原典講読『真のキリスト教』568(訳文)

(3) 訳文
568. 第二のメモラビリア――
 
 敬虔で賢明な者のだれが自分の死後の生活の運命を知ることを欲しないか? それゆえ、私は、知るために全般的なものを示す。
 すべての人間は、死後、今でも生きること、また他の世界の中にいることを気づき、そして、彼らの上に天界があり、そこに永遠の楽しさがあり、また彼らの下に地獄があり、そこに永遠の苦痛があることを聞く時、最初に自分の外なるものの中に、それらの中に前の世の中でいた中に戻され、またその時、確かに天界の中にやって来ること、そして聡明に話し、賢明に行動するであろうことを信じる。
 またある者は言う、「道徳的に私たちは生きた、私たちは尊敬すべきものを目指した、また故意に悪を行なわなかった」。
 また他の者は言う、「私たちはしばしば神殿(教会)を訪れ、ミサを聞き、聖なる彫像にキスし、ひざまづいて祈りを唱えた」。
 またある者は言う、「私たちは貧しい者に与え、乏しい者を援助し、敬虔な本(信仰修養書)、そしてまた、みことばを読んだ」。
 ほかに多くの似たことを。
 [2] しかし、〔彼らが〕これらを言った後、天使がそばに立ち、言う、「それらすべてのものは、それらをあなたがたは話に出した、あなたがたが外なるものの中で行なった。しかし、あなたがたは、依然として、あなたがたが内なるものの中でどんなものであるか知らない。
 今や、あなたがたは実体的な身体の中の霊である、そして霊はあなたがたの内なる人である。これがあなたがたの中にいる、その者が欲するものを考え、愛するものを欲し、そしてこれが彼のいのちの快さである。
すべての人間は、幼児期から外なるものから生活を始め、そして道徳的に行動すること、そして聡明に話すことを学ぶ、また天界とそこの幸運の観念得るとき、祈ること、しばしば神殿(教会)を訪れること、また礼拝の儀式に出席することを始める、そしてまた、悪が、自分の生来の泉からわき出てくる時、自分の心のふところの中にしまい込むこと、そしてまた才気で、欺きからの推論の誤用で、そのものが悪が悪であることが知られないまでもまわりをおおう。
 またその時、悪は、、またちりのように隠されて、おおわれるので、単に世の前に見られないように用心して、もはやそれらについて考えない。このように単に外なる者の中で道徳的な生活に専念し、またこのように二重の人間になる。外なるものの中で羊、また内なるものの中でオオカミである。また金の箱のよう〔であり〕、その内部に毒物がある。またこのように、そばに立っている者により感じられないように、口の中によい香りのものを保っている不潔に呼吸する者のようになる。またネズミの皮のようになる、それはバルサムのように(悪臭を)放つ。
 [3] あなたがたは、道徳的に生きた、また敬虔な熱望を目指した、と言った。しかし、願わくば、かつて、あなたがたはあなたがたの内なる人を調べ、また、殺人までも復讐する、姦淫までも欲望にふける、盗みまでもだます、虚偽の証人〔になる〕までも偽る何らかの欲望を知覚したか〔言ってください〕。
 十戒の四つの戒めに、「(あなたは)行なってはならない」言われている。また最後の二つ〔の戒め〕に、「むさぼってはならない」と言われている。
 あなたがたの内なる人が、これらの中であなたがたの外なる人と似たものであったことを、あなたがたは信じているのか? 。
 もし、このことをあなたがたが信じているなら、おそらく……」
[4] しかし、これらに彼らは答えた、「内なる人とは何か?
 これは外なる〔人〕と一つの同じものでないのか?
私たちは私たちの聖職者から、内なる人は信仰以外の他のものではないこと、また口での経験と道徳的な生活はそのしるしであることを聞いた、その働きであるからである」。
 それらに天使は答えた、「救う信仰は内なる人の中にある、またここからキリスト教徒の忠実と道徳(徳性)外なる人の中にある。しかし、もし前述の欲望が内なる人の中にあるなら、そのように意志の中にまたここから思考の中にとどまる、それゆえに、もし、内なるものがそれらを愛するなら、またそれでも外なるものの中で異なってあなたがたが行ない、話すなら、その時、あなたがたのもとに悪が善の上にある、また善が悪の下にある、そのために、どれほど理解力からあなたがたが話し、また愛からあなたがたが行動しても、内的に悪である、またこのことはそのようにまわりをおおわれている。またその時、あなたがたは人間と同じような行動を装う、しかし、彼らの心は大いに欠けている狡猾なチンパンジーのようである。
 [5] しかし、あなたがたの内なる人がどんなものであるかは(それについてあなたがたは何も知らない、あなたがたを調べなかった、また調査の後、悔い改めを行なわなかった)、時の後、あなたがたは、あなたがたが外なる人を脱ぐ時、そして内なる〔人〕の中に入れられるのを見る(ようになる)。またこのことが起こるとき、もはやあなたがたはあなたがたの仲間から、あなたがた自身からもまた認められない。
 私は見た、道徳的な〔しかし〕悪い者を、その時、野獣のようであり、隣人を獰猛な目で見つめ、致命的な(殺人を引き起こす)憎しみで燃え立ち、また外なる人の中で崇拝しながらも神を中傷する者であった」。
 これらを聞いて、彼らは去った。また天使は、その時、言った、「あなたがたは、今後、あなたがたの生活の運命を見る、なぜなら、じきに、人間の外なるものがあなたがたに取り去られるからである、そしてあなたがたは内なるものの中に入る、それは、今、あなたがたの霊である」。
 

