱形の中でふくれている胸〔であった〕。口から炉〔から〕のような煙を吐き出し、彼の腰はまったく火のようだった、足の代わりに肉なしの骨のようなものがあった。また彼の身体から悪臭のするまた不潔な熱が発散した。
 それを見て、私は恐れ、彼に叫んだ、「近づくな、あなたはどこからであるか言え」。
 しゃがれ声で答えた、「私は下方〔の領域〕からである、その社会のすべての者は最も卓越したものである――そこの私たちすべての者は、皇帝たちの皇帝たち、王たちの王たち、大公たちの大公たち、また君主たちの君主たちである。そこに裸の(飾りのない)皇帝はいない、裸の王も〔い〕ない、大公と君主、私たちはそこに王座の王座の上に座っている、またここから全世界の中に、また越えて、私たちは命令を送る」。
 その時、私は彼に言った、「あなたは、それは卓越の狂気の幻想から〔であること〕を見ないか?」
 答えた、「どのように〔して〕あなたはそのように話すことができるのか? 私たちには完全に〔そのように〕見える、そしてまた、仲間からそのような者〔であると〕私たちは認めるからである」。
 [8] このことをいて、私はさらに、「狂気」うことをしなかった、幻想からっていたからである。私に知ることが与えられた、その悪魔は、世の中で生きたとき、ある家の単なる管理人であったこと、またその時、それほどの高慢な霊の中にいたこと、すべての人類よりも自分自身を軽蔑し、そして、王であるに、そしてまた皇帝であるにふさわしいという幻覚にふけった。その傲慢から否定そして教会のすべてのなるものを自分自身してものでもないしかし、愚かな庶民してらかのものであるとなした
 最後質問した、「そこにかれているあなたがたはどれだけあなたがたのそのようにあなたがたは誇ったのか?
 彼った、「永遠しかし、私たちからの、他卓越否定ためにしめた、沈められたというのは、私たちに誇ることが許されている、しかし、ある者に悪をもたらすことは〔許され〕ないからである」。
 私は再び質問した、「沈められた者にどのようない運命があるのか、知っているか?」
言った、ある種の牢獄中に沈められる、そこで卑しい者の卑しい者、または最も卑しい者と呼ばれ、労働する。
 その時、私はその悪魔に言った、「それでは、あなたもまた沈まされる者〔となら〕ないように用心せよ」。
 [9] この後、再び、地が開かれた、しかし、右に。また、私は起こってくるある悪魔を見た、その頭の上に司教冠のようなものがあり、それはあたかもヘビのようにとぐろを周りに巻き、その〔ヘビの〕頭はてっぺんから突出していた――彼の顔は、額からあごまで、そしてまた両方の手は、らい病であった。腰は裸であった、またすす(油煙)のように黒い、それによって火は炉からのようにうす暗く輝き貫いた、また二つのマムシのような足〔であった〕。
 前の悪魔はこれを見て、ひざまづき、彼を崇拝した。
 私は質問した、「なぜ、そのように?」
 彼は言った、「彼は天地の神である、そして全能である」。
 またその時、私はこの者に質問した、「何を、あなたはこの者に言うのか?」
 答えた、「私が言うことは、天地の上に、私にすべての力がある〔ことである〕。すべての霊魂の運命は私の手の中にある」。
 また私は再び質問した、「皇帝たちの皇帝であり、そのように自分自身を服従させること、また、あなたは崇拝を受け入れることを、どのように〔して〕その者はできるのか」
 答えた、「やはり私のしもべである。神の前に皇帝とは何か? 私の右手の中に破門させる雷電がある」。
 [10] またその時、私は彼に言った、「どのように〔したら〕あなたはそのように狂うことができるのか? 世であなたは単なる聖職者であった。また、あなたには鍵があり、またここからあなたは縛り付けるまた解く〔ことができる〕という幻想を被ったので、あなたの霊を、今やあなたは、あなたが神そのものであること信じるようなこの気の狂った段階の中へと興奮させた」。
〔彼は〕このことに憤慨して、主に天界の中に何らかの力がないことを誓い、「すべてのものは私たちの中に移されたので、それを命令する以外にために私たちは働きをもたない、そして天界と地獄はうやうやしく従属する。もし私たちがだれかを地獄の中に送るなら、悪魔たちは直ちに彼を受け入れる、同様に、私たちは天界の中に送る者を天使たちは〔受け入れる〕」。
 私はさらに質問した、「あなたがたの社会の中にどれだけ多くいるか?」
 彼は言った、「三百、またそこにすべての者は神々であり、また私は神の神である」。
 [11] その後、両方の足の下に地が開かれ、自分の地獄の中に深く沈んだ。また、彼らの地獄の下にある強制収容所を見ることが与えられた、その中に危害を他の者に加える者は落ちる。というのは、それぞれの者は地獄の中に自分の幻想に、そしてまたその中の自慢に残されるから、しかし、他の者に悪を行なうことは許されない。
 このような者がそこにいるのは、人間はその時、自分の霊の中にいるからである、そして霊は、身体から分離された後に、彼の情愛とここからの思考にしたがって働くまったくの自由の中にやってくる。
