原典講読『みことばとその内意』 3(訳文)

 

(3) 訳文


3.ある霊が私にやって来た、身体から彼の出発の後、長らくではなかった、そのことを私は、〔彼が〕自分が世の中に生きていると思って、来世の中にいることを自分自身に今でも知らないことから結論することができた。彼が研究に専念していたことが知覚され、それらについて彼と話した。しかし、驚くべきことに、急に高いところに上げられた私は、その者が高いところにいたがる者たちからであったと推量した、なぜなら、このような者は高いところの中に運ばれるのが常であるから。または、〔彼は〕天界を最も高いところの中に置いた〔と推量した〕、その者は同様に高いところの中に連れ去られるのがよくあり、ここから、天界は高いところになく、しかし、内なるものの中に〔あることを〕知るように〔されるからである〕。


[2] しかし、間もなく、私は、〔彼が〕少し前方の右に、天界の最初の入り口の中に、天使的な霊〔のもと〕に上げられたことに気づいた。ここから、その後、私と話し、かつて人間のこころが把握することができない〔もの〕よりも荘厳なものを見た、と言った。このことは、私が「申命記」第一章を読んだときに起こった、〔それは〕ユダヤ人の民族について、カナンの地をまたそこに〔ある〕もの調べる者が派遣されたことである。そのことを私が読んだとき、〔彼は〕文字どおりの意味の中のそれを、何も気づかなかった、しかし、霊的な意味の中のそれを〔気づいた〕、また、これらが述べることができない驚くべきもの〔である〕と言った。このことは、天使的な霊の天界の最初の入り口の中であった。〔そのとき〕その天界そのものの中に何がないか、また、天使的な天界の中に何がないか。


[3] その時、私のもとにいたある霊は、以前には信じない者〔であったが〕、主のみことばがこのようなものであると信じなかったことを後悔し始めた。その状態の中で、信じた、と言った。そのようであることを聞いた、見た、また知覚した、と、それを言ったことを聞いたからである。


[4] しかし、他の霊は、依然として自分の不信の中に存在し続け、またそのようでない、しかし、幻想である、と言った。それゆえ、これらの者もまた急に上げられた、またここから私と話し、そのようであることを実際に知覚したので、そのうえ、身体のいのちの中に何らかの感覚でかつて与えられることができたよりもさらに敏感な知覚で〔あったので〕、幻想以外では少しもないことを認めた。


[5] 間もなく、他の者もまた同じ天界の中に上げられ、また彼らの間にいのちが身体の中にあったとき私によく知られた一人の者が〔いたが〕、その者は同じことを証言し、他のものの間に〔あるもの〕も、内的な意味の中のみことばの栄光に驚いて〔その〕ために、述べることができない、と言った。その時、ある種の哀れみから話して、このようなものからまったく何も知らないことは驚くべきことである、と言った。さらに、ここから私の思考と私の情愛を深く見つめることができ、それらの中に言い表わすことができるよりも多くのものを知覚する、と言った。例えば、原因や流入が、どこからまただれからか、観念が、どのように地のものと混合されたか、またまったく分離されるべきものであるか、ほかに他のものである。

原典講読『みことばとその内意』 4,5

 

(1) 原文「1770番」


4. Binis vicibus postea vidi alios
sublatos in alterum caelum inter spiritus angelicos, et inde mecum locuti, cum
legerem cap. III Deut. a principio ad finem; dicebant quod solum in sensu
interiore Verbi essent, asseverantes tunc quod ne apex quidem esset in quo non
sensus spiritualis pulcherrime cum reliquis cohaerens, tum quod nomina
significent res; ita confirmati quoque quia prius non crediderant, quod omnia
et singula in Verbo a Domino inspirata fuerint; hoc voluerunt etiam coram aliis
juramento confirmare, sed non permittebatur.


