原典講読『みことばとその内意』 55(白い馬2)(直訳)

 

(2) 直訳


55. Quod ‘equus albus’ sit intellectus
Verbi quoad interiora illius, seu quod idem, Verbi sensus internus, constat a
significatione ‘equi’ quod sit intellectuale;
 「白い馬」が、みことばの理解力であることは、その内的なものに関して、すなわち、同じこと、みことばの内意、「馬」の意味から明らかである、知力(知性)であること。


in
propheticis Verbi multoties nominatur equus et eques, sed hactenus nemini notum
fuit quod ‘equus’ intellectuale, et ‘eques’ intelligentem, significet;
 みことばの預言の中にしばしば名前が挙げられている、馬と騎手、しかし、今まで、だれにも知られなかった、「馬」が知力(知性)を、また「騎手」が知的な者を意味すること。


ut in
prophetia Jacobi, tunc Israelis, de Dane,
 例えば、ヤコブの預言の中に、その時、イスラエル〔であった〕、ダンについて、


Dan serpens
super via, serpens jaculus super semita, mordens calcaneos equi, et cadet eques
ejus retrorsum;
 ダンは道の上の蛇、小道の上の矢蛇、馬のかかとをかむ、また騎手は彼の後方に倒れる。


salutem
Tuam exspecto Jehovah, Gen. xlix 17,
18;
 私はあなたの救いを待ち望む、エホバよ、「創世記」49:17, 18


quod
‘serpens’ sit qui ratiocinatur ex sensualibus et scientificis de arcanis
Divinis, videatur n. 195;
 「蛇」が、神的なアルカナ(奥義)について感覚的なものと記憶知から推論する者であることは、195番に見られる。


quod ‘via’
et ‘semita’ sit verum, n. 627, 2333;
 「道」と「小道」が真理であることは、627, 2333番。


‘calcaneus’
quod sit infimum naturale, n. 259;
 「かかと」が最低の自然的なものであることは、259番。


‘equus’
quod sit intellectus Verbi et ‘eques’ quod docens;
 「馬」は、みことばの理解力であること、また「騎手」は、教えること。


{1}inde patet quid haec prophetica
significant, nempe qui ex sensualibus et scientificis ratiocinatur de veris
fidei, quod modo in infimis naturae haereat et sic nihil credat, quod est
‘cadere retrorsum,’ quare adjicitur ‘salutem Tuam exspecto Jehovah’:
 ここから明らかである、何をこれらの預言が意味するか、すなわち、信仰の真理について感覚的なものと記憶知から推論する者は、単に最低の自然的なものの中にしがみつくこと、またこのように何も信じない、それが「後方に倒れること」である、それゆえ、付加されている、「私はあなたの救いを待ち望む、エホバよ」。


[2] apud Habakkuk, [2] 「ハバクク書」に、


Deus, equitas super equis Tuis, currus Tui salus,… calcare fecisti in mari equos Tuos, iii 8, 15; 神よ、あなたはあなたの馬の上に乗られる、あなたの戦車は救い〔である〕…あなたはあなたの馬を海の中へ踏みつけることをされた、3:8, 15


ubi ‘equi’
pro Divinis Veris quae in Verbo, ‘currus’ pro doctrina inde, ‘mare’ pro
cognitionibus,
{2}n. 28, 2120, quae quia sunt intellectus Verbi ex
Deo, dicitur ‘calcare fecisti in mari equos Tuos’;
 そこに「馬」は神的な真理〔を表わすもの〕として、それはみことばの中に〔ある〕、「戦車」は、ここからの教え〔を表わすもの〕として、「海」は、知識〔を表わすもの〕として、〔述べられていることは〕28, 2120番〔参照〕、それらは神からのみことばの理解力であるので、「あなたの馬を海の中へ踏みつけることをされた」と言われる。


tribuuntur
hic equi Deo, sicut in Apocalypsi
supra, Cui non tribui possent absque quod significent similia:
 ここに馬(複数)は神に帰せられている、前のところの「黙示録」の中のように、その方に帰せられることはできない、同様のものを意味することなしに。


[3] apud
Davidem,
 [3] ダビデ〔の書〕に、


Cantate
Deo, canite nomini Ipsius, exaltate equitantem
in nubibus, in Jah, nomen Ipsius, Ps.
lxviii 5 [A.V. 4];
 神に〔向かって〕歌え、(あなたがたは)その方の名前に歌え、雲の中に乗る者を上げよ(高めよ)、その方の名前、ヤーの中に、「詩篇」68:4