 [12] その後、彼らの地獄を眺めることが与えられた。そして、そこに皇帝の皇帝そして王の王がいた地獄は、すべての不潔なもので満ちていた、そして彼らは獰猛な目のいろいろな野獣のように見えた。同様に、他の地獄の中に、そこに神々が、また神々の神がいた、またこの中にオーヒームやイッイームと呼ばれる恐るべき夜の鳥が見られた。彼らの幻想の像がそのように私に見られた。
 これらから、政治家の自己愛がどのようなものであるか、また聖職者の自己愛がどのようなものであるか明らかであった。後者は神々であることを欲するような、けれども、前者は皇帝であることを欲するような者である。またそのように欲し、そしてまたその愛の抑制がゆるめられるかぎり得ようと求めること〔が明らかであった〕。
 [13] これらのしいものと残虐なものがられた、私見回した、私、私からくない、立って話している二人天使。一人衣服、炎(えるような)色からの輝く羊毛のトーガ、またその下に下着はみごとな(目もくらむような)亜麻布からできていた。もう一人〔の衣服も〕類似してかぶりともに緋色できていてそのかぶり右側からいつくかのルビーが、差まれていた
 これらのづいたまた「平和あれ」挨拶をしたまたうやうやしく質問した、「なぜあなたがあはここに下方にいるのか?」
 また、彼らはえた、私たちは命令から天界からここにろされた、役立ちへのから支配されることをする祝福された運命についてあなたとすためである
 私たちは礼拝者たちである私は社会の君主、もう一人はそこに聖職者である」。
 また君主は自分の社会のしもべであること、役立ちを行なってそれに仕えているからである、と言った。またもう一人は、そこに教会の仕える者(聖職者)であること、彼らの霊魂の役立ちのために聖なるものに彼らに仕えて執行するからである、と言った。また両方の者は、主からそれらの中にいるので永遠の幸福からの絶え間のない楽しさの中にいること〔を言った〕。またその社会の中のすべてのものはみごとで、荘厳である、金と宝石からみごとであり、宮殿と庭園から荘厳である。「その理由は、私たちの支配する愛は自己愛からではないからである、しかし、役立ちへの愛から、また役立ちへの愛は主からである、それゆえ、すべての善の役立ちは天界の中で光り、輝く。また、私たちの社会の中のすべての者はこの愛の中にいるので、それゆえ、そこの大気は金()に見える、そこに光は、それは太陽の炎から得ている、そして太陽の炎はその愛に対応する」。
 [14] これらが言われて、私にもまた彼らのまわりの似たスフェアが見られた。彼らから芳香が感じられ、さらに私は彼らにそのことを言った、また、役立ちの愛について言ったことにさらに何かを加えるように懇願した。
 また彼らは続けて、言った、「地位の中に私たちはいる、〔それを〕確かに、私たちは求めた、しかし、役立ちをさらに完全に行ない、またそれをさらに広げることができる以外の他の目的のためでは決してない。そしてまた、私たちは名誉に取り囲まれている、またそれを受け入れるが、私たちのためではなく、社会の善のためである。というのは、そこの大衆からである同僚や仲間のほとんどの者は、私たちの地位の名誉は私たちの中にあり、またここから私たちが行なう役立ちは、私たちからである、としか知らないからである。しかし、私たちは異なって感じている。私たちは、地位の名誉が私たちの外にあること、また私たちが着る衣服のようであることを感じる。しかし、私たちが果たす役立ちは、私たちの内部のそれらの愛からである、主からの〔愛からであり〕、またこの愛は自分の幸運(の状態)、他の者との役立ちを通して達から受け入れる。また、経験から、私たちは、どれだけ私たちがそれらの愛から役立ちを行なうか〔によって〕、それだけその愛は、また愛とともに知恵が増大し、それ〔知恵〕から伝達が生じることを知っている。しかし、どれだけ私たちが私たちの中に役立ちを押しとどめ、また私たちが伝えないか〔によって〕、それだけ、幸運(の状態)滅びる。またその時、役立ちは胃の中にたくわえられ、まわりにまきちらされないて、身体とその部分に滋養物を与えない食物のようになり、しかし、消化されないで残り、そこから吐き気が起こる。一言でいえば、全天界は最初から最後まで役立ち含んでいる。役立ちは実行された隣人愛でないなら何か? またこの愛でないなら天界は何を含むのか?」
これらを聞いて、私は質問した、「自己愛から役立ちを行なうのか、あるいは役立ちの愛からか、どのように、だれか知ることができるのか?」
 すべての人間は、善い者も悪い者も役立ちを行なう、またある愛から役立ちを行なう。世の中に悪魔だけから構成される社会が、また天使だけから構成される社会ある、と仮定される。〔そのとき〕悪魔は自分の社会の中で自己愛の火から、また自分の栄光の輝きから、天使と同数のそれほど多くの行なうことになる、と考えられる。それゆえに、だれが、その起源から役立ちがあるか、その愛から知ることができるのか?」
 二人の天使はこれらに答えた、「悪魔は役立ちを、名誉へ上げられ、または富を得るために、自分自身のためにまた名声のために行なう。しかし、天使はこの理由で役立ちを行なわない、しかし彼らの愛から、役立ちのために〔行なう〕。人間はそれらの役立ちを見分けることができない、しかし、主はそれらを見分ける。主を信じる、また悪を罪として避けるすべての者は、主から役立ちを行なう。しかし、主を信じない、罪として悪も避けないすべての者は、役立ちを自分自身から、自分自身のために行なう。この相違が悪魔による役立ちと天使による役立ちの間にある」。