 


(2) 直訳


4. Binis vicibus postea vidi alios
sublatos in alterum caelum inter spiritus angelicos, et inde mecum locuti, cum
legerem cap. III Deut.
 二回のできごと(機会)で、その後、私は上げられた他の者を見た、天的な霊の間の第二の天界の中に、またここから私と話した、「申命記」第三章を私が読んだとき。


a principio
ad finem;
 初めから終わりまで。


dicebant
quod solum in sensu interiore Verbi essent, asseverantes tunc quod ne apex
quidem esset in quo non sensus spiritualis pulcherrime cum reliquis cohaerens,
tum quod nomina significent res;
 彼らは言った、みことばの内的な意味の中にだけいたこと、その時、断言して、小点でさえないこと、その中に最も美しい霊的な意味がない、他のものと結合している、なおまた名前は事柄を意味すること。


ita
confirmati quoque quia prius non crediderant, quod omnia et singula in Verbo a
Domino inspirata fuerint;
 このように確信もした、以前には信じなかったので、みことばの中のすべてと個々のものは主から霊感を受けた(ものであった)こと。


hoc
voluerunt etiam coram aliis juramento confirmare, sed non permittebatur.
 このことを他の者の前でもまた誓いで確信することを欲した、しかし許されなかった。


 


(3) 訳文


4. 二回の機会で、その後、私は上げられた他の者を、天的な霊の間の第二の天界の中に見た、またここから、「申命記」第三章を初めから終わりまで私が読んだとき、私と話した。彼らはその時、〔自分たちが〕みことばの内的な意味の中にだけいた、と言い、小点でさえ、他のものと結合して、その中に最も美しい霊的な意味がないものはなく、なおまた名前は事柄を意味する、と断言した。みことばの中のすべてと個々のものは主から霊感を受けたものであったことを以前には信じなかったので、このようにも確信もした。これを確信したことを他の者の前でも誓いたかったが、しかし許されなかった。


 


(1) 原文「1771番」


5. Quidam spiritus etiam in
incredulitate erant de Verbo Domini quod talia in sinu seu intus reconderet;
sunt enim spiritus in simili incredulitate in altera vita in qua fuerunt in
vita corporis, quae non dissipatur quam per media a Domino provisa et per vivas
experientias; quare cum legerem aliquos psalmos Davidis, interior eorum
intuitio seu mens aperiebatur; hi non sublati sunt inter spiritus angelicos;
tunc interiora Verbi in psalmis illis percipiebant, quibus obstupefacti
dicebant quod talia nusquam crediderint. [2] Auditum tunc fuit Verbum hoc a
pluribus aliis spiritibus, sed qui omnes capiebant illud cum diversitate; apud
quosdam implebat cogitationis illorum ideas pluribus amoenis et jucundis, ita
quadam vita, secundum cujusvis capacitatem, et simul efficacia penetrante ad
illorum intima; apud quosdam tanta ut visi sibi versus interiora caeli elevari,
ac propius et propius ad Dominum, secundum gradus quo vera et veris injuncta
bona afficerent. [3] Ad quosdam tunc simul allatum est Verbum, qui nihil de
sensu interno Verbi capiebant, sed solum de sensu externo seu litterali, quibus
apparebat littera nullius vitae: inde constabat quale Verbum cum Dominus
vivificat illud, quod illius efficaciae sit ut penetret ad intima, et quale cum
non vivificat, quod tunc solum littera sit, vix ullius vitae.


 


(2) 直訳


5. Quidam spiritus etiam in
incredulitate erant de Verbo Domini quod talia in sinu seu intus reconderet;
 ある霊もまた不信の中にいた、主のみことばについて、このようなものがふところの中に、すなわち、内部にたくわえられていること。


sunt enim
spiritus in simili incredulitate in altera vita in qua fuerunt in vita
corporis, quae non dissipatur quam per media a Domino provisa et per vivas
experientias;
 というのは、霊は来世の中で同様の不信の中にいるから、その中に身体のいのちの中でいた、それは主から備えられた手段によって以外に追い散らされない、また生きている経験によって。


quare cum
legerem aliquos psalmos Davidis, interior eorum intuitio seu mens aperiebatur;
 それゆえ、私がダビデの詩篇の何らかのものを読んだとき、彼らの内的な熟慮または心が開かれた。


hi non
sublati sunt inter spiritus angelicos;
 これらの者は天使的な霊の間に上げられなかった。


tunc
interiora Verbi in psalmis illis percipiebant, quibus obstupefacti dicebant
quod talia nusquam crediderint.
 その時、詩篇の中のみことばの内的なものが彼らに知覚された、それらに驚いて、言った、このようなものを決して信じていなかったこと。