‘equitare
in nubibus’ pro intellectu Verbi quoad interiora, seu sensu interno;
 「雲の中に乗ること」は、みことばの理解力〔を表わすもの〕として、内的なものに関して、すなわち、内意。


quod
‘nubes’ sit Verbum in littera, in quo sensus internus, videatur Praefatio ad cap. xviii Gen., ubi explicatur quid significat
quod ‘Dominus venturus in nubibus caelorum cum virtute et gloria’:
 「雲」が文字の中のみことばであることは、その中に内意が〔ある〕、「創世記」第18章への序文☆に見られる、そこに説明されている、何を意味するか、「主が天の雲の中にやって来る、力と栄光とともに」こと。


本講座で後から取り上げる予定です。


[4] apud
eundem,
 [4] 同書に、


Jehovah
inclinavit caelos, et descendit, et caligo sub pedibus Ipsius, et equitavit super cherub, Ps. xviii 10, 11 [A.V. 9, 10];
 エホバは天を押し曲げた、また降りた、また暗黒はご自分の足の下に〔あった〕、またケルブの上に乗った、「詩篇」18:9,10


‘caligo’
hic pro nubibus, ‘equitare super cherub’ pro providentia Domini ne homo ex se
intret in mysteria fidei quae in Verbo, n. 308:
 ここに「暗黒」は、雲〔を表わすもの〕として、「ケルブの上に乗ること」は、主の摂理〔を表わすもの〕として〔述べられていることは〕、人間が自分自身から信仰の神秘(奥義)の中に入らないように、それはみことばの中の、308番〔参照〕。


apud Zachariam, 「ゼカリヤ書」に、


In die illo
erit super tintinnabulis
{3}equi, sanctitas Jehovae, xiv 20;
 その日に、馬の鈴の上に、エホバの聖なるものがある、14:20


‘tintinnabula
equi’ pro intellectu spiritualium Verbi, quae sancta:
 「馬の鈴」は、みことばの霊的な理解力〔を表わすもの〕として、それは聖なるもの〔である〕。


[5] apud Jeremiam, [5] 「エレミヤ書」に、


Ingredientur
per portas civitatis hujus reges et principes, sedentes super throno Davidis, equitantes in curru et super equis illi, et principes illorum,
{4}vir
Jehudae, et habitatores Hierosolymae, et habitabitur civitas haec in aeternum,
xvii 25, 26; xxii 4;
 この都の門を通って入る、王たちと首領(君主)たちは、ダビデの王座の上に座って、彼らは戦車の上に、また馬の上に乗る、また彼らの首領(君主)たちは、ユダの男、またエルサレムの住民は、またこの都は永遠に住む〔ところとなる〕、17:25, 2622:4


‘civitas
Hierosolyma’ pro regno et Ecclesia Domini spirituali;
 「エルサレムの都」は、主の霊的な王国と教会〔を表わすもの〕として。


‘reges’ pro
veris, n. 1672, 2015, 2069;
 「王たち」は、真理を表わすもの〕として、1672, 2015, 2069番。


‘principes’
pro primariis praeceptis veri, n. 1482, 2089;
 「首長(君主)たち」は、真理の主要な戒め(おきて)〔を表わすもの〕として、1482, 2089番。


‘David’ pro
Domino, n. 1888;
 「ダビデ」は、主〔を表わすもの〕として、1888番。


‘vir
Jehudae et habitatores Hierosolymae’ pro illis qui in bono amoris, charitatis
et fidei, n. 2268, 2451, 2712;
 「ユダの男とエルサレムの住民」は、彼ら〔を表わすもの〕として、その者は愛の、仁愛と信仰の善の中に〔いる〕、2268, 2451, 2712番。


ita
‘equitare super curru et super equis’ pro esse instructi doctrina veri ex Verbi
intellectu interno:
 そのように「戦車の上に、また馬の上に乗ること」は、みことばの内なるものの理解力から真理の教えを教えられること〔を表わすもの〕として。


[6] apud Esaiam, [6] 「イザヤ書」に、


Tunc
delectaberis super Jehovah, et equitare
te faciam
super excelsa terrae, et comedere te faciam hereditatem Jacobi,
lviii 14;
 その時、あなたはエホバの上に喜ぶ、またわたしはあなたを地の高いところの上に乗ることをさせる、またわたしはあなたをヤコブの相続を食べることをさせる、58:14


‘equitare
super excelsa terrae’ pro intelligentia:
 「地の高いところのうえに乗ること」は知性〔を表わすもの〕として。


apud
Davidem,
 ダビデ〔の書〕に、


Canticum
amorum,…Accinge gladium tuum super femore, vir potens, gloriam et decus tuum,
et decore tuo procede, equita super
verbum veritatis
, et mansuetudinis justitiae, et docebit te mirabilia
dextra tua, Ps. xlv 1 [4], 5 [A.V. title, 3, 4];
 愛の歌…あなたの剣を腿(もも)の上に帯よ、力ある男よ、あなたの栄光と美観を、あなたの美観で進み出よ、真理のことばの、また義の柔和の上に乗れ、またあなたに驚くべきことを教える、あなたの右手は、「詩篇」45:標題、3, 4


