(3) 訳文
55表象は自然的なものの中の霊的な映像以外の何ものでもなく、また前者〔霊的なもの〕が正しく後者〔自然的なもの〕の中に表象される時、対応する。しかし、何が霊的なものか知らず、何が自然的なものかだけ知っている者は、、このような表象とここからの対応が存在することはできない、と考えてしまう、というのは自分自身のもとで、どのように霊的なものが自然的なものの中で働くことができるのか、と言うことができるから。しかし、もしそれらについて熟考することを欲するなら、それらは自分自身の中にどんな瞬間にも生じている、それらの何らかの観念を自分自身に得ることができる。すなわち、どのように意志が身体の筋肉の中で働き、また実在する行動を示すことができるか、そしてまた、どのように思考が肺、気管、のど、舌、くちびるを動かして、話しの器官の中で働くことが、また話しを示すことができるか、なおまた、どのように情愛は顔の中で働き、ここからしばしば他の者が何を考え、意志しているか知るほどに、またそこにそれ自体の映像を示すことができるか、である。これらは表象と対応の何らかの観念を与えることができる。そこで、このようなものが人間の中に示されているので、また、それ自体から存続することができる何らかのものは存在せず、しかし、他のものから、またこれは再び他のものから、また最後に「最初の者」から存在し、またそのことは対応の結びつきによっているので、何らかの判断の拡大に恵まれている者は、人間と天界の間に、またさらに天界と「最初の者」である主の間に対応があることを結論 原典講読『最大の人とその対応』