原典講読『みことばとその内意』 61(訳文)

 

(3) 訳文


61. けれども、洪水後にあった古代教会の中のみことばは、ここからであった。この教会の人間は、天的でなかったけれども、霊的であったので、表象するものと表意するものが何を含むか知っていた、しかし知覚しなかった、また神的なものが含まれていたので、彼らに役立ちの中で保たれ、また彼らの礼拝の中で神性を促進させた。またこのことは、天界との伝達を持つようにとの理由からであった。なぜなら、〔前に〕言われたように、世の中にあるすべてのものは、天界の中にあるようなものを表象し、表意するから。


さらにまた、彼らは「旧約聖書」のみことばのように、「歴史として書かれたもの」と「預言」から成り立つ書かれたみことばを持っていた、しかし、そのみことばは時間の経過とともに失われた。


 モーセの「民数記」21:14, 27に引用されていることから明らかであるように、そこの「歴史として書かれたもの」は「エホバの戦い」と呼ばれ、また「預言」は「宣言」と呼ばれた。


 それらの歴史として書かれたものは預言の文体で書かれ、またそれらは大部分に関して、「創世記」第1章から第11章までのように歴史的な事実であった。例えば、それらはモーセにあるもの明らかであり、そこには、次のことが〔ある〕、


 


このために『主の戦いの書』の中に言われている、


スパの中のワヘブ、


アルノンの流れ。


また流れの降下。


それはアルの住民に傾き、


モアブの境界でささえられる、「民数記」21:14, 15


 


 彼らの預言は旧約聖書の預言のように書かれ、〔そのこともまた〕モーセにあるものから明らかでり、そこに次のことが〔ある〕、


 


 ゆえに『宣言』(すなわち、預言の宣言者たち)が言う――


来たれ、ヘシュボンに。


シホンの都は建てられ、


堅くされる。


火がヘシュボンから出、


炎がシホンの都から出たので、


モアブのアルを、


アルノンの高みの主人たちを食い尽くした。


モアブよ、あなたにわざわいあれ。


ケモシュの民よ、あなたがたは滅びた。


彼は自分の逃れた息子たちを、


自分の娘たちを


エモリ人のシホン王の捕囚として与えた。


私たちは彼らを投げ倒した。


ヘシュボンはディボンまで滅んだ。


私たちはノファフまでも荒した。


それはメデバにまでも。「民数記」21:27-30


 


 これらの預言が旧約聖書の預言のように天界のアルカナを含むことは、モーセにより書き写されたものからだけでなく、また当時の状態の事柄に適用されたことから、しかし、さらにまたほとんど同じことばが「エレミヤ書」のもとの預言の中に挿入されているものに読まれることからはっきりと明らかであり、それらの中にことばと同数の天界のアルカナがあること、それらから、みことばの内意についてそれら〔と同数のもの〕が言われていることを明らかにすることができる。


 それらは「エレミヤ書」に次のように〔ある〕、


 


火がヘシュボンから、炎がシホンの間から出た。


モアブの隅を、〔うるさい〕音の息子の頭を食い尽くした。


モアブよ、あなたにわざわいあれ。


ケモシュの民は滅びた。


あなたの息子たちは捕囚として


あなたの娘たちは捕囚として取り上げられたからである。48:45, 46


 


 ここからもまた、そのみことばもまた内意を持っていたことが明らかである。


洪水後にあった古代教会については、640,
641, 765 1238, 1327, 2385
番に見られる

原典講読『みことばとその内意』 62、63、64

 

(1) 原文「2898番」


62. Quod apud illos fuerint prophetica
quae in sensu interno egerunt de Domino et de regno Ipsius, non solum inde constare
potest, sed etiam a propheticis Bileami, qui fuit a Syria, de quibus apud
Mosen, Num. xxiii 7-10, et 18-25;
xxiv 3-10, et 15-25, quae simili stilo dictata sunt ac cetera prophetica Verbi,
et manifeste prae dicunt Adventum Domini his verbis,


Video Ipsum, et non nunc, intueor
Ipsum et non propinquus: procedet stella ex Jacobo, et surget sceptrum ex
Israele, et franget angulos Moabi, et destruet omnes filios Shethi, Num. xxiv 17;


haec
prophetica similiter dicuntur Enuntiata,
nam eadem vox, ut videri potest ibi, xxiii 7, 18; xxiv 3, 15, 20.


