原典講読『表象と対応』55(訳文)

 

(3) 訳文


55. 来世のユダヤとしばしば会話した。〔彼らは〕左足の面の下の低い地の中の前方に見られる。またかつて、みことば、カナンの地、主について話した。


みことばについてはそこに人間らかでないいアルカナがあることしたが〕、


このことを〔彼らは〕肯定した。その後、そこのすべてのアルカナメシアとその方の王国を扱っていること〔を話したが〕、このこともまた〔彼らは〕同意した。しかし、私が、メシアはへブル語でギリシア語のキリストと同じであると言ったとき、〔彼らは〕聞くことを欲しなかった。再び私が、メシアは最も聖なる方であり、エホバはその方の中におられ、また「イスラエルの聖者」また「ヤコブの神」によって他の者が意味されないこと、またその方は最も聖なるものであられるので、外なる形でなく内なる形で、そのように世の不潔な愛の中にいない、また他の国民に対して〔自らを〕高めること、また自分たちの間で憎しみの中にいない聖なる者でないなら、その方の王国の中にいることができない、と言ったとき、このことを〔彼らは〕聞くことができなかった。


[2] その後、預言にしたがってメシアの王国は永遠であり、メシアとともにいる者は、地を永遠に受け継ぐであろう、もし〔その方の〕王国が世のものであり、彼らがカナンの地に導き入れられるなら、人間のいのちのわずかな年のためのものであり、死んで、カナンの地から追放された後、このような幸福の状態を享受しないであろう、またここから、カナンの地によって天界の王国が表象され、意味されること、またそのことをさらに、彼らが今や来世の中にいること、また〔そこに〕永遠に生き、メシアがそこにご自分の王国を持つこと知るとき、明らかであること知ることができるであろう、また、もし彼らに天使たちと話すことが与えられたなら、天使たちの全天界はその方の王国であること知ることができるであろう〔と話した〕。


[3] さらに、新しい地、新しいエルサレムによって、また「エゼキエル書」の新しい神殿によって、メシアのこのような王国以外の他のものは意味されることができない、と話した。これらのことに〔彼らは〕、メシアによりカナンの地に導き入れらることになる者は、もし、そこに持つことになるその幸福の状態を後に残して、このようにわずかな年の後で死ぬなら、痛々しく泣くであろう、としか答えることができなかった。


原典講読『表象と対応』56(直訳まで)

 

(1) 原文「3482番」


56. Loquela quae in Verbo, tametsi
coram homine simplex, et aliquibus in locis rudis, apparet, est
{1} ipsa
loquela angelica, sed ultima; loquela enim angelica, quae spiritualis est, dum
cadit in voces humanas, non in aliam loquelam cadere potest quam in talem,
singulae enim res ibi repraesentant, et singulae voces significant; antiquis
quia commercium habebant cum spiritibus et angelis, non alia loquela fuit; erat
plena repraesentativis
{2}, et inerat sensus spiritualis singulis;
libri antiquorum etiam ita conscripti sunt, nam ita loqui et ita scribere erat
{3}sapientiae
eorum studium; quantum postea homo se removerit a caelo, etiam inde constare
potest; nunc ne quidem novit quod in Verbo sit aliud quam quod apparet in
littera, ne quidem quod sensus spiritualis inibi sit; quicquid ultra sensum
litteralem dicitur, vocatur mysticum, quod solum ideo rejicitur; inde quoque
est quod intercepta sit communicatio hodie cum caelo, in tantum ut a paucis
credatur quod aliquod caelum sit, et quod mirum, a doctis et eruditis multo
pauciores quam a simplicibus
{4}.


@1 i ut apud prophetas @2 i
et significativis @3 sapere @4 i
probis


 


(2) 直訳


56. Loquela quae
in Verbo, tametsi coram homine simplex, et aliquibus in locis rudis, apparet,
est
{1} ipsa loquela angelica, sed ultima;
 話それはみことばの中に、たとえ人間の前に単純なもの、また場所(箇所)の中であるものに、粗雑に、見えても、〔預言書の中のような〕天使の話し方そのものである、しかし、最後の(究極の)☆もの。


形容詞ultimusは空間的には「最も離れた、最外部の」、また時間的には「最後の、最終の」また根源から見れば「最終的な、究極の」です。ここでは「最終的なもの」の訳がよいでしょうか?