原典講読『真のキリスト教』569

(1) 原文
569. Tertium Memorabile:
 
Omnis amor apud hominem exspirat jucundum, per quod se facit sentiri; et exspirat id proxime in spiritum, et inde in corpus; et jucundum amoris ejus una cum amoeno cogitationis facit vitam ejus. Illa jucunda et amoena non sentiuntur nisi obscure ab homine, quamdiu vivit in corpore naturali, quia hoc corpus absorbet et hebetat illa; at post mortem, (cum corpus materiale ablatum est, et sic operimentum seu indumentum spiritus remotum,) tunc jucunda amoris et amoena cogitationis ejus plene sentiuntur et percipiuntur; et quod mirabile, quandoque sicut odores. Inde est, quod omnes in mundo Spirituali consocientur secundum amores suos, in caelo secundum suos, in inferno secundum suos. [2.] Odores, in quos vertuntur jucunda amorum in caelo, sentiuntur omnes sicut tales fragrantiae, suaveolentiae, amoenae spirationes, et deliciosae perceptiones, quales sentiuntur in hortis, floretis, agris et silvis in matutis, tempore veris. Odores autem in quos vertuntur jucunda amorum illorum qui in inferno sunt, sentiuntur ut nidores, fetore, et putores, quales e latrinis, cadaveribus, et stagnis quisquiliis et sterquiliniis oppletis; et quod mirabile, diaboli et satanae ibi sentiunt illa ut balsama, aromata et thura, quae nares et corda illorum refocillant. In mundo naturali datum etiam est bestiis, avibus et vermibus consociari secundum odores, sed non hominibus tunc, priusquam deposuerint corpora ut exuvias. [3.] Inde est, quod caelum distinctissime ordinatum sit secundum omnes varietates amoris boni, ac infernum ex opposito secundum omnes varietates amoris mali. Propter hanc oppositionem est, quod inter caelum et infernum sit hiatus, qui transiri non potest; illi enim qui in caelo sunt non sustinent aliquem odorem inferni, excitat enim nauseam et vomitum, et minatur deliquium, si attrahunt. Simile fit illis qui in inferno sunt, si meditullium istius hiatus transscendunt.
[4.] Quondam vidi aliquem diabolum apparentem e longinquo ut pardum, (qui ante aliquot dies inter angelos ultimi caeli visus est, et calluit artem se angelum lucis facere,) transeuntem meditullium, et stantem inter binas oleas, et non sentientem aliquem odorem vitae suae infestum. Causa erat, quia angeli non aderant: at vero ut primum aderant, convulsionibus actus est, ac decidit quoad omnes artus contractus; et tunc visus est sicut magnus serpens se contorquens in volvulos, et tandem se per hiatum devolvens, et exceptus a suis, et deportatus in cavernam, ubi a graveolente odore sui jucundi revixit.
[5.] Quondam etiam vidi quendam satanam punitum a suis. Quaesivi causam, et dicebatur, quod ille obturatis naribus accesserit ad illos qui in odore caeli erant, et quod redierit, et odorem illum super vestibus suis secum tulerit.
Aliquoties contigit, quod ex caverna aliqua inferni aperta putor sicut cadaveris strinxerit nares meas, et civerit vomitum.
Ex his constare potest, unde est, quod in Verbo "olfactus" significet perceptionem; nam dicitur saepius, quod Jehovah ex holocaustis odoratus sit odorem gratum; tum quod oleum unctionis, et quod thura parata sint ex fragrantibus: et vicissim, quod mandatum sit filiis Israelis, ut immunda e castris eorum exportarentur extra castra, et quod excrementa alvi defoderent et contegerent (Deutr. xxiii. 14, 15 [B.A. 12, 13]): causa erat, quia castra Israelis repraesentabant caelum, ac desertum extra castra repraesentabat infernum.
 