 二人の天使はこれらを言って、立ち去った、また遠方から、エリヤのような火の馬車の中に見えた、また自分の天界の中に上げられた。
 
『天界と地獄』463には「思考と意志の個々のものが脳に刻み込まれているように、身体全体に刻み込まれている」とあります。ここの記事からは「人間が考えたものがに刻み込まれている」ようです。顔は(死後)情愛にしたがって変化し、これは偽ることができませんが(『天界と地獄』453以降)、手(手のひらでしょう)に刻み込まれたものはそのまま残るようです。私は手には特に「精神的な仕事」が記録されて残されていると思っています。顔もそうですが、手も「美しく」なければいけませんね。

原典講読『真のキリスト教』662(原文と直訳[3]まで)

(1) 原文
662. Alterum Memorabile:
 
Post aliquod temporis spatium intravi quendam lucum, et ibi ambulavi in meditatione de illis qui in concupiscentia et inde phantasia possidendi illa quae mundi sunt: et tunc ad aliquam distantiam a me vidi binos angelos inter se colloquentes, et per vices me aspicientes; quare accessi proprius, et me appropinquantem allocuti dicebant, "Percipimus in nobis quod meditaris quod nos loquimur, seu quod nos loquamur quod tu meditaris, quod est ex communicatione affectionum reciproca."
Quaesivi itaque quid loquerentur. Dicebant, "De phantasia, de concupiscentia, et de intelligentia; et nunc de illis qui delectant se ex visione et imaginatione possessionis omnium mundi."
[2.] Et tunc rogavi, ut mentem suam expromerent de tribus illis, de concupiscentia, phantasia et intelligentia.
Et exorsi sermonem dicebant, quod unusquisque in concupiscentia sit interius ex nativitate, sed in intelligentia exterius ex educatione; et quod nemo in intelligentia, minus in sapientia sit interius, ita quoad spiritum, nisi a Domino: "omnis enim detinetur a concupiscentia mali, ac tenetur in intelligentia secundum aspectum ad Dominum, et simul conjunctionem cum Ipso; absque eo homo non est nisi quam concupiscentia: at usque hic in externis seu quoad corpus est in intelligentia ex educatione: homo enim concupiscit honores et opes, seu eminentiam et opulentiam; et haec duo non assequitur nisi appareat moralis et spiritualis, ita intelligens et sapiens: ac ita apparere discit ab infantia; quae causa est, quod ut primum inter homines seu in coetus venit, invertat spiritum suum, ac removeat illum a concupiscentia, et ex decoris et honestis, quae ex infantia didicit, et in memoria corporis retinet, loquatur et agat; et quam maxime caveat, ne aliquid ex concupiscentiae vesania, in qua est ejus spiritus, emanet.
