(3) 訳文
[2] その間に、頭の上方で二人の者がお互いの間で話し、まただれであったか尋ねられるとき、彼らの一人は学問の世界で最も有名な者であった、と言われた、また私に、アリストテレスであった、と信じることが与えられた。もう一人がだれであったか、言われなかった。その時、彼は世の中で生きていたときにいた状態の中に入れられた。というのは、世で自分のいのち(生活)の状態の中に持ったどんなものでも、自分のすべてのいのち(生活)の状態を付属物として持つので、容易に入れられることができるから。しかし、驚くべきことに、自分自身を右の耳に接触させ、またそこでしゃがれ声で、しかしそれでも正気で(理性的に)話した。彼の話しの意味から私は、最初に出てきたスコラ哲学者と比べて彼はまったく他の性質であったことに気づいた。すなわち、彼は自分の思考からそれら〔術語〕を考え出し、それらで書き、またここから自分の哲学を生みだした。それで、考え出し、思考の事柄を据えた術語は、内的なものを述べるきまり文句であり、なおまた情愛の快さ、また思考のものを知る願いから、それらの術語に向けてかきたてられ、また彼の霊が命じたことに従順に従ったのであった。そのために、彼は右の耳に自分自身を接触させた。
思考から術語に向けてでなく、しかし術語から思考へ向けて、このように反対の道を進むスコラ哲学者と呼ばれる彼の追随者に比べて異なっていた。また彼らの多くの者は決して思考に向けて進まず、しかし、術語の中だけにしがみつき、もしそれらを適用するなら、どんなものでも欲するものを証明するためであり、また説得しようとする欲望にしたがって虚偽に真理の外見を置くためである。ここから、彼らに哲学は賢明になるよりも狂うようにできる手段であり、またここから彼らに光の代わりに暗やみがある。