 


(2) 直訳


62. Quod apud illos fuerint prophetica
quae in sensu interno egerunt de Domino et de regno Ipsius, non solum inde
constare potest, sed etiam a propheticis Bileami, qui fuit a Syria, de quibus
apud Mosen, Num. xxiii 7-10, et
18-25; xxiv 3-10, et 15-25, quae simili stilo dictata sunt ac cetera prophetica
Verbi, et manifeste prae dicunt Adventum Domini his verbis,
 彼らのもとに預言があったこと、それらは内意の中で主について、またその方の王国について扱った、ここから明らかにすることができるだけでなく、しかしまたバラムの預言からも、その者はシリアからであった、それらについてモーセのもとに、「民数記」23:7-10、また18-2524:3-10また15-25、それらは同様の文体で述べられた、そして(のように)☆みことばの他の預言、また明らかに主の到着(来臨)のために言っている、これらの言葉で、


acには「~のように」の意味があります。


Video
Ipsum, et non nunc, intueor Ipsum et non propinquus:
 私はその方を見る、また今ではない、私はその方をみつめる、また〔時間的に〕近くはない。


procedet
stella ex Jacobo, et surget sceptrum ex Israele, et franget angulos Moabi, et
destruet omnes filios Shethi, Num.
xxiv 17;
 ヤコブから星が進み出る、またイスラエルから笏(しゃく)〔王権の象徴〕が起こる、またモアブの隅を砕く、またシテのすべての息子を奪う、「民数記」24:17


haec
prophetica similiter dicuntur Enuntiata,
nam eadem vox, ut videri potest ibi, xxiii 7, 18; xxiv 3, 15, 20.
 これらの預言は同様に『宣言』と言われている、なぜなら、同じ言葉が〔ある〕から、そこに見られることができるように、23:7, 1824:3, 15, 20


 


(3) 訳文


62. 内意で主について、またその方の王国について扱った預言が彼らのもとにあったことは、ここから明らかにすることができるだけでなく、しかしまたシリアからの者であったバラムの預言からも〔明らかにすることができ〕、それらについてモーセの「民数記」23:7-1018-2524:3-1015-25のそれらは、みことばの他の預言のように、同様の文体で述べられ、また明らかに主の来臨のために、次の言葉で言っている、


 


 私はその方を見る、また今ではない、


私はその方をみつめる、間近がでない。


ヤコブから星が進み出る、


イスラエルから笏が起こる、


モアブの隅を砕く、


シテのすべての息子を奪う、「民数記」24:17


 


 これらの預言は同様に『宣言』と言われている、なぜなら、23:7, 1824:3, 15, 20に見られることができるように、同じ言葉がある。


 


(1) 原文「2899番」


63. Verbum in Ecclesia Judaica postea
successit, quod similiter per repraesentativa et significativa conscriptum
fuit, ob causam ut sensum internum intellectum in caelo in se haberet, et sic
per Verbum communicatio esset et uniretur regnum Domini in caelis cum regno
Domini in terris; nisi singulae res quae in Verbo sunt, repraesentent, et
singulae voces per quas res conscriptae sunt, significent Divina quae Domini,
ita caelestia et spiritualia quae sunt regni Ipsius, non est Verbum Divinum; et
quia ita, nusquam alio stilo potuit scribi, correspondent enim per hunc stilum,
et nusquam per alium, res et voces humanae cum rebus et ideis caelestibus quoad
minimam iotam. Inde est, si modo Verbum legatur ab infante, quod Divina quae
ibi, ab angelis percipiantur, videatur n. 1776.


