(3) 訳文
22. さらに、全般的に、霊と天使たちについては、その者はすべて身体の死後に生きている人間の霊魂であって、人間よりもはるかに鋭敏な感覚を、すなわち、視覚、聴覚、嗅覚、触覚を持っている、けれども味覚は持っていない。
しかし、霊は、ましてなおさら天使は、自分の視覚で、すなわち、霊の視覚で、世の中にあるものを何も見ることができない。というのは、彼らに世の光、すなわち、太陽の光は、あたかも濃い暗黒であるから。自分の視覚で、すなわち、身体の視覚で、来世の中のもの何も見ることができない人間のようである、というのは、彼に、天界の光は、すなわち、主の天界の光は、あたかも濃い暗黒であるから。
[2] しかしそれでも、霊と天使たちは、主が喜ばれる時、人間の目を通して、世の中にあるものを見ることができる、しかし、主はこのことを、その者に主が霊や天使たちと話すこと、また同時に彼らといることを与えた以外の者のに許されない。私の目を通して彼らに、世の中にあるものを見ることが、またこれほどにはっきりと私のように見ることが与えられた、なおまた私と話している人間の話していることを聞くことも。ある者がいのちが身体の中にあったとき持った自分の友を、私を通して見た、〔その友が〕まったく以前のように現在していること、また〔そのことに〕驚いたことが、数回、起こった。さらにまた〔彼らは〕自分の結婚相手たちや幼児を見た、また私が彼らに、〔自分が〕いる、また彼らを見ている、と言うように、そして私が、来世の中の彼らの状態について話すように、と欲した。しかし、このように私が見たことを彼らに言うこと、また示すことは、私に禁じられていた、またその理由から、私を狂っていると言ったであろう、または心が精神楽乱であると思ったであろう、たとえ口で、霊が存在すること、また死者が生き返ったことを言っても、それでも心で信じないことが私によくわかっていたからである。
[3] 初めて私に内的な視覚が開かれ、また私の目を通して世を、また世の中にあるものをを見た時、霊と天使たちは、このことは奇跡中の奇跡である、言うようにも驚いた、また、このように天界との地の、また地との天界の伝達が与えられた新しい楽しさに満たされた。しかし、この喜びが数カ月の間、続き、親しいものになった後に、今や、彼らは何も驚かない。私は、他の人間のもとの霊と天使たちが世の中のそれらを少しも見ない、しかし、ただ彼らのもとにある彼らの思考と情愛だけを視覚することを教えられた。
[4] これらから、人間は、地上で人間の間で生きるとき、同時にまた天界の中で天使の間に生きる、また逆に、このように天界と地が同時に存在し、一つのものとして活動するように創造されていること、また人間が何が天界の中に、また天使が〔知る〕、何が世の中に〔活動しているか〕知り、また死ぬとき、地上の主の王国から天界の中の主の王国の中に移り、他の王国の中にではなく、身体の中で生きたときにいたのと同じ王国の中に移ること、しかし、人間はそのように物質的なものになったので、天界を自分自身に閉ざしたことを明らかにすることができた。