[2] Auditum
tunc fuit Verbum hoc a pluribus aliis spiritibus, sed qui omnes capiebant illud
cum diversitate;
 [2] その時、このみことば☆が他の多くの霊により聞かれた、しかし、その者は、多くの者はそれを多様性(相違)とともに把握した。


「このみととば」とは「このダビデの詩篇の何らかの箇所」でしょう。


apud
quosdam implebat cogitationis illorum ideas pluribus amoenis et jucundis, ita
quadam vita, secundum cujusvis capacitatem, et simul efficacia penetrante ad
illorum intima;
 ある者のもとで、彼らの思考の観念を楽しい、また快い多くのもので満たした、このようにある種のいのちを、それぞれの受容力(理解力)したがって、また同時に彼らの最内部に浸透する効力を。


apud
quosdam tanta ut visi sibi versus interiora caeli elevari, ac propius et
propius ad Dominum, secundum gradus quo vera et veris injuncta bona afficerent.
 ある者のもとで、それほどのものを〔満たした〕自分自身が内的な天界に上げられることが見られることのように、そして主へとさらに近くまたさらに近く、段階にしたがって、そこへ真理と真理に連結した善が働きかける。


[3] Ad
quosdam tunc simul allatum est Verbum, qui nihil de sensu interno Verbi
capiebant, sed solum de sensu externo seu litterali, quibus apparebat littera
nullius vitae:
 [3] その時、同時に、ある者に、みことばが提示された、その者は、みことばの内意について何も把握しなかった、しかし、外なる、または(すなわち)文字どおりの意味についてだけ〔把握した〕、彼らに文字はいのちの何もないものに見えた。


inde
constabat quale Verbum cum Dominus vivificat illud, quod illius efficaciae sit
ut penetret ad intima, et quale cum non vivificat, quod tunc solum littera sit,
vix ullius vitae.
 ここから明らかにされた、みことばがどのようなものか、主がそれを生かす(生命を与える)とき、その効力があること、最内部へ浸透するような、またどのようなものか、生かさない(生命を与えない)とき、その時、文字だけであること、ほとんどいのちの何もないもの。


 


(3) 訳文


5. ある霊もまた、主のみことばについて、このようなものがふところの中に、すなわち、内部にたくわえられていることの不信の中にいた。というのは、霊は来世の中で、いのちが身体の中にあったのと同様の不信の中にいるから、それは主から備えられた手段によって、また生きている経験によって以外に追い散らされない。それゆえ、私がダビデの詩篇の何らかのものを読んだとき、彼らの内的な熟慮または心が開かれた。〔しかし〕これらの者は天使的な霊の間に上げられなかった。その時、詩篇の中のみことばの内的なものが彼らに知覚され、それらに驚いて、このようなものを決して信じていなかった、と言った。


[2] その時、みことばのこの箇所が他の多くの霊により聞かれ、しかし、その多くの者はそれを相違とともに把握した。ある者のもとで、それぞれの受容力したがって、彼らの思考の観念は楽しく快い多くのもので、このようにある種のいのちで満たされ、また同時に彼らの最内部に浸透する効力があった。ある者のもとで、段階にしたがって、自分自身が内的な天界に上げられ、そして主へとさらに近くまたさらに近づくことが見られるように、それほどのもので満たされ、そこへ真理と真理に連結した善が働きかけた。


[3] その時、同時に、みことばの内意について何も把握しないで、外なる、または(すなわち)文字どおりの意味についてだけ把握した者に、みことばが提示されたが、その者に文字はいのちが何もないものに見えた。ここから、みことばがどのようなものか明らかにされた、主がそれを生かすとき、最内部へ浸透するようなその効力があること、また生かさないときどのようなものか、その時、ほとんどいのちが何もない文字だけであることである。