loquela enim angelica, quae spiritualis est,
dum cadit in voces humanas, non in aliam loquelam cadere potest quam in talem,
singulae enim res ibi repraesentant, et singulae voces significant;
 というのは、天使それは霊的なものである、人間言葉時、他むことができないからこのようなもの以外というのはそこに個々事柄表象する(接続)また個々言葉は意味する(接続)から。


接続法なので(日本語で表現できませんが)、少しでもその気持ちを込めて「する」でなく「~している」としましょうか。


antiquis quia commercium habebant cum
spiritibus et angelis, non alia loquela fuit;
 古代人天使たちと交際ったので、他はなかった


erat plena
repraesentativis
{2}, et inerat sensus spiritualis singulis;
 〔それは〕表象〔と表意〕に満ちていた、また個々のものに霊的な意味が内在した。


libri
antiquorum etiam ita conscripti sunt, nam ita loqui et ita scribere erat
{3}sapientiae
eorum studium;
 古代人の書物もまたそのよう書かれた、なぜなら、そのように話すこととそのように書くことが彼らの知恵の☆関心(熱望)であったから。


ここは校訂前の文のように「彼らの熱望を味わうこと(sapere)」もありえると思います。やや意味を汲みづらくなります。ついでにstudiumについて述べれば、これを英訳したstudy(別訳はaim)をそのまま「研究」とした柳瀬訳「彼らの知恵の研究であった」は極めて読みづらく、このままでは「スヴェーデンボリがこんな文章を書いたのだろうか?」という疑問が生じてしまいます。


quantum
postea homo se removerit a caelo, etiam inde constare potest;
 どれだけその後、人間が自分自身を天界から遠ざけたか、ここからもまた明らかにすることができる。


nunc ne
quidem novit quod in Verbo sit aliud quam quod apparet in littera, ne quidem
quod sensus spiritualis inibi sit;
 今〔では〕決して知らない☆、みことばの中に何らかのものがあること、文字の中に見られること以外の、決して〔知らない〕、霊的な意味がそこにあること。


noscoは完了形でも「知る」と訳します。


quicquid
ultra sensum litteralem dicitur, vocatur mysticum, quod solum ideo rejicitur;
 何でも文字の意味を越えて言われる〔ものは〕、神秘的なものと呼ばれる、それは、単にそれゆえ、退けられる。


inde quoque
est quod intercepta sit communicatio hodie cum caelo, in tantum ut a paucis
credatur quod aliquod caelum sit, et quod mirum, a doctis et eruditis multo
pauciores quam a simplicibus
{4}.
 ここからもまた~である、今日、天界との交通はさえぎられたこと、それほど(まで)に☆、わずかな者により信じられるように、何らかの天界があること、また驚くべきこと〔であるが〕、多くの学のある者や学者(教育のある者)から〔信じられていない〕単純な〔正直な〕者からよりも。


in tamtumで「それほど(まで)に」の意味です。


@1 i ut apud prophetas 注1 ut apud prophetasを補うとよい。


@2 i et significativis 注2 et significativisを補うとよい。


@3 sapere 注3 saperesapientiaeに換えた。


@4 i probis 注4 probisを補うとよい。 

原典講読『表象と対応』56(訳文)

 

(3) 訳文


56. みことばの中の話、たとえ人間の前に単純なものに、またある箇所では粗雑に見えても、天使の話し方そのものである、しかし、〔その〕最終的なもの〔である〕。というのは、霊的なものである天使人間言葉時、このようなもの以外の他むことができないからというのはそこでは個々事柄表象、個々言葉は意味しているから。古代人天使たちと交際ったので、〔彼らに〕他はなかった。〔それは〕表象〔表意〕また個々のものに霊的意味内在した。古代人書物もまたそのようかれたなぜならそのようにすこととそのようにくことがらの知恵関心事であったからその後、どれだけ人間天界からざかったかここからもまたらかにすることができる。今ではみことばの文字られるもの以外らかのものがあることそこに霊的意味があることを決してらない。何であれ、文字意味えてわれるものは、神秘的ものばれ、単にそれだけのことで退けられるここからもまた、今日、何らかの天界があることをじるがほとんどいないほどに、天界との交通はさえぎられまたくべきことであるが、単純者よりも学のある教育のある者の多くの者からじられていないのである