(2) 直訳
569. Tertium Memorabile:― 第三のメモラビリア――
 
Omnis amor apud hominem exspirat jucundum, per quod se facit sentiri; 人間のもとのすべての愛は、快さを発散させている、それによって、それ自体が感じられることを行なっている。
et exspirat id proxime in spiritum, et inde in corpus; またそれを最も近く霊の中で発散させている、またここから身体の中に。
et jucundum amoris ejus una cum amoeno cogitationis facit vitam ejus. また彼の愛の快さは思考の心さと一緒に彼のいのちをつくっている。
Illa jucunda et amoena non sentiuntur nisi obscure ab homine, quamdiu vivit in corpore naturali, quia hoc corpus absorbet et hebetat illa; その快さと楽しさ(快感)は人間によりぼんやりとでないなら感じられない、自然的な身体の中で生きる間、この身体はそれら〔快さと楽しさ(快感)〕を吸収し、鈍くするからである。
at post mortem, (cum corpus materiale ablatum est, et sic operimentum seu indumentum spiritus remotum,) tunc jucunda amoris et amoena cogitationis ejus plene sentiuntur et percipiuntur; しかし、死後(物質的な身体が取り去られた(aufero)とき、またこのように霊のおおいまたは衣服が遠ざけられた)、その時、彼の愛の快さと思考の楽しさ(快感)が十分に感じられ、知覚される。
et quod mirabile, quandoque sicut odores. また驚くべきこと〔であるが〕、ときどき(いつも☆)においのように〔感じられ、知覚される〕。
ここは受け止め方の違いでしょうか、私には「ときどき」よりも「いつも」の訳が好ましいです。「そうした時には必ず「におい」を感じるからです」。私の経験ですが、洗礼を受けた時、ある芳ばしいにおいを感じました。(二度とも、柳瀬師からも、その後、ジェネラルチャーチのキング主教からも)
Inde est, quod omnes in mundo Spirituali consocientur secundum amores suos, in caelo secundum suos, in inferno secundum suos. ここからである、霊界の中のすべての者は自分の愛にしたがって仲間となっている、自分のものにしたがって天界の中の、自分のものにしたがって地獄の中の。
[2.] Odores, in quos vertuntur jucunda amorum in caelo, sentiuntur omnes sicut tales fragrantiae, suaveolentiae, amoenae spirationes, et deliciosae perceptiones, quales sentiuntur in hortis, floretis, agris et silvis in matutis, tempore veris. [2] においは、その中へ天界の中の愛の快さが変えられる、すべてのものがこのような香気(芳香)のように感じられる、芳ばしさ、呼吸の楽しさ(快感)、また知覚のうれしいもの、朝の庭園の、花の、畑や森の中のようなものが感じられる、春の時の。
Odores autem in quos vertuntur jucunda amorum illorum qui in inferno sunt, sentiuntur ut nidores, fetore, et putores, quales e latrinis, cadaveribus, et stagnis quisquiliis et sterquiliniis oppletis; けれども、その中へ彼らの愛の快さが変えられる、その者は地獄の中にいる、悪臭のように感じられる、いやな臭い、また腐臭、便所、死体からのような、またよどんだ水〔から〕、廃物(ごみ)や糞の堆積でいっぱいの。
et quod mirabile, diaboli et satanae ibi sentiunt illa ut balsama, aromata et thura, quae nares et corda illorum refocillant. また驚くべきこと〔であるが〕、悪魔とサタンはそこにそれらをバルサム(香油)のように感じる、香料や乳香、それらは彼らの鼻と心をさわやかにする。
In mundo naturali datum etiam est bestiis, avibus et vermibus consociari secundum odores, sed non hominibus tunc, priusquam deposuerint corpora ut exuvias. 自然界の中でもまた、獣、鳥また虫に、においにしたがって仲間となれることが与えられる、しかし、人間にその時はない、身体をぬけがらとして捨てるより前に。
[3.] Inde est, quod caelum distinctissime ordinatum sit secundum omnes varietates amoris boni, ac infernum ex opposito secundum omnes varietates amoris mali. [3] ここからである、天界は善の愛のすべての多様性(変化)にしたがって最も区別して(明確に)秩序づけられていること、そして地獄は悪の愛のすべての多様性(変化)にしたがって対立から。
Propter hanc oppositionem est, quod inter caelum et infernum sit hiatus, qui transiri non potest; この対立があるために、天界と地獄の間に裂け目があること、それは渡られることができない。