[3.] Inde est omnis homo, qui non interius a Domino ducitur, simulator, sycophanta, hypocrita, et sic apparens homo, et tamen non homo; de quo potest dici, quod ejus crusta seu corpus sapiat, ac ejus nucleus seu spiritus insaniat; tum quod externum ejus sit humanum ac internum ferinum: tales occipitio spectant sursum, et frontispicio deorsum; ita ambulant sicut gravedine obsessi capite pendente, cum vultu prono ad terram: illi dum exuunt corpus, et fiunt spiritus, et tunc manumittuntur, fiunt suae concupiscentiae vesaniae; nam illi qui in amore sui sunt, cupiunt dominari super universum, immo extendere ejus limites illuc ad amplificandum dominium; nusquam vident finem. Illi qui in amore mundi sunt, cupiunt possidere omnia ejus, ac dolent et invident si aliqui thesauri apud aliquos latent reconditi; quare tales ne mere concupiscentiae fiant, et sic non homines, datur illis in mundo spirituali, cogitare ex timore jacturae famae, et sic honoris et lucri, ut et ex timore legis et ejus poenae, et quoque datur impendere mentem in aliquod studium seu opus, per quae tenentur in externis et sic in statu intelligentiae, utcunque interius delirant et insaniunt."
[4.] Post haec quaesivi, num omnes illi qui in concupiscentia sunt, etiam in ejus phantasia sint. Respondebant quod illi in phantasia suae concupiscentiae sint, qui interius in se cogitant, et nimium indulgent suae imaginationi, loquendo secum; "hi enim separant spiritum suum paene a nexu cum corpore, et ex visione inundant intellectum, et fatue oblectant se sicut ex possessione universali: in hoc delirium immittitur homo post mortem, qui spiritum suum a corpore abstraxit, et non ex delicio delirii voluit recedere; cogitando aliquid ex religione de malis et falsis, et minime aliquid de effreno amore sui, quod sit destructivus amoris in Dominum, ac de effreno amore mundi, quod sit destructivus amoris erga proximum.
[5.] Post haec supervenit binos angelos et quoque me desiderium videndi illos qui in concupiscentia visionaria seu phantasia possessionis omnium opum ex amore mundi sunt; et percepimus quod desiderium illud inspiraretur ob finem ut cognoscerentur. Domicilia illorum erant sub terra pedum nostrorum, at supra infernum; quare aspeximus nos mutuo, et diximus, "Eamus;" ac visa est apertura, et ibi scala; per hanc descendimus; et dictum est quod adeundi sint ab oriente, ne intremus in nimbum phantasiae illorum, ac inumbremur quoad intellectum, et tunc simul quoad visum.
Et ecce visa est domus structa ex calamis, sic rimosa, stans in nimbo, qui sicut fumus continue effluxit per rimas trium parietum. Intravimus, et visi sunt quinquaginta hic et quinquaginta ibi sedentes super scamnis, et aversi ab oriente et meridie prospiciebant ad occidentem et septentrionem; ante quemlibet erat mensa, et super mensa crumenae distentae, et circum crumenas copia nummorum aureorum.
[6.] Et quaerebamus, "Sunt illa opes omnium mundi?" Dicebant, "Non omnium mundi, sed omnium regni." Sonus loquelae illorum erat sibilaris, et ipsi apparebant facie rotunda, quae rutilabat sicut squama cochleae, ac pupilla oculi in plano viridi quasi fulgurabat, quod erat ex luce phantasiae.
Stetimus in medio illorum, et diximus, "Creditis quod omnes opes regni possideatis."
Et responderunt, "Possidemus."
Dein quaesivimus, "Quis vestrum?"
Dicebant, "Quisque."
Et quaesivimus, "Quomodo quisque? estis multi."
Dicebant, "Quisque ex nobis scit, quod omnia ejus mea sint; non licet alicui cogitare, minus dicere, Mea non sunt tua, sed licet cogitare et dicere, tua sunt mea."