‘equitare
super verbum veritatis’ manifeste pro intelligentia veri, et ‘super verbum
mansuetudinis justitiae’ pro sapientia boni:
 「真理のことばの上に乗ること」は、明らかに真理の知性(理解力)〔を表わすもの〕として、また「義の柔和なことばの上に」は善の知恵〔を表わすもの〕として。


[7] apud Zachariam, [7] 「ゼカリヤ書」に、


In die
illo, dictum Jehovae, percutiam omnem
equum
stupor, et equitantem amentia;
 その日に、エホバは言われる、わたしはすべての馬を驚きで打ち、騎手を狂気で〔打つ〕。


et super
domum Jehudae aperiam oculos Meos, et omnem
equum populorum
percutiam caecitate, xii 4, 5 [A.V.4];
 またユダの家の上に、わたしの目を開く、また民たちのすべての馬を打つ、盲目で、12:4


ubi etiam
manifeste ‘equus’ pro intellectu qui ‘percuteretur stupore et caecitate,’ et
‘equitans’ pro intelligente qui percuteretur ‘amentia’:
 そこにもまた明らかに「馬」は、理解力〔を表わすもの〕として、その者は「驚きと盲目で打たれる」、また「乗る(こと)」は、知性〔を表わすもの〕として、その者は「狂気」で打たれる。


apud Hosheam, 「ホセア書」に、


Omnem aufer
iniquitatem, et accipe bonum, et retribuemus juvencos labiorum nostrorum;
 すべての不正を取り去れ、また善を受け入れよ、私たちは私たちの唇の若い雄牛を報いる。


Asshur non
salvabit nos, super equo non equitabimus,
et non dicemus amplius, Deus noster, operi manuum nostrarum, xiv 3, 4 [A.V. 2, 3];
 アッシリアは私たちを救わない、馬の上に私たちは乗らない、また私たちはもはや言わない、私たちの神〔であると〕、私たちの手の働きに、14:2, 3


‘Asshur’
pro ratiocinatione, n. 119, 1186;
 「アッシリア☆」は、(誤った)推論〔を表わすもの〕として、119, 1186番。


ここにAsshurとありますが、通常はAschurと綴られます。著作の他の箇所ではどうなっているのでしょうか?


‘equus’ pro
intelligentia propria:
 「馬」は、プロプリウム(自己固有)の知性〔を表わすもの〕として。


praeter
perplurimis aliis in locis.
 ほかにも非常に多くの他の箇所の中に。


@1 exinde. Perhaps a reference has been omitted here,
such as
1288 or 2761.
 注1 exindeindeに換えた。 


@2 quae
sunt intellectus ex Verbo, quod mare sint cognitiones, videatur n. 28, 2120.
 注2 quae sunt intellectus ex
Verbo, quod mare sint cognitiones, videatur n. 28, 2120
n. 28, 2120, quae quia sunt
intellectus Verbi ex Deo, dicitur ‘calcare fecisti in mari equos Tuos’
に換えた。


@3 So also A and WH2, but equorum in 3881, 8408, 9394; AR 298; AE 204, 355.
Heb. [
原語へブル語] (sus) is singular. 注3 自筆原稿と『白い馬』2もまたそのようである、しかし、3881, 8408, 9394; 『啓示された黙示録』 298; 『黙示録講解』 204, 355ではequorumである〔複数〕。へブル語「スース」は単数である。


@4 Heb. [原語へブル語] (‘ish) is singular, but collective. 注4 へブル語「イーシュ」は単数、しかし、集合名詞である。


原典講読『みことばとその内意』 55(白い馬2)(訳文)

 

(3) 訳文


55.「白い馬」が、みことばの理解力であることは、その内的なもの、すなわち、同じことであるが、みことばの内意に関して、「馬」の意味が知力(知性)であることから明らかである。みことばの預言の中にしばしば馬と騎手の名前が挙げられている、しかし、今まで、だれにも、「馬」が知力(知性)を、また「騎手」が知的な者を意味すること知られなかった。


 例えば、その時、イスラエルであったヤコブの預言の中に、ダンについて、


 


 ダンは道の上の蛇、小道の上の矢蛇、馬のかかとをかむ、騎手は彼の後方に倒れる。エホバよ、私はあなたの救いを待ち望む、「創世記」49:17, 18


 


 「蛇」が、神的なアルカナ(奥義)について感覚的なものと記憶知から推論する者であることは、195番に、「道」と「小道」が真理であることは、627, 2333番に、「かかと」が最低の自然的なものであることは、259番に見られる。「馬」は、みことばの理解力であり、また「騎手」は、教えることである。ここから、これらの預言が何を意味するか明らかである、すなわち、信仰の真理について感覚的なものと記憶知から推論する者は、単に最低の自然的なものの中にしがみつき、このように何も信じないことである、それが「後方に倒れること」であり、それゆえ、「エホバよ、私はあなたの救いを待ち望む」と付加されている。