illi enim qui in caelo sunt non sustinent aliquem odorem inferni, excitat enim nauseam et vomitum, et minatur deliquium, si attrahunt. というのは、彼らは、その者は天界の中にいる、地獄の何らかのにおいに耐えることができないから、というのは、吐き気と嘔吐を引き起こすから、また気絶を脅される、もし、引き寄せられる(=吸い込む)なら。
Simile fit illis qui in inferno sunt, si meditullium istius hiatus transscendunt. 彼らに同様に生じる、その者は地獄の中にいる、もしその中央の裂け目を渡るなら。
[4.] Quondam vidi aliquem diabolum apparentem e longinquo ut pardum, (qui ante aliquot dies inter angelos ultimi caeli visus est, et calluit artem se angelum lucis facere,) transeuntem meditullium, et stantem inter binas oleas, et non sentientem aliquem odorem vitae suae infestum. [4] かつて、私は遠くからヒョウのように見られた(現われた)ある悪魔を見た(その者は数日前に最も低い天界の天使の間に見られた、また技術で熟練した、自分自身を光の天使につくること)、中央を越えた、また二つのオリーブの木の間に立った、また自分のいのちを攻撃する何らかのにおいを感じなかった。
Causa erat, quia angeli non aderant: 理由があった、天使たちが近づかなかったからである。
at vero ut primum aderant, convulsionibus actus est, ac decidit quoad omnes artus contractus; しかし、近づくとすぐに、痙攣で働かられた(ひきつけを起こした)、そして倒れた、すべてのものに関して固く収縮して。
et tunc visus est sicut magnus serpens se contorquens in volvulos, et tandem se per hiatum devolvens, et exceptus a suis, et deportatus in cavernam, ubi a graveolente odore sui jucundi revixit. またその時、大きなヘビのように見えた、それ自体をねじって、巻き物の中に、また最後に裂け目を通ってそれ自体を転がし落とし、また自分自身から期待して、また洞窟の中に降ろされて、そこに自分のひどい悪臭により生き返った。
[5.] Quondam etiam vidi quendam satanam punitum a suis. [5] かつて、さらにまた私はあるサタンが自分のもの〔仲間〕から罰せられているのを見た。
Quaesivi causam, et dicebatur, quod ille obturatis naribus accesserit ad illos qui in odore caeli erant, et quod redierit, et odorem illum super vestibus suis secum tulerit. 私は理由を聞いた、また言われた、彼は鼻でふさいで、彼らに近づいた、その者は天界のにおいの中にいた、また戻ったこと、またそのにおいを自分の衣服の上に、それ自体に運んだ(fero)
Aliquoties contigit, quod ex caverna aliqua inferni aperta putor sicut cadaveris strinxerit nares meas, et civerit vomitum. 数回、起こった、地獄のある開かれた洞窟から死体のような腐臭が私の鼻を打ったこと、また嘔吐を引き起こした(吐き気を催した)(cio)
Ex his constare potest, unde est, quod in Verbo "olfactus" significet perceptionem; これらから明らかにすることができる、どこからであるか、みことばの中で「嗅覚」が知覚を意味すること。
nam dicitur saepius, quod Jehovah ex holocaustis odoratus sit odorem gratum; なぜなら、しばしば言われているから、エホバは全焼のいけにえから快いにおいをかがれたこと。
tum quod oleum unctionis, et quod thura parata sint ex fragrantibus: なおまた聖油のオリーブ油を〔かがれた〕こと、また乳香が用意された(整えられた)と、芳ばしさから――
et vicissim, quod mandatum sit filiis Israelis, ut immunda e castris eorum exportarentur extra castra, et quod excrementa alvi defoderent et contegerent (Deutr. xxiii. 14, 15 [B.A. 12, 13]): また逆に、イスラエル民族に命令されたこと、彼らの陣営から不潔なものを陣営の外に運び出されなければならないように、また腸の排泄物(糞)は埋められなければならない(defodio)またおおい隠されなければならないこと。
causa erat, quia castra Israelis repraesentabant caelum, ac desertum extra castra repraesentabat infernum. 理由があった、イスラエルの陣営は天界を表象したからである、そして陣営の外の荒野は地獄を表象した。
 