Nummi super mensis apparebant sicut ex auro puro, etiam coram nobis; sed cum immisimus lucem ab oriente, erant granula auri, quae per communem unitam phantasiam ita magnifecerunt: dicebant quod oporteat quemcunque qui intrat, secum ferre aliquid auri, quod in frustula, et haec in granula secant, et per vim phantasiae unanimam in nummos grandioris formae amplificant.
[7.] Et tunc diximus, "Fuistisne nati homines rationis? unde ista fatuitas visionaria vobis est?"
Dixerunt, "Scimus quod vanitas imaginaria sit, sed quia jucundat interiora mentis nostrae, intramus huc, et deliciamur sicut ex possessione omnium; at hic non moramur nisi per aliquot horas, quibus exactis egredimur, et toties mens sana nobis redit; sed usque oblectamentum visionarium nostrum alternis supervenit, ac facit ut per vices reintremus, et per vices egrediamur; sic alternis sapimus et insanimus. Scimus etiam quod dura sors maneat illos qui astu surripiunt aliis sua bona."
Quaesivimus, "Quae sors?"
Dicebant, "Absorbentur, ac nudi intruduntur in aliquem infernalem carcerem, ubi tenentur laborare pro veste et pro cibo, ac postea pro aliquibus obolis, quos colligunt, in quibus ponunt gaudium cordis sui; sed si malum faciunt sodalibus, dabunt partem obolorum suorum in mulctam."
 
(2) 直訳
662. Alterum Memorabile:― 第二のメモラビリア――
 
Post aliquod temporis spatium intravi quendam lucum, et ibi ambulavi in meditatione de illis qui in concupiscentia et inde phantasia possidendi illa quae mundi sunt: ある時間の間隔の後、私はある木立の中に入った、またそこに私は歩いた、熟考の中で、彼らについて、その者は欲望とここからの幻想の中に〔いる〕それらを所有する、それらは世のものである。
et tunc ad aliquam distantiam a me vidi binos angelos inter se colloquentes, et per vices me aspicientes; またその時、ある距離に私から二人の天使が見られた、自分たちの間で会話している、また時々、私を眺めている。
quare accessi proprius, et me appropinquantem allocuti dicebant, "Percipimus in nobis quod meditaris quod nos loquimur, seu quod nos loquamur quod tu meditaris, quod est ex communicatione affectionum reciproca." それゆえ、私は近くに☆1近づいた、また私に近づいて話しかけて、言った、「私たちの中で、私たちは知覚した、あなたが熟考していること、私たちが話していることを、すなわち、私たちが話していること、あなたが熟考していることを、それは相互の情愛の伝達からです☆2
1 ここにミスプリがありますproprius(これではプロプリウム)でなくpropeの比較級、propiusです、初版は正しいです(『結婚愛』267番も)
2 「うわさをすれば陰(がさす)」と言います。これは本人が近づいているのが「わかる」ので、その本人のことを話したくなるのでしょう。
Quaesivi itaque quid loquerentur. そこで私は質問した、何を話しているか。
Dicebant, "De phantasia, de concupiscentia, et de intelligentia; 彼らは言った、「幻想(空想)について、欲望について、また知性について。
et nunc de illis qui delectant se ex visione et imaginatione possessionis omnium mundi." また、今、彼らについて、その者は自分自身を喜ぶ、世のすべてのものの所有の幻想と想像から」。
[2.] Et tunc rogavi, ut mentem suam expromerent de tribus illis, de concupiscentia, phantasia et intelligentia. [2] またその時、私は請い求めた、それらの三つのものについて自分の心を明らかにするように、欲望、幻想、知性について。
Et exorsi sermonem dicebant, quod unusquisque in concupiscentia sit interius ex nativitate, sed in intelligentia exterius ex educatione; また談話を始めて、言った、それぞれの者が出生から内部で(内的に)欲望の中にいること、しかし、教育から外的に知性の中に。
et quod nemo in intelligentia, minus in sapientia sit interius, ita quoad spiritum, nisi a Domino: まただれも知性の中に、まして内的に知恵の中にないこと、そのように霊に関して、主からでないなら。