[2] 「ハバクク書」に、


 


 神よ、あなたはあなたの馬の上に乗られる、あなたの戦車は救い〔である〕…あなたはあなたの馬を海の中へ踏みつけるようにされた、3:8, 15


 


 そこに「馬」は、みことばの中にある神的な真理を表わし、「戦車」は、ここからの教えを表わし、「海」は、知識を表わすものとして、〔述べられていることは〕28, 2120番〔参照〕、それらは神からのみことばの理解力であるので、「あなたの馬を海の中へ踏みつけるようにされた」と言われる。ここに馬は、前のところの「黙示録」の中のように神に帰せられているが、同様のものを意味することなしにその方に帰せられることはできない。


[3] ダビデ〔の書〕に、


 


 神に〔向かって〕歌え、その方の名前に〔向かって〕歌え、雲の中に乗る者を高めよ、その方の名前、ヤーの中に、「詩篇」68:4


 


「雲の中に乗ること」は、内的なもの、すなわち、内意に関して、みことばの理解力を表わす。「雲」が文字の中に、その中に内意がある、みことばであることは、「創世記」第18章への序文☆に見られ、そこに、「主が天の雲の中に、力と栄光とともにやって来る」ことが何を意味するか説明されている。


[4] 同書に、


 


エホバは天を押し曲げ、降りられた。暗黒はご自分の足の下に〔あった〕、ケルブの上に乗られた、「詩篇」18:9,10


 


 ここに「暗黒」は、雲として、「ケルブの上に乗ること」は、人間が自分自身からみことばの中の信仰の神秘(奥義)の中に入らないような主の摂理を表わすものとして〔述べられていることは〕、308番〔参照〕。


「ゼカリヤ書」に、


 


 その日に、馬の鈴の上に、エホバの聖なるものがある、14:20


 


「馬の鈴」は、みことばの霊的な理解力を表わし、それは聖なるものである。


[5] 「エレミヤ書」に、


 


王たちと首領たちは、この都の門を通って入る。ダビデの王座の上に座って、彼らは、彼らの首領たちは、ユダの男、またエルサレムの住民は、戦車の上に、馬の上に乗る。この都は永遠に住む〔ところとなる〕、17:25, 2622:4


 


 「エルサレムの都」は、主の霊的な王国と教会を表わす。「王たち」は、真理を表わすものとして〔述べられていることは〕、1672, 2015, 2069番。「首長たち」は、真理の主要な戒めを表わすものとして〔述べられていることは〕、1482, 2089番。「ダビデ」は、主を表わすものとして〔述べられていることは〕、1888番。「ユダの男とエルサレムの住民」は、愛と仁愛と信仰の善の中にいる者を表わすものとして〔述べられていることは〕、2268, 2451, 2712番。そのように「戦車の上に、また馬の上に乗ること」は、みことばの内なるものの理解力から真理の教えを教えられること〔を表わすもの〕として。


[6] 「イザヤ書」に、


 


 その時、あなたはエホバを喜ぶ。わたしはあなたを地の高いところの上に乗させる、またわたしはあなたをヤコブの相続を食べさせる、58:14


 


「地の高いところのうえに乗ること」は知性を表わす。


ダビデ〔の書〕に、


 


 愛の歌…あなたの剣を腿(もも)の上に、力ある男よ、あなたの栄光と美観を帯よ、あなたの美観で進み出よ、真理のことばの上に、義の柔和の上に乗れ。あなたの右手はあなたに驚くべきことを教える、「詩篇」45:標題、3, 4


 


 「真理のことばの上に乗ること」は、明らかに真理の理解力を表わし、また「義の柔和な、ことばの上に〔乗ること〕」は善の知恵を表わす。


 [7] 「ゼカリヤ書」に、


 


 その日に、エホバは言われる。わたしはすべての馬を驚きで、騎手を狂気で打つ。またユダの家の上に、わたしの目を開き、また民たちのすべての馬を、盲目で打つ、12:4


 


 そこにもまた明らかに「馬」は、「驚きと盲目で打たれる」者の理解力を表わし、、また「乗る(こと)」は、「狂気」で打たれる者の知性を表わす。


「ホセア書」に、


 


 すべての不正を取り去れ、善を受け入れよ、私たちは私たちの唇の若い雄牛を報いる。アッシリアは私たちを救わない、馬の上に私たちは乗らない、また私たちはもはや、私たちの手の働きを、私たちの神〔である〕と言わない、14:2, 3


 


 「アッシリア」は、推論を表わす、119, 1186番。「馬」は、プロプリウム(自己)の知性を表わす。


 ほかにも非常に多くの他の箇所の中に。


 


本講座で後から取り上げる予定です。