(3) 訳文
152 天界全体が一人の人間を、彼の器官、四肢、内臓の個々のものとともに映し出すことが前に示された。またこのことは、天界が主を映し出すからである、というのは、主は天界のすべてものの中のすべてであり、天界は正しい意味でそこまでも主からの神的な善と神的な真理であるからである。ここから、天界は身体の中の内臓、器官、四肢と同数のそれほど多くのいわば領域に分かれていて、 それらにもまた対応がある。天界との、また天界を通して主との人間のこのような対応がなかったなら、人間は決して一瞬も存続しなかったであろう。それらのすべてのものは流入によって関連の中に保たれている。
[2] しかし、これらのすべての領域は二つの王国に、すなわち、天的な王国と霊的な王国に関係する。前者の王国、すなわち、天的な王国は、「最大の人」の中の心臓の王国であり、また後者、すなわち、霊的な王国はそこの肺の王国である。そして同様に、人間の中で、彼のすべてと個々のものの中で、心臓が支配し、また肺が支配する。それらの二つの王国は驚くほど結合されている。その結合もまた人間のもとの心臓と肺の結合で、四肢と内臓の個々のものの中の両方の機能の結合で表象される。
[3] 人間が胎児であるとき、すなわち、依然として子宮の中にいるとき、その時、心臓の王国の中にいる、しかし、子宮から分娩する時、同時に肺の王国の中にやって来る。また、もし彼が信仰の真理によって愛の善の中に導かれることを許すなら、その時、「最大の人」の中の肺の王国から心臓の王国の中に戻る。というのは、このように、再び子宮の中にやって来て、生まれ変わるから。そしてまたその時、彼のもとで〔再び〕それらの二つの「王国」が結合される、しかし、逆の秩序で。というのは、前に彼のもとの心蔵の王国は肺の支配の下にあった、しかし、それから肺の王国は心臓の支配下となる、すなわち、前に彼のもとで信仰の真理が支配した、しかし、その後、仁愛の善が支配するから。
「心臓」が愛の善に、また「肺」が信仰の善に対応することは3635, 3883-3896番に見られる。