"omnis enim detinetur a concupiscentia mali, ac tenetur in intelligentia secundum aspectum ad Dominum, et simul conjunctionem cum Ipso; 「というのは、すべての者は欲望から悪に保たれるから、そして主への見ることにしたがって知性の中に保たれる、また同時に、その方との結合に。
absque eo homo non est nisi quam concupiscentia: それなしに人間は欲望以外でないならない。
at usque hic in externis seu quoad corpus est in intelligentia ex educatione: しかしそれでも、この者は外的なものの中で、または身体に関して教育からの知性の中にいる。
homo enim concupiscit honores et opes, seu eminentiam et opulentiam; というのは、人間は名誉と富をほしがるから、すなわち、卓越と富(富裕)を。
et haec duo non assequitur nisi appareat moralis et spiritualis, ita intelligens et sapiens: またこれら二つのものは獲得されない、道徳的にまた霊的に見られないなら、そのように知性的にまた賢明に。
ac ita apparere discit ab infantia; そして、そのように見られることを幼児期から学ぶ。
quae causa est, quod ut primum inter homines seu in coetus venit, invertat spiritum suum, ac removeat illum a concupiscentia, et ex decoris et honestis, quae ex infantia didicit, et in memoria corporis retinet, loquatur et agat; それが理由である、人間の間にまたは集団の中にやって来るとすぐに、自分の霊をひっくり返す、そしてそれを欲望から遠ざける、また幼児期から教わった礼儀作法や似つかわしいことから、また身体の記憶の中に保持した〔ものから〕、話し、行動する。
et quam maxime caveat, ne aliquid ex concupiscentiae vesania, in qua est ejus spiritus, emanet. またそれを最大に用心する、狂気の欲望から何らかのものが、その中に彼の霊がいる、流れ出ないように。
[3.] Inde est omnis homo, qui non interius a Domino ducitur, simulator, sycophanta, hypocrita, et sic apparens homo, et tamen non homo; [3] ここからである、すべての人間は、その者は内部で主から導かれていない、偽る者(偽善者)、追従者(へつらい屋)、偽善者、またこのように人間に見られている、またそれでも人間でない。
de quo potest dici, quod ejus crusta seu corpus sapiat, ac ejus nucleus seu spiritus insaniat; それらの者について言われることができる、彼の殻(外皮)または身体は賢い、そして彼の仁(種)または霊は狂っている。
tum quod externum ejus sit humanum ac internum ferinum: なおまた、彼の外なるものは人間性、そして内なるものは野獣性。
tales occipitio spectant sursum, et frontispicio deorsum; このような者は後頭部で上方を眺める、また前頭部(額)で下方を。
ita ambulant sicut gravedine obsessi capite pendente, cum vultu prono ad terram: そのように重苦しさにとりつかれているかのように頭をたれて歩く、顔つくきとともに地へ向けて下方へ。
illi dum exuunt corpus, et fiunt spiritus, et tunc manumittuntur, fiunt suae concupiscentiae vesaniae; 彼らは、身体を去る時、また霊となる、またその時、解放される、自分の狂気の欲望を行なう。
nam illi qui in amore sui sunt, cupiunt dominari super universum, immo extendere ejus limites illuc ad amplificandum dominium; なぜなら、彼らは、その者は自己愛の中にいる、全世界の上に支配することを欲する(望む)から、それどころか、彼のその境界を広げることを、支配の拡大へ向けて。
nusquam vident finem. 決して終わりを見ない。
Illi qui in amore mundi sunt, cupiunt possidere omnia ejus, ac dolent et invident si aliqui thesauri apud aliquos latent reconditi; 彼らは、その者は世への愛(世俗愛)の中にいる、そのすべてのものを所有することを欲する(望む)、そして苦しむ、またねたむ、もし、ある者の宝庫に、ある者のもとに、たくわえられて隠されているなら。
quare tales ne mere concupiscentiae fiant, et sic non homines, datur illis in mundo spirituali, cogitare ex timore jacturae famae, et sic honoris et lucri, ut et ex timore legis et ejus poenae, et quoque datur impendere mentem in aliquod studium seu opus, per quae tenentur in externis et sic in statu intelligentiae, utcunque interius delirant et insaniunt." それゆえ、このような者が単なる欲望のものとならないように、またこのように人間でない、彼らに霊界の中で与えられる、名声の奪われることの恐れから考えることが、またこのように名誉と利益の、そのようにまた法律とその罰の恐れから、そしてまた心を振り向けることが与えられる、何らかの関心(熱中・研究・学問)または働き、それによって外なるものの中に保たれる、またこのように知性の状態の中に、どれほど内的に気が狂い(正気を失う)、また狂っている〔にしても〕。