(3) 訳文
71 有機体の形は、目の前に見え、また顕微鏡によって見ることができるものだけではなく、しかしまた、さらに純粋な有機体の形であって、それらは決して何らかの肉眼でも、人工的な目でも示されることができない。これらの形は内的であって、内なる視覚の形、また最後に理解力の形のようである。
これらは計り知れないものであるが、しかしそれでも、形、すなわち、実体である。というのは、何らかの視覚は、実に知的な視覚も、他のものから以外に存在するようになることができないから。このこともまた学界の中でよく知られている、すなわち、主体である実体なしに、それ自体を活動的に現わす何らかの方法(手段)または何らかの変化物または何らかの性質がないことである。純粋なまたは内的なそれらの形は、計り知れないものであり、それらは内なる感覚を示し、そしてまた内的な情愛を生み出す。それらの形に、それらの感覚に、またこれらの情愛に対応するので、天界の内的なものに対応する。
しかし、それらについて、またそれらの対応について、多くのことが私に示されたので、それらは、個々のものについて特定的に扱われないなら明確に説明されることができない。そのために、さらにまた続くものの中で、主の神的な慈悲から、前の部分の中で始められた「最大の人」と人間の対応について、それらを続けることが許されている。最後に、人間が、何らかの推論からでなく、まして何らかの仮説からでなく、しかし、経験そのものから、どのように人間と、また彼の霊魂と呼ばれる内なる人と、また最後に天界との彼の結合と、また天界を通して主と対応するか、したがって、どこから人間は人間であるか、また何によって獣から区別されるか、またさらに、どのように人間は自分自身 原典講読『最大の人とその対応』