 


(2) 直訳


63. Verbum in Ecclesia Judaica postea
successit, quod similiter per repraesentativa et significativa conscriptum
fuit, ob causam ut sensum internum intellectum in caelo in se haberet, et sic
per Verbum communicatio esset et uniretur regnum Domini in caelis cum regno
Domini in terris;
 みことばはユダヤ教会の中へその後、続いた、それは同様に表象(するもの)と表意(するもの)によって書かれた、理由のために、天界の中で理解される内意をそれ自体の中に(本質的に)つように、またこのようにみことばによって伝達があった(ある)、また天界の中の主の王国が地の中の主の王国と結合された(される)


nisi
singulae res quae in Verbo sunt, repraesentent, et singulae voces per quas res
conscriptae sunt, significent Divina quae Domini, ita caelestia et spiritualia
quae sunt regni Ipsius, non est Verbum Divinum;
 もし個々の事柄が、それらはみことばの中にある、表象しないなら、また個々の言葉が、それによって事柄が書かれた、神的なものを意味する、それらは主のもの〔である〕、そのように天的なものと霊的なもの、それらはその方の王国にある、神的なみことばではない。


et quia
ita, nusquam alio stilo potuit scribi, correspondent enim per hunc stilum, et
nusquam per alium, res et voces humanae cum rebus et ideis caelestibus quoad
minimam iotam.
 また、そのように〔である〕ので、決して他の文体で書かれることができなかった、というのはこの文体によって対応するから、また決して他のもの(文体)によってでない、人間の事柄と言葉は天界の事柄と観念と〔対応する〕、最小の一点に関して。


Inde est,
si modo Verbum legatur ab infante, quod Divina quae ibi, ab angelis
percipiantur, videatur n. 1776.
 ここからである、もし単にみことばが幼児によって読まれるなら、神的なものがそれらはそこに〔ある〕、天使たちにより知覚されることは、1776番☆に見られる。


本講座『内意について』10


 


(3) 訳文


63. みことばはその後、ユダヤ教会の中へ続き、それは同様に表象と表意によって書かれた。それは、天界の中で理解される内意を本質的に持ち、またこのようにみことばによって伝達があり、また天界の中の主の王国が地上の主の王国と結合されるようにとの理由のためであった。もし、みことばの中にある個々の事柄が表象し、また事柄が書かれた個々の言葉が、主のもの、そのように天的なものと霊的なもの、それらはその方の王国にある神的なものを意味しないなら、それらは神的なみことばではない。また、そのようであるので、決して他の文体で書かれることができなかった、というのはこの文体によって人間の事柄と言葉は天界の事柄と観念と、最小の一点に関して対応するから、また決して他の文体によってでないから。


 ここから、みことばが幼児によって読まれるだけで、天使たちによりそこにある神的なものが知覚されることは、1776番☆に見られる。


 


本講座『内意について』10


 


(1) 原文「2900番」


64. Quod Verbum Novi Testamenti quod
apud Evangelistas, attinet, quia Dominus ex ipso Divino locutus est, ideo
quoque singula quae locutus, repraesentativa et significativa Divinorum, ita
caelestium regni et Ecclesiae Ipsius, fuerunt, ut pluries in praecedentibus
ostensum.


 


(2) 直訳


64. Quod Verbum Novi Testamenti quod
apud Evangelistas, attinet, quia Dominus ex ipso Divino locutus est, ideo
quoque singula quae locutus, repraesentativa et significativa Divinorum, ita
caelestium regni et Ecclesiae Ipsius, fuerunt, ut pluries in praecedentibus
ostensum.
 新約聖書については、それは福音書記者のもとに、主が神性そのものから語られたので、それゆえ、個々のものもまた、それらは語られた、神性(神的なもの)表象と表意、そのようにその方の王国と教会の天界的なものであった、たびたび先行するもの(箇所)中で示されたように。


 


(3) 訳文


64. 福音書記者のもとの新約聖書については、主が神性そのものから語られたので、それゆえ、語られた個々のものもまた、たびたび先行する箇所で示されたように、神的なものの表象と表意、そのようにその方の王国と教会の天界的なものの表象と表意であった。