(3) 訳文
569. 第三のメモラビリア――
 
 人間のもとのすべての愛は、快さを発散させており、それによって、それ自体が感じられることを行なっている。またそれを最も近く霊の中で、またここから身体の中に発散させている。また彼の愛の快さは思考の心さと一緒に彼のいのちをつくっている。
 その快さと楽しさ(快感)は人間によりぼんやりとでないなら感じられない、自然的な身体の中で生きる間、この身体はそれら〔快さと楽しさ(快感)〕を吸収し、鈍くするからである。しかし、死後(物質的な身体が取り去られ、またこのように霊のおおいまたは衣服が遠ざけられたとき)、その時、彼の愛の快さと思考の楽しさ(快感)が十分に感じられ、知覚される。また驚くべきこと〔であるが〕、ときどき、においのように〔感じられ、知覚される〕。
 ここから、霊界の中のすべての者は自分の愛にしたがって自分のものにしたがって天界の中の、自分のものにしたがって地獄の中の仲間となっている。
 [2] その中へ天界の中の愛の快さが変えられるにおいは、すべてのものが、朝の庭園の、花の、春の時の畑や森の中のようなものが感じられる、このような芳香、芳ばしさ、呼吸の楽しさ(快感)、また知覚のうれしいものに感じられる。
 けれども、その中へ地獄の中にいる者の愛の快さが変えられるものは、便所、死体からのような、また廃物(ごみ)や糞の堆積でいっぱいのよどんだ水〔からの〕、悪臭、いやな臭い、腐臭のように感じられる。また驚くべきこと〔であるが〕、悪魔とサタンはそこにそれらをバルサム(香油)、香料や乳香のように感じ、それらは彼らの鼻と心をさわやかにする。
 自然界の中でもまた、獣、鳥また虫に、においにしたがって仲間となれることが与えられる、しかし、その時、人間に、身体をぬけがらとして捨てるより前にはない。
[3] ここから、天界は善の愛のすべての多様性(変化)にしたがって、そして地獄は悪の愛のすべての多様性(変化)にしたがって対立から最も区別して(明確に)秩序づけられている
 この対立があるために、天界と地獄の間に渡ることができない裂け目がある。というのは、天界の中にいる者は、地獄の何らかのにおいに耐えることができない、というのは、吐き気と嘔吐を引き起こすから、またもし、引き寄せられる(=吸い込む)なら気絶を脅されるから。
 地獄の中にいる者に、もしその中央の裂け目を渡るなら、同様に生じる。
 [4] かつて、私は遠くからヒョウのように現われたある悪魔を見た(その者は自分自身を光の天使につくることの技術に熟練しており、数日前に最も低い天界の天使の間に見られた)、その者は中央を越え、二つのオリーブの木の間に立った、また自分のいのちを攻撃する何らかのにおいを感じなかった。
 その理由は、天使たちが近づかなかったからである――しかし、近づくとすぐに、痙攣を起こし、そしてすべてのものに関して〔=全身を〕固く収縮して倒れた。またその時、、巻き物の中にそれ自体をねじった大きなヘビのように見えた、また最後に裂け目を通ってそれ自体を転がし落とし、また自分自身から期待して、洞窟の中に降ろされて、そこに自分のひどい悪臭により生き返った。
 [5] かつて、さらにまた私はあるサタンが自分のもの〔仲間〕から罰せられているのを見た。
 私は理由を聞いた、また言われた、彼は鼻でふさいで、天界のにおいの中にいた者たちに近づき、そのにおいを自分の衣服の上に、それ自体に運んで戻ったこと。
 数回、地獄のある開かれた洞窟から死体のような腐臭が私の鼻を打ち、吐き気を催したことが起こった。これらから、みことばの中で「嗅覚」が知覚を意味することがどこからであるか、明らかにすることができる。なぜなら、しばしば、エホバは全焼のいけにえから快いにおいをかがれたこと、なおまた聖油のオリーブ油を〔かがれた〕こと、また芳香から乳香が用意されたと――また逆に、イスラエル民族に、彼らの陣営から不潔なものを陣営の外に運び出され、また腸の排泄物(糞)は埋められ、おおい隠されなければならないことが命令されたことが言われているから。その理由は、イスラエルの陣営は天界を表象し、そして陣営の外の荒野は地獄を表象したからである。